火事と喧嘩③

「さぁ、しっかり働くんだよ」


 恰幅かっぷくの良い中年の禿かむろに尻をひっぱたかれながら、朱羽あけは格子こうしの中へと押し込められた。

 直方体の窮屈きゅうくつな空間には、十数人の遊女たちが座して並べ立てられていた。

 通りの反対側にも朱塗しゅぬり格子の部屋があり、遊女たちが折檻せっかんされている。

 格子の隙間からわずかにのぞく空は、夕焼けのあかね色から夕闇の紺色に染まり始めていた。

 通りを行き交う人が増え始める。そろそろ張見世はりみせが始まる頃だ。


「……ふぅ」


 一息つき、朱羽は鼓動を抑え込むように左胸に手を当てた。

 大抵のことには動じないし、どんなことでも器用にこなせる自負はある。

 それでも緊張や不安を感じないわけではない。生憎あいにく、鋼の心臓とやらは持ち合わせていないのだ。


 蒼羅そらに遊女として買ってもらうことで合流し、『綺艶城きえんじょう』に潜入する手筈てはずだ。

 が、見つけてもらおうとして下手に騒げば目立ってしまう。

 他の男に目を付けられると面倒だし、まさか蒼羅も、あたしの顔を忘れるほど馬鹿じゃないはず。

 ここは、部屋の奥で目立たないようにじっとしておこう。


 思案しあんを終えた朱羽は、我が身をうれうように溜め息をついた。

 —まるで、店先に並び立てられるだ。

 作戦だから仕方ないとはいえ、物のように扱われるのは鼻持ちならない。

 そして、それをとして愛想を振りまき、びを売る―そんな遊女たちも苦手だ。

 朱羽は、すぐ隣に座り込んでいる遊女を一瞥いちべつする。

 

 二十代半ばほどのその女性は、ひどく憂鬱ゆううつそうな表情をしていた。

 化粧で凛々りりしく見えるが、もとは純朴じゅんぼくそうな顔立ちだ。

 周りと違う雰囲気が気になってしばらく見つめていると、こちらの視線に気付いたのか、彼女も顔を上げて朱羽を見た。

 じろじろ見ていたとあっては失礼だ。

 目が合う前に顔を逸らそうとして、朱羽の耳に声が飛び込んできた。


「見ない顔だね。……新しく入ってきた子かい?」


 『艶街いろまち』の華美な雰囲気とは程遠い、温和そうな優しい声。

 思わず顔をうかがうと、女性はこちらを心配するような表情を浮かべていた。

 見た目通りの優しい性格なのだろう。


「えぇ。父親の借金のせいで、身売りされてしまって……」

「それは大変だったね……こんなに若いのに」


 適当な理由をのたまって苦笑してみせると、女性の表情は悲痛なものへと変わる。

 作り話の真っ赤な嘘を信じ切って、こちらを心配そうに見つめる女性。目には、わずかに涙がにじんでいるようにも見える。


 その反応を『大袈裟おおげさだな』と思いつつも、朱羽は複雑な気持ちになった。

 善良な人間をだまして、なにも感じないわけではない。さすがに良心くらいは痛む。

 その面持おももちのまま、女性は手をかかげて、格子の中にいる周りの遊女たちを示した。

 細くて綺麗な指だな、と朱羽は思った。


「ここにいるみんな、同じようなものだよ。借金で身売りされたり、捨て子だったり、文字の読み書きができなかったり……じゃ生きられなくて、ここに流れ着いた日陰者ひかげものばかり」

「……え」


 その言葉に、朱羽は愕然がくぜんとした。

 改めて周囲を見回す。格子の中には、自分より年の低い童女の姿も見えた。


「それでも表の世界に戻るために、みんな必死になって頑張がんばってる。……知ってる? お偉いさんの相手をするには教養も必要だから、そのための勉学もここで教えてもらえるんだ」


 そう語る女性の目には希望の光が灯り始める。


「文字の読み書きを覚えれば、出来る仕事が増える。燎馬りょうまさんが斡旋あっせんしてくれるんだ。あの人は、表社会から締め出された私たちが、また日の光を浴びれるように尽力じんりょくしてくれてる。……頭が上がらないし、感謝してもし足りないよ」


 言葉を切った女性の顔は、再び物憂ものうげなそれへと変わる。


「だからここで色を売ることを、みんな仕事だからと割り切ってる。だけど私は、どうしても踏ん切りが付かなくてね……」


 そう言って女性は、どこか自虐じぎゃく的な、困ったような笑みを浮かべる。

 朱羽はそれに対し、内心を隠すように曖昧あいまいな笑みを返した。


・・・・・・


 通りの喧騒けんそうから離れた路地裏。

 蒼羅そら老爺ろうやの背中に続いて踏み込んだ店の中は、玉虫色の光にあふれていた。

 その光のひとつひとつが、美しい宝飾品のたぐいと気付いたのは、余りの目映まばゆさに目をすがめた後の事だ。


 かんざし根付ねつけに耳飾り—どれも遊女に送って、気をくためのものだろう。

 金、銀、赤、青、黄、緑、紫。

 色とりどりの光に溢れる部屋の中。

 蒼羅がその光景を見て連想したのは、くすねてきた財宝の山を前に笑うぞくの姿だ。

 そう見える原因は、胡散臭うさんくさい顔で笑う、目の前の老爺にある。


「悪い、いまいそがしいんだが」

「そう言わずによ、見るだけでもいいさ」


 妙なものを売りつけられる前に断ろうとするも、老爺は意地悪く笑い返すのみ。

 見るだけでも良いとは言うが……蒼羅は眉をひそめながら店の中をぐるりと見回した。


 目の前の老爺はどうにも胡散臭く、路地裏に店を構えるというのがいかにも怪しい。贋作がんさくを売りさばくような悪徳商人だったら手に負えない。

 諸々もろもろの事情で、今は身分を明かせないのだ。もっとも、明かしたところでこの身なりでは、嘲笑ちょうしょうを受けるだけなのだろうが。

 軍服を着ていれば、こんなことに首を突っ込むことはなかったかもしれない。


 そもそも、蒼羅は装飾品の相場もよく分かっていない。

 法外な値段をふっかけられて、ぼったくられる気しかしない。

 おのれの悪運にいよいよ五体投地してなげきたくなっていると、老爺は宝飾品のひとつを手にとってこちらに近付いてきた。


「―これなんかどうだい。綺麗だろう?」


 そう言って差し出されたのは、あか彼岸花ひがんばながあしらわれた髪飾りだった。

 硝子細工がらすざいくで精巧につくられた花に、蒔絵飾まきえかざりの装飾が美しい。

 お洒落しゃれうとい蒼羅でも、かなりの逸品いっぴんだというのが一目で分かる。

 が、蒼羅は怪訝けげんな目でそれを眺めていた。


 彼岸花といえば、墓場の周りに咲く気味の悪い花、というのが蒼羅の認識だった。

 あまり良い印象は持っていないし、他の人間に聞いても十中八九、同じ答えを返すだろう。

 —これを誰かに送ったとて、喜ばれるものか?


 蒼羅の反応からその心中を察したのか、男は薄く笑いながら言葉を続ける。


「まぁ、あんまり良い印象はないかもな。だけどこの花、見た目とは裏腹な花言葉があってね……」

「……花言葉?」


 蒼羅は狼狽うろたえた。

 生憎、そういった洒落しゃれたものには縁がない。朱羽なら詳しいのだろうが―


「そうさ。『情熱』『独立』『再会』『あきらめ』『転生』『悲しい思い出』……あとは、『想うはあなた一人』『また会う日を楽しみに』なんてのもあるのさ」

「…………はぁ」

「お兄さんにも色恋沙汰いろこいざたのひとつくらいあるだろう。気になるあの子と距離を置かなきゃならねぇって時に、想いを込めて渡せば、イチコロさね」

随分ずいぶんと限定的な状況だな……」

「どうだいお兄さん。今なら少しまけとくよ」


 どのみち、なにかひとつは買わないと外に出してくれなさそうだし、商品ではなく妙な恨みを買って面倒事に巻き込まれるのも御免ごめんだ。

 致し方なく軍服を売り払って得た金はある。あとで買い戻すつもりだったが、経費を使って新調しよう。


「分かった分かった、買うよ。ただしそれひとつきりだ」


 蒼羅は老爺の手に金子を叩きつけ、髪飾りをひったくって踵を返す。


「へへぇ、毎度ありぃ」


 欲にまみれた下卑げびた声を背中に受けながら、蒼羅は逃げるようにその店を後にした。


・・・・・・


「…………はぁ」


 朱羽はうつむき、大きな溜め息をついた。

 それは自身が置かれた状況にではなく、他でもないに対してのものだ。


 ―嫌なやつだな、あたし。

 あの女性の話を聞いて、朱羽は先ほど遊女たちを卑賤ひせんののしった己を恥じた。

 彼女たちは望んでここに来たわけではないし、

 望んで己を商売道具としているわけでもない。

 表の世界から打ち捨てられ、それでも光を求めて必死に足掻あがいているのだ。

 自分のやったことは、所以ゆえんも知らずにこの白髪を気味悪がる周囲の者たちと、まるきり同じだ。


 自己嫌悪におちいり、暗い感情にひたっていた朱羽は、周囲の遊女たちが色めき立つ様子で我に返った。


 遊女たちが我先にと媚びを売り込む先、立っているのはくたびれた風情ふぜいの男。

 その姿には見覚えがあった。脳裏で記憶が巻き戻されていく。

 巨大な赤鳥居を越えた後、すれ違った遊女の一団。その中心にいた無精髭ぶしょうひげの男だ。


 ―あの男、そんなに魅力的?

 朱羽は思わず顔をしかめた。正直言うとあまり好みではない。

 守備範囲の外、圏外けんがいも良いところだ。まず選択肢にも上がらない。


 だが周りの遊女たちの黄色い歓声は止まない。不思議に思ってまじまじと見つめていると、先ほどの女性が耳打ちしてくる。


「あれが燎馬りょうまさんだよ。私たちはみんな、あの人に恩があるからね……それを返そうと、ああやって躍起やっきになるんだ」


 なるほどね、と相槌あいづちを打ちながら、朱羽は小さく落胆した。


 どんな聖人君子かと思えば、大酒飲みでのろくでなし。

 勝手に期待したのは朱羽の方で、燎馬という男から見れば逆恨さかうらみなのだろうが……がっかりせずにはいられなかった。

 冷めた目で見ていると、遊女達を品定しなさだめしていた燎馬と目が合う。


 ―その瞬間、頭にずきりと疼痛とうつうが走った。


「ッ……?」


 小さく押し殺した苦鳴を上げるも、次の瞬間には疼痛は消えていた。

 まさしく通り過ぎるような一瞬の痛み。不思議に思っていると、燎馬が格子の中へ声を掛けてくる。


「奥のお前。ちょっと顔を見せてくれないか?」


 —その瞬間、周囲が水を打ったように


 見れば、今まで歓声かんせいを上げていた遊女たちはみな、雁首がんくび揃えて朱羽を見ていた。

 周囲の視線が、無数の針のように突き刺さるのを肌で感じる。そこにはわずかに敵意のようなものも混じっていた。


「―あたし?」

「そうそう。ちょっとこっち来てみ?」


 自分を指差し困惑する朱羽に、燎馬はほがらかに笑って手招きする。


 ―まぁ、どうせ見るだけだろう。

 ―普段は見ないが気になっただけで、まさか買いはしないはず。


 朱羽は小さく眉をひそめながらも、わずかに腰を浮かせて立ち上がり、あしでゆっくりと近付いた。

 すると燎馬は格子に腕を突っ込んで朱羽のあごに手を添え、顔を小さく持ち上げた。

 その気障きざったらしい仕草に、思わず表情がゆがむ。

 —やばっ。

 とっさに愛想笑いを浮かべようとして一瞬、思いとどまる。

 一秒にも満たない逡巡しゅんじゅんの後、朱羽は

 もちろんわざとだ。

 なんなら燎馬の顔につばを吐いてやってもいい。


 普通なら、ここは猫をかぶっておかないとマズいのだろう。

 だがこの男に買われてしまうと、蒼羅との合流が難しくなる。

 燎馬という男も、愛想の悪い遊女を気に入るほど物好きじゃないだろう。すぐに他の女に目移りするはずだ。


 あまりにも露骨ろこつ嫌悪けんおの表情をつくる朱羽。

 その内心のわずかな焦りと裏腹に、燎馬は特に気分を害した様子もなく、手にした花顔かがんめつすがめつ眺めていた。

 かと思うと、ふと立ち上がり、格子の前にいた下男へ向き直る。

 そして彼の次の言葉に、朱羽は耳を疑った。


「―決めた。今日は

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