火事と喧嘩⑤

燎馬りょうまさんと商談の約束があってね。今どこに?」

「ここの最上階だよ。新入りの別嬪べっぴんさんを引きずり込んだから、しばらくだがね」

「ありがとう。助かるよ」

「商談が終わったら、是非ぜひうちで遊んでいってくれよ」


 風呂敷包みを手にした丸眼鏡の商人は、案内係の下男に手を振って礼をする。

 にこやかな下男の顔に、商人―蒼羅そらは苦笑を返した。


 別の遊女を買って『綺艶城きえんじょう』の中へ入り込んだ蒼羅は、案内されるまま座敷へ向かった。

 そこで、脱がしてくれと言わんばかりに背を向ける遊女の首筋に、

 気絶した遊女を丁重に布団に横たえ、わずかばかりの後悔に胸を掻きむしられながら部屋を後にし、この広間に来たのだった。


「ぜひとも、と言いたいとこだが、悪いけどふところは冷え切っててね……かなにかで一山当てて、まとまった金が手に入ったらにするよ」


 蒼羅の言葉に、下男は手を叩いて大笑いする。


「ははは、こりゃ傑作だ。商人様が博打ばくちをしたいなんてな」

「なぁ、どっかに良い賭場はないか? あんたならよく知ってそうだ」


 裏賭場についてそれとなく匂わせてみると、それなら、と下男は声を潜めて耳打ちしてくる。


「……ここだけの話、実はこの『艶街いろまち』には賭場があったのさ。それも、たまげた額をけるような、違法なが」


 —釣り針を垂らしてみればどうだ、大物が食い付いた。


「へぇ、興味あるな。詳しく聞かせてくれないか?」


 興味をそそられたフリをする蒼羅。

 しかし下男は口を閉じ、しぶるように眉根を寄せた。蒼羅は風呂敷包みをわずかに開いて、中の金子きんすをちらつかせる。


「金ならある。として少しくれてやるよ」


 駄目押しの一手に、あきれたように息を吐く下男。

 しかしそこに拒絶の意は感じられなかった。下男は意地悪く口の端を吊り上げる。


「……酔狂だねぇ、あんた本当に商人かい?」

「情報の売り買いだって立派なあきないだ。……で、その賭場ってのは?」


 金子をそでに隠し、さりげなく渡しながら問う。受け取った下男は小さく笑いながら口を開いた。


「残念だが今はやってないよ」

「えっ」


 思わぬ答えに、蒼羅はがくりと膝を折りそうになった。


「裏賭場を仕切ってた男が、稼いだ金を持って逃げちまってね。ここの男衆で血眼ちまなこになって探してんのさ」

「……そ、そうかい。そりゃ残念だ」


 困ったような笑いを浮かべながら、蒼羅は胸中で苦虫をつぶしたような顔をする。

 このまま引き下がれない。せめて尻尾くらいはつかんでおきたい。


「その裏賭場を仕切っていた男の名前は?」

「あんたに教えてどうなる。探すのを手伝ってくれんのかい?」

「知り合いに掛け合ってみるさ。ここであんたらに恩を売っておくのも悪くない」

「そうか、助かるよ。茨絡木炳士しがらきへいじって男さ」

「……分かった、ありがとうよ」


 裏賭場の証拠とまでは行かなかったが、鍵となる人物の情報は手に入れた。収穫としてはまぁまぁだろう。

 後は朱羽あけはと合流して、ここを後にするだけだ。


 思考する間に、蒼羅の足は大広間の最奥―昇降機の前にたどり着いた。

 直方体の箱に乗りこみながら、そばにいた別の下男に『最上階まで』と行き先を告げる。

 共に乗り込んだ下男が格子状の戸を締め、戸の近くの操作盤をいじる。

 と、天井の辺りからじゃらじゃらと鎖を巻き上げる音とともに、全身を包む浮遊感と胃が持ち上がるような不快感。

 格子の隙間から覗く各階の景色と暗闇を交互に見ていると、浮遊感が段々と収まっていく。

 やがて停止したわずかな衝撃で、上部にしつらえられた金メッキの鈴が鳴って到着を告げた。


 開かれた格子の先、短い廊下の突き当たりにふすまが見える。

 そのそばには、全身を飾り付けられた、人形めいた少女が立ち尽くしていた。

 通りを行く燎馬と遊女の一団、その後ろを着いて歩いていたあの少女だ。


 蒼羅が昇降機を後にすると、唐突に奥の襖が勢い良く開かれ、四、五人の男衆があわてた様子で飛び出してきた。

 刺又さすまたたずさえた物々しい様相の彼らは、蒼羅と入れ違いになるようにどたばたと昇降機へ乗り込んでいく。

 最後に乗り込もうとした男が慌てた様子できびすを返し、開けっ放しの襖を丁重に閉めると、仲間の急かすような怒号に答えながら再び昇降機へ乗り込んでいく。

 何事かと思いながら彼らを見送った後、蒼羅は襖の前で立ち止まった。


「……なぁ、燎馬さんの部屋ってのはここか?」


 蒼羅が声をかけると、襖のそばの少女はぬらりと顔を上げた。伸びた前髪で瞳は見取れないが、視線のようなものは感じる。

 少女は首を巡らせ、蒼羅が指差す先を一瞥。再びこちらへ向き直ると、小さく頷き、ふらりと昇降機の方へ向かっていった。

 掴み所のない不思議な少女を見送った後、蒼羅はいよいよ襖を開いた。


 薙ぎ倒された金の屏風びょうぶ

 破砕された朱塗しゅぬりの調度品。

 横倒しになった大きな酒樽さかだる

 上座の壁は、城下の景色が見渡せるよう硝子がらす張りになっていたのだろう。しかし今は見るも無残に割られ、随分ずいぶんと風通しが良くなっていた。

 荒れた部屋の様子から蒼羅は状況を察し、頭を抱えたい気分になった。


 ―朱羽の奴が


「仕入れる予定のない女に、予定にない商談……今日の“流れ”は読めないな」


 割られた硝子窓を途方に暮れた様子で眺めながら、燎馬は小さく独り言をこぼす。


「……で、お前も『裏賭場』について探りに来たんだろう?」

「さぁ、なんのことですかね」


 蒼羅が声を掛けるより先んじて、燎馬は振り返って言葉を放った。

 くぎを刺される形となった蒼羅は、燎馬の目を真っ直ぐに見据えながら返す。

 下手に目を逸らせば、感づかれるからだ。


「知らないならそれでいいさ。こちとらお前が連れてきた別嬪に、刃物を突き付けられて脅されたんだ。『裏賭場について教えろ』ってな。おまけにこの硝子窓をぶち破って逃げ出す始末だ。―あいつがなんだろう」


 あの馬鹿……無理やり聞き出すにしても、もう少し穏便おんびんに事を進められないのか。

 蒼羅は顔を覆って天を仰ぐ―のを、すんでのところで堪えた。


「お前が本当に何も知らないなら災難だが……あの遊女おんなが割った硝子窓の代価は、きっちりと請求させてもらう」

「申し訳ない。俺が仲介した女が失礼したようで……弁償させてもらいますよ」


 蒼羅が金子の入った風呂敷を広げようとすると、燎馬は煙たそうに手を振った。


「いや、金はいい。ひとつ、それで許そう」

「……?」


 その言葉に、蒼羅は眉をひそめた。


 朱羽が脅しを掛け、硝子窓をぶち破った非礼。

 と言いながら、しかしと言う。


「さて、腹でも割って話そうじゃないか」


 上座にどっかりと座り込んだ燎馬は、徳利とっくりの口を蒼羅へ向ける。

 蒼羅は立ったまま、怪訝けげんに目を細めながら首を振って拒んだ。燎馬は少しさびしげに眉を下げる。


「なんだ、下戸か?」

「今は、そういう気分ではなくて」

「ん、そうかい。おかたい商人様だ」


 しかし燎馬は気分を害した様子もなく徳利を下げると、ひとりでいで飲み始める。


「……飲ませないんですか」

「酒の無理強いはしない主義でね」


 蒼羅が不思議そうに問うと、燎馬はやるせなさそうに首を横に振りながら答えた。

 毒酒を飲まされる可能性を考えていた蒼羅は、いよいよ相手の意図が読み取れなくなる。

 —嫌な予感しかしないが仕方ない。これは話を進めるしかなさそうだ。


「話、というのは?」

「……あぁ、そうだったな」


 蒼羅が意を決して先をうながすと、思い出したように燎馬は酒をあおる手を止め、ごほん、と咳払いをした。


「話といっても、こっちが一方的に喋るだけだ。あんたはだまーってうなずいてればいい」


 雲行きが怪しくなってきた。

 叱責しっせきか、説教か。いずれにせよ、朱羽のせいで貧乏くじを引かされるのは御免ごめんだ。


「―『天照あまてらす』って知ってるか?」


 しかし、燎馬の口から飛び出したのは思わぬ言葉。

 とっさに聞き返しそうになり、蒼羅は無理やり口を閉じる。その表情が眉根を寄せるように見えたのか、燎馬は小さく苦笑した。


「ま、神道の最高神の他になにがあるって思うよな。……実はな、あったんだよ。が」


 聞いたこともあるし会ったこともある。おまけに殺されかける始末だ。

 —『天照』とはなんなのか。

 —構成員は何人いるのか。

 —何故こちらの命を狙うのか。

 問いただしたいことは山ほどある。

 だが知らないフリをした手前、それができないことに歯がゆさを覚える。


「幕府老中直属の暗殺部隊―『天照』。『現世をあまねくその光で照らし、闇を払う』とうたうその活動は決して表沙汰おもてざたにされず……部隊の解体以後、その存在は隠蔽いんぺいされた」


 しかし何のつもりか、燎馬は『天照』についてぺらぺらと喋り始めた。

 目の前にいるのが、組織の元構成員に狙われている人物だとも知らず、彼の舌は立て板に流れる水のように止まることがない。

 生憎あいにくと、蒼羅にとっては好都合だ。


「ご大層な名前だが、捨て子、孤児みなしご、落ちこぼれ、親殺しの―ろくでもないの集まりだ」


「そして活動内容は、幕府への反抗勢力の弾圧、不穏分子の制裁、罪人の処刑」


「いわゆるだな。両の手を黒く染めずにはいられない、汚れ仕事ばかり」


 それを聞いて、蒼羅はなるほど、と胸中で頷いた。

 いつでも切り捨てられる弱者を使って、反抗勢力を弾圧していた—

 そんな情報が明るみに出れば、今の幕府の牙城が崩れかねない。

 是が非でも隠し通し、証拠は全て揉み消そうとするだろう。存在が隠蔽されるのも納得が行く。


「部隊にはが用意され、それぞれ十二支の名が割り振られていた。

 第一席『龍』

 第二席『虎』

 第三席『鳥』

 第四席『犬』

 第五席『猿』

 第六席『馬』

 第七席『蛇』

 第八席『牛』

 第九席『鼠』

 第十席『羊』

 第十一席『猪』

 第十二席『兎』

 ……って具合にな」


「ちなみに十一席の『猪』は。そして十二席の『兎』は、あの『麟桐りんどう殺し』をやらかして地下牢獄にいるだ」


 蒼羅の脳裏には、旅籠はたごで襲撃を仕掛けてきた二人組の姿が浮かぶ。

 神峯毘沙かみねひさ夜叉坊吽慶やしゃぼううんけい。あの二人が名乗っていた席次の数から、少なくともあと七人はいると踏んでいた。

 その予想は当たらずとも遠からず、というわけだ。


「……十二支の順じゃないんだな」


 ふとした疑問が口を突いて出る。

 『黙って聞いていればいい』と言われたことを思い出し、慌てて口をつぐむが、燎馬は気にする様子もなくそれに答えた。


「席次を決める基準は、だ。当然、上位の奴らはずば抜けて強い。……中でも『龍』と『虎』は

「忠告までくれるとは、えらく親切ですね」

「死にたいならそうすれば良いってだけの話さ。早死にするのは嫌だろ、少年?」

「はぁ……ありがたく受け取っておきます」


 思わぬ形で敵の情報を得られたことは幸運だ。

 だが、と蒼羅は訝るように目を細めた。


 —何故、そんな話を俺にする? 

 燎馬にとって今の蒼羅は、面倒な遊女を持ち込んできた、厄介な客でしかないはずだ。


「いいんですか? 俺みたいなただの商人に、そんなことをぺらぺらと喋って」


 蒼羅は燎馬に問うた。

 猜疑心さいぎしんに満ち満ちたその言葉を受け、燎馬は笑った。


 —無知な者を嘲笑あざわらうように。


「こっちの台詞だよ。いいのか、そんなに素直に話を聞いちまって。だぜ、これ」

「……?」


 意図がますます分からない。

 混乱しながらも、蒼羅は直感的に理解した。


 —これは罠だ。

 —そして、もう引き返せない場所まで踏み込んでしまっている。


「俺がお節介や親切心で、こんな話をすると思うか? ……割れた硝子と俺の命をおびやかしたって言ったろ」


 そして燎馬の話が全て罠だと仮定して、ようやく蒼羅は彼の本当の狙いをさとった。

 彼が欲しているのは、割れた硝子の弁償代でも、非礼に対するびでもない。


「—


 そう。

 この燎馬という男は、信じられないことに蒼羅を殺そうとしているのだ。


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