共振と追跡⑦
夜が
『
「なぁ、本当にここか?」
「本当にここ。“匂い”はここで途切れてる」
しかし、狒々愧は
「でもさ、一晩中探して見つかったの、それとこれだけじゃん?」
依智が手に握り締めているのは水に濡れた軍服。
狒々愧が肩をすくめながら掲げる手には軍刀。
弟の言うとおり、目当てのものは一晩探しても見つかっていない。先程から一向に
「狒々愧、ちゃんと探してるの?」
「さっきから人の気配なんて聴こえねーよ。これっぽっちもな」
川底から
『醜落』近くの空き家に逃げ込んだ、
彼らを捕らえようとした
目覚めた依智は、自身の異常嗅覚を用いて二人の血臭を
しかし、そこにあったのは血に
手にした
狒々愧の耳でも
となると―
「大した奴だぜ、俺たちの追跡から逃れやがった。まさか血の付いた服と武器だけ川に流すなんてな。……お、
怒りを露わにする姉へ同情に似た視線を送りながら、狒々愧は
「……今回は俺たちの負けだよ、依智姉」
弟の言葉に、肉食獣の
「どこ行くんだよ」
「帰る」
「じゃあ俺も帰ろうっと。……なぁ、これ重いから捨てて良い?」
「駄目。それ状況証拠」
「へーい」
・・・・・・
必要最低限の調度品が
小窓から注ぐ
端正な顔は死人のように白く、額には脂汗が浮き、形の良い眉は痛みを
細い首や
朱羽は寝返りを打つこともなく、目覚めてからかれこれ数時間、天井の木目ばかり見つめている。
その隣で
風がそよぎ、
部屋の中に
「よく飽きずに天井なんて見てられるな。なにがそんなに面白いんだ?」
「……なに、嫌味?」
沈黙を破ろうと声を掛けてみるも、朱羽の
こんな状態の彼女をおちょくるのもなんだか気が引けて、口から滑り出る冗談も半端な仕上がりになる。
「見てるだけで死にたくなる不幸面を
「そうかよ、悪かったな」
さっきからずっとこんな調子だ。会話がまともに続かない。
蒼羅からすれば普段からまともな会話をしていた覚えは無いのだが……こうもぎこちないと
再び黙り込む二人。
重苦しい雰囲気は通夜への参列にも似て、押しつぶすように両肩にのし掛かってくる。今日何度目か分からない蒼羅の
横たわる朱羽から視線を外し、再び外の風景を眺める彼の心中に去来するのは、自分たちに掛けられた追っ手の行方だった。
それぞれ異常精度の嗅覚と聴覚を持つ彼らから逃げ
川に落ちた後、蒼羅は泳ぐのに邪魔な上着や刀を必死になって取り外した。
そのときはとにかく
あれから三日ほど経ったが、未だにこの場所は見つけられていない。
血の多く付いた衣服や武器を流したことによって、依智たちはそちらの臭いを追って下流までのこのこと探しに行ったのだろう。上手く
しかし逃げられたからと言って、いつまでもここに留まっていられないのも事実。
家主である
それに、武器も要る。
だが『
一体、どこでその
「なんで、あたしなんか助けたの」
思考の
どこか
「お前には、前に助けてもらった借りがある。それを返しただけだ」
「じゃあこれで貸し借りなし、おあいこでしょ。もう構わないで」
突き放すように言った後、朱羽は身体を引きずり布団から
「あたしは、ひとりで、大丈夫……だか……ら、」
立ち上がった後、
「ほら見ろ、言わんこっちゃない。怪我人は安静に、して―」
朱羽は空気を
下駄が無ければ自分より頭半分ほど背が低く、着物や化粧で飾り立てられてもいない。等身大の朱羽はひどく華奢で、小さく震えている。
彼女の本質的な部分、見てはいけないなにかを
―こんなに弱々しくて、
どんな時でも腹が立つくらい
蒼羅が知る九条朱羽は、そういった人物のはずだった。
今の彼女には、その
「あんたが手柄を上げる、せっかくの機会だったじゃん。あたしなんか
朱羽は蒼羅の顔を
「
更に言葉を返そうと朱羽が口を開く。
蒼羅はそれを封じるように、もたれかかっていた彼女を身体から離し、倒れないよう肩に手を置いて支えた。
「それに言っただろ、お前が人を殺すような人間には見えない。お前は……良い奴って言うのはなんか
不安に垂れた猫目を真っ直ぐに見据える。困ったように目を逸らす朱羽に、蒼羅は小さく笑いかけた。
「いつまで
「らしくない? ……はっ、なにそれ」
その声は冷え冷えとした響きを伴って、細い身体からは静かな怒気が溢れ出す。
突然の変化に蒼羅が言葉を詰まらせていると、突然、
朱羽が両手で乱暴に
だが、蒼羅にはそれができなかった。
こちらを見据える朱羽の
「あたしらしいってなに? いつもみたいにってなんなの? ……分からない、分からない分からない分からない!!」
拒絶するように何度も首を横に振る朱羽。白絹の髪は激しく乱れ、胸倉を掴む手には、
―—あたしね、過去の記憶が無いの。
いつか朱羽が
「人を殺すようには見えない? 悪い奴じゃない? あんたが勝手に決めつけないで」
「あたしは確かに『天照』の人間だった……なら絶対に人を殺してたはず」
「何も分からないあんたが、何も知らないあんたが、あたしのこと分かった風に言わないでよ!!」
今の今までひとりで抱えていたであろう感情を吐き出した朱羽は、苛立ちのままに抱えた頭をかきむしる。
なんと声を掛けたら良いか分からず、蒼羅は唇を噛んで押し黙った。
「……今こんなに震えてるお前に、人なんか殺せるわけないだろ」
それでもようやっと
一拍の間を置いて噛みつくように顔を近付けると、蒼羅はあっという間に足を払われ押し倒される。
「殺すよ」
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