十章 因縁と真相

因縁と真相①

「——『仏斬ぶつぎ供臓くぞう』の模倣犯が脱獄した。お前たちに奴を捕らえてほしい」


 格子こうし越しに立つぼさぼさ髪の着流しの男——九条くじょう龍親たつちか

 彼が放った言葉に、蒼羅そらは不幸面を、朱羽あけは端正たんせいな顔立ちを、そろって慄然りつぜんらせていた。


 数ヶ月前、この『大江都万街おおえどよろずまち』中に屍山血河しざんけつがき散らした大量殺人鬼。

 九年前の『仏斬り供臓ほんもの』を真似た奇抜な殺害方法によって、百十数名にも及ぶ犠牲者を出した人型の災厄さいやく

 彼は蒼羅と朱羽によって捕縛された後、『醜落しゅうらく』にある大規模地下牢獄『伽藍堂がらんどう』の最下層へ収監しゅうかんされていた。


「……冗談だろ。あそこから、簡単に出られるわけがない」


 ――『伽藍堂』の構造は、一言で言えばありの巣だ。

 地下へ伸びる支柱とそれに巻き付いた螺旋らせん階段かいだんから、枝分かれするように十の階層が広がっている。

 罪の重い者ほど地下深くへと押し込まれ、下層の方では衰弱死する囚人さえいるという。


 投獄されることそれ自体が、実質的な死刑執行さえ意味する現世うつしよの地獄。その深淵しんえんにまでちてなお、生き長らえているというのだから驚きだ。

 そもそも出入り口から通路の一本に至るまで、官吏かんりたちが常に目を光らせている。脱獄などまず不可能なはず——

 拒絶するように首を横に振り、半笑いで茶化そうとする蒼羅の指摘に、龍親は疲労のにじんだ力無い笑みを浮かべる。


「あぁ、全く冗談みたいだよな。奴は最下層にある牢から出て、螺旋階段をのぼって、正門から大手を振って出て行きやがった。……を、自分の十八番おはこで綺麗に解体バラしてな」


 ぞっとするほど冷たい戦慄せんりつに肌が粟立あわだち、口は開いたまま硬直する。

 絶句している蒼羅を他所に、朱羽は怪訝けげんそうに眉をひそめたまま問い掛ける。


「なんであたしたちにやらせるの。他にては? ……ていうか龍親、直接あんたが出向けば楽勝でしょ。『最強』の肩書きはお飾りじゃないんだから」


 『旗本衆はたもとしゅう』筆頭である龍親ならば、模倣犯を捕らえるのは容易たやすいだろう——蒼羅の頭の片隅にもその考えはあった。彼と直接対決した彼女がそう言い切るのなら間違いない。


「いやぁ、俺だって色々忙しいのよ……事務処理とか事務処理とか事務処理とか。さっきだってお前らを外に出すための面倒な手続きしてきたんだ」


 しかし龍親はおどけて肩をすくめるのみ。曖昧あいまいに笑うその顔には憔悴しょうすいが見え隠れする。


「それに、模倣犯の暴挙のおかげで『伽藍堂』の人員はだ。『旗本衆』の一般兵を囚人の監視に回した都合で人手不足が深刻。お前らの手も借りたいくらいなんだよ。……で、実際どうだ。やれるか?」

「捕らえるのは難しいと思う」


 龍親がぼやきながら発した問いを、朱羽は逡巡しゅんじゅんすることもなくきっぱりと切って捨てた。


「出来ても、あたしたちで動きを封じるのがやっとでしょ。……あのとき、二人掛かりでも勝ててたわけじゃない」


 数ヶ月前の記憶を反芻はんすうし、蒼羅は深くうなずいた。

 模倣犯を打ち負かせたのは、『旗本衆』訓練兵たちの人海戦術によって彼が疲弊ひへいしていたことが大きい。

 万全の状態で戦うとなると、勝てるかどうか怪しい。蒼羅の我流拳法にしても、二度も同じ手が通じる相手ではないだろう。


 それでも、絶対に捕らえなくてはならない。最悪の場合は――


「いざとなったら俺が「


 吐き出す決意は、途中で強くさえぎられた。

 振り返った先にある朱羽の猫目は、穴が空かんばかりに、視線ではりつけにせんとばかりに蒼羅を見つめていた。

 そこにあるのは、無謀むぼうな行いをいさめようとする真摯しんしな熱。


「あたしの目の届く場所では、もう絶対にさせないから」


 続けようとしていた言葉を見透かされ、口をつぐまざるを得なくなった蒼羅はばつが悪そうに頭を掻く。


「お前たち、すっかり仲良くなって……お兄ちゃん嬉しい……」

「ん、ちょっと待って。なんで受ける感じになってんの?」


 そんな二人を見て、龍親は感極かんきわまったように目頭を押さえ、大袈裟おおげさに肩を震わせていた。意図せぬ方向へ会話が進んでいることに気付いて眉根を寄せる朱羽に、蒼羅は毅然きぜんと言い張る。


「朱羽、俺はやるぞ。奴を野放しにはしておけない」

「あんたてのひら返すの速くない?」

「それとこれとは話が別だ」

「お、感心だなぁ。聞き分けの良い部下を持って俺は誇らしいよ」


 耳に届いた軽薄な声に、朱羽のあきれ顔から視線を移す。龍親へと向けられた蒼羅の瞳は、怒りで冷え切っていた。


「龍親さん。あんたの頼みを引き受けるのは、これは俺の矜持きょうじにも関わる問題だからだ。……あんたが朱羽にしたことは、傷の治療と頼み事ひとつ聞いたくらいじゃ帳消しにはならない」

「はは、怖いねぇ。引き受けてくれるだけありがたいと思っておくよ。……朱羽はどうする?」


 話を振られた朱羽はしばらく黙り込む。

 また難しそうに眉根を寄せて首をひねりながらも、その雰囲気は幾分いくぶんと軟化していた。


「まぁ、蒼羅のこと死なせないって言ったばっかだし……けるけどさ、」


 朱羽は『その前にひとつ』と立てた人差し指を、龍親の顔へ向ける。


「現場で『旗本衆あんたら』と鉢合わせるたびにやってられないんだけど?」

獅喰しばみの反逆行為は不問にする、ってことで話は付けてある。朱羽、お前への疑いもあと数日したら晴れる」


 しかし朱羽はまだ納得いかないようで、引き結んだ薄い唇からは渋るような声が漏れた。


「そもそも龍親、なんで上から目線? そっちは人手不足が深刻で、あたしたちの手も借りたいくらいなんでしょ。だったら、があるんじゃないの?」

「筋なら通したろ。お前たち二人を治療したのは、模倣犯を追わせるためでもある」

「誠意が足りない。……ほら、土下座」


 猫目を意地悪い笑みの形に歪ませる朱羽。

 ふところから格子の鍵を取り出そうとしていた龍親は、開いた口からやるせない溜め息を吐き出した。


・・・・・・


「——どうした、出ないのか?」


 開け放たれた格子を前に、蒼羅は立ち竦むまま。その視線は、近くの壁に背を預ける龍親へと向けられている。

 朱羽はといえば、真っ先に牢から出た後に彼から紙切れを手渡され――


「ほれ、快気かいきいわいだ。うちの近くの甘味かんみどころ、月末まで食べ放題やってる」

「まじで!?」

「まじで」

 

 ――『うぇへへへ』と変な含み笑いとともにほおゆるませ、超特急で去っていった。

 残された二人の間にはしびれにも似た緊張が走る中、蒼羅は意を決して口を開いた。


「暗殺部隊『天照あまてらす』第一席の『龍』――、九条龍親」


 朱羽と龍親の間で繰り広げられた異次元の戦闘において、勝負を制したのは彼だ。決まり手となった居合いあい一閃いっせんは、人理や法則など容易く超越する怪物じみた威力だった。


 蒼羅は一般兵たちをき分け進む中で、居並いならぶ軍帽たちの隙間すきまから決着の瞬間を目にしていた。

 あれをまともに食らった朱羽が生きていたのは奇跡に近い。恐らく手加減はしていたのだろうが、一歩間違えば殺していた。


 だった虎堂こどう琥轍こてつの異常性――『異能』による擬似的な不死身の肉体――とその恐ろしさを、身をもって体感した今。

 それを超える席次にく存在など、この男以外に考えられない。


 すると龍親はどこかわざとらしいほど目を丸くした後、仕方なさそうに頭を掻いた。


「あ、? やー、こりゃ人前で本気なんか出すんじゃなかったなぁ……」


 蒼羅も確証があったわけではなく、どちらかというとカマをかけただけに過ぎなかったのだが……こうもあっさり認めるとは思わず、拍子ひょうしけした気分になる。

 しかし聞き出す手間がはぶけた。蒼羅は次に、相手の心中をあぶり出すための言葉を放つ。


「朱羽を殺すために元『天照』の刺客しかくを送ってきたのも、あんたか?」


 部隊の活動を主導していたのは幕府老中らしいが……最高位の席次にいた彼もまた、相応そうおうの権力を有していたはずだ。


 彼ならきっと『天照』の面々にも顔がく。

 なんらかの報酬ほうしゅうと引き換えに、朱羽を殺すようそそのかすことも出来ただろう。

 しかし送り出した刺客たち――神峯かみね毘沙ひさ夜叉坊やしゃぼう吽慶うんけい燎馬りょうま那迦なか――は揃いも揃って暗殺をせずに終わった。


 だから『白い髪の女』のうわさを利用した。

 朱羽に罪を着せて依智いち狒々愧ひびきに襲わせ、最終的には自らが出向いて打ち倒した。

 その後、邪魔が入ってまんまと逃した朱羽を――あるいは不安要素である蒼羅を――消すために、として虎堂琥轍を送り込んだとすれば……

 辻褄つじつまの合わない話ではない。


 蒼羅の中で現状もっとも黒幕に近い男はしかし、物悲ものがなしそうに顔をうれいに染めながら目を伏せた。


「傷つくねぇ……確かに血はつながってないが、朱羽は俺のいとしい義妹いもうと――大事な大事な家族だ。どうして殺す必要がある?」


 殺す理由が見当たらない――蒼羅もそう考えていた。

 二人の兄妹きょうだいなかは一見すると険悪けんあくだが……その実、朱羽が一方的に煙たがっているだけで、龍親から険のある態度を取ったことは一度も無い。


 だがもし、それがなものだとしたら?

 蒼羅と同じようにこの男もまた、腹の中にドス黒い激情さついを抱えているとしたら?


『嫌い、憎い、ねたましい――そういう負の感情すべて、だ。根掘ねほ葉掘はほりと掘り下げてけば、きっとおめぇの腹ン中にもある』

『誰だって持ってんだよ。それを正直に爆発させる奴もいるし、くすぶらせたまま死んでいく奴だっている』


 虎堂琥轍の言葉と、心の内に巣食う猜疑心さいぎしんが、疑念のあぶくを次々に生じさせる。

 そんな蒼羅の胸中をさとってか、龍親はやれやれと首を振った。


「朱羽のことボコボコにしたのを怒ってんのか? 言っとくが本気マジってりゃ、あんな状態のアイツなんて。……そもそも本気で殺すつもりなら、誰かに頼むなんて陰湿いんしつな真似しないさ」

「殺すつもりじゃなかったなら尚更なおさら、なんであそこまでの仕打ちを」

だったから、ましてやっただけだよ」

「……そんな理由で、死にかけるまで叩きつぶすのかよ」


 ふくみを持たせた調子の言葉。そこに込められた意味をみ取れず気色けしきばむ蒼羅を、龍親はどうどう、と両手をあげて制する。


「そう怖い顔するなって。大切な義妹が道を踏み外しそうなときに正してやるのも、年長者の役目さ」


 ――?

 みょうな物言いに、蒼羅の眉は意識せず顰められる。

 しかしそのことを深く考える暇さえ与えないかのように、龍親は性急に言葉を継いだ。


「あんな性格だ、事情聴取だからと大人しく身を預けるわけがないだろ? だから泣く泣く叩き潰した。……難しいんだぜ、死なない程度の重傷を負わせるってのは」それに、と龍親は言葉を続ける。「朱羽が主犯だとすれば、俺がぶっ倒せば犯行は途切れるはずだった」

「……はずだった?」


 蒼羅の反応を察した龍親は、首を縦に振り肯定する。


「その日の夜、また一人死んだよ。同じ手口の辻斬つじぎりにやられた……アイツは潔白シロだ。だから言ったろ、朱羽の疑いも数日中に晴れるって」


 安堵あんどの息を吐く蒼羅。それを見る龍親の面持おももちには、どこか悲痛ひつうな色がかすめたように見えた。


「お前が朱羽の肩を持つのは勝手だが、あまり情を移しすぎるなよ。後が辛くなる」


 意味をはかりかねた蒼羅が眉間にしわを寄せていると、龍親はまた煙たそうに手を振って次の問いを放った。


「……で、?」


 その瞬間。

 これまでどこか軽薄だった龍親の態度が、重みを増したように感じた。

 重要な選択を前に、腰をえてじっくりと考え込むかのような態度の変化。


 ――のならば是非ぜひもない。

 蒼羅は頭に並べていた前置きの言葉を捨て、単刀直入に切り込んだ。


「……鳳仙ほうせんについて、教えてくれ」

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