疑惑と刺客⑨

「ぼーっと突っ立ってる場合かァ!?」


 伏せるように地を駆ける琥轍こてつは、瞬く間に蒼羅そらの間合いへ侵入。

 狂笑と共に突き出されるは右の正拳。銃把じゅうはを握ったまま、顔を目掛めがけて愚直なまでの直線を描く一撃。


 容易に予想し得る初手だ。

 腕をめるために拳をつかみ止めようとして、蒼羅は琥轍の人差し指がなのに気付く。 


「……ッ!!」


 その意図に思い至った瞬間、蒼羅は肌が総毛立そうげだつままに拳を外側へ払っていた。


 遅れて耳元で爆発する。鼓膜が痛いほど震え、つんざくような耳鳴りに眉をひそめる。

 もしあのまま握り止めていたら―肌を這い回る悪寒おかんに、蒼羅は一秒後に有り得た最悪の光景を脳裏へ無理矢理に押し込めた。


「くははッ、よくかわした!!」


 次いで横殴りの左拳を振るう琥轍に、蒼羅は半歩引きながら掌底でいなす。

 その勢いを利用し、身体をひるがえす琥轍。繰り出された後ろ回し蹴りが脇腹をきしませ、右へたたらを踏んだ蒼羅に二丁の拳銃が照準。


 うつろな鉄の眼窩がんかに火が灯る寸前、前へ踏み込んだ蒼羅は琥轍の左手を叩き落とし、左の手刀で右の銃口を跳ね上げた。

 一拍遅れて虚空こくうに響く二連の砲音。


 上へ跳ねた右腕を絡め取ろうとするも、琥轍はそれに合わせて腕を大きく螺旋らせんさせ、蒼羅の鼻先に銃口を突き付ける。

 銃口炎が閃くよりも早く、蒼羅は拳銃を右へ受け流しつつ回転。

 背後を取りながら側頭へ放つ裏拳は琥轍が立てた右腕で弾かれ、切り返して顔面に迫る肘打ちを左掌で受け止める。


 押しのけるように振り返る琥轍。

 翻った左腕の先にある銃口が、後退した蒼羅の眉間に突き付けられる。

 蒼羅は反射的に身体をよじりながら、銃身を掴んで強引に射線を逸らした。銃声が炸裂し、颶風が頬を撫でていく。


 取った腕をじり上げようとする彼の鳩尾みぞおちに、琥轍は右手に握った銃把の底を叩き込んだ。

 くぐもった苦鳴とともに半歩下がった蒼羅は突き出される銃口を払い、こめかみへ照準する横殴りの拳を腕で弾き、袈裟掛けの薙ぎ払いに横から掌底を打ち込んで止める。


 打、受、撃、払、殴、捌、叩、絡―

 極至近距離でめまぐるしく繰り出される、功夫カンフーのような拳撃乱打けんげきらんだの応酬。二者が奏でる肉弾にくだん律動りつどうに、銃火の咆哮ほうこうが入り交じる。


 蒼羅は苦しげに眉間にしわを寄せながら、ようやく理解した。

 銃器を得物えものとしていながら何故、琥轍は肉弾戦を挑んで来たのか。その本当の狙いを。


 発砲さえ封じれば、銃器などただの鉄塊てっかいだ―なんて、どこまでも甘い考えだった。

 見誤っていた。この極至近距離こそ、奴の最も得意とする間合いだ。


 本来ならば中遠距離で運用されるはずの拳銃を、近距離戦闘にまでさせる。銃撃と体術を掛け合わせるなどという、馬鹿げた発想。

 伊達だて酔狂すいきょう、あるいは浪漫ロマンの代物を、琥轍はすさまじい練度れんどで完全に物にしている。昨日や今日の思い付きでせるものではない。


 しかし十数手の打ち合いの中で、蒼羅は既にその戦術の特性を見出していた。


 射撃の反動で、琥轍の腕は大きく

 膂力りょりょくではぎょない、己の意思に反した動き―それは接近戦において決定的な隙となる。

 だから発砲は、拳を打ち込んだに限定される。


 デタラメな技術体系に惑わされるな。本命はあくまでも銃撃だ。

 演舞じみた攻撃の数々は、突き詰めてしまえば対象への照準行為。確実に鉛玉なまりだまを撃ち込んで殺すための、“隙”を作り出す手段に過ぎない。


 銃口の向きから、奴の攻撃軌道を予測しろ。

 拳闘の間合いに食らいつけ、肉薄し続けろ。

 腕一本でも間合いを離せば―その瞬間にお陀仏だ。


「おめぇ……その動きはなんだ?」

「どういう、意味だ」


 乱打の応酬が続く中、琥轍が眉を顰めながら疑問をこぼす。その意味をはかりかねて、蒼羅は怪訝けげんに問い返した。


「幕府の軍隊格闘術で上辺うわべつくろっているが……足運びや視線の向く先が、どれも『旗本衆』の一兵卒いっぺいそつどもとは根幹からして違う」


 蒼羅が繰り出す攻撃全てを悠々ゆうゆうさばきながら、琥轍はその目をじっと見据える。

 その双眸そうぼうに満ちていた喜色は、既に冷え冷えとした疑念の色でにごり始めていた。


「どう見たって仕込まれた動きだ。『戦う気は無い』なんて抜かす奴が、どうしてそんなもの心得てやがる?」


 それ以上の推測をさえぎるように、蒼羅が振り下ろす右手—袈裟懸けの手刀。

 対し、交差させるように左腕で受け止めた琥轍は、鍔迫つばぜいめいて肉薄する。

 鼻先にあるその顔が、蒼羅の胸中を見透みすかすような笑みに歪んだ。


「―おめぇ、本当はんじゃねェか?」

「お前には……関係ないッ!!」


 蒼羅は断絶の言葉とともに腕を振り払い、琥轍を力任せに押し退けた。

 後退した琥轍の身体が横へ流れる、と見せかけて放たれる不意の鉤突かぎづき。叩き落としてもなお、彼は勢いを殺さず身体を旋転させる。

 その動きが、響く発砲音とともにしたように見えた直後。


 目にも止まらぬ速度で振り抜かれた銃把の底が、蒼羅のこめかみを打った。


「……くッ」


 衝撃で暗転しかける意識の中で理解する。

 琥轍は動きの流れに沿うように発砲することで、腕が跳ね上がるほどの射撃反動をに転化させたのだ。

 しかし、蒼羅の顔には苦悶くもんに勝る笑みが浮かんでいた。

 これで―


 ふらつく蒼羅に銃口を突き付け、琥轍は間髪入れずに引き金を引く。

 しかし結果は、がちり、と撃鉄がち合う音が虚しく響くのみ。


 ―だ。

 回転式拳銃の機構上、弾丸の装填そうてんは一発ずつしかできない。

 古式の火縄銃よりは格段に早いのだろうが、一秒一瞬を争う格闘戦で装填動作など、大きな隙をさらすだけの行為だ。

 弾丸の装填を封じ続ければ、このまま徒手空拳の勝負に持ち込める。


 苦々しい顔で舌を打ちながら退がる琥轍。その手が、腰元の弾薬帯から銃弾をいくつかつまみ取るのが見えた。


 「—させるかッ!」


 すかさず前へ踏み込み跳躍。

 円弧を描くように伸ばした右脚—軍靴ぐんかの爪先が琥轍の手の甲に命中。拳銃を明後日あさっての方向へと弾き飛ばした。


 あるじの手を離れ、石畳の上を滑っていく得物の片割れ。琥轍は反射的にそれを目で追ってしまう。

 着地後すぐさま地を蹴った蒼羅は、右の革手袋を外し掌底を突き出す。叩き込まれるのは鳩尾をへこませる一撃。

 痛みに顔を歪めた琥轍の動きが、一瞬だけ電流に打たれたように硬直する。


 その隙をいて放った左の拳が頬にめり込む。続いて掬い上げる右の拳があごを搗ち上げ、琥轍は長駆ちょうくを一回転させて叩き伏せられた。

 指の間から零れ落ちた銃弾が、石畳の上で跳ねて滅茶苦茶な音階を奏でる。


 蒼羅は右掌で小さく跳ね回るおさむように、強く拳を握りながら残心する。


「ぐ、ははは……ッ!! おめぇ、なかなか良いもの打つじゃねェか。平和ボケした甘ちゃんだと思ってたが、こいつァうれしい誤算だな……」


 切れた口の端から垂れる血をぬぐいながら、かわいた笑いとともに立ち上がる琥轍。それを黙殺してきびすを返した蒼羅の背に、声が投げられる。


「気に入った。おめぇ、名前は?」

獅喰しばみ蒼羅そらだ。……覚えなくていい」

「んだよ、尻尾しっぽ巻いて逃げんのか?」

「俺はお前を一発……いや二発殴るって言っただけだ。これ以上付き合う気は無い」


 嘲弄ちょうろうの声に足を止め、うんざりと大儀たいぎそうに振り返って顔を歪める蒼羅に、琥轍は肩をすくめてみせる。


「いま逃げ帰ったら、黒幕が分からず仕舞じまいだぜ。もうちょっと俺と遊んでけよ」

「その黒幕ってのも、『艶街いろまち』の燎馬りょうまだろ。一度は見逃した俺らを始末するために、お前を—」

「はーァ?」


 推測を並べ立てる蒼羅に、琥轍から返ってきたのはあきれと困惑が綯交ないまぜになった声。

 その反応に眉を顰めた蒼羅の口からは、思わず疑問が零れ落ちる。


「……奴じゃないのか?」

「冗談だろ。なんで俺が、『強運』しか能の馬面うまづら野郎の言うこと聞かなくちゃなんねェんだ? あ?」


 —刺客しかくを差し向けて来たのが燎馬じゃないとしたら、一体誰が?

 目の前の相手のことさえ忘れて思索にふけろうとした蒼羅の意識を、琥轍の声が現実へ引き戻す。


「なァ、おめぇ獅喰しばみの人間だろ」


 唐突な問いに、口を引き結んで眉根を寄せる蒼羅。

 琥轍は、そのへ焦点を合わせようとするかのように目をすがめる。


うわさに聞いたことがあるぜ、『地に堕ちた神』って奴を」

「……たとえそうだとしても、お前に明かす義理は無い」


 再び踵を返そうとした蒼羅は、琥轍の次の言葉に思わず足を止めた。


「お前から全てを奪った奴……俺は

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