傷と過去⑨
「なぁ〜、早く白状しちゃおうぜ、おっさん。俺そろそろ飽きてきたんだけど」
薄暗く、
椅子に座る大柄な男の周囲を、露出の多い改造軍服を着込んだ茶髪の少年が手持ち
「さっきから言っているだろう。私はやっていない」
「あんたがやってなかったら、他に誰がいるってのさー?」
まるで、その胸中を見透かそうとするかのように。
「
「……なにさ、
黒髪を犬耳のように結い上げ、余った後ろ髪を高い位置でまとめている。
黒地に紫と金の
小さな机を挟んで
そして微動だにしない。眉一つ動かさない。
こちらになにか問いかける際、口元を隠す黒布がわずかに動くのみだ。
「この人から、現場で
「そりゃ洗ってたりするだろ」
「冗談よ」
「依智姉の冗談わかりにくいよ……」
なにが
本当に冗談だったのだろう、
しかし次の瞬間には、
「汗の匂いに変化はないから、嘘は言ってない。狒々愧はどう、なにか聴こえた?」
「……心音も一定だし、呼吸の乱れもない。変化なさすぎて飽きてきたぞー」
「まだ始まって十分」
「へーい」
たしなめる依智。
対照的な二人のやり取りを聞きながら、妙な奴らだ—と崇木は思う。
またぞろ、
年の頃は十五か十六……こんな子供に取り調べなど出来るのか?
そんな不信感を覚えたが、彼らの軍服にあった『
あの若さで『旗本衆』の一員ならば、相当な切れ者だ。
彼らが汗の匂いや心音、呼吸がどうのこうのと
あの二人には分かるのだ。
発する匂いや、生体音の
きっと彼らの感覚は、機械よりずっと精密にこちらの胸中さえ読む。二心を隠し立てしようものなら、すぐさま
己の感覚に絶対の自信を持つその様が、そう確信させた。
しかしこの状況では都合が良い。
崇木が疑いを掛けられている殺しは、自分が一切関わっていないのだから。
「なーなー、このまま黙ってるなら、たとえ
「適当なこと言わない」
「へーい」
冗談めかして恐ろしいことを言ってのける狒々愧に釘を刺した後、依智は視線を崇木に向ける。
「貴方は『
崇木の目をじっと見つめ、彼が
相違ないことを示すため、崇木は重々しく
それを見た依智は、しばし思案するように目を閉じた後―口を開いたのだろう―黒布がもぞもぞ動いた。
「貴方の言うことを信じましょう」
「は? マジ? マジで言ってんの依智姉?」
「ちょっと黙ってて」
「へーい」
「ひとまず、貴方への容疑は撤回します。被疑者として拘置し不自由な思いをさせた非礼、代わってお
依智は深く
その顔が
もし下げた先に机があったなら、顔が叩きつけられていたであろう急角度だ。
「いーでででで!! いてぇ!! いてぇ!!」
「本当に、申し訳ございません」
依智は再び頭を下げると、腕をばたばた振って猛抗議する狒々愧から手を離す。
「あーもー、そんな押さえたら、せっかく整えた髪の毛ぺちゃんこになるじゃんかよー」
髪を
「ここからは参考人として捜査にご協力ください」
「……まだあるのか」
うんざりと眉根を寄せる崇木。依智の目は
「なにぶん、状況証拠だけで犯人を推察するのは難しい現状でして―」
「なぁ、このおっさんの容疑は晴れたんだろ? 俺帰っていい? 昨日買った漫画の続きが読み「だめ」「へーい」
「―貴方の証言が、貴重な情報になります。なにか他に見たものは?
言われ、顎に手を当てしばし思案していた崇木は、やがてなにか思い当たったように目を見開いた。
「……ひとつだけ」
「ひとつだけ、なにを?」
「
「?」
「俺それ聞いたことある!」
崇木の言葉に依智は表情を
「なにそれ?」
「夜な夜な、白い髪の年若い女が現れて街をふらつくんだ。その後を
問うた依智に得意顔で噂話を吹き込んだ後、狒々愧はどこか
「……でもあれ、幽霊かなんかって話だろ? どっかの
小馬鹿にする調子の狒々愧に、しかし崇木は神妙な表情で首を横に振った。
「いいや、ありゃ幽霊なんかじゃない。ちゃんと地に足付けて歩く、生きてる人間だ。刀を提げていたのも見た。物珍しいから、興味本位でその後ろを付いていったら……人が死んでたんだ」
話を聞いていた二人の顔が険しいものに変わる。
依智は狒々愧へ目配せする。その表情は信じがたいようなものを見るよう。
その視線を受け、狒々愧は先ほどまでの軽薄な調子を消し去って頷いた。
「あぁ……これマジのやつだぜ」
依智の鼻にも、狒々愧の耳にも、崇木の身体から嘘をついたような反応を得られない。
つまり、彼が言っている事は嘘ではないのだ。
「―殺したとしたら、きっとあの女だ」
・・・・・・
今まで見たどんな表情よりも安らかな寝顔を浮かべ、
その姿を横目に、
それは失望と
『過去のことなんて、いつまでも引き
自分は朱羽に、そう言ってみせた。
けれどそれはただの
朱羽の情けない表情を見たくないから、出任せの言葉で慰めただけ。
「過去なんて、そんなに簡単に忘れられるもんじゃねぇ……」
誰に言うでもなく、ひとり呟く。
過去に捕らわれない人間などいない。
過去に縛られない人間などいない。
過去に呪われない人間などいない。
自分もそのひとりだ。
ひとつ、記憶から消えない風景がある。
思い出すたびに、怒りに身体が震える光景がある。
嫌になるくらい、脳裏にこびりついている情景がある。
ゆっくりと目を閉じた。
赤黒く染まった大地には、いくつもの屍が転がっていた。
背を裂かれた者。
首を飛ばされた者。
四肢をもがれた者。
いくつもの刀を剣山のように突き立てられた者。
庇った赤子ごと突き殺された者。
上半身と下半身が分たれた者。
下腹部から脳天までを串刺しにされた者。
あらん限りの殺し方を持って、一方的に、ただ一方的に。
たったひとりの人間によって、
そのいくつかには既に鴉が群がり、屍肉を
目の前に広がる光景は、広大な
荒涼な風が吹きすさび、
全てが死んで、死にきって、死に絶えた―
両手に刀を提げたその人影。
血のように
唐突な左腕の痛み。
我に返った蒼羅は歯を食いしばり、顔をしかめた。
「……ッ」
今は無い左腕。
あるはずもない手足が、
とうに
鮮明で確かな、『痛み』という形でもって
これは過去からの
―お前の本懐を忘れるな。
―何のために死に損なったのかを忘れるな。
―自らを
―全てを奪った『真紅の剣士』を、この手で必ず殺すためだ。
地獄絵図の只中に立つ蒼羅は、最奥に立つ『真紅の剣士』—その背中へと右手を伸ばす。
今はまだ遠い。
今はまだ届かない。
今はまだ殺せない。
けれどいつか必ず近付く。
いつか必ず、この手が届く。
いつか必ず、この力で殺す。
「俺は……お前を許さない」
形容しがたい
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