傷と過去②

「なにやってんの全く……」

「悪かったって」

「あたしのことバカにしたばちが当たったんじゃない? ―あ、ちょっと腕上げて」


 言葉を交わす間にも、朱羽あけははてきぱきと薬効のある湿布しっぷを貼り替え、包帯を巻き直していく。

 その手際の良さに関心していると、朱羽は背中側に包帯を巻き付けるため、布団の上に座っている蒼羅そらの腰に腕を回した。


 肩の上に顎を乗せるようにして、背中をのぞき込んでくる朱羽。

 まるで抱きつくような格好と不意に近くなる距離に、思わず少し仰け反る。


「ちょっと、動かないでよ」

「……悪い」

「?」


 耳元に怪訝けげんな声と湿った息がかかり、上擦うわずった声が出る。包帯を巻き終えて離れた朱羽は、不思議そうな上目遣いで顔を覗き込んできた。

 蒼羅は誤魔化ごまかすように、ふと浮かんだ疑問を声に出す。


「これ、お前がやったのか?」

「止血と応急手当だけね、医者を呼ぶお金も時間も無かったし。身体の中に入った鉛玉なまりだまは取り出せてないから、後でちゃんとお医者様にてもらいなよ」


 淡々とした返答を聞きながら、己にほどこされていた応急手当を見遣みやる。

 完璧かんぺきとは言いがたいが、道具が限られているであろうこの場所では上々の処置だ。包帯まであるとはいやに用意がいいなと思い―


 いや待てよ、と違和感を覚える。


 包帯にしては随分ずいぶんとほつれが目立つ。まるで布切れのようだ。

 それに、肌触りはまるで絹織きぬおりの上質な着物のような……


 そこまで考えて、はっとした様子で顔を上げる。

 蒼羅の視線から疑問を察したのか、朱羽は苦笑とともに口を開いた。


「そう。あたしの着物。虎堂こどうの奴にダメにされたから包帯代わりに使ったの。……なに、不満だった?」

「いや、そうじゃなくて……」


 つのる申し訳なさにしぶい顔をする蒼羅に、朱羽はゆるゆると首を振る。


「気にしなくていいって。着飾きかざるものなんて後からいくらでも買えるでしょ。でも命はひとつ、それきりしかない。―んだから」


 いつになく真剣な様子で、こちらの目を真っ直ぐ見据みすえる朱羽。

 なんだかたしなめられているような気がして、蒼羅は一瞬だけばつの悪そうに目を逸らした。


「……ありがとうな」


 朱羽の日頃の行いをかえりみれば、面と向かって礼を言うのはなんとなくしゃくだが……助けてくれたことに変わりはない。

 感謝を述べて笑む蒼羅に、朱羽は小さく鼻を鳴らして視線を逸らした。


「別に。目の前で死なれるのが嫌だっただけ。……次に死にかけるときは、あたしの目の届かないところでやって」


 相変わらず冷たい調子の言葉に苦笑していると、朱羽は悪戯いたずらを思いついた子どものような表情をして顔を覗き込んできた。


「……申し訳ないなー、とか思ってるなら、後で新しいの買ってよ。それより上物のやつね」

「冗談よせよ。今の俺にそんな余裕あると思うか?」


 蒼羅の身体に巻かれた包帯―になった自分の着物―を指差す朱羽。思わず狼狽うろたえると、朱羽はくすくすと笑いながら続ける。


「冗談に決まってるでしょ。そんな余裕なさそうだから言ったの」

「お前ほんと嫌な奴だな」

「それはどうも」


 呆れがちな半眼で睨み付ける蒼羅に、朱羽は得意そうに笑い返す。


「でもこれは貸しにしとくから。後でちゃんと返してよ」

「あぁ、分かったよ。この借りは必ず返す」

「絶対だからね。……はい、終わり。また傷が開くと面倒だから、安静にしてて」


 朱羽による手当が終わり、不意に会話が途切れた。

 不自然な沈黙が場にわだかまる。


「……………………なぁ」

「……………………ねぇ」


 重くぎこちない空気に耐えかねて、二人が口を開いたのは同時だった。

 共に言葉に詰まり、妙な間が生まれる。蒼羅が顎で指して続きをうながすと、朱羽は表情をくもらせ、おずおずと口を開いた。


「……その、崇木たかぎさんのこと」


 切り出された話題に、蒼羅の脳裏にはこうして安静を余儀なくされている原因となった出来事がよみがえる。


 訓練兵時代の恩師、崇木武導たかぎぶどう―師範代と呼ばれる彼に、辻斬つじぎりの容疑が掛かった。

 彼が最後に目撃されたという廃寺へ向かった蒼羅と朱羽は、そこで浪人たちの待ち伏せを食らう。

 結果としてそれは、虎堂琥轍こどうこてつという男が朱羽をおびき寄せるために、容疑を掛けられた崇木を利用し仕組んだ罠だった—

 

「あんたをここに運び込んで、手当を少し手伝ってもらった後、祟木さんには屯所とんしょに出頭してもらった。……虎堂の奴を信用するわけじゃないけど、あの人はきっと無実だと思う」


 言葉をつむぎながら、朱羽は首をめぐらせる。

 視線の先にあるのは漆喰しっくいの壁だったが、蒼羅にはもっと遠い場所―祟木が向かったであろう屯所を見遣みやっているように思えた。


「あの人には悪いことした。それに、あんたにもひどいこと言った……ごめんなさい」

「……俺も、感情的になって悪かった」


 やがて向き直って頭を下げる朱羽に、蒼羅も目を伏せる。


 崇木の無罪を主張する蒼羅と、犯行を疑う朱羽の間で意見が衝突したとき。

 恩師を愚弄ぐろうするような言葉を並べ立てる朱羽に激昂し、蒼羅は彼女を殴りつけたのだ。

 朱羽はまだなにか言いたげに口を開くが、しかし言いよどむ。


「なんだよ?」


 その反応が気になって問い掛けると、珍しく朱羽は人目をはばかるような表情を浮かべた。


「見たの……あんたの

「……あぁ、“これ”か?」


 朱羽が気まずそうにするその理由に得心行った蒼羅は、着物の左袖から腕を抜く。

 あらわになったその左肩から先には、黒鋼から削り出したようなが装着されていた。


 腕の筋肉を模したような流線型をしたそれは―どういうカラクリなのか―健常な人間と遜色そんしょくないほど繊細せんさいな動きをする。

 元は滑らかであったろうその表面は、幾度いくどとない戦闘によりへこみや刀傷、擦過痕さっかこんまみれていた。


 朱羽にこれを見られたと知っても、蒼羅は驚きも焦りもしていなかった。

 目覚めた瞬間から予想はしていた。これだけの手当てをしたのだから、バレないはずがない。

 、と言っていたから、同じように左腿ひだりももと右膝にめられている義足も見たのだろう。


 罪悪感にかげった朱羽の瞳には、しかし興味の色もうっすらと見える。

 蒼羅はその意思をんで、義肢ぎしを付けるに至る経緯を少し話すことにした。


「昔、家に入って来た強盗に斬られたんだ。すんでのところで姉ちゃんが助けてくれたから、もう片方の腕と命までは取られなかったけど……もし間に合ってなかったらと思うとぞっとするよ」


 蒼羅は義肢から目を離して天井をあおぎ、ここではないどこかを見ながら小さく呟く。


「いや、むしろその方が良かったのかもしれないな」

「……ごめん、辛いこと思い出させた」


 朱羽はどこかよそよそしい視線を向けてくる。それは気遣うような、おもんぱかるような、同情気味のあわれみに満ちていた。


 視線を受けながら、蒼羅はもどかしそうに眉根を寄せた。

 朱羽が向けてくる感情が気に入らないからではない。そういう目で見られることには慣れている。

 彼がもどかしく思っているのは、普段の朱羽らしからぬ、ひどく殊勝しゅしょうな態度だった。


「これをおおっぴらにして歩くのは流石さすがに気が引けるからさ……普段は隠してる」


 蒼羅は己の左手―機械の五指をしばらく眺めた後、それを強く握り込んだ。


「でもこれは、俺にとってのなんだ。立ち上がる力すら失った俺に、その力と生きる意味をくれた大切なものなんだ。……だから、そんな顔で見ないでくれよ」

「そう……だよね。分かった」


 さびしそうに苦笑する蒼羅に、朱羽は内心の葛藤かっとうを押し隠すように小さく微笑ほほえんだ。

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