白と黒⑩

「……なっ!」


 振るった刃がなんの抵抗もなく『仏斬ぶつぎ供臓くぞう』の脇腹に食い込んだのを見て、朱羽は目を見開いた。


 今の今まで防御に回っていた相手が、いきなりその身でこちらの刀を受けたのだ。

 傷口からあふれ白刃を伝う鮮血に、朱羽は動揺から一瞬だけ動きを止めてしまう。


「―もらった」


 その瞬間、笑みを滴らせた『仏斬り供臓』が左手で朱羽の持つ刀を握りこみ、右の刀を一閃。

 我に返った朱羽は刀から手を離し距離を取ってかわそうとするが、その切っ先からは逃れきれず右肩を裂かれた。

 刀の腹からこぼれた血が剣閃の軌道をなぞる。


「……くっ」

「朱羽!!」


 手持ちの刀と、奪ったもう一振りで二刀流となった『仏斬り供臓』が動く。

 半歩後ろへたたらを踏んだ朱羽へ追い討ちをかけようとするのを、蒼羅が二人の間に割り込んで妨害。

 体勢を立て直し、袖から出した小太刀を握った朱羽もそこに加勢する。


「らぁッ!」

「はぁッ!」


 側頭を狙った蒼羅の回し蹴りと朱羽の一閃。

 左右からの挟撃きょうげきを『仏斬り供臓』は両の手に握る刀で弾くと、体勢を崩し半歩下がった二人へ交差させた両腕を突き出す。


 放たれた二つの刺突に対して蒼羅と朱羽が半身になり、互いに向かい合うようにしてかわした瞬間、『仏斬り供臓』は交差させていた両腕を外側へ振り抜いた。

 二人はさらに後方へ跳躍。胴を薙ぐ白刃は軍服と着物の布をかすめて空を斬る。


 まさしく紙一重、わずかでも身体が前にあれば腹を裂かれていたかもしれない。着地した蒼羅の頬には冷や汗が伝う。


 『仏斬り供臓』の左に蒼羅、右に朱羽。挟み撃ちの位置を取った二人は同時に駆け、拳と刃をそれぞれ振るう。

 攻撃は奇跡的に同時。加えて死角である背中側を狙っての一撃。

 さすがの『仏斬り供臓』でも完璧に防ぎ切ることはできない……!!


 ―そう考えていた蒼羅の鼻先に、突如として銀光が出現した。


「ッ!?」


 目を見開きながら反射的に首を傾けると、光は蒼羅の頬に鋭い熱を刻みつけて背後へ通り抜けていく。

 なにが起きたか分からず、蒼羅の思考は疑問の渦に飲み込まれていく。前方から響く金属音と小さな悲鳴も、ひどく遠いもののように聞こえた。


「蒼羅!!」


 混乱する思考から意識を現実に引き戻したのは、切迫せっぱくした朱羽の叫び声。

 顔を上げると、すでにこちらの間合いへ『仏斬り供臓』が踏み込んでいた。振り上げられたその右手が霞み、彼我ひがの空間を流星となって駆けた刀の切っ先が目前に迫る。

 とっさに右腕で受け止め金属音が響いた瞬間、蒼羅はあることに気付く。


 『仏斬り供臓』は二刀を構えていたはずだ。

 しかし、いま彼の手にあるのは一振りのみ。

 脳裏で先の疑問が氷解していく。


 —投げたのだ。さっき間一髪で避けたあの光がそうだ。


 この男は牽制けんせいの一手のみで同時攻撃の時機をずらし、瓦解がかいさせたのだと気付き、背筋には冷たいものが走る。

 その悪寒に突き動かされるように蒼羅は腕を跳ね上げて刀を弾く。ひるがえってくる剣先—心臓を狙った刺突に合わせて、蒼羅は右足で踏み込んだ。

 空間を貫く颶風ぐふうを背に感じながら、 相手の打撃に合わせて反撃する拳闘士よろしく打ち込んだ右の拳が『仏斬り供臓』の頬にめり込む。

 よろめき下がる『仏斬り供臓』へすかさず距離を詰め追撃、すくい上げるようにして放つ拳を鳩尾みぞおちに叩き込んだ。一拍遅れて衝撃が大気を震わせる。


「やった……!」


 会心の一撃。

 肉の壁がへこむ感覚に確かな手応えを感じ、思わず声を上げた蒼羅の意識は、


「あぐあ、が、ぐぅ……ッ!?」


 次の瞬間、深紅に染まった。

 凄まじい激痛が思考を埋め尽くし、声にならないにごった音が口からこぼれた。

 痛みの発信源である右肩を見れば、振り下ろされた刃が軍服を裂き、波のような刃紋のあたりまで肉に埋まっていた。あふれた血が服をさらに黒く染め、あぶらで曇った白刃を伝う。


 『仏斬り供臓』はあの一撃を意に介していない。顔を苦悶くもんに歪めながらも、刀を握る手を止めようとはしない。

 肩口に食い込む刃をさらに押し込もうとする『仏斬り供臓』と、その腕をつかんで斬らせまいと抵抗する蒼羅。その膂力りょりょくの拮抗も長くは続かない。


「……ぐッ!!」


 声を漏らした蒼羅ががくりと膝を折って屈した瞬間、今まで彼の頭があった位置を、空気を低く唸らせて白刃が薙いだ。

 背後から近付いていた朱羽の小太刀だ。


 突然の奇襲に『仏斬り供臓』は刀を手放し後ろへ跳ぶも、既に間合いの半ばまで振り切られた刃からは逃げ切れず、胸板を斬り裂かれる。

 朱羽は足を止めずに蒼羅の背を蹴りつけて跳躍、踏み台にされた蒼羅の『いってぇ!? なにすんだこの野郎!!』という文句を床に置き去りにして高空へ舞い上がる。


 『仏斬り供臓』は斬られた胸を押さえながら、先ほど牽制で投げた刀の位置まで下がると、床に突き立ったままのそれを引き抜く。腕を引いて突きの型に構え、上空から舞い降りる朱羽へ切っ先を照準した。


 張り詰められた弓弦ゆづるから放たれる矢めいた刺突。

 空気を揺さぶるそれが胴を貫く直前、朱羽は空中で思い切り身体を捻った。

 剣先は帯を掠めて虚空を通り抜け、白髪と着物を振り乱す朱羽の身体は、刀の峰を転がるようにして『仏斬り供臓』の懐へ滑り込む。


「はぁぁッ!!」


 気炎とともに血腥ちなまぐさい空気を流動させながら放つ一閃。回転の遠心力が乗せられた一刀は『仏斬り供臓』の左肩から右脇腹までを切り裂き、噴き出した血の飛沫が朱羽の半面と着物を赤く汚す。


「ぐぅうっッ!!」


 よろめく『仏斬り供臓』はくぐもった声を漏らしながらも、しかし半歩下がるのみで踏みとどまった。


「―ッ!?」


 驚きに言葉を失う朱羽の頭を乱雑に掴み、その腹へ二度、三度、執拗しつように膝蹴りを入れる。

 嗚咽おえつを零し傾く朱羽の身体を突き放すと、両の手で握り込んだ刀で一閃。空間を駆け上がった銀の軌跡は逃げる朱羽の左脚に赤い線を刻み、その残像を残して翻った二撃目が着物の帯ごと脇腹を浅く削ぐ。


 三撃目を不安定な体勢で辛うじて弾き、蒼羅の隣まで後退した朱羽は片膝をついた。太ももから伝う流血が白い足袋たびを汚し、斬られた脇腹を押さえる指の隙間からは血が漏れる。

 自らの傷に頓着とんちゃくせず攻める。正しく『肉を斬らせて骨を断つ』ような強硬手段に出た『仏斬り供臓』の猛攻の前に、二人は劣勢に立たされていた。


 肩口の傷に千切った軍服の左袖を巻きつけて止血を終えると、蒼羅は立ち上がり、横で屈したまま小さいあえぎを繰り返す朱羽に、き出しの左腕で掴んだ刀を投げ渡す。


「ほらよ、ないよりマシだろ」


 首を巡らせてこちらを見る朱羽に口角を上げて笑い返し、一歩踏み出す。

 が、目眩めまいとともにその視界がかしぎ、蒼羅はそのまま膝から崩れ落ちそうになる。


「……ッぐ、あ、くっそッ」


 膝に手を当てて踏ん張り、無様に倒れることだけはどうにか防いだ。しかし足の痙攣けいれんは収まらず、顔を伝う汗は止まらない。

 そんな蒼羅の横合いから、嘲弄ちょうろうするような声が響いた。


「なに、限界? だったらそこで寝ててよ、足引っ張られるのやだから」

「お前こそ、颯爽さっそうと現れたにしてはもう傷だらけだし、息上がってるじゃねーかよ」


 蒼羅は声の主である朱羽を見返して言い返した。

 白かった着物は傷口から流れる血でところどころが赤く染まり、額から流れた脂汗が顎先で滴る。両肩は荒い呼吸とともに大きく上下していた。

 こちらをバカにしておきながら、自身も疲弊ひへいを隠し切れていない。ああは言うが、今も膝をついたままだ。

 朱羽はそれを突っぱねるように鼻で笑うと、 こちらへ悠然ゆうぜんと近付いてくる『仏斬り供臓』を怪訝けげんな目で睨んだ。


「っていうか、あれほんとに人間? ここまでったらへばるでしょ、普通」

「いや、あいつも体力が無尽蔵むじんぞうの化け物じゃない。今日だけでもう六十人近く殺してる……限界は近いはずなんだ」


 『仏斬り供臓』が戦える時間は長くない―蒼羅はそう考えていた。

 初めてその姿を目にしたあの夜。『仏斬り供臓』の実力であれば二人まとめて殺すことも容易だったろう。

 だが彼は『』と言ってその場から逃走した。

 そして今回、蒼羅ひとり残った状況で『仏斬り供臓』はこう言った。

 

 『今日はお前で最後にしよう』と。


 あのとき、蒼羅の脳裏にはひとつの考えがよぎった。

 この殺人鬼が全力を出せる時間は限られている。

 そして蒼羅をひとり残した時点で、その『時間』の刻限が近かったのだろう。


 だが最後のひとりと決めた蒼羅は想定外の抵抗を見せ、加えて朱羽まで戦いに加わった。


 いま『仏斬り供臓』が一気に距離を詰めてこないのは、余裕の現れではない。

 次の剣戟で二人を確実に仕留めるために、必要以上の体力を使いたくないからだろう―蒼羅が自分の予想を伝えると、理解と納得を示した朱羽の双眸には、闘志の焔が再び燃え上がる。


「……あぁ、だからさっきから防御せず突っ込んでくるんだ。後手に回ってたら負けるから、多少の傷は覚悟で仕掛けてきてるってわけね」


 果たしてその予想は当たっていた。

 六十人近い捜索隊との連戦による消耗は、今や無視できるものではない。『仏斬り供臓』の身体は刻一刻と『限界』に近付いていた。これでは間に合わないと判断し、彼はあの強硬手段に出た。


 はかりけたのだ。

 傷を負いながらもこの二人を殺し切るのが先か。

 それとも二人を殺し切れず限界を迎えるのが先か。

 そして前者の可能性に全てをけた。


「だったら、あと少しで勝てる」

「あぁ」


 投げ渡された大刀を杖に立ち上がった朱羽の言葉。それを蒼羅は首肯しゅこうする。

 視線を交わし互いの意志を読み取った二人は、殺人鬼を見据えながら全く同時に口を開いた。


「短期決戦だ」

「持久戦ね」

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