傷と過去③

「……なぁ、俺もひとつ聞いて良いか?」


 朱羽あけはうなずくのを見て、蒼羅そらは問いの続きを口に出す。


「なんでお前が、『天照あまてらす』の奴らから狙われるんだ?」


 神峯毘沙かみねひさ夜叉坊吽慶やしゃぼううんけい燎馬りょうま那迦なか、そして虎堂琥轍こどうこてつ

 これまでの刺客たちはみな、過去に『天照』という暗殺部隊に属していた。

 いずれも敵が狙うのは朱羽ばかりで、蒼羅は口封じとしてついでに殺されかけるおまけに過ぎない。

 事情も分からず巻き込まれていては、不満もつのろうというものだ。


「分からない」


 しかし問いかけに対し即答され、蒼羅は辟易へきえきした。返しの速さもそうだが、一番困るのは返ってきたその答えだ。


「分からないってことはないだろう。なにか心当たりは」

「無いの。なにも……無いの」


 再び、かぶせるように答える朱羽。蒼羅はそれが、口先だけの嘘ではないだろうと踏んでいた。

 言葉をつむぐ中で、朱羽の瞳は確かな思案に揺れていた。


「面識はないのか? どっかで見たことある顔だったり……」


 それでも食い下がり、情報を引き出そうとこころみる。

 心当たりが無いと言うが、相手は朱羽を知っているような口振りだった。ならば過去になにかあったはずなのだ。


「それも、ない……はず」


 返される三度目の答え。

 しかしその勢いは尻すぼみしていき、最後は不確かににごった。その様子を見ながら、蒼羅は思考する。


 敵との面識も、襲われる理由の心当たりもない。

 しかし朱羽のはっきりとしない反応を見るに、今までの刺客たちにはなにかがある―とでもいったところか。


 彼らが朱羽に対して露骨な殺意を抱いている様子は無かった。私怨しえんで仕掛けてきたわけではないだろう。

 虎堂琥轍の言葉を信じるなら、連中を利用して朱羽の命を狙う真の黒幕がいるはずだ。

 現に、神峯毘沙は言っていたではないか―により貴方を殺害します、と。


 『天照』の構成員は、なぞらえて呼ばれていた。

 刺客として現れたのは『鼠』『牛』『馬』『蛇』『虎』の五人。


 既に死んだという『猪』と獄中にいる『兎』、そして『鳥』であった朱羽を除けば、残るは『龍』『犬』『猿』『羊』の四人。

 今後も襲撃を受ける可能性は十分にある。


 朱羽が狙われる理由―その手掛かりとなるものはきっと、彼らとの戦いの中に潜んでいるはずだ。

 燎馬の話にれば、とっくに解体され隠蔽いんぺいされているというが―それ自体が妙な話だ。


 何故、解体されたはずの部隊が活動している?

 何故、彼らを操る黒幕は朱羽を狙う?

 なにもかも分からないことだらけで、頭が痛くなってくる―


「ごめんなさい……関係ないあんたのこと、巻き込んで」


 唐突な朱羽の言葉に、思考から意識が引き上げられる。

 顔を上げれば、朱羽は深々と頭を下げていた。思わぬ態度に蒼羅は再び辟易する。

 いつもなら、蒼羅のことなどお構いなしに嫌味や皮肉のひとつやふたつ言ってきそうなものだ。


 が、今の朱羽はまるで別人のように縮こまっている。

 こんなに素直に謝ってくるとは……どこかに頭でもぶつけたか?


「な、なんだって今日はそんなに素直なんだよ……」

「他の言いがかりならともかく、こればっかりは巻き込んでるあたしが悪い。―だったら、あたしが謝るのが筋でしょ」


 その言葉に、蒼羅は目覚めたときに一瞬だけ見た彼女の表情を思い出す。

 不安と緊張の中に、自分を責める色があった。今回のことを、彼女なりに責任を感じているらしい。

 しおらしく消沈した朱羽を見ながら、蒼羅は難しそうに眉根を寄せる。

 『天照』の刺客たちも気になるが、なにより気掛かりなのは朱羽のことだった。 

 不意に思い出したのは、琥轍が言っていた言葉。


 ―こいつも俺と同じように、『


 この発言は蒼羅に凄まじい衝撃を与えた一方で、ある疑問についての納得をもたらした。

 あれは確か『艶街いろまち』の調査を依頼される前……日課であった朝の稽古けいこ中。


『どこで習ったんだ、あんな剣法。いや剣法って言うには無法もいいとこだけど。少なくとも、中央区でそんな滅茶苦茶めちゃくちゃな剣を教えてる道場なんてないはずだ』

『それ、は…………』


 己の過去に関する問いに、朱羽は動揺したきり答えなかった。

 以来、どうして朱羽があれほど非凡な剣の技量を持っているのか、蒼羅の中では疑問のままだった。


 しかし暗殺部隊の一員―それもとなれば得心が行く。

 『天照』の面々と戦い、その強さを肌で感じてきた経験が、逆説的に朱羽の強さと技量の凄まじさを証明する根拠となっていた。

 だが、ひとつ謎が解けても、次から次へと謎は増える。


 『席次を決めるのは』だと、燎馬は言っていた。


 それを踏まえるなら、第三席に座していた朱羽は、『天照』の中でも特に多くの人間を殺していたということになる。


 だが蒼羅には、それがどうにも信じられなかった。

 脳裏によみがえるのは、『仏斬ぶつぎ供臓くぞう』の模倣犯を打ち倒した後の光景―


・・・・・・


「もう十分だろ、後は縄にかけて―」

「いや、


 倒れ臥した木乃伊ミイラめいた男―模倣犯を前にして、蒼羅の言葉を強い語調で遮った朱羽はゆっくりと模倣犯へ歩いていった。


「こいつはまた人を殺す。牢に入れたところで反省なんかしない。だからここで終わらせないと。―


 自分に言い聞かせるように、脅迫的に繰り返しながら。

 倒れた模倣犯の前に立ち、逆手に持ち替えた刀を振り上げる朱羽。


「待て!」


 蒼羅が駆け寄り、やらせまいとその両手首を掴んで押さえると、朱羽は鬱陶しげにこちらを睨みつける。


「本当に殺す気か」


 朱羽の目を見据えて問うと、握る刀がきしんだ音を立て始める。握った細腕は小さく震えていた。

 彼女は悔いるように目をつむると、ぶっきらぼうに腕を振りほどいて蒼羅から離れた。


「……早く、縄にかけちゃってよ」


・・・・・・


 あのときの朱羽の顔には、人を殺すことへのおびえがあった。

 震える身体には、人を殺すことへの恐怖があった。


 そんな彼女が人を殺す……いなとは到底とうてい思えないのだ。


 ―お前も、あいつらみたいに人を殺したりしたのか?

 今すぐ問いただしたい衝動に駆られるが、それを今の朱羽に聞くのは気が引ける。代わりに、蒼羅はふとした疑問をぶつけてみることにした。


「そういえばどこなんだ、ここ?」

「どこって……あんたの家だけど」

「……………………え?」


 思わぬ答えに蒼羅が間抜けな声を上げた直後、玄関先から彼にとって馴染なじみ深い声が聞こえた。


「ただいまー」

「あ、おかえりなさーい」


 朱羽が声のした方を見やってそれに応じる。

 まるで家の者であるかのような自然さで、だ。


「いやぁ遅くなってごめんごめん、お店が意外と混んでてさぁ。朱羽ちゃんお留守番ありがとうねぇ。蒼羅の様子はどう? まだ寝て―あ、なぁんだ起きてたの」


 そう言いながら障子しょうじを開けて部屋に入ってきたのは、両手にそれぞれはちきれんばかりの風呂敷を持ち両脇に小包みを抱えた、二十代半ばほどの女性。

 長身を赤茶色の地味な小袖こそでに包み、腰元まで届く長さの黒髪を後ろで一つ結びにしている。

 ぱっちりとした目は驚きに見開かれていた。整っていながらも化粧けしょうっけの無い顔。

 そこに浮かぶ笑みは、彼女の人懐ひとなつっこそうな性格がにじみ出ているよう。

 しかし左頬に刻まれた十字傷が、その印象を裏切る獰猛どうもうさを秘める。


「―姉ちゃん!?」


 蒼羅が驚くのも無理はない。

 そう、彼女こそが義理の姉にして我流拳法の師―


 獅喰緋奈咤しばみひなただ。

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