疑惑と刺客⑩

「……今、なんて言った?」


 愕然がくぜんと振り返って問い返す蒼羅そらに、琥轍こてつは我が意を得たりと口の端を吊り上げる。

 鎌を掛けられ、間抜けにも引っ掛かったことなど、蒼羅の意識は既に関知していなかった。


『今の少年と、その『真紅の剣士』とやらはそっくりだ。瓜二つだな』

『一緒なんだよ、今のお前の眼。―人殺しの眼差しだぜ』


 『艶街いろまち』で戦った燎馬りょうまの言葉が脳裏に蘇る。


 幕府の暗殺部隊『天照あまてらす』—その一員であった彼は、蒼羅から全てを奪った『真紅の剣士』について知っているようだった。


 『天照』に属していた人間を辿って行けば、やがて仇敵に辿たどり着くかもしれない。


 密かに立てていた仮説が確信に変わると同時に、蒼羅のはらわたには煮えたぎるような熱が渦巻き始める。

 視界は赤く染まり、脳裏に浮かび上がる『あの日』の光景が現実を浸食し始める。


 おびただしい数の黒いからすが舞う、明々あかあかと焼けただれた夕空。

 赤黒く染まった大地にいくつもの屍が転がる地獄絵図。

 全てが死んで死にきって死に絶えた、死屍累々ししるいるい只中ただなかに立ち尽くす人影。


 両手に血濡れた刀をげ、

 血のようにあかい長髪をなびかせ、

 返り血で着物を真っ赤に染め上げた『真紅の剣士』の背中—


「—教えろ」


 気付けば、蒼羅は琥轍へと向き直っていた。口から漏れ出すのは氷点下の言葉。


「力ずくで聞き出してみな」


 暗い感情が燃え盛るその双眸を見返して笑う琥轍。

 言葉を交わしながら腰を沈めていた蒼羅は、返事が耳に届くより先に疾駆していた。


 対する琥轍は、右手に握った拳銃を上に向け手首を振った。

 振出式の弾倉が外れ、重力に引かれ落ちた空薬莢からやっきょうが地面に跳ねる—

 よりも早く、で上げて回転させた弾倉に流れるように装填そうてんされていく六発の弾丸。


 小気味良く連続する金属音とともに琥轍が装填を終えるのと、蒼羅が拳打の間合いに踏み込むのは同時だった。


 右腕を掲げて真正面を照準する琥轍に、蒼羅は身体を沈み込ませて射線をかわしながら踏み込む。

 頭上で炸裂する銃火を置き去りに、相手の腰元を押さえ込むように体当たりをかます。

 身体が後ろへ流れるがしかし、琥轍は数歩の後退で踏み留まってみせた。


 舌を打ちながら腕を曲げ、銃口を天へと向け発砲。

 射撃反動で加速した直下の肘打ちが背中にめり込む。地に叩き伏せられた蒼羅は、息を詰まらせながら即座に寝転がった。

 直後、顔貌がんぼうまりのように蹴飛ばそうとする琥轍の左脚が、真横の空間を縦断していく。


 片膝を立てた蒼羅へと向けて、殴り付けるように右腕を振る琥轍。

 その手に握られた拳銃が火を吹くより早く、蒼羅は前転して銃口より内側へ入り、回転の勢いを利用した浴びせ蹴りを放つ。


「ぐゥ……ははははッ!!」


 腹にかかとが刺さった琥轍の苦悶のうめきは、瞬く間にゆがんだ笑声しょうせいへ変わった。

 鼻を突く硝煙しょうえんの臭いに顔をしかめながら、蒼羅は着地姿勢から全身のバネを使い一息に両の拳を突き出す。

 琥轍は両腕を重ねて重心を落とし、双拳を受け止めた。威力に押され、靴の裏が石畳をわずかに滑る。

 

「甘ェんだよッ!」


 蒼羅を振り払うように重ねた両腕を解き、外側へ振り抜きながら発砲。

 斜めの十字を描いて交差する薙ぎ払い。その中点で撃ち放たれた二発の銃弾を、蒼羅は後方宙返りで躱す。螺旋らせんする小さな颶風ぐふうが胸板や顎先をかすめていった。


 着地した蒼羅の鼻先に突き出される琥轍の右拳。銃口が視界に暗い穴を空け、その奥に灯る火光かぎろいが見えた。

 回避は間に合わない。

 蒼羅は咄嗟とっさに左の掌底しょうていを、放つ。


 引き金が引かれた瞬間、と共に、両者よろめくように後退した。


 掌底を放った姿勢のまま、蒼羅は衝撃をこらえるように左腕を押さえる。

 細い煙を棚引かせる掌から弾丸が落ち、石畳の上に転がる様を見て、琥轍は目をく。

 その瞳は驚愕と困惑—そしてそれらを塗り潰すほどの愉悦ゆえつに彩られていた。


「……おめぇの左手、面白おもしれェことになってんのな」


 琥轍の顔から驚愕の色が薄らいでいく。

 そのぎらついた視線は、抑えきれない興味をありありと乗せて蒼羅の左手—革手袋を外し、露わになった黒鋼くろがねの表皮—へと注がれていた。


「鋼で覆った義手か? 随分ずいぶんと不便そうじゃねェか。なら、木製のものでも充分だろ」


 虎視眈々こしたんたん

 蒼羅の目をじっと見つめる獣の双眸そうぼうが、腹の底を見透かそうとするかのように細められる。


「さっきの動きといい、その義手といい……平和主義者にしちゃえらく物騒だなァ。ますますお前に興味が湧いた」

駄弁だべってる時間ひまは無い、『真紅の剣士』について教えろッ!!」


 腸で逆巻く熱を怒声に変えながら駆ける蒼羅に、至極しごく残念そうに目を伏せて肩をすくめる琥轍。


「んだよ、釣れねェなァ……とはいえ、俺もは嫌いだ」


 一転して獰猛どうもうな笑みを浮かべた彼は、拳銃を長外套のふところにしまい込み、握り込んだ両の拳をかち合わせた。


「どうせ語るんなら、こっちの方が良い」


 間合いへと踏み込む一歩手前で土を蹴り、飛びかかる蒼羅。

 打ち降ろされる左のを、琥轍は広げた掌で握り止めて見せる。更にその威力を利用し、半身になりつつ後ろの空間へと拳を逃がした。


 引き寄せられる形で間合いへ踏み込まされた蒼羅の土手っ腹に衝撃。

 内臓を揺らす膝蹴りが入り、くぐもった声を上げて後退する蒼羅に追撃。姿勢を低めさらに踏み込んだ琥轍の拳が、胸郭きょうかくを押し潰すようにめり込んだ。


 苦し紛れに放つ反撃の拳を、琥轍は身体を沈み込ませながら躱しつつ腹に鉤突きを食い込ませる。

 思わず腹を押さえ身体を丸める蒼羅の背に、両手を組んだ拳骨が降り注いだ。

 前後から内臓を揺らされ地に伏せる。手を突いて立ち上がるよりも速く、その襟髪えりがみが乱暴に引っ張り上げられ—


 急転直下。石畳に顔を二、三度ほど激しく叩き付けられた。

 頭蓋が割れそうにきしみ、揺らされた脳が意識を闇にさらおうとする。額に刻み付けられた鋭い熱はやがてあふれ出し、蒼羅の右半面を熱く濡らした。


 ようやっと両手を石畳に突くと、衝撃で視界が暗転した。意識の奥で火花が散る。鼻骨が刺すような痛みを発する。

 顔を蹴り飛ばされて吹き飛んだと気付いたのは、地をって転がった後だった。


「どうだァ、効くだろ? の軍隊格闘術はよォ」


 琥轍が徒手空拳の戦いで用いたのは、非情な追い討ちさえとする喧嘩殺法。

 それはまごうこと無く、戦国の世で編み出された軍隊格闘術であった。


 しかし今の蒼羅に、敵の用いる格闘術の沿革を気にする余裕などなかった。 


「ほらどうしたァ、俺に訊きたいことがあるんだろ?」

「—ああああああああぁッ」


 飼い犬でも呼び寄せるように手を鳴らし、挑発的に手招きしてみせる琥轍。

 蒼羅は悔しさをぶつけるように地面を叩いて立ち上がると、垂れる鼻血をぬぐい屈辱に満ちた呻きを上げながら駆けた。


 愚直で直情的な一直線。助走の勢いそのままに突き出される拳。

 琥轍は仁王立ちのまま胸板で受け止めてみせた。上体がわずかにかしいだ直後、


 己が放った一撃と比べ物にならない威力の拳が、蒼羅の腹に突き刺さった。


「ご、げぇ……ッ」


 胃液を吐きながらうずくまる蒼羅。その肩を掴んで無理矢理に立ち上がらせると、琥轍はふらつくその身に蹴りを叩き込んだ。

 蒼羅は身体をくの字に折るが、吹き飛ぶことは無かった。抱え込むようにして蹴り脚を受け止めていたからだ。


 取った脚を放り投げるように押し退け、体勢を崩した琥轍へと詰める。 

 しかし蒼羅が撃ち込む拳は蚊や羽虫でも払うように弾かれ、琥轍が放つ何重にも倍加したような威力の拳に身体を打ち抜かれ続ける。

 

 圧倒的な暴力を振るい続けながら、琥轍は笑っていた。

 その散大した瞳孔どうこうと目が合った瞬間。肌が総毛立つ感覚に、意図せず蒼羅の動きが止まる。


 鳩尾みぞおちひたいのど


 瞬撃。衝撃。琥轍の腕が揺らいでかすんだ刹那、目にも止まらぬ三連の拳を受けた蒼羅は数歩後ろへたたらを踏んだ。

 脳を揺らされ闇に落ちていく意識は、炸裂音とともに左肩と右脇腹を穿うがによって引き戻される。


「……ァ……ッ」


 激痛に紅く染まる視界。苦鳴を上げようにも、潰された喉からはわずかばかりの掠れた声しか出ない。

 撃ち込まれたに押されるように身体をふらつかせ、膝をつく蒼羅。

 その眉間へ、琥轍は容赦なく照準。間髪入れず引き金を引く—


 寸前で飛び来た小太刀が腕に突き刺さり、その衝撃で銃口が跳ねた。砲声に後押しされて飛び出した弾丸は、的外れな虚空を貫いていく。


「……あァ?」


 己の腕を貫く刃を見遣り、苛立たしげな声を上げる琥轍。歪む表情筋は痛みによるものではなく、どうやら怒りや苛立ちの方がようだった。


「虎堂ッ!!」


 次いで響くのは、熱を持った鈴の音。

 背後からの蹴撃しゅうげき朱羽あけはの脚を掲げた腕で受け止めて舌を打った琥轍は、文句を言おうと口を開いて、


 迫る別の影に殴り飛ばされた。


 先程まで琥轍がいた位置に入れ替わるように立っていたのは、拳を打ち込んだ姿勢のまま残心する祟木武導たかぎぶどう

 右足の銃創には千切られた着物の右袖が止血帯代わりにきつく巻かれ、剥き出しになった隆々とした腕は、残心の緊張で微細に震えていた。

 先まで消沈していたとは思えないほどの敵意は、その体躯を普段よりも数倍大きく見せている。


 祟木がその彫りの深い顔をいわおのように顰める先。

 石畳を滑っていった琥轍の身体は、危うくその終点にある石段から転げ落ちる寸前で停止。


「ッてェなァァ。一対一サシの勝負に割り込むたァ、無粋な真似すんじゃねェよ……」


 口に入った砂利を文句とともに吐き捨てながら、ゆっくりと立ち上がった。

 膝を突いたままの蒼羅をかばい立つ朱羽と祟木を見て、琥轍は不機嫌そうに頭をく。

 かと思うと、熱を冷ましたかぶりをしずめるかのように、長い長い溜め息を吐いた。


「まァ良い……楽しみは後に取っておくとするか。じゃあな獅喰しばみ、次は相手してやる。だからお前も本気―いや、で来い」

「待、て……ェッ!!」


 その身にみなぎらせていた戦意をあっさりと解くと、ひらひらと手を振ってきびすを返していく琥轍。

 熱に浮かされるように、突き動かされるように、蒼羅の意識は身体を駆動くどうさせようとする。


 今の蒼羅が知覚できるものは、去っていく琥轍の背と、脳裏の地獄絵図、そして腹の底でくすぶる憎悪だけだった。

 故に、己が身に穿たれた銃創などは意識の窓外そうがいに捨て置かれている。弾丸を肉の内にえぐり込まれた痛みさえ、認識してはいない。


「—蒼羅っ!!」


 しかし、蒼羅はその背を追うことは出来なかった。

 立ち上がろうとするその身体が、朱羽の手によって引き止めるように掴まれたからだ。


「駄目、その傷で無茶したら、」

「— 離 せ ッ !!」


 すがり付くようにその場に押し止めようとする華奢きゃしゃな両腕を、蒼羅は乱暴に振り払う。そのあまりの剣幕に、朱羽はひるむように後ずさった。

 追いかけようとしてしかし、大きくふらついた蒼羅はその場に倒れ込んでしまう。


 睨み付けていた背中が霞む。視界がぼやけ始め、四肢の末端がこごえ出す。

 銃創から漏れ出る紅い熱に身体がひたされ、やがて意識までもが沈んでいく。


「蒼羅、ねぇ蒼羅? ……しっかりして、ねぇってば……ら……起き…………返事……てよ…………!!」


 目蓋まぶたがゆっくりと下りてくる。泣き出しそうな調子の声も遠のき出し、段々と不明瞭ふめいりょうに、途切れ途切れになっていく。



 —ぷつり。



 意識の糸が呆気あっけなく千切れる音を境に、蒼羅の全身の感覚は闇へと押し込められた。

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