謎と罠⑩

 大口を開けた床のふちから、道連れにせんと手を伸ばし、怨嗟えんさもった金切かなきごえを上げ続ける毘沙ひさ

 朱羽あけは嘆息たんそくしながら刀を床に突き立てると、その場にかがみ、毘沙が伸ばしていた右手を取った。


「なっ……!?」


 毘沙の表情は、最後の抵抗が叶わなかった絶望から、死に向かう己への諦観ていかん、さらに驚愕きょうがくへと、めまぐるしく変わる。


「よーいー……しょっと……!!」


 朱羽は気勢を込めて毘沙を引っ張り上げた。その拍子に彼女もろとも床に寝転がると、嫌味のこもった調子でぼやいた。


「あー、しんど……全く、病人になにさせんだか……」

「なぜ、どうして……」

「あんたが死んだら、解毒薬が手に入らないでしょ。……ほら、早く出してよ」


 倒れたまま、ただ混乱する毘沙に、朱羽はゆっくりと立ち上がりながら答える。

 憔悴しょうすいしきった様子の朱羽は震える手で刀を握り、立ち上がろうとしていた毘沙の喉元のどもとに切っ先を突きつけた。


 はからずも立場の逆転した二人。

 しかし毘沙はその言葉にしたがわず、ふくみを持たせた笑みを返した。

 朱羽の身体には、既に充分な毒が回っている。放っておけばそのうち死ぬ。


「実はあれは解毒薬じゃない、と言ったら?」

「へーぇ、に向かってそんな仕打ちするわけ? ……だったらあんたをそこに突き飛ばして、あたしもここで野垂のたぬだけ」


 意地悪そうな顔をした後、朱羽はあごをしゃくって落とし穴を示す。

 毘沙は渋々しぶしぶと言った様子で、ふところからあの小瓶を取り出した。

 飛び付くように受け取ろうとして、しかし朱羽はぴたりと動きを止める。


「……それ、一口飲んでみなさいな。毒見よ、毒見」


 彼女から提供される食事を、疑いもせず受け入れてこんな目にったのだ。

 同じてつは踏まない。


 毘沙はわずかに躊躇ちゅうちょした後、意を決して口を付けた。

 喉がこくりと動き、わずかな量を嚥下えんかした瞬間。朱羽はひったくるようにその小瓶を取り上げ、一気に飲み干した。

 空になった小瓶を投げ捨て、ふぅ、と安堵の息ひとつ。

 直後。

 朱羽は目を見開き、喀血かっけつせんばかりの勢いでげほげほと派手にんだ。

 くの字に折れた身体が、痙攣けいれんするように震えるのを見て、にたり、と口元をゆがめる毘沙。


「うぇえ、まっず……なにこれ……」


 苦々しく吐き出される言葉に、毘沙は少し清々すがすがしそうに答えた。


「よく『良薬は口に苦し』と言いますしね」

「誰のせいだと思ってんの」


 こんな状況で飄々ひょうひょうと冗談を言ってのける毘沙を睨み付ける。


 どうやら、すぐさま快復するほど都合つごうの良い代物ではないようだ。

 だが全身の気怠けだるさや苦痛は少しずつやわらぎ、ぼやけていた視界も徐々じょじょ明瞭めいりょうになってきている。

 時間が立てば、完全に復調するだろう。


「ただの毒薬かもしれないのに、どうして?」


 理解しかねるように眉をひそめる毘沙に、朱羽は確信しているかのような表情で返す。


「だって、本当の毒なら絶対飲まないでしょ。でもあんたはこれを飲んだ……なら、解毒薬で間違いない」

「自害するとは思わないのか?」

「あんたはなんとしてでも生き延びて、報復ほうふくの機会を狙いそうな性格だもの。―負けたらいさぎよく死んでやろうなんて、そんなほこたかい人間には見えない」


 余計な一言を付け加えると、毘沙は屈辱的くつじょくてきだと言わんばかりに、面白いほど顔を歪めた。


「嫌な女だな、お前」

「おたがいにね」


 毘沙の返しに小さく笑い、疲弊ひへいしきった声を返して朱羽はきびすを返す。


「殺さないのか?」

「そんな気力も無いから、そこの柱にしばけるだけで済ましてあげる。感謝してよね」


 背中に掛けられた言葉に手を振りながら返し、そのまま歩き去ろうとして。


「―


 毘沙が不思議そうにこぼした言葉に、朱羽は愕然がくぜんと振り返った。


「……え?」


 朱羽の脳裏によみがえるのは、旅籠はたごで彼女を初めて見たときの既視感きしかん

 そして戦闘中に浮かび上がった、断片的な記憶の数々。


ね、『八咫烏ヤタガラス』」

「は?『八咫烏』って―」


 なんのこと、とただそうとした瞬間。

 頭に、今まで感じたことのない痛みが走った。


「―ッ!!」


 脳からような、えぐられるような激痛。

 思わずこめかみを押さえてうめく朱羽に、皮肉ひにくげに笑いながら毘沙は口を開く。


「昔の貴女あなたは、あんなにも多くの人を―」


 その言葉の続きを耳にして、朱羽はおびえたように目を見開いた。


・・・・・・


「面倒だな……」


 蒼羅そらは頭をきながら歩く。

 ちらと振り返った先には、仰向あおむけに倒れる夜叉坊吽慶やしゃぼううんけいの姿。

 その炯々けいけいとした眼光は消え、仮面の眼窩がんかは暗い影で満たされている。


 吽慶はで気絶させて、どうにか倒した。

 朱羽の安否を確認したらどこかに縛り付けて、黒幕や『天照』とやらについて聞き出すつもりだ。

 動く度に激痛が走る身体を引きずりながら、大穴の空いた壁から旅籠へ上がり込む蒼羅。首をめぐらせて朱羽の姿を探す―必要もなかった。


 一階の床にへたり込む毘沙と、その前に立つ朱羽。様子からして、朱羽が勝ったのだろう。

 —無事で良かった。 

 安堵あんどしながら朱羽の背中に声をかけようとして、二人の間に立ちこめる妙な緊迫きんぱくに気付いた。


「なんのこと?」

「まさか、忘れたのか?」


 とげの混じった声を上げる朱羽と、怪訝けげんな声を返す毘沙。

 朱羽はこちらに背を向けていて、その表情は見えない。

 なにかがあった仲なのだろうか。知り合いなのか? あの二人は。


「あたしに覚えはない。そんな、人を―」

「朱羽!」


 蒼羅は思わず、さえぎるように声を上げた。

 ―何故か、聞いてはいけない気がした。


「……蒼羅」


 弾かれたように振り返る朱羽。蒼羅の姿を認めた毘沙は、驚きに目を見開く。


「―吽慶うんけいは、どうした?」


 愕然としながら、あきらめに震えた声音こわねを投げてくる毘沙。

 蒼羅は立てた親指で後方―自分が歩いて来た場所を指した。


「向こうで伸びてるよ。だいぶ派手にぶっ飛ばしちまったけど……あんたの相方、すげー頑丈がんじょうだから生きてる」


 その言葉に再び目を見開き、しばらく呆然ぼうぜんとしていた毘沙は、やがて手で顔をおおって笑い出した。


「はは、そうか……礼を言っておくよ。私の駒を活かしてくれてありがとう」

「どういたしまして。これにりたら、二度とこんな真似まねしないでくれよ。……さてと」


 言葉をわしながら毘沙の前に歩み寄った蒼羅は、上着の内側から手錠を取り出しながら屈み込む。


「あんたには聞きたいことがある」

「お前に教えることはなにもない」


 毘沙がそう言って意地悪く笑った瞬間、蒼羅の後ろから


「―蒼羅!」


 朱羽の逼迫ひっぱくした声に背後を振り向き、蒼羅は目を見開く。


 仮面の巨漢―夜叉坊吽慶が、そこにのだ。

 炯々とした仮面の奥の眼光が、射殺いころすように二人を見据みすえている。


 蒼羅の身体は驚愕に固まっていた。

 ―馬鹿な。

 こいつは確かに気絶させたはずだ。こんな短時間で復活できるわけがない。


「……お前、」


 続く言葉を颶風ぐふうがかき消したかと思うと、蒼羅の身体は真横へ大きく吹き飛ばされていた。

 背中から壁に叩き付けられ、そのままうつ伏せに倒れ込む。

 激痛に呻きながらなんとか首だけ巡らせると、毘沙の近くで槍斧を振り上げる吽慶の姿が見えた。

 朱羽も向かいの壁まで殴り飛ばされたらしい。刀をつえに立ち上がろうとしているが、間に合わない。

 振り下ろされた槍斧が床板を断ち割ると、吽慶の腕に注連縄しめなわのような筋肉が盛り上がり、床板に食い込んだままの槍斧が彼らの周囲に円を描いた。

 連鎖れんさする破砕音はさいおん。木片と土埃つちぼこりが逆さの瀑布ばくふのようにき上げ、二人の姿を覆い隠していく。

 残り少ない体力ではそれを見届けることしか出来ず、蒼羅は苦渋くじゅうに顔を歪めて奥歯を噛んだ。


 視界を覆う土埃が晴れたころには、吽慶と毘沙の姿は、跡形もなく消え失せていた。

 殺気が霧消むしょうし、戦闘が終わったことを肌で感じ取ると、自然と身体から力が抜けていく。

 気付けば、蒼羅と朱羽は二人して床にへたり込んでいた。


「……逃げられたな、追うか?」

早死はやじにしたいなら、勝手にどうぞ」


 冗談半分で朱羽に声を飛ばすと、彼女はやるせなく笑みながら、ゆるゆると首を振った。


「後で人相書にんそうがき作って、街にばらまきましょ。こんな状態で追いかけたところで、返り討ちにあって死ぬだけだし」

「お前、『艶街いろまち』から帰るまで奴らの顔を覚えてられるのか?」

「もしかして馬鹿にしてる?」

「もしかしなくても馬鹿にしてる」


 じとーっとした半眼を向ける朱羽にそう返すと、彼女は肩を落として大袈裟おおげさに嘆息した。


「簡単に忘れられるわけないでしょ。いきなり喧嘩けんか吹っ掛けられて、危うく殺されかけたんだもの。とにかく、奴らは後回し。―いまは『艶街』の方を優先する」


 そう言いながら朱羽はころりと寝転んだ。

 ちぐはぐな行動に蒼羅は眉を寄せる。


「おい、朱羽?」

「うるさい、疲れたからちょっと休ませて……」


 鬱陶うっとうしそうに眉間みけんしわを寄せた朱羽は、寝返りを打って蒼羅に背を向ける。

 蒼羅も上体から力を抜き、大の字に寝転んで天井を見上げた。

 昨日の襲撃、消えた御者ぎょしゃ、毘沙や吽慶が自分たちを狙う理由―

 まだなにも明らかになっていない。漠然ばくぜんとした不安が、ねばつく重油のように腹の底に溜まる。


 ―だが生き残れたのだ。まずはそれだけで充分。


 そう考えて、蒼羅は不安を押し殺すように目を閉じた。

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