共振と追跡⑤

 こたえる声は無かった。


 龍親たつちかの耳に届いたのは風を切る音。一拍遅れて鋼の噛み合う音が炸裂さくれつする。

 重なり火花を散らす刃の向こう、口元に薄く笑みを浮かべる朱羽あけはがいた。その目許めもとは、乱れた前髪が影となって見取れない。

 まばたきほどの一瞬、ごくわずかな間隙かんげきに間合いへ入り込まれていた……、だ。


「っはは……冗談だろ」


 乾いた笑いを上げる龍親。その心胆にはこのとき初めて寒気が――ヒトならざる鬼を相手取っているようだ――走る。


 れるやいば、散る火花に響く高音。下がる半歩を一歩踏み込み互いに肉薄。

 打ち下ろす軍刀一閃。跳ね上がる小太刀の一斬り。

 上弦の月と下弦の月をなぞる二つの剣線がぶつかった直後、二人の周囲は一手をたがえば刹那せつなに死せる戦闘圏と化した。

 刃がきらめき火花が散り、身体が踊り血飛沫ちしぶきが舞う。刀を振るうその腕はかすんで見えず、視認速度の限界を超えた剣戟けんげきは、ただの光と音となって両者の間で弾け続ける。


 苛烈かれつ熾烈しれつ鮮烈せんれつに。龍とからすはその身でってしのぎを削る。


 刃を交わしながら、龍親は焦るように眉をひそめた。

 それは己の状況ではなく、他ならぬ眼前の義妹いもうとへ向けられたものだ。


 朱羽の身体は傷にまみれていた。しかしそれは龍親が付けた傷

 刀を振るう度に肌が破け、肉が裂け、その身体からは血が——命が流れ出ている。


 既に限界を迎えた肉体を、なんのつもりか更に酷使しているのだ。限度を超えた過剰かじょうな運動量に耐え切れず、その身は自壊を始めている。

 しかし朱羽がそれに構う様子はまるで無い。


 なにかに取り憑かれたように、

 なにかに突き動かされるかのように、

 ただひたすらに、暴力的な剣線を描き続ける。


 ―こりゃ、早めに決着ケリ付けた方がいいな。


 刹那の判断。龍親は振り下ろされる一刀を半身で避け、小太刀の峰を踏み付けた。得物を地面にい止められ、朱羽の動きは否応無しに停止する。


 斬光の暴風がいだその一瞬。

 仏僧ぶっそうめいて瞑目めいもくする龍親は、既に納めた軍刀の柄に手を掛けながら腰を落としていた。


 ——吸息。

 空気が音を立ててきしふるえ、やがて蜷局とぐろを巻く。

 戦気が、闘気が、殺気が、構える龍親の身ひとつへと圧縮されていく。


 ——開眼かいげん

 踏み付けていた刀を、軍靴の裏が触れた地面を、自身を中心に蜘蛛くもの巣じみた巨大な亀裂きれつを刻み込む。

 吹き荒れる衝撃、浮き上がる土塊つちくれ、地鳴りとまごうほどの大地の鳴動に、その場にいた全員がふらつく。

 

 ——抜刀。

 鞘走さやばしる刃は鉄の鯉口と擦れ合い火花を散らす。落雷めいた重々しい鞘鳴りと共に抜き放たれる一閃。

 埒外らちがい膂力りょりょくを込められ摩擦で赤熱した刀身。そこにまとう暴風は、吹き荒れる龍の息吹いぶきとなって標的を消し飛ばす——!!



 地面に身丈そのままの長々としたわだちを描いた朱羽の身体は、その終着点で仰向あおむけに倒れていた。なおも全身を痙攣けいれんさせながら上体を起こそうとするが……突然、糸が切れた人形のように力が抜ける。

 居合いを放った姿勢のまま残心していた龍親は、もった熱を排出するように長く息を吐いて刀を納めていく。


 静寂しじまの中で鍔鳴つばなりの音がすずやかに響き、異次元の戦いの終焉しゅうえんを告げる。

 周囲の一般兵は我に返ったように目を見開く。常軌じょうきいっした緊張状態にさらされ続けた彼らの顔はひどく憔悴しょうすいし、腰を抜かしてへたり込む者もいた。


 右頬をぬるりとした感触が滑っていくのに気付く。頬をぬぐう手の甲についた赤色に、龍親は一瞬だけ目を丸くした。

 最後の抵抗か、苦し紛れか、はたまた破れかぶれだったのか。

 朱羽はあの異次元の一閃に吹き飛ばされながらも、折れた小太刀を投擲とうてきしたのだ。

 その乾坤一擲けんこんいってきは、極密度の剣戟の中でかすり傷ひとつ負わなかった龍親の頬に、鮮紅せんこう筆致ひっちを確かに刻み込んだ。


「……ったく、手間かけさせやがって」


 気を失った朱羽に近付いて首根っこを掴もうとした瞬間、周囲がにわかにざわめき出す。何事かと動きを止めると、視界の外から伸びた手が龍親の腕を掴んだ。

 手から腕、肩を視線が辿って、行き着いた先にある見知った顔に龍親は眉をひそめた。


「なんの真似だ……獅喰しばみ


 龍親の隣に立つのは、すがるような表情を浮かべた蒼羅そら。その瞳の中には懇願こんがんがあった。


「待ってください……どうしてこんなことを」

「どうしても何も、辻斬つじぎりの犯人が抵抗してきたから無力化しただけだ。それに、義妹いもうとの不始末は、義兄あにである俺が付けてやらないといけない」

「龍親さん、朱羽が本当に人を殺せると思ってるんですか」

「さぁね、俺にも分からない。だからこそ、白黒はっきりさせる必要がある」

「―ッ」


 龍親の言葉に蒼羅は唇を噛む。

 が、それでも押し留められぬ激情が口をいてあふれ出た。


義妹いもうとだろ、家族なんだろ、なんで信用してやんないんだよ!! なにもここまでしなくても……ッ!!」


 蒼羅が顎で指す先、ボロ雑巾ぞうきんのように痛め付けられた朱羽を冷ややかな目で一瞥いちべつする龍親。

 再び蒼羅を見る彼の目は至極しごく真剣なもの。私情の一片も見取れないそれは、『旗本衆はたもとしゅう』筆頭としての顔だった。


「こっちにもこっちの考えがある」

「……だったらッ、その考えを聞かせてくださいよ。朱羽と組んでる俺にも、無関係な話じゃないはずだ」

「口をはさむな、と言っているんだ」


 恫喝どうかつにも似た最後の言葉に思わず口をつぐむと、龍親は己の腕を握る手を振り払い、蒼羅の胸倉を掴んですごむように顔を近付けた。


「いいか獅喰、一時の感傷に飲まれて大義を見失うな。お前がはなんだ。お前がはなんだ。そしてその道中で、この人殺しは必要なのか。……よく考えろ」


 突き放されるまま、よろめくように数歩下がる蒼羅。拳を握ったままうつむく彼を見かねたように、溜め息とともにきびすを返しながら龍親は手を挙げる。


「捕らえろ」


 軽薄な号令と共に、『旗本衆』の隊員たちが四方八方から波濤はとうのように押し寄せる。蒼羅は心中の葛藤かっとうを押し潰すように強く目をつむり、叫んだ。


「―だとしても、俺はッ!!」


 声に振り向いた龍親が目を見開いた瞬間、まばゆいばかりのが辺りを包んだ。その凄まじい光量に、隊員たちは思わず足を止めて顔を覆う。



 ——かれた網膜もうまくの機能が回復し、残光でにぶる視界に色が戻った頃。



 龍親は顔の前にかざしていた手を下げ、周囲へ視線を飛ばした。

 が、標的は見えない。わずか数秒にも満たないその隙に、蒼羅と朱羽の姿は忽然こつぜんと消えていた。


「閃光手榴弾か? ……いや、そんな装備は持ってないはずだ。とすると―」


 顎に手を添え思案顔でひとりぶつぶつとつぶやいていた龍親はやがて、ふむ、とひとつ得心行ったような笑みを浮かべた。


「……堕神おちがみの『異能』か」


・・・・・・


 『中央区』の南西、『醜落しゅうらく』に近い場所。人の気配などまるで無い、廃墟はいきょじみたわびしい廃村。

 降りた夜のとばりは、この場所にただよ陰鬱いんうつな空気をより濃いものにしていた。


 長いこと使われていない空き家の中、破れた障子しょうじから外の様子をのぞき見る人影がひとつ。

 しばらく視線をめぐらせていたその人影―蒼羅は安堵あんどの息を吐いた後、狭い部屋の中へ向き直った。


 壁に背を預け、力が抜けたようにへたり込む。視線の先にあるのは囲炉裏の中にこしらえた小さなと、その横で仰向けに寝る朱羽。

 昏倒こんとうしたきり目を覚まさない彼女は、死人のように静かだ。


 蒼羅の顔は次第に心配の色にくもっていく。

 幸い止血は出来た—というか運び込んだ頃には—が、危うい状態には変わりないだろう。

 ここで手をこまねいていれば、この眠り姫はもう目を覚まさないのではないか? そんな不安さえ鎌首をもたげ始める。

 一体どうすればいい? 意識は思考の海に沈み込んでいく。朱羽の姿は次第にぼやけ、視界にはゆっくりと暗幕が下りて――


「っ!!」


 たきぎぜる音に、蒼羅は弾かれるように顔を上げた。

 一瞬か、数秒か。自分がわずかに意識を失っていたことに気付き、睡魔を振り払うように首を振る。


「…………ん」


 気付きつけに両の頬を張っていると、小さな声が聞こえた。朱羽だ。

 ―目が覚めたのか? 様子を見にその場から動こうとして、何故かそれを拒否するように身体が強張こわばった。


「?」


 違和感を覚えた次の瞬間、鋭い音が頭上から響く。

 見上げれば、壁から刃が生えていた。焚き火の炎を映して橙にきらめくそれは間違いなく真剣。もし立ち上がっていたら、頭蓋ずがいを一突きにされて死んでいたろう。

 咄嗟とっさに朱羽の近くに駆け寄りかばうように立つと、それを見計みはからったように目の前の障子が乱暴に蹴破けやぶられた。


「よーぅ。探したぜ、後輩こーうはーい


 舞い上がるほこりの中から姿を表す二人組。隈取くまどり化粧の少年―狒々愧ひびきと、口元を黒布で隠した少女―依智いち

 追い求めていた獲物を見つけた狩人かりゅうどめいた、静かな高揚を含んだ殺気が肌を刺す。

 蒼羅は苦渋くじゅうに顔を歪ませる。


 眼前の二人は、いま最も会いたくない人物だった。

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