白と黒⑨


「―死にたくなかったら下がって」


 響いた声。弾かれるように蒼羅が距離を取った瞬間、高空から獲物をかっさらう猛禽もうきんを思わせる勢いで人影が二人の間に舞い降りた。


「はぁッ!」


 突如として乱入してきたは、裂帛れっぱくの気合いと共に迷いなく殺人鬼へ向けて刀を振り下ろした。

 それは『仏斬ぶつぎ供臓くぞう』が防御のため掲げた刀と噛み合い、強い金属音が耳を打つ。

 不意打ちに加え、落下の勢いが乗った刀を受け止め切れずに、殺人鬼は大きく後退し膝をついた。


「……お前」


 蒼羅は思わぬ人物に助けられたことで呆然ぼうぜんとしてしまう。

 白い着物に、膝上まで切り詰めた赤い女袴、足先には朱塗りの下駄。

 そしてその風貌ふうぼうに似つかわしくない抜き身の大刀を提げた少女―朱羽あけはは、絹のような白髪を揺らして振り返ると、上向きに吊った猫目を笑みの形に細めた。


「ま、あんたにしては頑張ったんじゃない?」

「なんだよそれ」


 まるで一部始終を見ていたかのような朱羽の物言いに、蒼羅は眉をひそめる。

 もしかしなくとも、捜索隊が全滅するまで高見の見物をしていたのかも知れない。

 この女ならばやりかねない。


 疑わしげに半眼をつくる蒼羅に、朱羽は煙たそうに首を振る。

 その所作は暗にその予想を否定していた。


「騒ぎを聞きつけてここまで飛んできたら、あんたが孤軍奮闘してるの見つけたの。借り作ったまま死なれるのも気分悪いから、助けてあげただけ。これで貸し借りなしね」

「そうかよ、人助けもしておくもんだな」

「なに、なんか不満なの?」


 冷たい言葉を返しつつも内心で感謝していると、意地悪そうな笑みを浮かべてこちらを見やる朱羽。

 ああ、やっぱり気に入らない。だがいないよりはマシだ。

 深呼吸をひとつ、気分を入れ替えた蒼羅は朱羽と肩を並べて立つ。


「やるぞ」

「なに馬鹿言ってんの、あたしがやんの。死に損ないは黙って寝てて」

「そんなわけにいくかよ」

「足手まといだって言ってんだけど……ま、いないよりマシか」


 人の話を聞きなさいよ、とでも言いたげに溜め息をついた後、先ほど蒼羅が思ったのと同じことを口に出した朱羽は、視線だけこちらに向けて一言。


「足、引っ張んないでよ?」

「……善処するよ」


 言葉を交わしたあと、示し合わせたように蒼羅と朱羽は駆ける。

 先行するのは蒼羅。

 『仏斬り供臓』が迎撃のため放った刺突を、蒼羅は踏み込みながら左へ半身になって避け、そのまま左肩から体当たりをかます。

 よろけた『仏斬り供臓』に、上から降ってきた朱羽の一刀。殺人鬼はすぐさま刀を手元に引き戻して受け止める。

 金属音が響いたころには既に、そのふところに身をかがめた蒼羅が入り込んでいた。

 がら空きの腹に左右の拳を打ち込む。後退した『仏斬り供臓』は鬱陶うっとうしげに舌を打ち、なおも距離を詰めてくる蒼羅の腹に膝を叩き込むと、その背中に両手で握った刀の柄を振り下ろした。

 下と上からの連続した衝撃。内臓がきしむ気味の悪い感覚に襲われながら、蒼羅の身体は地面に叩きつけられる。

 その視界にふっと影が差した瞬間、背中に三度目の衝撃が走った。


「―ぎゅむ!?」


 朱羽が、せた蒼羅ごと床を踏みつけて敵に肉薄したのだ。


「なにすんだっ」


 頭上で金属音が響く中たまらず叫ぶと、鍔迫つばぜいをしていた朱羽が不思議そうに足元をかえりみる。

 踏みつけられたままの蒼羅を見つけると、思い出したように視線を泳がせた。


「あー、えっと……ごめん。―って、下からのぞかないでよ変態」

「そういうのいいからどけって!!」


 苦笑しながら適当な返事を返したあと、一転して怪訝けげんな顔で睨みつけてくる朱羽。

 そんな彼女を一喝いっかつすると、気紛きまぐれな神にでも願いが通じたのか、その瞬間に『仏斬り供臓』が膂力りょりょくでもって無理矢理に力の均衡きんこうを崩した。


 刀を弾かれた朱羽の身体はその勢いのまま横へ流れ、脚による杭を抜かれた蒼羅は手を突いて立ち上がる―と見せかけて足払い。

 蒼羅の脳天めがけて刀を振り下ろしていた『仏斬り供臓』は足下をすくわれたことで仰向けに倒れ、反して立ち上がりざまにその鳩尾みぞおちへ拳を叩き込むべく腕を引き絞る蒼羅。


 その頭上を颶風ぐふうと共に一閃が通り抜ける。

 風にまぎれて『あっ』とかいう間抜けた声が向こうから聞こえた。


「…………あっぶねー」


 反射的に数歩下がっていなければ首が飛んでいた―冷や汗をかきながら非難するように朱羽を見ると、朱羽も不満そうに口を尖らせていた。

 どうやら弾かれたあと、振り向きざまに一太刀加えるつもりだったらしい。

 その一太刀が危うく蒼羅の命を奪いかけたのだが。


「ちょっと邪魔しないでよ」

「お前が邪魔したんだろ」

「あんたがそこにいるのが悪いんでしょーが」

「なんだと!?」


 蒼羅がさらに言い返そうとした瞬間、二人の間で黒い影と銀光が竜巻のように舞い上がった。

 仰向あおむけの状態から背中の筋肉だけで跳ねた『仏斬り供臓』が、空中で独楽こまのように回転しながら刀を振り回したのだ。

 蒼羅と朱羽は弾かれるように距離を取るも、逃げ遅れた黒髪と白髪が切り刻まれ、二人の足元に落ちる。


 『仏斬り供臓』が空中から刀を振り下ろす。切っ先が向かう先―蒼羅は掲げた右腕で受けとめるが、激突の衝撃に身体を支えきれず膝を突く。

 着地した『仏斬り供臓』にすかさず脇腹を蹴られ、たまらず床に転がる蒼羅に、追い討ちに振り下ろされる刀。


 そこにかばうように割り込んだのは朱羽。振り上げた刀で殺人鬼の一撃を上へ弾くと、肩口へ袈裟懸けさがけに振り下ろす。

 逆手に握り替えた刀で受け止める『仏斬り供臓』。二刀がぶつかる重い音の後、殺人鬼は前へ踏み込んだ。噛み合ったままの刀がれ合い、火花と悲鳴のような金属音を撒き散らす。

 つばまで押し切られ一歩下がるも、朱羽は押し込まれる刃をいなして、『仏斬り供臓』の右脚に一閃。

 手元に引き戻した刀を突きの型に構える朱羽と、よろめくように半歩ほど後退した『仏斬り供臓』。刀を握る二人の手が同時に霞む。


 追撃と抵抗の一手、両者共に放った刺突。

 鋼のかち合う高音の直後、切っ先は朱羽の左のろくと『仏斬り供臓』の右肩をそれぞれ削った。


「……痛ッ!」

「浅いか」


 赤い飛沫しぶきが宙に舞う中、朱羽は驚きに目を見開く。

 —先の刺突は、肩を狙ったものではなかった。

 朱羽の突きに対し、『仏斬り供臓』は同じく刺突を返し、その切っ先をのだ。

 そしてこちらの突きの軌道をずらしてかわし、自身の攻撃を打ち込んでみせた。


 その結果は朱羽の肋を浅く裂くに留まったが、あの金属音の瞬間に体幹をずらしていなければ、心臓を一突きにされ死んでいたかもしれない。

 点の一撃である刺突を同じ刺突で弾き返そうとする神経と、それを成功させる確かな腕。背をでる戦慄せんりつに朱羽の身体が強張こわばる。

 

 その一瞬の隙に近付いた『仏斬り供臓』にその華奢きゃしゃな身体を蹴り飛ばされ、朱羽は蒼羅の横に転がった。


「っく、あ……」

「……おい、大丈夫かよ」


 先に立ち上がっていた蒼羅から差し伸べられた手を、朱羽は横目で見る。

 すると、それにすがるのはしゃくだと言わんばかりの勢いで床に手を突いて立ち上がった。

 その様子を見た蒼羅は表情筋をひくつかせたあと、朱羽を非難の目で見る。


「おい、俺が悪いってどういうことだよ」

「なに、まだ続いてたのそれ。そのまんまの意味でしょ」

「そのまんまってなんだよ」

「そのまんまはそのまんまよ」

「そのまんまはそのまんまのそのまんまってなんだよ」

「そのまんまはそのまんまのそのまむみゃ―」

「…………」

「…………なによ」

「だっせぇ、噛んでやがんの」

「はぁー? あんたが何回も言わせるからでしょー!?」


 顔を突き合わせて文句を言い合う隙だらけの二人に、音もなく間合いに入り込んだ殺人鬼が刀を振るう。


「漫才を見せに来たわけではあるまい」

「お前と―」「あんたと―」


「「話してないッ!!」」


 二人は一瞥いちべつすらないまま、突き刺すような蹴りを『仏斬り供臓』の腹に同時に叩き込んだ。

 蒼羅は苛立いらだったように頭をかき、朱羽は肩を落として溜め息ひとつ。

 奥の部屋から聞こえた物音に、蒼羅と朱羽は視線を飛ばす。二人が見据える先には、倒れた襖の向こうでゆっくりと立ち上がる『仏斬り供臓』。


「この話は後だ、先にあいつ倒してからにするぞ」

「えー? もういいでしょこの話、不毛すぎて飽きてきたんだけど」

「……また噛むのが怖いだけだろ?」

「怖くないですー。もう飽きたからやめようって言ってるんですー」


 与太話よたばなしをしながら駆ける二人と、無言で床を蹴った『仏斬り供臓』の間合いが衝突する。

 片方が正面で敵を押さえ、もう片方が背後や横から襲いかかってくる―そういった連携を取ってくるものだと『仏斬り供臓』は考えていた。


 だが実際はどうだ。

 蒼羅と朱羽は、どちらも愚直なまでに正面から、我先われさきにと攻撃を仕掛ける。

 拳、蹴り、横一閃、拳、袈裟懸け、刺突、飛び膝蹴り、斬り上げ、裏拳―休みなく飛んでくる攻撃。

 が、それは協力というよりかはもはや競争。

 連携というにはあまりに粗末で滅茶苦茶めちゃくちゃな、全く息の合わない二人の攻撃。

 それは結果として、『仏斬り供臓』に休むひまを与えず、先の手を読みづらくさせ、その神経を張り詰めさせて磨耗まもうさせることに成功していた。


 『仏斬り供臓』が七十人近くの人間を相手にして、そのことごとくを惨殺できたのは、彼らの動きにだ。動員されていたのが練度の低い訓練兵であったことも彼に味方した。


 彼らは事前に言い含められた作戦通りに、教練で教えられた戦法の通りに連携を取って動いた。それ以外の作戦と戦法を知らない。


 故に彼らは想定外に弱かった。

 予想を越える速度で仲間が目減りしていく状況に、対応できたのはごくわずかな人員のみ。そこで生じた連携のほつれを突き、穴を広げて崩壊させた。


 ぐんとして動くものを個にバラしてしまえば対処は容易たやすい。ふもとへ押し寄せる土砂崩れはひとりではどうしようもないが、てんでばらばらに投げつけられる小石ならばどうとでもできる。


 だがあの二人は違う。

 怒涛どとうのように襲い来る二人の攻勢。

 矢継やつばやに繰り出される拳と蹴りと刀。

 それらを後手に回ってさばくしかない状況に、編み笠の下にある顔から余裕は失せ、焦りがにじみ始めていた。


「…………はぁ」


 剣戟けんげきの中、『仏斬り供臓』は観念するように息を吐く。

 そして彼は、朱羽が振り抜く横薙ぎの刃に向かい―躊躇ためらうことなくその身をさらした。

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