火事と喧嘩④

 『艶街いろまち』の入口、巨大な赤鳥居から続く大通り。


 日が落ち、張見世はりみせの時間となった今、そこは多くの人でにぎわっていた。

 朱塗しゅぬ格子ごうしの中に並べ立てられた遊女たちは、着物をはだけてをつくり、扇情的せんじょうてきな視線を道行く人々に投げ掛ける。

 そこにたかる男たちは、艶姿あですがたに鼻の下を伸ばし、あるいは値踏みするように見つめ、あるいは格子のそばに立つ下男に好みの女を伝え、金子きんすを渡していた。

 そんな人混みの中。

 ひとりだけ、切迫した表情で辺りを見回す男がいた。

 安物の麻の着物を着た、丸眼鏡の商人―にふんした蒼羅そらだ。


 —いない、いない。いない。

 どこにもいない。朱羽あけはの姿が見当たらないのだ。


 朱羽は遊女に扮して先に潜入していた。

 そしてこの場に並べられる彼女を蒼羅が買い、二人で『綺艶城きえんじょう』へ潜入する手筈てはずだった。


「最悪だ……」


 —誰かが目敏めざとく朱羽を見つけて、先に買ってしまう。


 その可能性を考えていない訳ではなかった。

 彼女の顔立ちは綺麗だ。ここにいるおよそ同年代の遊女たちと比べても、やはり頭一つ抜きん出ている。

 世が世なら、傾城けいせいの美女ともうたわれただろう。

 路地裏の老爺ろうやの顔を思い出し、わずかな苛立いらだちを覚える。

 髪飾りを買わされる時間さえなければ、間に合っていたかもしれない。

 博打ばくちのような作戦だったが、まさかこうも早く失敗するとは。

 これからどうする。どうすれば―


「なんだい旦那、かい。うちで遊ばないなら帰んな」


 そばにいた下男が険悪な表情で詰め寄ってくるのが見えた。格子の前でいつまでもうんうんうなっている姿を見かねたのだろう。

 蒼羅は下男の方を向き、困ったように苦笑した。


「いやぁ、目当てのがいたんだが―」

「目当ての? ……へぇ、そりゃどんな」


 蒼羅が客と分かると、下男は表情を一転。

 相好そうごうを崩して手を揉み、。なんとも調子の良い奴だ。


「今日入った娘を知らないか。こう、猫みたいに吊った目の―」


 蒼羅は自分の目尻を引っ張って、朱羽の猫目を再現してみる。

 下男は、ぽん、と手を打って表情を明るくした。


「あぁ、あの別嬪べっぴんさんか。いやぁ旦那だんなもお目が高い。……しかし旦那の身なりを考えると、ありゃ高嶺たかねの花だがね」


 ぷくく、と含み笑いを漏らす下男。文句を言おうとして、蒼羅は思い留まる。

 高嶺の花だというのは分かりきっているし、このえない商人姿ではそう思われるのも無理もない。


「お世辞せじはいい。その娘はどこに?」

「さっき買われていったよ、燎馬りょうまさんに」


 やっぱりか―

 蒼羅は大袈裟おおげさに肩を落としながら、下男の口から出てきた人物について問うた。


「燎馬さん?」

「この『艶街』を仕切ってる若旦那さ。女物の着物を羽織った大酒呑みだよ」


 それを聞いて、蒼羅は通りを行く中ですれ違った遊女の一団—

 その中心にいた男を思い出した。


「しかし、あの人が遊女を買うなんて、珍しいこともあったもんだ」

「……そんなに珍しいか?」


 遊女を十人も二十人も買って囲わせる方が、よっぽど珍しいような―そう思って聞き返すと、下男は大仰おおぎょうに首を縦に振った。


「珍しいとも。あの人の隣や後ろによくいるんだよ、人形みてぇに無口で不気味な女が。いつもはあれとだ。たまに遊女を買うときもあるが……そんときゃ十把一絡じっぱひとからげよ」


 下男は『綺艶城』の頂上を見遣る。


「あの新入り、ずいぶん気に入られたね。今ごろ燎馬さんの部屋にいるだろうさ。いやぁ残念だったねぇ旦那。気晴らしに他の娘はどうだい?」


 下男の言葉に、遊女のひとりが格子にもたれながら、熱っぽい視線を送ってくる。

 ふーむ、と蒼羅は顎に手を当て考え込んだ。

 このまま甘言に乗って、遊びのひとつやふたつ経験してみたいものだが、あいにく時間と持ち合わせが―

 いや、待てよ。

 蒼羅はなにかを閃いたように顔を上げた。


・・・・・・


 —最悪。

 頭を抱えたい気分だし、実際に抱えようともしていた。

 が、かんざししてカツラまでかぶったこの状態では、下手をすれば変装がバレかねない。


 朱羽は嘆きたい気持ちをぐっとこらえて愛想笑いを浮かべながら、燎馬の後ろを付いて歩いていた。

 朱塗りの柱と金箔のふすまが並ぶ廊下を通り、螺旋らせん状の階段を上っていく。

 燎馬の方が内部に詳しいのもあってか、先導する彼に着いていけば、『綺艶城』の最上階―彼の居室まで、難なくたどり着くことができた。


 金箔の貼られた壁は絢爛けんらんな浮世絵で彩られ、鮮やかな朱塗りの調度品が点在する。

 朱と金の二色に占有された部屋を、天井から吊るされたあかりがだいだい色に薄く色付けていた。部屋のすみには、ひどく場違いな酒樽さかだるが大小様々に積まれている。

 最奥にあるのは丸い硝子窓がらすまど。成人男性二人ほどの直径の丸窓からは、城下の景色を見下ろせるようだ。


 ―成金なりきん趣味……。

 辟易へきえきとした感情を、朱羽は愛想笑いで固めた表情筋の裏にしまい込んだ。


「さてと、それじゃここらで腰を落ち着けて、ゆっくり話をしようか」


 そう言って、燎馬はれしく朱羽の腰に手を回すと、歩くよううながしてくる。

 爪先が向いた方向にあるのは、吉祥きっしょう文様の描かれた

 返答の代わりに嘆息たんそくしながら、朱羽は燎馬のふくらはぎを思い切り蹴飛ばした。

 ―与太話よたばなしに付き合う気はない。


 燎馬の『おぉっと』という声が風に乗る頃には、その長身はしたたかに畳敷きの床へ叩きつけられる。

 朱羽は馬乗りになりながら、懐から取り出した小刀を彼の喉元に突きつけた。腕を少し動かせば頸動脈けいどうみゃくを裂いて殺せる。

 本職の暗殺者なら、既に喉笛を掻き切っていただろう。


「……おいおい、ずいぶんだなぁ。おじさん、そういうの嫌いじゃないぞ」


 しかし、命の危機がすぐそこまで迫っているというのに、燎馬はへらへらと笑っていた。その口からは冗談まで飛び出す始末だ。


「黙って。あたしの質問にだけ答えて」


 朱羽は刃を燎馬の首筋に押し当て、冷たい声音でおどす。

 雰囲気を一変させた目の前の遊女に、燎馬は大仰に驚いたような顔をした。


裏賭場うらとばについて教えなさい」

「さぁ、知らないね、なんのことやら―」


 朱羽の問いにも、燎馬は飄々ひょうひょうとした態度を崩さない。しかし、なにかを隠すように目を逸らした。


「とぼけないで」


 小刀を握る手に力を込める。刃が燎馬の肌に食い込み、わずかに血をにじませた。


「……分かった分かった。知ってること全部、包み隠さず話しますよ」


 痛みに眉をひそめた燎馬は、意外にもあっさりと折れた。

 観念するように息を吐いたあと、欠伸あくびめいて大口を開ける―


 その奥に


「ッ!?」


 息を飲んだ朱羽が反射的にのけぞった瞬間、燎馬の口から、豪ッ! とき上がった。

 鼻先で燃え盛る炎に肌と髪をあぶられ、退くようにして距離を取る。

 のそりと立ち上がる燎馬を見つめたまま、朱羽は呆然ぼうぜんとしていた。


「……なに、いまの」


 人が口から火を噴くなど、聞いたこともない。

 御伽噺おとぎばなしの怪物じゃあるまいし、とんだびっくり人間がいたものだ。


「なにって、のさ。あんたみたいな別嬪さんに間近で見つめられたら、誰だってそうなる」


 —顔じゃなくて口からでしょ。

 思わず出そうになった野暮な突っ込みを飲み下して、朱羽は冗談を言ってのける燎馬を睨み付けた。

 燎馬は顎髭あごひげをなぞりながら、なるほど、とひとりごちる。


「やっぱりお前か、幕府が寄越よこしたってのは」

「……バレてたってわけね」


 薄ら笑いを浮かべる燎馬に、朱羽は苦々しい顔で舌を打つ。


から、幕府の連中が裏賭場をけたらしいってのは聞いてたんでね。警戒はしてた」


 燎馬は朱羽から視線を外し、硝子窓の向こう—城下の街並みを見ながら『それにな』と言葉を続ける。


「今日はのさ。けど城下は、どこぞの商人が連れてきたっていう別嬪のうわさで持ちきりだ。のぞいてみたら、見たこともねぇ新入りの遊女がひとり。そこで悟ったよ」


 大仰に肩をすくめる燎馬。朱羽を見る目にはあざけりが薄く乗る。


「―だからお前を買ったのさ。大方、仲間に買ってもらって合流を考えてたんだろうがね」


 してやったりと意地悪く笑う燎馬に、朱羽は『それがどうした』と言わんばかりの不敵な笑みを返す。


「それでこっちの作戦をくじいたつもり? むしろ感謝したいくらいよ。おかげで色んな手間がはぶけたし、がいなくなって清々せいせいするわ」


 その言葉に燎馬は目を丸くした後、どこか懐かしむように小さく笑った。


「言うねぇ……大した自信だ。な」


 その物言いに朱羽は眉を顰めた。

 まるでこちらを知っているような口振り。それも今回が初めてではない。

 『艶街』に潜入する前、旅籠はたごで襲撃してきた二人組のうちひとり―神峯毘沙かみねひさも同じような態度だった。

 喉の奥に魚の小骨が引っかかるような、些細ささいな違和感。

 朱羽はそれを無理やり飲み下す。


 今は関係ない話だ。この男をくだして、あとでまとめて聞き出せば良い。


「で、まだ質問に答えてもらってないんだけど?」


 朱羽が催促さいそくすると、燎馬は頭を掻きながら困ったように笑う。


「裏賭場のことか? 悪いが、刀を押し付けて脅迫するような奴には言えないねぇ」

「なら吐かせるまでよ」


 つかを掌で転がして刃とみねを握り替えた朱羽は、たたみ一枚分の距離を一息に詰める。

 下段からの斬り上げ、脇腹を峰で打ち据える一閃。床を蹴ってわずかに後退した燎馬の胸板を切っ先がかすめた。

 続く攻撃に後退と回避の一手を打ち続けながら、燎馬はやれやれと首を横に振る。


「やめとけ、俺は女は殴らない主義なんだ」

「だったら抵抗しないで、さっさとお縄に掛かってよねッ」


 壁際まで追い詰められた燎馬を見て、朱羽はすかさず大上段からの振り下ろし。

 対し、燎馬は右脇に逃れる。追い討ちをかけようと振り向いた朱羽の脇腹に、燎馬が放ったむちのように鋭いが入った。


「ぐ……ッ!?」


 吹き飛んだ朱羽の身体は屏風びょうぶや調度品の棚をたおし、ほこりを巻き上げながら床に倒れ込んだ。


「—げほッ、はっ……ちょっと、女は殴らないんじゃなかったの?」

「確かにとは言ったが……とは言ってないさ」


 立ち上がりながら非難がましく睨む朱羽に、燎馬はやれやれと肩をすくめた。

 よくもまぁ、いけしゃあしゃあと、悪びれもせず言うものだ。

 内心呆れていると、燎馬はなにを思ったか表情を明るくした。


「気が変わった。やっぱり教えてやろう」

「は?」

「裏賭場は俺の管轄外でねー、責任者も一昨日おととい、金を持って逃げちまった。あそこに関しちゃ、俺の方が詳しく知りたいくらいなのさ」


 どういう風の吹き回しか、燎馬は今まではぐらかしていた裏賭場についてぺらぺらと喋り始めた。

 が、肝心の内容は『知らない』の一点張り。


 これでは遠路遥々えんろはるばるやってきた上、遊女の変装までして潜入した意味がない。

 朱羽は落胆らくたんするように小さく息を吐いた。


「それで納得すると思う?」

「知ってることは話したさ」

「……まだ隠してるんじゃないの?」

「いいや、俺が持ってる情報は全部くれてやった」


 へらへらと笑う顔がしゃくさわる。朱羽は苦い顔をして燎馬を睨みつける。

 再び距離を詰めようとして、朱羽の耳は襖の向こうから聞こえてくる物音をとらえる。

 次の瞬間には、ばん! と勢いよく襖が開かれ、 刺叉さすまたたずさえた四、五人ほどの男衆が部屋へ踏み込んできた。


「燎馬様! さっきの物音は―」


 先頭の男は燎馬へ問いながら、刃物を持った朱羽の姿を見て小さく息を飲む。


ぞくだ、俺の首を狙ってきた。―捕らえろ」


 燎馬は先ほどとは打って変わって、冷徹な声で男衆に短く命じる。

 まずいな―命令に応じ動き出す男衆を見ながら、朱羽は小さく顔をしかめた。


 普段なら、あの人数を相手取るのはそう難しいことではない。

 だが今はただでさえ動き辛い遊女姿に、得物は攻撃範囲の狭い小刀。さっきの蹴りで折れたのか、右のろくが痛む。この状態で男衆に加えて燎馬まで相手取るとなると、さすがに分が悪い。

 それに、燎馬が裏賭場の情報をあれ以上持っているかも怪しい。

 苦労して全員打ち倒したとして、収穫が無ければ骨折り損もいいところだ。

 敗れた後どうなるか、想像も付かない。単に首を落とされるだけではきっと済まないだろう。


 戦略的撤退と行きたいところだが、出入り口はひとつ、燎馬と男衆を挟んで向こうにある襖のみ。予期せずして退路を断たれた形になる。

 他に逃げ道があるとすれば―朱羽は首を巡らせ、背後の巨大な硝子窓と、そこから透けて見える城下の景色をちらりと見やった。

 算段の間にも男衆はじわじわと距離を詰めてくる。時間がない。


 朱羽は意を決するように小さくうなずくと、すぐそばにあった巨大な酒樽を横倒しにする。向こうの燎馬が『あぁっ』と切なそうな声を上げた。

 何事かと足を止める男衆。


「おりゃ!」


 その間隙かんげきに、朱羽はその場で小さく飛び上がり、酒樽を両足で思い切り蹴っ飛ばした。

 床を勢い良くごろんごろん転がった酒樽は、立ち止まっていた男衆と正面衝突。

 先頭の男は足を取られて倒れ、後続も弾き飛ばされるようにして派手にすっころんだ。

 朱羽はその間抜けな様子に小さく笑いながら、小刀を背後の硝子窓へ投擲とうてきし、自身もその方向へ走る。

 切っ先が突き立った瞬間、朱羽は跳躍ざまに柄頭つかがしらを蹴って硝子を破砕。きらびやかな破片もろとも、己の身体を夜空へ投げ出した。

 重力が朱羽を捕らえ、その身体は地上へ落下していく。

 割れた硝子窓から、驚いたような顔を出してくる燎馬と男衆。


「べーっ」


 朱羽はせめてもの抵抗として、馬鹿にするように目の下を引っぱり舌を出した。

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