雷神と狂獣⑨
見渡す限りの闇色が、徐々に白く
やがて眼に入ったのは、見知らぬ天井だった。
意識の電流が全身各所を巡り、知覚機能を覚醒させる。寝ぼけていた五感が冴えていく。
しんと冷え切った空気が鼻腔を
薄暗い部屋の中、しばらく目玉模様の木目と熱く見つめ合ってから、
「……生きてるのか、俺」
身体中に残る
記憶に
「……わ」
と、聞き覚えのある声が、隣で小さく
その方向へ顔を向けると、白髪の少女――
白一色の着物に膝上丈の赤い
目が合う。すると一転して不機嫌そうな——要するにいつもどおりの——表情に変わった。
「……あんた本当に人間なの?」
「急になんだよ」
開口一番まさかの暴言を放ってきた朱羽に、痛みに震えながら
「
言いながら、まるで不気味な新種の生物が目の前にいるかのように
態度も言動も病み上がりの身に対してはいささか
瞳の奥に
「お
「これ以上怪我したくなかったら、さっさとあたしから離れたほうが良いよ?」
皮肉っぽく冗談めかした言葉に、返す朱羽の言葉は警告じみていた。
しかしその声音には突き放すような冷たさはなく、どこかこちらを
「なら、もうしばらくお前にくっついてることにするよ」
小さく笑って迷いなく答える蒼羅。
朱羽の目はしかし、いよいよ死にかけの虫でも見るように冷え込む。
「……どうしたの急に。気持ち悪い」
「さっきから黙って聞いてりゃ、それが病み上がりの人間に掛ける台詞か?」
「いや、見た感じあんた元気そうだけど」
「現在進行形で絶賛負傷中だよ。心が」
「だったらちゃんとそういう顔してくれないと」
「…………」
「なに情けない顔してんの、男の子なんだから痛いのくらい我慢したら?」
「お前覚えとけよ、動けるようになったら一発殴るからな。マジで」
いつものように憎まれ口を叩いてくる朱羽。小憎たらしい気分になるが、同時にこれで良いとも思った。やはりこうでないと張り合いが無い。
重々しい溜め息で軽口の
「前に言ってたろ、『目に付くところで死なれるのは嫌』って。……なら、お前の近くにいれば助けてくれるんだろ?」
「見ないフリするかもよ。……勝手に連んできて死にかけまくる奴の面倒なんて、見てられない」
「お前はそんな冷たい奴じゃない」
「な、にを、根拠に……」
自信満々にそう言い切る蒼羅に、朱羽は目に見えて
蒼羅の右手には、なにかに強く握り締められたような感触の
朱羽の左手には、なにかを強く握っていたような跡が赤く残っている。
「どうせまた、俺が目を覚ますまで見守っててくれたんだろ?」
心中を見透かすような目で蒼羅が
頭頂から背中へ流れ落ちる白髪。その隙間から
「あたしの過去も、『
早口で
「そうだよな。そういう建前がある以上、お前は自分が巻き込んだ人間を絶対に見捨てない」
「……恩着せがましい奴。あたしにおんぶに抱っこで助けてもらおうっての?」
「自分の身は自分で守るさ。けど、どうしたって手が回らない場所もある。だから俺の背中はお前が守ってくれ、お前の背中は俺が守るから」
蒼羅が差し伸べた手に、はぁ、と諦めたように息を吐く朱羽。
呆れたような目でこちらを
「だったらちゃんと着いて来てよ。……足引っ張ったら、そこで置いてく」
「……契約成立だな」
二人は手を握り合う。
少しだけ不服そうに鼻を鳴らす朱羽の表情には、いつもの冷徹で高慢な色の他に、もうひとつ。
照れ隠しのように
・・・・・・
「…………で、ここはどこなんだ?」
蒼羅はぐるりと首を回し、周囲へと目を向ける。
二人がいるのは十畳にも満たない狭い部屋だ。窓は無く、灯りはランタンがわずかに周囲を照らすのみ。
まるで座敷牢ではないか――ここの旅籠の主人はやたらと特殊な性癖をお持ちのようだ。
「まさかあんた、ここが旅籠だとか思ってる?」
「違うのか?」
「いや違うでしょ」
こんな悪趣味な宿に止まると思う? と呆れた息を吐く朱羽。
「ここは九条家の蔵。あたしたち捕まったの。しばらくここに拘留するんだって」
「まぁ、追われる身で野宿になるよりはマシか」
「……あんた妙なところで前向きだよね」
「お前と同室なのは気に食わないけどな」
「あたしも、モヤシと一緒に暗室で暮らせるなんて夢みたーい。……はやく
「一言多いんだよ」
「あんたもね」
「おーおー、お盛んなことで」
格子の向こうから冷やかすような声が掛かる。それに
いつの間にか立っていたのは、眠たげな顔にぼさぼさの髪を乗せた二十代半ばの青年。着流しの上に肩掛けにした軍服には、大量の
格子越しに睨み据える二人に、『旗本衆』筆頭——
「やだねぇ、怖い顔すんなよ。ちょいと頼みたいことがあるんだが」
「この前は殺しにかかって、今度は顎でこき使う気か」
「蒼羅、待って」
不信感と嫌悪感を隠そうともしない蒼羅を制すと、朱羽は腹の底を見定めるような冷ややかな目を龍親へ向けた。
「龍親、話だけは聞いてあげる」
「……良いのかよ。お前だって殺されかけただろ」
「それは正しくないぞ、獅喰。俺は殺す気なんて毛頭なかった。勝手に身体を酷使して死にかけたのは
「……そんなことしてたの?あたし」
虚を衝かれたように目を見開き、悲痛な色を浮かべる龍親を尻目に、朱羽は唇を耳朶に寄せて
「悔しいけど、こっちには治療してもらった借りがある。いまここで下手を打てば、一生ここから出られないかも」
「そうだぞー。あの道楽息子から助けてやったのは
便乗して恩着せがましく言葉を連ねる龍親に、蒼羅は自分が意識を失いここに至るまでの出来事を、ようやっと
・・・・・・
「首を
そう言って海藻類のような髪の青年——
「よく見つけたな
「た、龍親様……!?」
龍親はたじろぐ彼を黙殺し、蒼羅と朱羽に向けて
「この場は俺が預かる。獅喰にはまず応急手当をしろ、死なれたら困るからな。朱羽は手枷を
「ちょ、ちょっと待ってくださいッ!!」
当然のように場を仕切って部下に指示を飛ばす龍親を、統逸の怒声が遮った。
龍親は言葉を切ると、
「別にお前の手柄を取ったわけじゃない。俺の部下の失態は、『
「僕の『
しかし統逸の脅迫じみた警告は、失笑に遮られた。
「聞いたことない部署だと思ったが……こないだ新設されたあれか。親父殿に特別に作ってもらった役職を自慢したいのは分かるがな、お前はもうひとつ大事なことを忘れてるぞ」
言って、龍親は統逸の鼻先まで
「良いこと教えてやる、覚えておけよ青二才。『旗本衆』筆頭にはな、幕府老中と同等の権限が与えられてる。加えて互いに干渉するのも
小馬鹿にしたような口調に、統逸の眉が跳ね上がる。
「だから老中様の意思を俺が
ぴん、と丸めた指で額を弾かれた統逸は、苦々しく口の端を歪めた。
「今回の件、いずれ貴方も責任を追求されるときが来るでしょう。覚悟を決めておいた方が良い。……おい、行くぞ」
「はいはいご忠告どーも。しっかり聞き流しておくよ」
顎をしゃくって取り巻きと共に出ていく統逸に、龍親は煙たげに手を振り返した。
そうして、蒼羅と朱羽は
・・・・・・
記憶の
「お前ら二人して、随分と恨み買ってたみたいだからな。俺が助けに入んなかったらマジ死んでたぞー?」
「龍親、自慢はいいからさっさと本題に入って」
「……はいはい。俺も時間が惜しいから
朱羽につっけんどんに先を
どうせ彼のことだ、大した用事ではないのだろう——そう
「——『
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