謎と罠⑩
大口を開けた床の
「なっ……!?」
毘沙の表情は、最後の抵抗が叶わなかった絶望から、死に向かう己への
「よーいー……しょっと……!!」
朱羽は気勢を込めて毘沙を引っ張り上げた。その拍子に彼女もろとも床に寝転がると、嫌味のこもった調子でぼやいた。
「あー、しんど……全く、病人になにさせんだか……」
「なぜ、どうして……」
「あんたが死んだら、解毒薬が手に入らないでしょ。……ほら、早く出してよ」
倒れたまま、ただ混乱する毘沙に、朱羽はゆっくりと立ち上がりながら答える。
しかし毘沙はその言葉に
朱羽の身体には、既に充分な毒が回っている。放っておけばそのうち死ぬ。
「実はあれは解毒薬じゃない、と言ったら?」
「へーぇ、命の恩人に向かってそんな仕打ちするわけ? ……だったらあんたをそこに突き飛ばして、あたしもここで
意地悪そうな顔をした後、朱羽は
毘沙は
飛び付くように受け取ろうとして、しかし朱羽はぴたりと動きを止める。
「……それ、一口飲んでみなさいな。毒見よ、毒見」
彼女から提供される食事を、疑いもせず受け入れてこんな目に
同じ
毘沙はわずかに
喉がこくりと動き、わずかな量を
空になった小瓶を投げ捨て、ふぅ、と安堵の息ひとつ。
直後。
朱羽は目を見開き、
くの字に折れた身体が、
「うぇえ、まっず……なにこれ……」
苦々しく吐き出される言葉に、毘沙は少し
「よく『良薬は口に苦し』と言いますしね」
「誰のせいだと思ってんの」
こんな状況で
どうやら、すぐさま快復するほど
だが全身の
時間が立てば、完全に復調するだろう。
「ただの毒薬かもしれないのに、どうして?」
理解しかねるように眉を
「だって、本当の毒なら絶対飲まないでしょ。でもあんたはこれを飲んだ……なら、解毒薬で間違いない」
「自害するとは思わないのか?」
「あんたはなんとしてでも生き延びて、
余計な一言を付け加えると、毘沙は
「嫌な女だな、お前」
「お
毘沙の返しに小さく笑い、
「殺さないのか?」
「そんな気力も無いから、そこの柱に
背中に掛けられた言葉に手を振りながら返し、そのまま歩き去ろうとして。
「―変わったのね」
毘沙が不思議そうに
「……え?」
朱羽の脳裏に
そして戦闘中に浮かび上がった、断片的な記憶の数々。
「まるで別人ね、『
「は?『八咫烏』って―」
なんのこと、と
頭に、今まで感じたことのない痛みが走った。
「―ッ!!」
脳からなにかを掘り出されるような、
思わずこめかみを押さえて
「昔の
その言葉の続きを耳にして、朱羽は
・・・・・・
「面倒だな……」
ちらと振り返った先には、
その
吽慶は裏技で気絶させて、どうにか倒した。
朱羽の安否を確認したらどこかに縛り付けて、黒幕や『天照』とやらについて聞き出すつもりだ。
動く度に激痛が走る身体を引きずりながら、大穴の空いた壁から旅籠へ上がり込む蒼羅。首を
一階の床にへたり込む毘沙と、その前に立つ朱羽。様子からして、朱羽が勝ったのだろう。
—無事で良かった。
「なんのこと?」
「まさか、忘れたのか?」
朱羽はこちらに背を向けていて、その表情は見えない。
なにかがあった仲なのだろうか。知り合いなのか? あの二人は。
「あたしに覚えはない。そんな、人を―」
「朱羽!」
蒼羅は思わず、
―何故か、聞いてはいけない気がした。
「……蒼羅」
弾かれたように振り返る朱羽。蒼羅の姿を認めた毘沙は、驚きに目を見開く。
「―
愕然としながら、
蒼羅は立てた親指で後方―自分が歩いて来た場所を指した。
「向こうで伸びてるよ。だいぶ派手にぶっ飛ばしちまったけど……あんたの相方、すげー
その言葉に再び目を見開き、しばらく
「はは、そうか……礼を言っておくよ。私の駒を活かしてくれてありがとう」
「どういたしまして。これに
言葉を
「あんたには聞きたいことがある」
「お前に教えることはなにもない」
毘沙がそう言って意地悪く笑った瞬間、蒼羅の後ろから影が差した。
「―蒼羅!」
朱羽の
仮面の巨漢―夜叉坊吽慶が、そこに立っていたのだ。
炯々とした仮面の奥の眼光が、
蒼羅の身体は驚愕に固まっていた。
―馬鹿な。
こいつは確かに気絶させたはずだ。こんな短時間で復活できるわけがない。
「……お前、」
続く言葉を
背中から壁に叩き付けられ、そのままうつ伏せに倒れ込む。
激痛に呻きながらなんとか首だけ巡らせると、毘沙の近くで槍斧を振り上げる吽慶の姿が見えた。
朱羽も向かいの壁まで殴り飛ばされたらしい。刀を
振り下ろされた槍斧が床板を断ち割ると、吽慶の腕に
残り少ない体力ではそれを見届けることしか出来ず、蒼羅は
視界を覆う土埃が晴れた
殺気が
気付けば、蒼羅と朱羽は二人して床にへたり込んでいた。
「……逃げられたな、追うか?」
「
冗談半分で朱羽に声を飛ばすと、彼女はやるせなく笑みながら、ゆるゆると首を振った。
「後で
「お前、『
「もしかして馬鹿にしてる?」
「もしかしなくても馬鹿にしてる」
じとーっとした半眼を向ける朱羽にそう返すと、彼女は肩を落として
「簡単に忘れられるわけないでしょ。いきなり
そう言いながら朱羽はころりと寝転んだ。
ちぐはぐな行動に蒼羅は眉を寄せる。
「おい、朱羽?」
「うるさい、疲れたからちょっと休ませて……」
蒼羅も上体から力を抜き、大の字に寝転んで天井を見上げた。
昨日の襲撃、消えた
まだなにも明らかになっていない。
―だが生き残れたのだ。まずはそれだけで充分。
そう考えて、蒼羅は不安を押し殺すように目を閉じた。
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