七章 凹凸と凹凹
凹凸と凹凹①
『お前が為すべきことは三つだ』
『誰よりも速く敵陣へ斬りこみ』
『誰よりも強く翼を
『誰よりも多く
『負けてはならない』
『
『勝ち進み、斬り進み、
『
・・・・・・
目が覚めた。
なにか夢を見ていたような気がするが、その内容はぼんやりと
のそりと布団から上体を起こした少女―
「まただ……」
最近どうも寝相が悪い。悪すぎる。
昨日は枕に頭を乗せて寝たはずなのに……今は爪先が枕に乗っていた。
しゅるり―
頭頂から肩甲骨の辺りまで流れ落ちる、
細いうなじから、
右肩の肩甲骨から左の脇腹辺りに、翼を広げた八咫烏が描かれている。
―いくつもの、朱色の傷痕によって。
まるでそこを
鏡の中のそれを睨み返して、朱羽は
それがなぜ自分の背中に―それも悪趣味なことに無数の刀傷で―描かれているのか。
消せない
だが朱羽の身には覚えがない。
『
脳裏に蘇るのは、幕府の暗殺部隊『天照』の元機関員―
信じがたい話だが、この背中の傷が確固たる証拠でもある。
九条朱羽の過去の記憶は、所々が抜け落ちている。
中でも『天照』に所属していた頃の記憶はほとんど無い。
まるで、そこだけ誰かに抜き取られてしまったかのように。
覚えていることといえば、物心ついた頃の家族の記憶と、九年前に『天照』に入隊したときのことをぼんやりと。
そして五年前、我に返るようにして目覚めたことだけだ。
目覚めた頃には既に『天照』の解体から一年が経ち、その間は昏睡状態であったらしい。
それを聞いたときはあまりに唐突で、実感が湧かず、
失った記憶の
今までは頭の片隅に放置することで、その不安を
だが元『天照』の刺客たちとの
『変わったのね、
『覚えてない?
『楽しませてくれよ、
―みな、あたしのことをそう呼ぶ。
―あたしは、過去に一体なにを?
朱羽は震えを抑え込むように己の身体をかき抱く。
不明瞭な過去への不安に押しつぶされそうになる彼女を
「貴女は、あんなにも多くの人を―殺していたのに」
幻聴を打ち消すように耳を塞ごうとして、朱羽は部屋に近付いてくる足音に気付く。
急いで着物を羽織り直して前を閉めると、まるで見計らったかのように
部屋に入ってきたのは、直視するのも
「なんだ、起きてたのか」
朱羽の姿を
朝の鍛錬でもしていたのだろう、その表情は一汗かいた後の晴れやかなものだった。数週間前に受けた傷が塞がったばかりだというのに、
―また変な無茶をして、傷が開かないといいけど。
過去に手足を
着物の前はわずかにはだけ、そこからは締まった腹筋が覗く。
思わず、朱羽はそれをまじまじと見つめていた。
改めて意識して見てみると、よく鍛え上げられた身体だ。同年代の男子でもここまで鍛錬している者はそういないだろう。
冴えない顔からは想像もつかない立派な肉体。朱羽はちょっとした驚きを覚え、少しばかり見惚れていた。
「どうしたんだよ、俺の方じっと見て」
目をぱちくりさせる蒼羅の言葉で我に返る。じっくりと眺めていたのが急に恥ずかしくなって、朱羽はそっぽを向きながら言葉を返す。
「……首から下はまともよねぇ、あんた」
「朝の挨拶が嫌味か、良い趣味してんな。お前も
鼻で笑う蒼羅にそう返されてやっと、朱羽は己の失言に気付き歯噛みした。
手足を失っている蒼羅に対して、首から下はまともだなんて……皮肉だとしても悪趣味だ。
—こういう減らず口しか叩けない自分が、たまに嫌になる。
「……ごめん」
「気にすんな。慣れてる」
自己嫌悪に陥る朱羽の心中を察したのだろう、蒼羅は
それになんと返したら良いか分からず、朱羽は話題を切り替えてお茶を
「……ていうか、着替えようとしてたんだけど?」
着物の
蒼羅の視線は一瞬だけ細い鎖骨に釘付けになった後、布に包まれた身体の輪郭を流れていき、足下に落ちている着物の帯に落ちた。
「あーっ……悪い」
宙へ投げた視線を右往左往させながら、しどろもどろに答える蒼羅。朱羽はからかうように鼻で笑った。
「あたしの裸なんて見たら、あんた鼻から血を噴いて死ぬだろうから。さっさと部屋から出た方が身のためよ」
「はっ、よく言うよ」
「前に言ったでしょ? 着痩せする方だって」
「いや、脱いでも人並みじゃねぇか、お前」
小馬鹿にするような蒼羅の言葉に、朱羽の周りの気温が下がった。
「………………見たの?」
「………………いや」
「………………ねぇ、見たの?」
「………………………………」
鼻先まで近付き、冷たい声色で問い詰める朱羽。蒼羅はそっぽを向き冷や汗を垂らし始める。
「し、心配するような場所までは見てねぇって」
「っ!! 見たんじゃん……っ!!」
朱羽は
いま鏡を振り返れば、
失言に気付いた蒼羅は息を詰まらせ、しばし目を泳がせた後、
「しょうがないだろ、姉ちゃんに
表情を一転。きりっとした、いっそ
「俺だって被害者だよ。
「
「待って」
朱羽の無慈悲で冷たい宣告に、開き直ろうとしていた蒼羅は
「あーもー、いいから出てって……っ!!」
蒼羅の肩を掴んで無理矢理に後ろを向かせ、その背を突き飛ばすと、朱羽は彼を拒むようにぴしゃりと襖を閉めた。
・・・・・・
「なにやってんだ、あれ?」
「知らない」
黒を基調とした軍服姿の少年―蒼羅と、白い着物に短い
乱闘騒ぎでも起きたのかと思っていたが、よく見れば何人かの警官が野次馬を押しとどめているのが見える。
警察機関まで
「ちょっと話聞いてくる。とりあえずお前はここにいろ」
「—ん、分かった」
意外にも朱羽は素直に
特に不満はなかったのか、それとも元から興味や関わる気がないのか。
なにかしら反発されるものだと思っていた蒼羅は、珍しいものを見たような気分になり、
すると朱羽は猫目を鬱陶しそうに細め、『さっさと行きなさいよ』とでも言いたげに顎をしゃくって人混みを示す。
さもこちらが悪いかのように睨みを
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