三章 謎と罠

謎と罠①

 窓から差し込んだ朝日が、道場の中を明るく照らす。


 広い床の上で、大の字で寝転ぶ少年がひとり。

 使い古された道着を着込んだ彼は、己の喉元に突きつけられた竹刀しないの切っ先を、胡乱うろんな目で眺めていた。


「はい、今ので死んだー」


 上から降ってくる声に、少年―獅喰蒼羅しばみそらは竹刀から視線を外す。

 黒髪のひさしの下。黒いクマをこしらえた三白眼が見つめる先にいるのは、ひとりの少女。

 絹のような美しい白髪を持つ、浮世離れした容貌の別嬪べっぴんだ。やや上向きに吊った猫目が退屈そうに蒼羅そら睥睨へいげいしている。

 華奢きゃしゃな身体を小袖に包み、普段は流している髪を馬の尾のように後ろで結っていた。

 目が合うと、少女はにやりと笑って竹刀を引いた。蒼羅は溜め息とともに床に頭を預けた。


 試合の最中、蒼羅は足払いを受けて背中から床に叩き付けられた。

 とっさに立ち上がろうとした時、喉元に竹刀の切っ先が突きつけられたのだ。


「なぁ朱羽あけは、今のアリかよ。……俺に教えてるとき、あんな動きしなかっただろ」

「まぁ、あたしが今まで教えてたのは、あくまでただの基本動作だからね」


 蒼羅が起き上がりながら非難すると、朱羽と呼ばれた少女は『分かってない』と言いたげに首を振った。


「実戦で基本なんて通用しないのは、あんたも分かってるはず。いつまでも型にまってたら、その死ぬよー」


 そう言われ、蒼羅は約二ヶ月前の出来事―『仏斬ぶつぎ供臓くぞう』の模倣犯との戦いを思い出す。


 訓練兵時代に習った定石じょうせきもなにもかも、あの戦いでは役に立たなかった。

 まもるためだけに身に付けた力は、殺すためだけに磨かれた技の前では無力だった。

 朱羽の言葉は口調こそ軽いが、確かにそれはひとつの真理だ。より多くの人間を守るためには、より強い力と技が必要になる。


 だから蒼羅はこうして、朱羽に剣を師事したのだ。

 朱羽も『足を引っ張られて死にたくない』という理由でそれをけた。

 稽古は早朝と夜の二回。しかし一から十まで丁寧に教えてなどくれなかった。

 もっぱら自身のばかりを伝える、『見て覚えろ、見て盗め』という方針で進む指導。

 時に嫌になることもあり、投げ出したくなったことも数あれど……約一ヶ月の間に、蒼羅はついに朱羽と試合を行うまで腕を上げていた。


 まぁ、肝心の白星は……まだひとつも挙げられていないのだが。


 朱羽は手拭てぬぐいで首元の汗を拭き取り、結っていた髪を解いた。白絹の清流が背中に流れ、澄んだ水面みなものように陽光を反射してきらめく。

 その様をながめながら、蒼羅はふと浮かんだ疑問を口にした。


「前から気になってたんだけどさ」

「なに?」

「どこで習ったんだ? お前の剣法……いや剣法って言うには無法もいいとこだけどさ。『中央区』で、そんな滅茶苦茶なものを教えてる道場なんてないはずだ」

「それ、は…………」


 蒼羅の問いに、朱羽は急にしどろもどろになり、口をつぐんでしまう。

 いつものように『あんたには関係ないでしょ』などと冷たくあしらわれるものだと思っていた蒼羅は、意外な反応に呆気あっけに取られていた。


「―お、いたいた」


 いきなり戸口の方から、二人のものではない声。その方を振り返れば、開かれた障子戸に人影が立っているのが見えた。

 長身を着流しに包んだ、眠たげな目の男―九条龍親くじょうたつちか

 彼は蒼羅と朱羽が席を置く『旗本衆はたもとしゅう』―その筆頭にして、朱羽の義理の兄だ。


「……なにしに来たの」


 すかさず朱羽が胡乱な目つきで問い掛ける。

 その声音は突っぱねるようでありながらも、どこか話題が変わったことに安堵した調子だった。

 冷たい態度の朱羽に、龍親たつちか辟易へきえきとした苦笑を返す。


「そう不機嫌な顔するなよ……朝っぱらから二人でイチャイチャしてたのを邪魔したのは謝るから―」

「「イチャイチャしてない!」」


 二人から同時に否定された龍親は目を丸くしたあと、悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべて、ひゅう、と茶化すように口笛を吹いた。


「やっぱ仲良しじゃん」

「「良くない!」」


 再び二人揃そろって全力の否定。龍親はふむぅ、と感慨深かんがいぶかそうに息を吐く。

 いったいなにに満足したのやら。彼は笑顔で『まぁ、与太話は置いといて』と話題を切り替えた。


「さぁ喜べ喜べー、俺が直々じきじきに仕事を持ってきてやったぞ。それもお前らの立てた功績をんで選んだ、デカい仕事だ。心して聞けよー」


 龍親はそれまでの飄々ひょうひょうとした雰囲気を消し去り、旗本衆筆頭としての真面目な表情を見せた。


「お前たち二人には、『艶街いろまち』に行ってもらいたい」


 『艶街いろまち』とは、『大江都萬街おおえどよろずまち』を五分する大区画のひとつだ。

 まず、広大な『大江都萬街』は、大きく五つの区画に分かれている。


 『中央区』―その名の通り街の中央に位置し、将軍家の居城をようする城下町。

 この国の政治経済の中心であり、もっとも多くの人や物が流通する街の心臓部だ。


 『雅郭ががく』―街の西北に位置する、名だたる貴族たちが住まう場所。

 異国文化の流入が最も進んだこの区画は、異国の屋敷が立ち並び洋装の貴族が行き交う。


 『交湾里まじわり』―街の北東、海に面した港町。

 巨大な人工島『丁島ていじま』にて、異国との貿易交流が活発に行われている。


 『醜落しゅうらく』―南西の区域は、打って変わって陰鬱いんうつな空気がただよう廃墟群。

 かつての工業地帯の面影はなく、貧民や社会から爪弾きにされた者、死を間近に控えた老人たちが息をひそめる。

 地下には罪人や死刑囚を収容する大規模な牢獄『伽藍堂がらんどう』が広がっている。


 そして『艶街』―街の南東、区画ひとつを丸々使った広大な遊郭ゆうかく

 朱塗りの楼閣ろうかくが建ち並び、提灯が橙の光を灯して道を彩る。

 将軍家の居城である『架梯城』に次いで巨大な楼閣『綺艶城きえんじょう』を擁する、華といき、そして遊びにあふれた男たちの桃源郷。


 —しかしなんだってそんな場所に。しかも朱羽まで連れて?


「そこで、違法なをやってるって話が出てきた。そこで、お前ら二人には『艶街』に潜入して、その証拠を掴んでもらいたい」


 まるで思考を読んだかのように疑問に答えた龍親は、小さくにやけながら蒼羅を見る。


「悪いなぁ獅喰しばみ、これ仕事だから。遊郭を満喫したかったら、後で一人で行きな」

「いや、俺は別に。…………なんだよ朱羽、その顔」

「ちょっと引くわ」

「なんも言ってねぇだろ!?」


 半眼で冷たい顔をする朱羽に、あわてて弁明する蒼羅。

 龍親は苦笑しながらふところから紙切れをつまみ出すと、どこか見覚えのある手付きでばさりと広げた。


「道案内ならここにある。馬車も用意したから、御者にこれを渡せば『艶街』まであっという間だ」


 龍親の言葉に、蒼羅と朱羽は顔を見合わせた。


「俺たち二人だけで、裏賭場の全員を押さえろって言うんですか?」

「まさか。お前ら二人だけで裏賭場の全員しょっぴけるとは思ってないさ。言ったろ、、って」


 目を丸くして小さく苦笑した後、龍親は顎に手を添えてわずかに思案する。


「そうだな……手掛かりを持ってる人間を捕まえてくれれば、あとはこっちで吐かせる。裏が取れ次第、『旗本衆』を引き連れて突入するさ」


 龍親の話が終わると、朱羽はつまらなさそうに息を吐き、興味が失せたかのような冷めた声を出す。


「……なんだ、結局は斥候せっこうじゃないの。期待して損した」


 そう言って立ち上がると、すたすたと戸口の方へ向かってしまう。


「やめやめ、乗ったってなんの旨味もない。あたしらをダシにしてそっちの手柄にしちゃうんだから。……ほら行くよ蒼羅、こんなの相手にしてらんない」

「いや待てよ、たとえ斥候でも大事な仕事だろ。……つーかどこ行く気だお前」

「運動して疲れたから、甘いもの食べに」

「おい」


 やれやれと嘆息しながら、朱羽を引き止めようと蒼羅が立ち上がったそのとき。


「そっかー、かー」


 と、龍親の声が響いた。

 至極しごく残念そうな、しかしどこか嘲弄ちょうろうするような響きを持った声だ。

 そしてその声に……戸に手をかけていた朱羽の動きが

 何事かと蒼羅が龍親の方を振り返ると、彼はしたり顔で言葉を続ける。


ならしょうがないなぁ、他の奴に頼んでみるかー。依智いちとか狒々愧ひびきあたりならやってくれっかなー」

「………………」


 朱羽は動きを止めたまま、小さく肩を震わせ始めた。華奢な身体からうっすらと、冷たい怒気が漏れ出す。


「いやぁ残念だなぁ、でも、朱羽がって言うんだもんなぁ」


 『できない』だけやたら強調する龍親。彼の方を見れば、その顔に浮かんでいるのは心底から意地悪そうな笑みだ。

 そして声音にも、次第にその色がにじんでいく。


「お兄ちゃんは、お前なら楽勝だと思ったんだけどなぁ、こーんな簡単な仕事もこなせないかぁ」


 肩を震わせていた朱羽は、無言で回れ右をした。

 床を大股で横切って近付くと、龍親の手から地図をひったくるように取り、敵愾心てきがいしんと屈辱に満ち満ちた目で睨みつけた。


「―に決まってんでしょ、楽勝だってのッ!」


 ふんっ、とそっぽを向いた後、肩を怒らせて歩き去ってしまう朱羽。


「頼んだぞー」


 龍親の能天気な声を背に受けながら、蒼羅も彼女の背を追う。

 敷居をまたいだ彼の口から漏れたのは、重い溜め息だった。

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