謎と罠③

 『大江都萬街おおえどよろずまち』はその名にを冠するが、広大な土地の全てに人や建物がひしめき合っているわけではない。

 中央区と他の区画の間には、必ず隔たりとなるものがある。


 西北の『雅郭ががく』であれば、異国情緒あふれる鉄柵と門。


 北東の『交湾里まじわり』であれば、街の中で一番大きな河川。


 南西の『醜落しゅうらく』であれば、鉄条網と有棘鉄線の巻きついた隔壁。


 そして今回の目的地―南東の『艶街いろまち』との境にあるのは森だ。

 小さな森を抜け、一万段にも及ぶ石造りの階段を登った先。

 丘の頂上に、桃源郷めいて『艶街』はあるのだ。



 石畳によって舗装された小道を走る、屋根付き馬車の中。

 座り心地の良い長椅子にどっかりと背を預けた蒼羅そらは、背後の窓へ首を巡らせ、視界を流れていく木々のこずえをぼんやりと眺めていた。


「そういえば」


 向かいの長椅子に座る朱羽あけはの声に振り返る。

 進行方向に対して左側に蒼羅、右側に朱羽。馬車に入った二人は、自然と離れた席に着いていた。


「なんだよ」

「あんたさ、暇さえあれば書物庫に入り浸ってるらしいけど―あそこ、そんなに面白い?」


 朱羽が問うてきた内容に、蒼羅は思わず目を丸くした。


 どこから聞いたのか知らないが、確かに蒼羅は空き時間になると書物庫に入り浸っていた。

 幕府の有する書物庫には、膨大な量の書物が収められている。

 様々な資料の他にも、瓦版かわらばん娯楽本ごらくぼん御伽草子おとぎぞうしなどなど……どんなものであれ、一度でも世の中へ出回ったなら、必ず一冊は書物庫に保管される。

 そこなら『あの日』のことも分かるのではと思って、幕府の歴史や沿革、出来事がつづられている書物を片っ端から、虱潰しらみつぶしに読んでいるのだ。


「まぁ、面白くはないけど、役には立つからな」

「ふぅん。面白い御伽草子でもあれば、あたしも足が向くんだけどなぁ」

「貸本屋じゃないんだぞ」

「いや貸本屋みたいなもんでしょあれ。そんであんたは本の虫。どうせなら紙の間にはさまって潰れちゃえばいいのに」

「お前、鉄板胸どころか頭も鉄で出来てんじゃねーの。だから御伽草子みたいな簡単な奴しか読めないんだろ」

「……む、まだ言うか」

「そんなだから人に物を教えるのが下手なんだな。なんだよ『それをああしてこうする』って。分かりづらいんだよ、お前の稽古」

「理解できないあんたが馬鹿なだけでしょ」

「人に教えるのにまともに言葉にできない馬鹿に言われたくない」

「誰が馬鹿よ。だいたい―」


 突如、朱羽の声をさえぎって悲鳴が響いた。


 馬車を駆る御者ぎょしゃの声だ。何事かと声の方を向く二人。

 次いで断末魔めいた馬のいななきが聞こえた瞬間、二人を乗せた馬車は、走っていた勢いを乗せたまま、左へぐらりとかしいだ。


「「ッ!?」」


 蒼羅が下へ、朱羽が上へ。馬車の天井と床が九十度入れ替わる。


「ひゃっ」

「ぅぐぇ」


 落ちてくる朱羽を受け止めた蒼羅の口からは妙な声が漏れ出た。

 女性の身体といえど落下の衝撃は大きく、おまけに朱羽は刀を持ち歩いているのでその衝撃は倍増する。

 しかし馬車は横転するだけではなく、無慈悲にも牽引けんいんする馬ごとさらに回転。

 完全に転覆した馬車は砂利道を滑り、路肩の大木に激突してやっと停止した。

 その衝撃で梢が揺れると、小鳥たちが悲鳴めいた鳴き声を上げてばたばたと飛び去っていく。


 一拍遅れて扉が蹴破けやぶられ、のそのそと這い出たのは蒼羅。腕を突っ込み、朱羽を引っ張り出す。


「ッぇ……なんだよ一体」

「ったく……『疫病神』が乗ってるから、こうなったんじゃないの?」

「俺のせいかよ」


 朱羽の嫌味をよそに、蒼羅は御者の心配をしていた。

 ただごとではない悲鳴を上げていたし、馬車そのものがひっくり返る大事故だ、無事だろうか。


「おい、大丈夫―」


 馬車の陰をのぞき込んだ蒼羅は目を見開き、言葉を詰まらせた。


 力なく横たわる一頭の馬。

 その両目は苦無くないのような鉄塊で貫かれ、左の前脚と後脚が断たれていた。

 眼窩がんかからあふれた血が涙のように顔を伝い、肢体を浸す血溜まりへと流れ込む。


「なんだよ、これ……」


 ようやっと絞り出すことかできたのは怪訝けげんな声。

 蒼羅の肩越しにその光景を覗き込んだ朱羽が、小さく息を飲むのが聞こえた。


「ねぇ、御者の人は?」


 朱羽が疑問を零したことで、蒼羅も気付いた。

 手綱たづなは明後日の方向へ放り出されたまま。辺りには逃げ出したような足跡も、人が放り出されて転がった形跡も無い。

 御者の姿は、影も形も無かった。

 まるで神隠しのように、忽然こつぜんと消え失せていた。


「なにが起きてる……?」


 蒼羅はひとつうめいて頭を押さえる。


 何故、馬が殺されているのか。

 何故、運転手の姿が消えたのか。

 そして、誰が襲撃してきたのか。


 まるで状況が読み込めず、呆然としていると、不意に強い力で腕を引かれた。

 尻餅を突くようにして馬車の陰に隠れさせられた蒼羅は、いきなり腕を引いてきた朱羽の方を振り返った。


「なにすん―」


 苛立ちを言葉にしようとした瞬間。

 なにかが突き刺さる鋭い音が、連続して耳に飛び込んできた。


 音の方向を振り返って思わず総毛立つ。

 寸前までいた場所や、いま身を隠している馬車には、十や二十を優に超える数の苦無が突き立っていたのだ。

 あのまま立ち尽くしていれば、雨霰あめあられのように全身を貫かれて死んでいたに違いない。


「―悪い、助かった」


 小さく謝りながら再び朱羽を振り返ると、彼女は得意げにこちらを見返した。


「これ、ひとつね。後でちゃんと返してよ」

「……お前ほんと嫌な奴だな」


 ―まぁ、嫌味はともかくとして。

 苦無の突き刺さっている方向を見るに、木陰からの攻撃だ。

 感覚を研ぎ澄ませば、なるほど刺すような殺気が感じられる。襲撃者はまだ近くにいる。

 だが正確な位置まではつかめない。馬車の陰から少し頭を出した朱羽も、難しげな顔をして木陰をにらみつけていた。


「敵の場所、分かるか?」


 ダメもとで問うてみるが、朱羽はやはり無言で小さく首を横に振った。

 参ったな―と小さく頭を掻く。

 移動手段を潰され、居場所の分からない襲撃者はまだこちらを狙っている。

 そのうえ飛び道具を用いて遠距離から狙ってくると来た。

 うっかり馬車の陰から出てしまえば、大量の苦無によって蜂の巣にされかねない。

 こちらにも飛び道具があれば少しは応戦できたのだろうが、生憎、今は持ち合わせがない。


「……逃げるぞ」


 蒼羅の言葉に、朱羽も小さく頷く。

 ここは逃げの一手しかない。だがそれは撤退ではなく、前へ進む一手だ。

 ひたすら走って無理やり襲撃者を振り切る。どのみちずっと隠れているわけにはいかない。ならば進むしかないのだ。


 二人は思い切って馬車の陰から飛び出した。その瞬間、まるで待ち構えていたかのように風を切る音が響く。

 間髪かんぱつ入れず放たれた第二射。

 羽虫の大群めいて迫り来る大量の暗器は、走る二人の後を追いすがるように、一秒前に身体があった空間を貫き、服のすそかすめ、次々と地面に突き立っていく。


 ―止まれば死ぬ、止まれば死ぬ、止まれば死ぬッ!!


 無我夢中で走っているとしかし、暗器の雨はぴたりと止んだ。

 蒼羅と朱羽は互いに目配せすると、左の道端にある、大人ふたりが身を隠せるほどの大木へと駆けた。

 その根元に屈み込んで太い幹に背を預け、小さく息を吐く。

 どうやら第二射をやり過ごしたらしい。安堵しながらも、二人はさらに神経を張り詰める。

 距離が離れたためか、木陰から放たれる殺気はわずかに弱まっている。

 が、完全に消えた訳ではない。敵はまだこちらを狙っているのだ。

 ふと逃げてきた方を見れば、幅広の道を埋め尽くさんばかりに暗器が突き立っていた。その数、およそ百は下らない。


「次また来たら、ちょっと弾き飛ばしてみる」

「そんなこと出来んのかよ」


 朱羽の突飛な提案に、蒼羅は思わず目をいた。


「物は試しよ……ほら、行くよ」


 期を見計らい、蒼羅と朱羽は揃って駆け出す。

 なにをどうしたら、飛び道具を弾き飛ばそうなどという発想に至るのか。

 普通の人間はそんなことを試そうと思うだろうか?

 いいや思わない。

 蒼羅の心中など知らない朱羽は急制動を掛けて停止、髪を振り乱しながら後ろを振り向き腰を落とす。


「行ってッ!」


 蒼羅の背に叫ぶ朱羽。直後、木陰から風を切る音。三度目の攻撃。

 視線を前に戻した蒼羅が更に踏み込んで加速すると、背後で幾重いくえにも重い金属音が響く。


 ―ほんとにやっちゃったよあいつ。


 まさか本当にやるとも、出来るとも思っていなかった。

 驚嘆きょうたんの域を超えてもはやあきれていると、頭に浮かんだ嫌な予感が、背を悪寒おかんのように走り抜けた。

 それに従ってわずかに姿勢を低めたその瞬間、朱羽によって弾き飛ばされた苦無が頭上スレスレを通り抜けていった。

 髪を撫でる冷たい颶風ぐふうに、尾骶骨びていこつが痛いほど凍える。


「―おい、俺の方に飛んできたぞ! ちゃんとやれよ!!」


 こちらに追いつき横に並んだ朱羽に、蒼羅は思わず怒鳴り散らした。


「はぁー!? 十個も二十個も飛んでくるんだから無理に決まってんでしょ!! むしろそっちに飛んでくのをがんばって抑えたんだから、褒められてもいいと思うけど!!」

「いやお前、弾き返して敵に当てたならまだしも―」

「でも木陰の方から『ぎゃっ』って聞こえたから、弾いたうちのひとつかふたつは敵に当たったと思う」

「……………………」

「どうしたのアホみたいな顔して」

「まじかよ」

「たぶんね」


 不安げながらも若干得意そうな朱羽の顔を見るに、暗器のいくつかは敵を狙って弾き返したのだろう。ようやく剣をまともに振るえるようになってきた蒼羅にとっては、とんでもない絶技だ。


「すげぇなお前」

「でしょ?」


 こうなると、褒められて悦に浸るこの少女は、本当に人間なのかも疑わしくなってくる。

 それとも剣豪や剣聖とうたわれるような強者たちは、こんな芸当をさらりとやってのけるのだろうか。

 歴史に名を残した数々の戦人いくさびとに思いをせ、そして自分の未熟さを痛感する。


「―それに、さっきのは数も少なかった。あっちのは近いはず」


 朱羽の言葉に、蒼羅は後ろをちらと振り返る。

 しばらく走ったが追撃は来ず、木陰からの殺気もいつのまにか消えていた。

 二人は次第に走る速度を緩めていき、やがて足を止めて木陰の方を振り返る。


「出てきて仕留しとめようって腹は……無さそうね」

「……みたいだな」


 朱羽の言葉に頷き、危難が去ったことを察した蒼羅は、思わず道の上に寝転んだ。


「あーぁ、疲れた……」

「なにやってんの……置いてくよ」


 しかし朱羽は呆れたような一瞥いちべつをくれるのみで、すたすたと歩いていってしまう。

 げんなりとした呻き声を上げた蒼羅は、腹に力を入れて一息に起き上がり、朱羽に駆け寄って横に並んだ。


「おい、とりあえずどこかで休まないか?」

「どこで休むつもりよ。旅籠はたごなんて、ここらにないでしょ」


 もっともな朱羽の指摘に、蒼羅は言葉に詰まった。

 『艶街』への移動は乗合馬車がよく使われる。

 徒歩で向かう人間などそうそういないし、そんなもの想定していないから、道端に宿の類はまるでない。

 こんな森の中に旅篭など、あるほうがおかしいのだ。

 しかしそろそろ夕暮れも近い。路傍ろぼう瓦斯ガス灯はあるものの、一本一本の間隔がひどく離れているため、日が落ちれば辺りはかなり暗くなるだろう。


「最悪の場合は野宿しかないな」

「えー……それ本気で言ってる?」


 諦めに満ちた蒼羅の言葉に、朱羽は怪訝な声を返す。


「あたしはやだ。これ以上着物を汚したくない」

「じゃあこっから夜通しで歩くのか? いくらなんでも現実的じゃないだろ」

「あたしだって嫌だけどしょうがないでしょ」


「……あ、あった」

「えっ」


 蒼羅が指差す先、二階建ての木造家屋が道端にぽつりと建っていた。

 随分ずいぶんと真新しい、つい最近建てられたような風体ふうていだ。

 入り口に下がる暖簾のれんには『旅籠』とあり、玄関の前には『あきない中』の立て札が設置してある。

 二人が旅籠の前で立ち止まると、はっと気付いたように灯りが障子窓から漏れ出した。


「こんなところに宿を建てるなんて、物好きもいたもんね」

「文句あるならお前ひとりで野宿してろよ。夜通し歩くつもりなんだろ?」

「馬鹿なの? せっかく雨風をしのげるんだから入るに決まってんでしょ」

「……調子良い奴だなお前」

「それはどうも」


 あっさりと掌を返す朱羽に続いて、蒼羅は苦い顔をしながら店の暖簾をくぐった。


・・・・・・


「……ここまでは計画通り」


 旅籠に入っていく二人を、いっとう高い大木の梢に腰掛けて眺める人影があった。

 その身を闇色の黒衣に包み、同色の頭巾を目深まぶかにかぶっている。

 顔はわらうように牙を剥き出しにした獰猛どうもうな意匠の狐面に覆われ、その素顔の一片すら、知ることが出来ない。

 小さく発されるくぐもった声は、男か女かも分からなかった。


「後は、手筈てはず通りに」


 静かにそう続けた人影は、愉悦が滴るような笑い声を漏らした。

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