因縁と真相⑤
眼前では
蹴りを入れ、後退した
まるで先を読んでいるかのように対応してみせる彼が優勢に見えるが、その表情に余裕は無い。
――早く加勢しなきゃ。
しかし、
――思考がまた殺意に埋め尽くされてしまったら?
――身体があのドス黒い衝動に飲み込まれてしまったら?
――そしてあたしの知らぬ間に、誰かを手に掛けてしまったら?
心の
『ここから出せ』と牢獄の内壁を叩くように、心臓の鼓動が早まっていく。
『■■■■■』
『■■■■■』
『■■■■■』
雑音の羅列が響き出す。ありもしない幻聴が鼓膜を震わせる。
視界を、思考を、意識を、“声”が埋め尽くす。
「うる……さ、ぃッ」
・・・・・・
迫り来る刺突。
よろめいて後退する模倣犯。飛び
――やっぱり、俺ひとりじゃ有効打を与えられない。
加勢を頼もうと振り返った先で、朱羽は頭を押さえて
吹き飛んだ後に強く打ったのか? もし当たりどころが悪かったら——
「朱羽? おい、大丈夫——」
「うるさい、黙れッ!!」
心配になって掛けた声に、返って来たのは
近寄ろうとしていた脚が、肩に触れようとしていた手が、予想外の反応に止まった。すると我に返ったように猫目を見開き、こちらの顔を見てしばし
「ごめん。なんでもな、――ッ!!」
と、蒼羅の首筋を一陣の風が
歯噛みしながら振り返り、放つ左の裏拳は空を切った。
空いた脇を蛇のようにすり抜けられ、背に見舞われた肘鉄で吹き飛ばされてやっと考え至る。
――違う。奴の狙いは俺じゃない。
模倣犯の足が
朱羽が決して
「……
純然たる殺意を
青ざめた朱羽が避けるより早く、下段に構えて一度の吸息——
・・・・・・
息を呑む朱羽。見開いた猫目には恐怖と驚愕。
脳裏に
——超常の一閃。
蒼羅の助けは間に合わない。防御も回避もできない。打開策を思考する間に、
うごけない、しぬ、しぬのはいやーー
『――ならば貸せ』
鮮明で
今までよりもずっとはっきりと、響いた。
歪む視界と狂う思考。押さえ付けるように頭を
肉体から
――“私”は、お前の苦しみ全てを引き受けるためにある。
――
――“私”に身体を明け渡せ。
有無を言わさずに。問答無用に。押し切るように。
感覚が全て塗り潰されるのに、そう時間は掛からなかった。まるで強烈な眠気に
・・・・・・
わずかに標高の下がった書類の山を前に、龍親は目頭を指で揉みほぐしながら疲労の滲んだ
殺気に
光差さない
まるで別人のように
「……
記憶の
・・・・・・
空気を震わせたのは金属音。
数瞬前には予想し得ない結果に、蒼羅も模倣犯も目を見開いていた。
「なに……?」
木乃伊の口から漏れた
力、距離、速度、間合い――全てがあまりに完璧な一刀。
それは確実に朱羽の首筋へと到達し、通り過ぎ、首を
頭を押さえて呻き、明らかな隙を
――だが現実、刃は受け止められている。
敵を
澄み切った氷のような
人が変わったようだ――蒼羅は胸の内で
殺気が違う。量も、質も、先ほどまでとは比べ物にならない。
――完全に別物で、別人だ。
「お前は誰だ?」
模倣犯の口を
無理もない。目の前にいるのは、
「――『
こきり、と首を倒して骨を鳴らす。
小さく唇を歪めて答えを吐き出す彼女に、力ずくで
「なにを言っている? 龍親の
「あの子ならいま、夢の中だ」
「訳の分からんことを」
束の間の
視認できる限界にまでわずか一瞬で到達した剣速は、刃の
「訳が分からないのはどっちだ?」
「……なに?」
「お前の復讐は
猛禽の
冷えた声で
「人を守るだけの
鋼の光糸は結び付くたびに火花を弾けさせ、
二振りの刃が奏でる
「足りない、並び立つにはまだ殺し足りない。
既に木乃伊の瞳から、感情の揺らぎは無くなっていた。
そこにあるのは
「我が悲願の為の贄となれ――それ以外は、なにも望まん」
自らを常人たらしめる心を壊すために、己が狂気に至るためだけに、赤の他人を
手段と目的の入れ替わった凶行、それ自体が既に狂気の
彼は純粋に、
・・・・・・
加勢するべきなのだろう。
助力するべきなのだろう。
しかし
斬り結びながら語らう二人を、蒼羅はただ呆然と
いつかの
そんな
殺意と殺意をぶつけ合う様は、さながら乱世の
蒼羅の実力も想像も未だ遠く及ばない、
――下手に割って入れば斬り殺される。
生存本能が得た確信は、
だが、立ち尽くすしかない彼をなにより
朱羽の今までの勇姿を猛禽と例えるなら、今の彼女は
もし
――あれが本当に、俺の知っている朱羽か?
いま背を向けている彼女が振り返ったら、別の顔に
深い傷口から
それはやがて
そしてその姿に――重なった。
「ッ!」
蒼羅は幻覚を振り払うように首を振り、強く眼を
——違う。“それ”は朱羽じゃない。
——別の、別の誰かだ。
再び開いた瞼の先。
朱羽が握る刀、
駄目だ。
予想が、
「――朱羽!!」
振り絞って叫ぶと、朱羽は振り返った。我に返ったように見開いた目からは、ふっと光が失せ、気が抜けたのか倒れ
その瞬間、蒼羅の身体に巻き付いていた畏怖の
弾かれたように駆け出す。倒れた朱羽の前に立ち塞がると、よろめいていた模倣犯へ、
「
・・・・・・
古びた畳と使い込まれた調度品の数々が、長い繁栄を物語る九条邸の一室。
家の者には朱羽の無実が一足先に周知されたのだろう。めでたく二人の居場所は蔵から客間のひとつに格上げとなった。
「だから、急に人が変わったみたいに暴れ始めて、
「なるほど……?」
目を覚まし、自分が気を失ってからの経緯を聞き終えた朱羽は、納得と疑問が半々に混じった息を吐いた。
「……なんか、あんたの顔見ると安心するね」
「いきなりなんだよ、気持ち悪い」
布団の上で表情を
「ほら、非常事態に自分より
「そういや、動けるようになったら一発殴らせろって言ったよな。よーし」
蒼羅がとびきりの笑顔で拳を握り込んでいると、
「お願い、少しひとりにさせて……もう少しだけ眠りたいの」
いつもの突き放す口調ではない。
「……分かった。しばらく外に出る、なにか欲しいものあれば買ってくるよ」
「みたらし団子ー」
「寝言は寝て言え」
・・・・・・
朱羽は寝転んだまま、小さく息を吐く。
目を伏せると蘇る思い出の中では、いつもこうして助けられて、
本当は感謝しているけれど……面と向かっては言えない。口が裂けても言えない。
つくづく、
自嘲するような笑みを浮かべた後、
このまま守られ続けて、借りを作り続けるのは
もっと強くならないと。もう、
『ならば貸せ』
「ッ……!!」——また“あんた”か。
朱羽は頭を押さえ、
龍親との戦い――意識が“誰か”に飲まれたあのとき――以来、朱羽の内でなにかが変わった。
夜道で血に
夢から覚めるたび、身体には覚えの無い傷が刻まれていく。
そして戦うたびに、力を求めるたびに声が響く。
――貸せ。
――身体を貸せ。
――“私”に身体を明け渡せ。
他でもない、自分自身の声で。
聞き慣れて聞き飽きたその声は今、二重、三重に反響していき……輪唱のように脳を揺らす。
「うる、さいッ」
――黙れ、黙れ、黙れ、黙れ黙れ黙れッ!
強く念じていると幻聴はそのうちに収まり、意識が晴れていく。
不快感の
考え込んでも
違和感と不安を脳裏の
思わぬ横槍で途切れていた思考を
「……あれ?」
朱羽はある違和感に気付いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます