因縁と真相⑩
「なに言って、父さんが、そんな……」
「信じるかどうかはお前の勝手だよ。だが九年前、
自己を支えてきた精神的支柱、その一本に大きな
『堕神一族』が
けれど、それは
幕府の
抱いていた理想と幻想。それとはまるで違う現実と事実に打ちのめされ、布団へ倒れ込んだ蒼羅は右手で
「まぁ信じられんのも無理はない。家族には仕事のことを話してなかったようだしな。詳しいことは
「……睡、蓮?」
「元『天照』第十席の『羊』だ。お前の父親と組んでた」
耳慣れない名前を、
「確か今は……『
「それ、って……」
『雅郭』にいる
記憶の中からその姿を探し当てたそのとき、
「――龍親の
・・・・・・
——夢であってほしいと、これほど願ったことはない。
それでも、現実という奴はどうにも
己の身体に刻まれたいくつもの痛みと熱によって、あの出来事は夢ではなかったのだと思い知らされ……
殺すべき相手に剣を教えていたとはなんとも皮肉だが、なんとも言葉にしがたい妙な
聞いたことがある。
武術において弟子が己を超えるその瞬間、師匠が感じる充足感のようなものがあるという。経験したことはないが——当然だ、まだ
空気にはどこか
しかし寝起きのぼやけた思考では、その正体にまでは
やがて部屋の隅にある姿見を見つけ、朱羽は身体を起こして近寄った。各所が痛むが、無視できないほどではない。
鏡に映った己の顔を見て、小さく息を飲んだ。
左半面を覆う包帯が、まるであの殺人鬼のようで。暗く
「あれま、起きてたの」
振り返った先にいたのは、黒髪を一つ結びにした女性。小袖を長身に
「
「まだ動いちゃ駄目。ちゃんと寝てないと」
盆を床に置いた緋奈咤は足早に近付くと、朱羽を両腕でひょいと抱え上げてあっという間に布団に寝かせる。
「その傷は……誰にやられたの?」
布団を
朱羽の口から出る答えにもう
「……蒼羅、に」
「そう。じゃあ、貴方が『真紅の剣士』なの」
おずおずと絞り出した答えに、緋奈咤は驚くでも怒るでもなく、表情を曇らせながらもどこか納得した様子でそう
意外な反応に言葉を詰まらせていた朱羽も、やがて重苦しく
その頃は『
「あたしを、恨みますか? ……でも先にあたしの人生を滅茶苦茶にしたのは、堕神の人間です」
緋奈咤は朱羽を責め立てず、仕方ないと言いたげな
「別に私は恨まないよ。だから今、ここで朱羽ちゃんになにかするつもりもない。これは、
私は部外者だしねー、と一線を引く緋奈咤の瞳が、朱羽の
「だけど、今の貴女にあの子を殺せる?」
「……絶対に殺す」
答えた朱羽の
「誓いをやっと果たせる。私が奴らを殺し尽く――」
「私は朱羽ちゃん自身に訊いてるの。蒼羅と仲良くなった――ただ単純に憎んでいられなくなった今の貴女は、どう?」
氷がじわりと解けるように、猫目が光を取り戻す。
我に返った朱羽が
「質問を変えよっか。……その復讐を終えた後、朱羽ちゃんはなにがしたいの?」
「……それ、は」
言葉を切ったきり、二の句が継げない。
復讐を果たすまでの道程は鮮やかになったが……その先にあるものが、朱羽にはまるで想像できなくなっていた。
仇を討ち果たすであろうその時を境に、無数にあるはずの未来への道全てが、
「夢中になってる今は良いかもしれないけど、
「復讐なんか止めて、真っ当に生きろってことですか」
「違うよ。私は復讐が悪いことだとは思ってない。あれは自然の
肉食獣のように
「もしも蒼羅を殺したら、今度は私が貴女を殺す」
腹を空かせた獅子と、丸腰の状態で対面しているような
龍親の威圧を前にしたときと同じだ。絶対的で、圧倒的な
「復讐ってのはそういうもの。誰かが心を殺して折れない限り、
緋奈咤が目を伏せると、
数秒にも満たないごくわずかな間ながら息は荒れ、肌にはじわりと汗が浮いていた。
「復讐すれば、確かに
そう言いながら、横に置いた薬缶から湯呑へ
「全てを終えた後、貴女の
朱羽は
そこに映った自分の顔は、
・・・・・・
蒼羅と龍親がいる部屋に入って来たのは、赤茶けた短髪に
『
思わぬ
そこにあったのは、見慣れたあの
左腕に至っては真っ二つに切断されていたはずだが、刀傷やら
「多少は乱暴に扱っても良いように作ったにしても、よくあそこまで手入れして使ってくれたもんだよ。
累錬は我が子の頭を撫でるように優しく触れた後、
「前のよりもっと軽く、もっと
「どうやってこんな、精巧に……」
「当たり前だろ。その義肢を造ったの、アタシだからね」
装着後、五指を開閉しながら
「手足を
「なんで俺のために、そこまで」
「アンタのためじゃないよ、あたしは頼まれたから造っただけさ。仕事に私情は挟まない主義でね」
「俺がこの義肢で人を殺しても、そんなことが言えるのか」
龍親との会話は、部屋の外にいた彼女にも少なからず聞こえていたはずだ。義肢の修理に当たって、彼が今回の件を
『頼まれたから造っただけ』という弁が気になって揺さぶりをかけてみるも、構わないさ、と累錬はあっけらかんと答えた。
「道具ってのは詰まるところ、意思の受け皿だ。使う奴が百人いれば百通りの使い方がある、それに口を出すだけ
累錬が最後に肩をばしん! と叩いて去っていく。
それを見送って黒鋼の
・・・・・・
見つめるのは、遠い過去の
いつかまた、きっと巡り会う。過去に残した
ただそんな気がする、というだけの予感。しかしそれは蒼羅と朱羽の胸の内で、確信と呼べるほど強固なものになっていた。
――そのときが来たら、今度こそ決着を付けよう。
二人の運命の歯車は、回り始めたばかり。
どのような結末を迎えるのかは――まだ誰にも分からない。
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