八章 共振と追跡

共振と追跡①

「抵抗は無駄。どうせ朱羽あけはは負けるのだから」

「やってみなきゃ分からないだろ」

随分ずいぶんと信頼してるのね?」


 向かい合い、言葉を交わす二人。

 顔の下半分を黒布で覆った少女—隠神いぬがみ依智いちのからかうような声に、軍服姿の少年—獅喰しばみ蒼羅そらは首を横に振る。


「情報だけで判断して決めつけるのが嫌いなだけだ。俺だって、朱羽アイツが勝つとは言ってない。……けどまぁ、ただ負けて引き下がることは無いだろ」

「なにを根拠に?」

だけだ」

「……それだけ?」

「まぁ、その程度の縁だからな」


 クマのある目を細めて不敵に笑う蒼羅。放たれた言葉は、根拠と言うにはあまりに軽薄で心許こころもとない。

 切り揃えられた前髪と黒布の間からのぞ双眸そうぼうを、唖然あぜんと見開く依智。やがて話にならないと睫毛まつげを伏せる。


「その程度の縁のためにこうして私たちと張り合うなんて。……貴方、どうしようもない馬鹿ね。貴方はなにも知らない。なにも分かってない。朱羽が勝つなんてありえない」


 溜め息混じりの言葉の後、依智はいっそ哀れむような目を向けてくる。


「——九条くじょう龍親たつちかがなんて呼ばれてるか、知ってる?」


・・・・・・


 ——なんだっけな。

 九条龍親に面と向かい合い、その上で百を超える彼の手勢に囲まれながら……九条朱羽は考える。


 龍親の渾名あだなってなんだったかなー、と。

 確か仰々ぎょうぎょうしい呼び名があったなー、などと。


 四方八方を囲まれ、数の前に抗う気力を失い、なにもかもを諦めてしまった……わけではない。


 確かに連戦の疲れは溜まっている。ここで立ち止まって回復した体力など、すずめの涙に等しい。

 そんな状態でこの数をいて逃げ出すのは不可能だし、話し合いでの解決はとうに諦めている。

 そういった現実を冷静に受け止めた上で、『素直に捕まってやるもんか』という己の意志を尊重し、この場を押し通る覚悟は既に決めた。


 ならば、事ここに至って考えることは『龍親の渾名ってなんだっけ』といった、他愛もない余計なことだ。


 ―敵意を放てば身体が強張こわばる。身体が強張れば初動が遅れる。

 ―ならば闘う直前、限界ギリギリまで敵意と殺意は伏せろ。


 それが、朱羽なりの集中方法。

 それが、いま目の前にいる男―九条龍親からの教えだ。


「俺がる。お前らは手を出すなよー」


 この場に立つ全員を制するように手をかざしながら、一歩前に出る龍親。

 鞘込めされた軍刀を杖にして立つ彼は、簡素な藍色の着流し一丁。肩掛けにしていた徽章まみれの軍服は、後ろの部下に預けている。

 伸びた前髪から覗く、やる気なさげに垂れた双眸。どこか気怠けだるるそうな雰囲気をまとうその姿は、して眠りに就く龍を思い起こさせる。


 構えなど為さず自然体。

 隙だらけのようでしかし、全く隙の見えない仁王立ち。

 名に『龍』の一字を冠するだけあってか、そこには人知及ばぬ、底知れないすごみがあった。


「……そう嫌な顔するなよ朱羽。お兄ちゃんは、お前と話がしたいだけなんだけどなー」


 暢気のんきに間延びした声と共に、くしゃりと苦々しく笑う龍親。朱羽は周囲を取り囲む警官隊を見回し、ぷふー! と口元を押さえた。


「そういう割には、随分と大人数じゃないの。……なに龍親、取り巻きがいないとナンパもろくにできないの?」

「だってお前、俺と顔合わせるとすぐ逃げるじゃん? 仕方なーく数を揃えたんだよ。それに—」


 仰々しく肩をすくめた龍親は、言葉の途中で態度を一変させ剣呑けんのんに目を細める。瞳に浮かぶのは怪訝けげんな色。


辻斬つじぎりの犯人を捕まえにゃならんしな」

「あたしはやってないって」

「……さぁ、どうだかな」


 朱羽は食い下がるように反駁はんばくするも、龍親は首をかしげるのみ。

 厄介だな……朱羽は内心に苦々しいものがこみ上げるのを感じた。

 今回の捜査は龍親の主導で進められているようだ。かなりの厳戒体制が敷かれたと見える。


「ま、なにはともあれ安心したよ。で」


 龍親は再び表情を一変させた。

 この状況に似つかわしくない柔らかい笑みとその言葉に、朱羽は思わず頓狂とんきょうな声を上げた。


「はぁ? 幸せそう? ……こっちはあの『疫病神』のせいで、骨折り損のくたびれもうけな毎日を送ってるってのに」

「俺には、九条の家にいた頃より活き活きしてるように見えるけどな。……それに憎まれ口を叩く割には、


 ―笑ってる? あたしが?


 その言葉にはっとさせられた。きょかれた気分になり、思わず押し黙る。

 一体どんな顔をしていたのだろうか……朱羽の顔をしばらく眺めていた龍親は、小さく吹き出した。


「ははは、引っかかった。嘘だよ、お前は無愛想な顔のまんまだ。けど、さっきのけた顔は傑作だったな」

「……趣味悪」


 彼の戯言ざれごとにまんまと引っかかったのだと気付いて、朱羽は苦し紛れに小さく毒づく。 

 ひとしきり笑い終えた龍親は大きく息を吐くと、朱羽の目をじっと見据えた。


「だからここで足を止めてくれないか。俺はお前が傷付く姿をこれ以上見たくない」


 茶化すような態度から打って変わって、龍親の顔にあるのは真剣な表情。その瞳には、我が子を気遣いいたわる慈父のような優しささえにじんでいた。


「……無理」


 しかし朱羽は、それでも首を横に振った。


「あたしはまだ、止まれない。やることがあるから」

「それは、今ここで身の潔白を証明するよりも大事か?」

「濡れ衣に構ってる暇なんて無いの」


 覚悟を視線に込め、龍親の眠たげな双眸を真っ直ぐに見返す。

 睨み合う二人。息詰まるような静寂が場を包み、居心地の悪い緊張が身体をむしばむ。

 ここで目を逸らせば、意志を曲げたも同然。朱羽はまばたきもせず睨み続ける。研ぎ澄ました視線でもって刺し貫き、射殺いころさんとするかのように。


 そうして何秒か経った末、先に目を伏せたのは龍親だった。


「……はぁ。簡単にゃ折れてくれないか。そうか、そうだよな……お前はそういう子だった。面倒だが、仕方ないか」


 ため息ひとつ。困ったように苦笑して、力なく肩を落とし項垂うなだれる。


「ならばその覚悟、俺が折ろう」


 

 軽薄さが消え、老練の重圧さえ感じさせる低い声音。それが鼓膜に届いた瞬間、朱羽の肌に悪寒がつた



 ――両肩から先の感覚が


 

 消えた感覚を追い求めるように視線を下げていくと、足下に転がると、そこからはみ出たが見えた。


 ——え? 


 呆然と開いた口から、言葉は出なかった。

 失った腕の代わりにでもなろうとしたのだろうか。肩から勢い良く噴き出した血は、しかしろくな形を為せず流体のままこぼれ落ちていく。

 眼が映す光景に脳の理解が追い付いていないのか、不思議と痛みは無かった。


 腕。落ちてる。どっちも。手。左右の。無い。無い。腕が無い。無くなった。どこに? 落ちて。地面に。転がってる。手が見えて。誰の? あたしの。手。腕。あたしの腕。腕、腕、腕が、無い、無い無い無い腕が腕無い腕腕腕腕斬られた腕腕腕腕腕腕取れてる腕腕腕無くなっちゃった腕腕腕腕腕どこ腕腕腕腕腕腕無い無い腕腕腕腕うで腕腕うで腕腕どこ腕腕腕腕腕腕腕どこ行ったの腕腕腕腕腕腕腕腕腕腕腕腕!!


 混迷。混線。過熱する思考で真っ赤に染まった視界の中に、龍親がゆらりと現れる。数歩前に立ち刀を振り上げる彼を、朱羽は呆然と見上げた。


 龍親。腕。刀。腕が。動いて。斬る。斬られる。どこ。斬られる。刀。振ってる。見える。ゆっくり。見える。銀色。ひかり。来る。近くなる。斬る。来る。冷たい。冷たい。首。熱い。首。熱い熱い熱い。首。首。取れてく。離れてく。熱い。冷たい。首。斬れてる、半分、ちぎれて、ほね、あたって、ちぎれてる、やだ、やだやめてやだやだやだ熱いやだやだやだやだやだやだやめてやだ死ぬ死にたくないやだやだやだやめてやだ熱い熱いやだやだやだやだやだやだぐらぐらするやだやだやだやだやだ死ぬ死ぬやだやだやだ死ぬやだやだやだやだやだやだやだ死にたくないやだやだやだやだやだやだ痛いやだやだやだ死ぬやだやだやだやだやだ――

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