白と黒⑪
「「…………ん?」」
しばしの困惑と沈黙のあと、
朱羽はひどく驚いた—『鳩が豆鉄砲を食らう』なんて
表情筋が間抜けに
「なんで? 相手の限界が近いんだから、後手に回って体力温存するべきでしょ」
「いや逆だろ。相手の限界が近いからこそ、ここで一気に攻めるべきだ。守りに入ったところで押し切られるだけ……なら先に仕掛けるしかないだろ」
表情を
「俺とお前なら、あいつの手数を超えられる。俺はそこに
「もし押し切れなかったら? 先にあたしらが限界迎えたらどーすんの」
「そのときは……」
続きを言おうとして、しかし
それを見た朱羽は呆れた、と言わんばかりに肩を落とし、
「だから持久戦の方が―」
「そのときはッ!」
しかし蒼羅はその言葉を
「―俺が死んででも時間を稼ぐ」
言葉の裏に秘めた覚悟を視線に込め、朱羽の目を見据えて言う。
朱羽はどこか
沈黙の間に、蒼羅は己を
正直、体力の限界だ。いまは一瞬でも気を抜けば、意識を闇の中へ持って行かれそうな状況にある。
『
朱羽の顔も憔悴は色濃いが、自分と比べればまだ余力はあるだろう。彼女の腕なら疲弊した今の『仏斬り供臓』と渡り合える。
もしものときは、彼女を残せばこちらに勝ち目はある。
状況を
自分でもびっくりするほど、すぐに。
己の悲願を果たせないことよりも、ここであの殺人鬼を捕らえられず、更に犠牲者が増えていく方が、蒼羅にとっては耐えられないことだ。
今までたくさんの人が死ぬのを見てきた。
だからこそ、こんな惨劇はここで終わりにするべきだと強く思う。
そしてそれに終止符を打つために、蒼羅は命を投げ出す覚悟を決めた。
後は朱羽が乗るか反るかだ。
やがて
その目にあるのは、こちらの覚悟を
「……分かった。あんたに乗ったげる」
朱羽の言葉に蒼羅は改めて
どちらも体力は限界だ。下手に長引けばそれだけこちらが不利になる。
勝負を決めるなら一瞬。
『仏斬り供臓』を相手にその一瞬を
今度こそ意志をひとつにした二人は
「……行くぞ」
「……うん」
朱羽の返事を合図に、二人は
『仏斬り供臓』の歩みは変わらず
蒼羅よりも一歩先んじ、間合いへ入り込んだ朱羽が刀を振るう。
『仏斬り供臓』が振り上げた一刀とかち合った次の瞬間には、両者の腕が
小太刀に加え大刀を持つ二刀流、休む
が、『仏斬り供臓』は防御はすれど避けはせず、その身を斬られながらも前へ踏み込んだ。
「……ちッ」
遠心力の乗らない
しかし、横合いから放たれた拳がそれを弾き飛ばした。
後退する朱羽と入れ替わるように『仏斬り供臓』の前へ
「おらぁッ!」「はぁッ!」
拳打と一閃、前後からの
―駄目か!
蒼羅の身体が抱き留めるように受け止められたのも束の間、『仏斬り供臓』が逆手に握ったままの刀で一閃。蒼羅の脇腹から胸にかけて鋭い熱が走った。
「がぁぁぁぁあぐッ!!」
激痛。叫びと共に口から飛び出そうになる意識を気力でつなぎ止め、蒼羅は踏みとどまる。押し殺した悲鳴を代弁するかのように、その足元に濃血が
二人揃って間抜けに倒れることだけはどうにか防ぎ、体勢を立て直した蒼羅と朱羽に向けて、『仏斬り供臓』は
その手から放たれ散らばるいくつもの白。果たしてそれは仏画の描かれた紙。
大量の紙片が二人の周囲を埋め尽くし、吹雪のように視界を覆う。
「うっ」
「くっ」
思わず二人が足を止めた瞬間、背後で
紙吹雪を
四方八方へ視線を飛ばしていた二人は弾かれるように後ろを振り向くも、間合いには既に殺人鬼が滑り込んでいる。
右腕が
防御に回る二人を相手にしてなお、圧倒する密度の剣戟。致命傷は避けられても次々と刻まれる傷に、刻一刻と二人の体力も限界に近付いていく。
目の前の殺人鬼はこれで押し切る腹積もりだ。
それを分かっていても、『仏斬り供臓』が巻き起こす剣風—その暴風圏の
防戦一方の状況、蒼羅は割れんばかりに奥歯を噛み締めた。
手数で押して勝機を掴む作戦は失敗した。
ならば次の策に、俺は文字通り全てを賭けるしかない。
嵐のように襲い来る
剣嵐の中に
—来る!!
瞬間、蒼羅は朱羽を押しのけて前へ出た。背後で小さく息を飲む音が聞こえた。
蒼羅の中には、もはや回避も防御も選択肢には無かった。
この身で受けて押さえ込む。
勝利のために己の命を捨てる選択、ただそれのみ。
脳天へ向けて振り下ろされる刀を睨みつける。
弧を描くその刃が―震えた。
それは『二人』と『ひとり』の命運を乗せた
「―ん、ぐ、がふ……ッ!?」
わずかに動きが
―時間切れだ。
吐血で汚れた掌を見て
「朱羽ああああああああああッ!!」
この隙を逃すまいと距離を詰めた朱羽が、刀の
『限界』を迎えた彼にはもはや防御もままならず、唇から下を吐血で赤く染めながら、呆然とそれを見上げていた。
せめてもの抵抗として後ろへ跳ぼうとするが、もはや逃げ切れる距離ではない。
「しゃあああああぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
朱羽は叫びと共にさらに踏み込み
壁に叩き付けられた『仏斬り供臓』は再び血を吐くと、背を預けたままずるずるとへたりこむ。
「まだ、だ。まだ……ッ」
『仏斬り供臓』は折れた刀を杖に立ち上がるも、その身体は
残心の構えを解かず注視する二人すら、その目には映っていなかった。
「まだ、俺の復讐は終わらない……俺から家族を奪ったあの男を殺すまでは……俺は…………」
『仏斬り供臓』はうわ言のように
部屋の中には
殺人鬼の最後の言葉が、蒼羅の顔に不穏な影を落としていた。
・・・・・・
こうして、『仏斬り供臓の模倣犯』による騒動は終幕を迎えた。
犠牲者の総数は百十数名に及び、民間人、旗本衆、訓練兵—いずれにも多数の死傷者を出す
犠牲者たちは雨の中で行われた合同葬儀によって
そして、それから一ヶ月。
蒼羅は一枚の紙切れを握りしめ、『架梯城』の門の前に立っていた。
新調した軍服の左胸には、身分を示す
教練過程を修了した後に『旗本衆』各隊へ配属されるはずの訓練兵たちは、この騒動で蒼羅ともうひとりを残し全滅。
蒼羅は『仏斬り供臓の模倣犯』を
晴れて旗本衆の一員に―それも異例の大抜擢。筆頭である
雲一つない、忌々しいほど晴れやかな青空の下。天に届くのではと思うほど巨大な城を見上げる。
その天守閣を睨みつけながら、蒼羅は小さく笑った。
—これで『目的』に近づける。
幕府の中枢へと潜り込み、『あの日』の真実を知る。その一歩目だ。
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