因縁と真相⑤

 朱羽あけはは、軍刀をつえにようやっと立ち上がる。


 眼前では蒼羅そら模倣犯もほうはんと大立ち回りを演じていた。

 蹴りを入れ、後退した木乃伊ミイラの左肩に反転させた鞘尻さやじりをねじ込む。負傷への痛打にうめいている隙にさらなる追撃――


 まるでかのように対応してみせる彼が優勢に見えるが、その表情に余裕は無い。

 ゆがんだ顔に冷や汗がにじむのは、怒りのまま駆動くどうさせている身体が限界に近い証拠だ。


 ――早く加勢しなきゃ。


 しかし、つかを握り込もうとする手が駄々をこねる。まるでこばむように震え出す指先を愕然がくぜんと見下ろして、気付いた。


 ――思考がまた殺意に埋め尽くされてしまったら?

 ――身体があのドス黒い衝動に飲み込まれてしまったら?

 ――そしてあたしの知らぬ間に、誰かを手に掛けてしまったら?


 心のふちから滲み出した不安と恐怖が、じわじわと思考をむしばんでいく。

 『ここから出せ』と牢獄の内壁を叩くように、心臓の鼓動が早まっていく。


『■■■■■』

『■■■■■』

『■■■■■』


 雑音の羅列が響き出す。ありもしない幻聴が鼓膜を震わせる。

 視界を、思考を、意識を、“声”が埋め尽くす。


「うる……さ、ぃッ」


・・・・・・


 迫り来る刺突。襯衣シャツそでが裂けるのも構わず義肢で受け流しつつ、胸郭きょうかく掌底しょうていを打ち込む。

 よろめいて後退する模倣犯。飛び退すさって一旦いったん距離を開いた蒼羅は、苦渋くじゅうに顔を歪めた。

 ――やっぱり、俺ひとりじゃ有効打を与えられない。


 加勢を頼もうと振り返った先で、朱羽は頭を押さえてうずくまっていた。割れんばかりに痛むのか、食い縛る歯の隙間からうめきを漏らす。

 吹き飛んだ後に強く打ったのか? もし当たりどころが悪かったら——


「朱羽? おい、大丈夫——」

「うるさい、黙れッ!!」


 心配になって掛けた声に、返って来たのは一喝いっかつ

 近寄ろうとしていた脚が、肩に触れようとしていた手が、予想外の反応に止まった。すると我に返ったように猫目を見開き、こちらの顔を見てしばし呆然ぼうぜんとする。


「ごめん。なんでもな、――ッ!!」


 くのらせた瞳を伏せ、頭を振っていた朱羽が息を詰まらせる。

 と、蒼羅の首筋を一陣の風がでた。背後まで詰めていた模倣犯が放つ死の一閃が迫る。


 歯噛みしながら振り返り、放つ左の裏拳は

 空いた脇を蛇のようにすり抜けられ、背に見舞われた肘鉄で吹き飛ばされてやっと考え至る。

 ――違う。奴の狙いは俺じゃない。


 模倣犯の足が辿たどり着いたのはその先。踏み込んだのは刃の間合い。

 朱羽が決してのがれ得ぬ——致死の圏内。


「……った」


 純然たる殺意をせた瞳の下に、したたるような笑み。

 青ざめた朱羽が避けるより早く、下段に構えて一度の吸息——


 刹那せつな、空気が蜷局とぐろを巻く。


・・・・・・


 息を呑む朱羽。見開いた猫目には恐怖と驚愕。

 脳裏によみがえる光景――瞑目めいもくする龍親たつちか——踏み込む一歩――砕かれる刀――


 ——超常の一閃。


 蒼羅の助けは間に合わない。防御も回避もできない。打開策を思考する間に、こぼれた玉鋼は視界を白く分かつ。

 うごけない、しぬ、しぬのはいやーー



『――



 鮮明で明瞭めいりょうな声が、

 今までよりもずっとはっきりと、響いた。


 歪む視界と狂う思考。押さえ付けるように頭を鷲掴わしづかむのに、手に伝わる感触はひどく遠い。

 肉体から乖離かいりしていく意識を、“声”が包み込んでいく。からめ取られていく。


 ――“私”は、お前の苦しみ全てを引き受けるためにある。

 ――われ、われ、われ、われ、

 ――“私”に身体を明け渡せ。


 有無を言わさずに。問答無用に。押し切るように。

 怒涛どとうごと怨嗟えんさに飲み込まれ、耐えきれず肉体の手綱たづなを手放す。

 感覚が全て塗り潰されるのに、そう時間は掛からなかった。まるで強烈な眠気にあらがえず吸い込まれるようにして――


 朱羽あたしの意識はそこで途絶えた。


・・・・・・


 依智いち狒々愧ひびきが去った後。

 わずかに標高の下がった書類の山を前に、龍親は目頭を指で揉みほぐしながら疲労の滲んだいきく。


 まぶたの裏に去来するのは、朱羽と斬り結んだ際の記憶。その中でも、彼女が再び立ち上がった後の光景だった。


 殺気にてられ冷え込んだ空気。

 光差さない洞穴どうけつのような瞳。

 まるで別人のようにまされた剣閃。


「……朱羽あいつの中には、“鬼”が眠ってる」


 記憶の回顧かいこを終え、ひとりごちるその声音こわねは――暗く悲痛な確信に満ちていた。


・・・・・・


 空気を震わせたのは

 数瞬前には予想し得ない結果に、蒼羅も模倣犯も目を見開いていた。


「なに……?」


 木乃伊の口から漏れたしゃがれ声が、困惑に震える。

 力、距離、速度、間合い――全てがあまりに完璧な一刀。

 それは確実に朱羽の首筋へと到達し、通り過ぎ、首をねるはずだった。

 頭を押さえて呻き、明らかな隙をさらしていた彼女に、この一閃は対応できるはずがなかった。


 ――だが現実、刃は


 鍔迫つばぜり合い、火花を散らす二振りをはさんでにらみ合う。

 敵を見据みすえる目は先ほどとは打って変わって、獲物を狙う猛禽もうきんのように鋭く。

 澄み切った氷のような冷徹れいてつな殺意が、それ以外の感情を凍らせていた。


 人が変わったようだ――蒼羅は胸の内でつぶやいた。決して比喩ひゆなどではない。

 殺気が違う。量も、質も、先ほどまでとは比べ物にならない。


 ――完全に別物で、だ。


?」


 模倣犯の口をいて出たのは――どうやら同じことを思ったらしい――そんな間抜けな問いだった。

 無理もない。目の前にいるのは、九条くじょう朱羽あけはなのだから。


「――『八咫烏ヤタガラス』だ」


 、と首を倒して骨を鳴らす。

 小さく唇を歪めて答えを吐き出す彼女に、力ずくで退けられた模倣犯は眉をひそめる。


「なにを言っている? 龍親の義妹いもうと

「あの子ならいま、だ」

「訳の分からんことを」


 束の間の膠着こうちゃくが終わり、刃を弾いた二者はすぐさま互いの間合いへおどた。

 視認できる限界にまでわずか一瞬で到達した剣速は、刃の輪郭りんかくおぼろかす。それはやがて糸のように細い光条となり、二者の間で流星となって行き交う。


「訳が分からないのはどっちだ?」

「……なに?」

「お前の復讐は無駄むだ無謀むぼう無益むえき……実に回りくどい」


 猛禽の双眸そうぼうが真正面から木乃伊をる。

 冷えた声で朗々ろうろうと、うたうように並べ立てる嘲弄ちょうろうに、模倣犯の口許くちもと自嘲じちょうの笑みにった。


「人を守るだけのおれでは、やつを殺すことはできない。俺は『仏斬ぶつぎ供臓くぞう』を殺す。そのために人の心を捨て、あの男と同じ鬼になる。 人としての弱さを捨て、人を越えた強さを手に入れる。――そうでもしなければ、悲願には届かん」


 鋼の光糸は結び付くたびに火花を弾けさせ、ほつれてはまた絡み合い――高音こうおん鋼音こうおんを重ね、残光ざんこう斬光ざんこうきざんでいく。

 二振りの刃が奏でる甲高かんだかい協奏曲に、重苦しい宣告が入り交じる。


「足りない、並び立つにはまだ殺し足りない。路傍みちばた民衆クソりにするだけでは時間も足りない。お前たちのような強者つわものにえにすれば、俺はもっと深くちるだろう」


 既に木乃伊の瞳から、感情の揺らぎは無くなっていた。

 そこにあるのは兇悪きょうあくな殺意。正気を狂気でつぶした暗澹あんたん


「我が悲願の為の贄となれ――それ以外は、なにも望まん」


 自らを常人たらしめる心を壊すために、に、赤の他人を無闇矢鱈むやみやたらに殺し続ける。

 手段と目的の入れ替わった凶行、それ自体が既に狂気の沙汰さた


 彼は純粋に、ゆがみなくくもりなくよどみなく――ただ狂っていた。


・・・・・・


 加勢するべきなのだろう。

 助力するべきなのだろう。

 しかし理性あたまでいくらそう考えても、本能からだがそれを拒絶きょぜつする。その背に走る怖気おぞけが、どうしても二の足を踏ませる。

 斬り結びながら語らう二人を、蒼羅はただ呆然とながめるしかなかった。


 いつかの旅籠はたごでの彼らの立ち回り。あのときは夢幻ゆめまぼろし御伽噺おとぎばなしなどとたとえたが――今はまるで違う。


 そんな生易なまやさしいものでは無い。

 殺意と殺意をぶつけ合う様は、さながら乱世の戰場いくさば。いま目の前に広がるのは、血腥ちなまぐさい風の幻臭においさえ感じさせる闘争。

 蒼羅の実力も想像も未だ遠く及ばない、修羅道しゅらどうちまただ。


 ――下手に割って入れば

 生存本能が得た確信は、畏怖いふとなり戦慄せんりつとなり、やがて身体をしば不可視ふかし鉄鎖てっさに変わる。


 だが、立ち尽くすしかない彼をなにより狼狽うろたえさせるのは——


 朱羽の今までの勇姿を猛禽と例えるなら、今の彼女は朱雀すざくおおとりか。

 もし神獣しんじゅう瑞獣ずいじゅうたぐいが狩りをするのなら、悪意をもって他者を害するのなら、きっとこんな暴虐を働くのだろう——そんな馬鹿げたたとえに説得力を持たせられるほど、そのいくさぶりは真に迫っていた。


 気迫きはく気圧けおされ、圧倒され、そして揺らぐ。

 確固かっことして持っていたはずの信頼が、確信が。


 ――あれが本当に、俺の知っている朱羽か?


 いま背を向けている彼女が振り返ったら、別の顔にげ変わっていないだろうか。

 深い傷口からあふれ出して止まらない濃血のように、疑念ぎねんぬぐい切れない。

 それはやがてあかあかく思考を染め、脳裏にこびりついた景色が視界を侵食する。


 そしてその姿に――重なった。

 屍山血河しざんけつが地獄絵図じごくえずの奥に立つ『真紅しんく剣士けんし』。俺の全てを壊し、全てを奪った憎き仇敵きゅうてき


「ッ!」


 蒼羅は幻覚を振り払うように首を振り、強く眼をつむった。

 ——違う。“それ”は朱羽じゃない。

 ——別の、別の誰かだ。


 再び開いた瞼の先。殺伐さつばつとした景色の奥で、模倣犯の手から刀が弾き飛ばされていた。

 朱羽が握る刀、ひるがえった切っ先が狙いを定めるのは——

 駄目だ。心臓そこに辿り着いてしまったら、取り返しの付かないことになる。

 予想が、懸念けねんが、疑念が、全て本当になってしまう気がして、


「――朱羽!!」


 振り絞って叫ぶと、朱羽は振り返った。我に返ったように見開いた目からは、ふっと光が失せ、気が抜けたのか倒れしてしまう。


 その瞬間、蒼羅の身体に巻き付いていた畏怖の縛鎖ばくさが解けた。 

 弾かれたように駆け出す。倒れた朱羽の前に立ち塞がると、よろめいていた模倣犯へ、紫電しでんまとう右の掌底を突き入れた。


退けッ」


 あばらきしみ模倣犯が苦鳴くめいを漏らすと、まばゆい閃光が辺り一帯の色を吹き飛ばし、真白ましろに染め上げた。


・・・・・・


 古びた畳と使い込まれた調度品の数々が、長い繁栄を物語る九条邸の一室。

 家の者には朱羽の無実が一足先に周知されたのだろう。めでたく二人の居場所は蔵から客間のひとつに格上げとなった。


「だから、急に人が変わったみたいに暴れ始めて、しまいには倒れたんだよ」

「なるほど……?」


 目を覚まし、の経緯を聞き終えた朱羽は、納得と疑問が半々に混じった息を吐いた。


「……なんか、あんたの顔見ると安心するね」

「いきなりなんだよ、気持ち悪い」


 布団の上で表情を安堵あんどゆるませて微笑ほほえむと、心配そうに顔をのぞき込んでいた蒼羅が怪訝けげんな顔をする。


「ほら、非常事態に自分よりあわててる人を見るとさ……なんか落ち着かない?」

「そういや、動けるようになったら一発殴らせろって言ったよな。よーし」


 蒼羅がとびきりの笑顔で拳を握り込んでいると、なやましげに目を伏せた朱羽に手で制される。


「お願い、少しひとりにさせて……もう少しだけ眠りたいの」


 いつもの突き放す口調ではない。

 さとすように柔らかく頼まれてなお居座いすわるほど、蒼羅も図太ずぶとくはない。


「……分かった。しばらく外に出る、なにか欲しいものあれば買ってくるよ」

「みたらし団子ー」

「寝言は寝て言え」


・・・・・・


 朱羽は寝転んだまま、小さく息を吐く。

 目を伏せると蘇る思い出の中では、いつもこうして助けられて、まもられて、救われてばかりだ。

 本当は感謝しているけれど……面と向かっては言えない。口が裂けても言えない。

 つくづく、天邪鬼あまのじゃくな自分が嫌になる。


 自嘲するような笑みを浮かべた後、目蓋まぶたを持ち上げる。瞳の奥に灯るのは強い決意。

 このまま守られ続けて、借りを作り続けるのはしゃくだ。

 もっと強くならないと。もう、かばわれることなんか無いように——


『ならば貸せ』

「ッ……!!」——また“あんた”か。


 朱羽は頭を押さえ、鬱陶うっとうしそうに眉間みけんしわを寄せた。

 龍親との戦い――意識が“誰か”に飲まれたあのとき――以来、朱羽の内でなにかが変わった。

 夜道で血にまみれて立つ兄様あにさまの夢を見る回数が増えた。

 夢から覚めるたび、身体には覚えの無い傷が刻まれていく。

 そして戦うたびに、力を求めるたびに声が響く。


 ――貸せ。

 ――身体を貸せ。

 ――“私”に身体を明け渡せ。


 他でもない、で。

 聞き慣れて聞き飽きたその声は今、二重、三重に反響していき……輪唱のように脳を揺らす。


「うる、さいッ」


 ――黙れ、黙れ、黙れ、黙れ黙れ黙れッ!

 強く念じていると幻聴はそのうちに収まり、意識が晴れていく。

 不快感の残滓ざんしを払うように小さく首を振って、頭の中を切り替える。


 考え込んでも詮無せんなきことだと割り切って、

 違和感と不安を脳裏の片隅かたすみに無理やり追いやって、

 思わぬ横槍で途切れていた思考を手繰たぐり寄せようとして——


「……あれ?」


 朱羽はに気付いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る