傷と過去⑨

「なぁ〜、早く白状しちゃおうぜ、おっさん。俺そろそろ飽きてきたんだけど」


 薄暗く、手狭てぜまな部屋の中。

 椅子に座る大柄な男の周囲を、露出の多い改造軍服を着込んだ茶髪の少年が手持ち無沙汰ぶさたに行き来する。


「さっきから言っているだろう。私はやっていない」

「あんたがやってなかったら、他に誰がいるってのさー?」


 憮然ぶぜんとした様子で返す元崇木武導たかぎぶどうに、少年は歌舞伎の隈取くまどりめいた化粧顔を鼻先まで近付ける。

 まるで、その胸中を見透かそうとするかのように。


狒々愧ひびき

「……なにさ、依智いちねぇ


 たしなめるような声が響く。胡乱うろんそうに振り返る少年―狒々愧の視線の先には、ひとりの少女。


 黒髪を犬耳のように結い上げ、余った後ろ髪を高い位置でまとめている。

 黒地に紫と金の刺繍ししゅうが入った軍服をきっちりと着こなし、黒手袋まで嵌めているため肌の露出はひどく少ない。

 小さな机を挟んで崇木たかぎの向かいに座る彼女は、暇を持て余して部屋をうろつく狒々愧と違い、きちんとしつけられた番犬のようにぴんと背筋を伸ばしている。


 そして微動だにしない。眉一つ動かさない。

 こちらになにか問いかける際、口元を隠す黒布がわずかに動くのみだ。


「この人から、現場でいだような血の匂いはしない」

「そりゃ洗ってたりするだろ」

「冗談よ」

「依智姉の冗談わかりにくいよ……」


 依智いちと呼ばれた少女はここで初めて肩を震わせた。

 なにが可笑おかしいのか。くすくすと小さく笑う依智に、辟易へきえきとした表情を返す狒々愧。

 本当に冗談だったのだろう、気怠けだるげに垂れた依智の目許めもとはわずかに柔らかくなる。

 しかし次の瞬間には、るような眼光が灯っていた。


に変化はないから、嘘は言ってない。狒々愧はどう、なにか?」

「……心音も一定だし、呼吸の乱れもない。変化なさすぎて飽きてきたぞー」

「まだ始まって十分」

「へーい」


 たしなめる依智。ねる狒々愧。

 対照的な二人のやり取りを聞きながら、妙な奴らだ—と崇木は思う。


 虎堂琥轍こどうこてつの一件の後。

 屯所とんしょでの取り調べの席に現れたのが、この二人だった。

 またぞろ、腑抜ふぬけた面構えの役人が相手だろう。そう思っていた崇木は、彼らを見て思わず面食らった。


 年の頃は十五か十六……こんな子供に取り調べなど出来るのか?

 そんな不信感を覚えたが、彼らの軍服にあった『旗本衆はたもとしゅう』の徽章きしょうを見たことで、崇木はその考えを改めた。


 あの若さで『旗本衆』の一員ならば、相当な切れ者だ。

 彼らが汗の匂いや心音、呼吸がどうのこうのとのたまうのも、決してハッタリではないだろう。


 あの二人には分かるのだ。

 発する匂いや、生体音の機微きびで、こちらが嘘をついているのかどうか。

 きっと彼らの感覚は、機械よりずっと精密にこちらの胸中さえ読む。二心を隠し立てしようものなら、すぐさま看破かんぱしてみせるだろう。

 己の感覚に絶対の自信を持つその様が、そう確信させた。


 しかしこの状況では都合が良い。

 崇木が疑いを掛けられている殺しは、のだから。


「なーなー、このまま黙ってるなら、たとえ冤罪えんざいでも処刑になるぞー?」

「適当なこと言わない」

「へーい」


 冗談めかして恐ろしいことを言ってのける狒々愧に釘を刺した後、依智は視線を崇木に向ける。


「貴方は『醜落しゅうらく』近くの通りで死体を目撃しただけであり、犯行に及んだわけではない」


 崇木の目をじっと見つめ、彼が散々さんざん訴えてきた内容を復唱する依智。

 相違ないことを示すため、崇木は重々しくうなずく。

 それを見た依智は、しばし思案するように目を閉じた後―口を開いたのだろう―黒布がもぞもぞ動いた。


「貴方の言うことを信じましょう」

「は? マジ? マジで言ってんの依智姉?」

「ちょっと黙ってて」

「へーい」

「ひとまず、貴方への容疑は撤回します。被疑者として拘置し不自由な思いをさせた非礼、代わっておび致します」


 依智は深くこうべを垂れた後、隣に立つ狒々愧に視線を走らせる。

 その顔が明後日あさっての方向を見ているのを見咎みとがめると、一息に立ち上がって茶髪をむんずとつかみ、力任せに下げさせた。

 もし下げた先に机があったなら、顔が叩きつけられていたであろう急角度だ。


「いーでででで!! いてぇ!! いてぇ!!」

「本当に、申し訳ございません」


 依智は再び頭を下げると、腕をばたばた振って猛抗議する狒々愧から手を離す。


「あーもー、そんな押さえたら、せっかく整えた髪の毛ぺちゃんこになるじゃんかよー」


 髪をいじりながら文句を垂れる狒々愧。それを黙殺して席に着いた依智は崇木の目をじっと見据えた。


「ここからは参考人として捜査にご協力ください」

「……まだあるのか」


 うんざりと眉根を寄せる崇木。依智の目は微笑ほほえみに垂れ、なだめるような調子で言葉を紡ぐ。


「なにぶん、状況証拠だけで犯人を推察するのは難しい現状でして―」

「なぁ、このおっさんの容疑は晴れたんだろ? 俺帰っていい? 昨日買った漫画の続きが読み「だめ」「へーい」

「―貴方の証言が、貴重な情報になります。なにか他に見たものは? 些細ささいなことでも構いません」


 言われ、顎に手を当てしばし思案していた崇木は、やがてなにか思い当たったように目を見開いた。


「……ひとつだけ」

「ひとつだけ、なにを?」

ちまたうわさになってるだろう……だよ」

「?」

「俺それ聞いたことある!」


 崇木の言葉に依智は表情をくもらせ、狒々愧が表情を明るくする。


「なにそれ?」

「夜な夜な、白い髪の年若い女が現れて街をふらつくんだ。その後をけてみると、—って話」


 問うた依智に得意顔で噂話を吹き込んだ後、狒々愧はどこか釈然しゃくぜんとしない様子で崇木に向き直る。


「……でもあれ、幽霊かなんかって話だろ? どっかの法螺吹ほらふきが流したガセだって。それともおっさん、幽霊とか信じてる人?」


 小馬鹿にする調子の狒々愧に、しかし崇木は神妙な表情で首を横に振った。


「いいや、ありゃ幽霊なんかじゃない。ちゃんと地に足付けて歩く、だ。刀を提げていたのも見た。物珍しいから、興味本位でその後ろを付いていったら……人が死んでたんだ」


 話を聞いていた二人の顔が険しいものに変わる。

 依智は狒々愧へ目配せする。その表情は信じがたいようなものを見るよう。

 その視線を受け、狒々愧は先ほどまでの軽薄な調子を消し去って頷いた。


「あぁ……これのやつだぜ」


 依智の鼻にも、狒々愧の耳にも、崇木の身体から嘘をついたような反応を得られない。

 つまり、彼が言っている事は嘘ではないのだ。


「―殺したとしたら、きっとあの女だ」


・・・・・・


 今まで見たどんな表情よりも安らかな寝顔を浮かべ、おだやかな寝息を立てる朱羽あけは

 その姿を横目に、蒼羅そらは息を吐く。

 それは失望と諦観ていかんと自己嫌悪を混ぜた、重い吐息。


『過去のことなんて、いつまでも引きっていいもんじゃない』


 自分は朱羽に、そう言ってみせた。

 けれどそれはただのなぐさめで、気休めで、どこまでも綺麗事。

 朱羽の情けない表情を見たくないから、出任せの言葉で慰めただけ。


「過去なんて、そんなに簡単に忘れられるもんじゃねぇ……」


 誰に言うでもなく、ひとり呟く。


 過去に捕らわれない人間などいない。

 過去に縛られない人間などいない。

 過去に呪われない人間などいない。

 自分もそのひとりだ。


 ひとつ、記憶から消えない風景がある。

 思い出すたびに、怒りに身体が震える光景がある。

 嫌になるくらい、脳裏にこびりついている情景がある。


 ゆっくりと目を閉じた。

 まぶたの裏を駆け巡る景色の全てはことごとく赤く染まり、死の臭いをただよわせ、いくつもの悲鳴が反響する。


 おびただしい数の黒いからすが舞う、明々あかあかと焼けただれた夕空。黒と橙で点描された空の下に広がる地獄絵図。

 赤黒く染まった大地には、いくつもの屍が転がっていた。


 背を裂かれた者。

 首を飛ばされた者。

 四肢をもがれた者。

 いくつもの刀を剣山のように突き立てられた者。

 庇った赤子ごと突き殺された者。

 上半身と下半身が分たれた者。

 下腹部から脳天までを串刺しにされた者。


 あらん限りの殺し方を持って、一方的に、ただ一方的に。

 たったひとりの人間によって、蹂躙じゅうりんされ虐殺され鏖殺おうさつされたそれらは、全て墓標代わりに刀を突き立てられ、凄絶せいぜつな表情で絶命していた。

 そのいくつかには既に鴉が群がり、屍肉をついばんでいる。


 目の前に広がる光景は、広大な芒野原すすきのはらを、いびつで悪趣味な比喩ひゆで表したようだった。

 荒涼な風が吹きすさび、えた臭いを鼻に運んでくる。ここが芒野原であれば、穂が水面のごとく波打つのだろうが……動くものはなにもない。なにひとつない。


 全てが死んで、死にきって、死に絶えた―死屍累々ししるいるい只中ただなかに立ち尽くす、もう一人の背中を睨み付ける。


 両手に刀を提げたその人影。

 血のようにあかい長髪をなびかせ、返り血で着物を真っ赤に染め上げた『真紅の剣士』が、なにかに気付いたように、ゆっくりとこちらを振り返って―



 唐突なの痛み。

 我に返った蒼羅は歯を食いしばり、顔をしかめた。


「……ッ」


 今は無い左腕。

 義肢ぎしとなり、感覚すら通っていないはずの場所から

 あるはずもない手足が、

 とうにうしなったはずの手足が、

 鮮明で確かな、『痛み』という形でもって顕現けんげんする。


 これは過去からのいましめ。自分自身からの警鐘けいしょう


 ―お前のを忘れるな。

 ―何のためにを忘れるな。

 ―自らをかばい死んでいった、皆のためだ。

 ―全てを奪った『真紅の剣士』を、この手でためだ。


 せ返る血の臭いに、鼓膜を刺し貫く死の静謐せいひつに、骨身を焼き焦がす憎悪に満ち満ちた幻想。

 地獄絵図の只中に立つ蒼羅は、最奥に立つ『真紅の剣士』—その背中へと右手を伸ばす。


 今はまだ遠い。

 今はまだ届かない。

 今はまだ殺せない。


 けれどいつか必ず近付く。

 いつか必ず、この手が届く。

 いつか必ず、こので殺す。

 

「俺は……お前を許さない」


 形容しがたい幻肢げんしの痛みに耐えながら絞り出した声は、地獄の底から響く怨嗟えんさに似ていた。

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