雷神と狂獣⑤
「――
聞き慣れた、久しぶりに聞いた低い声。
夕焼けの橙に塗り潰された
振り返れば、大柄な男がすぐ後ろにいた。逆光で黒く塗り潰され、
「もう日が落ちてきた、帰ろう」
「父さん。僕は、
消沈した声を上げて再び
「お前はまだ、力を
全身の毛を逆立て、
「……こんな
――普通が良かった。
――普通で良かった。
――誰も、欲しいなんて言ってないのに。
「蒼羅は、父さんと母さんの子供じゃない方が良かったか?」
ひとりごちる蒼羅の前にしゃがみ込み、目線を合わせて問い掛けてくる父さん。
落ちた前髪の影で塗り潰されて目許は見えない。それでも物悲しげな
「そうじゃない……けど」
「なら良かった。……さぁ行こう、母さんがご
ひとつ破顔して立ち上がった父さんに、手を引かれるまま歩いていく。
橙に染まる畦道を、地平に沈む夕陽から伸びる一本道を、二人は並んで歩いていく。
「ねぇ父さん」
「なんだ?」
「僕たちは神様でもないのに、なんでこんな力があるの?」
「そうだなぁ。確かに『
「……意味って、どんな?」
「実は父さんも分からないから、頑張って探してるところなんだ。……母さんには内緒な」
「はは、なにそれ」
目の前で、大の大人が困り果てている――その様子がなんだか
父さんも苦笑するように口元を歪めた後、空を見上げてひとりごちた。
「たとえば、そうだな……他の人には成せないことを成すため、とかな」
「人の身のままでは倒せぬものを、倒すために」
「人の身のままでは守れぬものを、守るために」
「人の身のままでは救えぬものを、救うために」
『さてと、『
父さんのものではない、他の誰かの言葉が聞こえた。
幼い蒼羅は、はたと後ろを振り返っていた。
見えたのは白一色の世界。歩いて来た畦道も、左右に広がる黄金色の稲穂の群れも、なにもかもが消し去られていた。
まるで、いま立っている場所を境界線とするように。
安心している場合か。俺が今まで戦っていた理由はなんだ?
――琥轍に
こんな場所で寝てる場合か。俺の命は何のためにある?
――誰かの命を守るためだ。
ここで俺が倒れれば、朱羽は殺される。今の状態では抵抗もろくにできないだろう。胸中を満たしていた
『守るものは、自分の両の掌で
――白紙の世界に言葉が浮かんで、
『戦う意志がないなら、一丁前に武装してんじゃねぇよ。なにかを賭けて戦う覚悟も無いなら、この場に立つんじゃねぇ。―邪魔だから消えろ』
――誰の言葉かさえも判然としないそれらは、きっと警告なのだろう。
『お前が為すべきことはなんだ。お前が果たしたいものはなんだ』
――限界を迎えた身体が放つ危険信号が、なぜか過去の声となって再生される。
『ねぇ』
『あんたは誰かを助けたいの?』
『それとも、カッコつけて死にたいだけなの?』
真っ白な脳裏にひとつだけ、はっきりと浮かび上がる情景があった。
光と影の色彩を乗せた朱羽の
――違うよ。
――どちらかじゃなくて、そのどちらもだ。
――俺は誰かを助けたい。誰かのために生きたい。
――そして誰かのために、格好付けて死にたいんだ。
『――蒼羅?』
不思議そうに呼びかける声に振り向かず、夕陽に、父さんの影に背を向けて走っていく。白の世界へ飛び込んでいく。
全力で。
――ごめんね、父さん、母さん。
――俺はまだ、二人のところには逝けない。
どれほど走ったのだろう。どこに
鼻を突く嫌な臭いに目を開ける。目に映る世界は赤々と染まっていた。それはかつて見た地獄。
赤黒く染まった大地には、いくつもの
背を裂かれた者。
首を飛ばされた者。
四肢をもがれた者。
いくつもの刀を剣山のように突き立てられた者。
上半身と下半身が
下腹部から脳天までを串刺しにされた者。
あらん限りの殺し方を持って、一方的に、ただ一方的に。
たったひとりの人間によって、
そのいくつかには既に鴉が群がり、屍肉を
目の前に広がる光景は、広大な
荒涼な風が吹きすさび、
全てが死んで、死にきって、死に絶えていた。
その中で、たったひとり死に損なった蒼羅は、
両手に刀を提げたその人影。
血のように
蒼羅の行動原理に根ざすのは、記憶の底にこびりついた『あの日』の光景だ。
あの地獄からたったひとり生還した蒼羅は、ひとりだけ生き残った罪悪感に押しつぶされそうになりながら生きてきた。
他人を救えるなら、どれほど傷つこうが構わない。
俺が血を流した分だけ誰かの
命と引き換えにしても、護りたいものがある。
それが蒼羅の生きる理由で、戦う理由で――存在意義なのだから。
だから、あの狂獣をここで止める。止めなければならない。
――俺が。
――俺の手で。
――俺の、力で!!
手を伸ばした先に、降雷一閃。
白く
・・・・・・
「 」
「あァ……?」
すぐ背後からの轟音と閃光に足を止める。不機嫌そうに喉を震わす
天から降った一条の雷は、大地を
怒り。憤り。
瞳を閉じたまま。
ただ強く二つの拳を握り締めて。
ゆっくりと――
落雷が直撃したにもかかわらず、その身に異変は無かった。
一体どういう理屈か、血と泥で
――ばちり、
静電気が弾けるような雑音が、断続的にその肉体から響く。その度、一筋、二筋と、蒼白い
火花を散らしながら肌を跳ね回る蒼の支流は、次第に数を増やしていく。
あたかも鎧のごとく、全身を覆っていく。
「……くは」
束の間、呆けていた琥轍の口の端が吊り上がる。
散大した己の
それは獰猛で
「くははッ!!『ふざけるな』……か。最ッ高だなァ!!」
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