白と黒⑪

「「…………ん?」」


 しばしの困惑と沈黙のあと、蒼羅そら朱羽あけはは顔を見合わせた。


 朱羽はひどく驚いた—『鳩が豆鉄砲を食らう』なんてことわざの良い見本になりそうな—顔をしていた。

 表情筋が間抜けに弛緩しかんする感覚に、たぶん自分も同じ顔をしてるのだろうと蒼羅も思った。


「なんで? 相手の限界が近いんだから、後手に回って体力温存するべきでしょ」

「いや逆だろ。相手の限界が近いからこそ、ここで一気に攻めるべきだ。守りに入ったところで押し切られるだけ……なら先に仕掛けるしかないだろ」


 表情をくもらせる朱羽に、蒼羅はさとすように続ける。


「俺とお前なら、あいつの手数を超えられる。俺はそこにける」

「もし押し切れなかったら? 先にあたしらが限界迎えたらどーすんの」

「そのときは……」


 続きを言おうとして、しかし躊躇ためらうように言いよどむ蒼羅。

 それを見た朱羽は呆れた、と言わんばかりに肩を落とし、苛立いらだったように声を上げる。


「だから持久戦の方が―」

「そのときはッ!」


 しかし蒼羅はその言葉をさえぎって、重い口調で決意を吐き出した。


「―俺が時間を稼ぐ」


 言葉の裏に秘めた覚悟を視線に込め、朱羽の目を見据えて言う。

 朱羽はどこかおびえるように目を見開いて視線を泳がせた後、やがて目を伏せた。


 沈黙の間に、蒼羅は己をかえりみる。

 正直、体力の限界だ。いまは一瞬でも気を抜けば、意識を闇の中へ持って行かれそうな状況にある。

 『仏斬ぶつぎ供臓くぞう』への怒りと、朱羽への苛立ちでなんとかごまかしてきたが、それももう続きそうにない。


 朱羽の顔も憔悴は色濃いが、自分と比べればまだ余力はあるだろう。彼女の腕なら疲弊した今の『仏斬り供臓』と渡り合える。

 もしものときは、彼女を残せばこちらに勝ち目はある。


 状況をかんがみて、『自身を捨て駒にする』という蒼羅の選択と覚悟は―朱羽のために命をくれてやるのはちょっと惜しいと思ったり、本懐を遂げられない後悔に揺らいだりはしたものの―すぐに決まった。

 自分でもびっくりするほど、すぐに。


 己の悲願を果たせないことよりも、ここであの殺人鬼を捕らえられず、更に犠牲者が増えていく方が、蒼羅にとっては耐えられないことだ。

 今までたくさんの人が死ぬのを見てきた。

 だからこそ、こんな惨劇はここで終わりにするべきだと強く思う。

 そしてそれに終止符を打つために、蒼羅は命を投げ出す覚悟を決めた。

 後は朱羽が乗るか反るかだ。


 やがて開眼かいがんした朱羽は、まっすぐにこちらを見据えた。

 その目にあるのは、こちらの覚悟をみ、それにこたえようという気概。


「……分かった。あんたに乗ったげる」


 朱羽の言葉に蒼羅は改めてうなずいた。

 どちらも体力は限界だ。下手に長引けばそれだけこちらが不利になる。


 勝負を決めるなら一瞬。

 『仏斬り供臓』を相手にその一瞬をつかみ取るなら、二人がかりの手数を以て強引に押すしかない。

 今度こそ意志をひとつにした二人はそろって姿勢を低め、脚に力を溜める。


「……行くぞ」

「……うん」


 朱羽の返事を合図に、二人はから放たれた矢のごとく前へ駆けた。

 『仏斬り供臓』の歩みは変わらず悠々ゆうゆうとしていたが、二人の接近に呼応こおうするようにその身から放たれる殺気は一段と鋭さを増し、周囲の空気を殺伐さつばつとした色に変えていく。

 波濤はとうのように迫る殺気を越え、二人の身体はついに『仏斬り供臓』の間合いまで近付いた。


 蒼羅よりも一歩先んじ、間合いへ入り込んだ朱羽が刀を振るう。

 『仏斬り供臓』が振り上げた一刀とかち合った次の瞬間には、両者の腕がかすんで消え、二人の間に剣閃と火花、斬音と金属音の連鎖が起こった。


 小太刀に加え大刀を持つ二刀流、休むひまもなく繰り出される朱羽の攻撃。絶え間なく続く光と音の果てに、防御をかいくぐった一刀が殺人鬼に襲いかかる。

 が、『仏斬り供臓』は防御はすれど避けはせず、その身を斬られながらも前へ踏み込んだ。


「……ちッ」


 遠心力の乗らないつばの近くならば深くは斬り込めない。舌を打ち、浅く食い込んだ刃を引こうとする朱羽に、今度は『仏斬り供臓』の刀が襲いかかる。

 しかし、横合いから放たれた拳がそれを弾き飛ばした。

 後退する朱羽と入れ替わるように『仏斬り供臓』の前へおどり出た蒼羅が仕掛ける。二合の打ち合いで防御を崩し正拳一撃。その間に背後へ回り込んだ朱羽が合わせる。


「おらぁッ!」「はぁッ!」


 拳打と一閃、前後からの挟撃きょうげき。『仏斬り供臓』は右手を後ろに回し、左手で蒼羅の拳を止める。背後から金属音。朱羽の一刀はいつかの夜の再現のように、背に回した右手の刀で受け止められていた。


 ―駄目か!


 歯噛はがみする二人を余所に、『仏斬り供臓』は蒼羅の腕を掴んだまま、右足を軸に回転。朱羽の刀を弾き飛ばし、腕をつかんだまま強引に引きずり回した蒼羅をよろめいた彼女にぶつける。

 蒼羅の身体が抱き留めるように受け止められたのも束の間、『仏斬り供臓』が逆手に握ったままの刀で一閃。蒼羅の脇腹から胸にかけて鋭い熱が走った。


「がぁぁぁぁあぐッ!!」


 激痛。叫びと共に口から飛び出そうになる意識を気力でつなぎ止め、蒼羅は踏みとどまる。押し殺した悲鳴を代弁するかのように、その足元に濃血がこぼれ落ちた。

 二人揃って間抜けに倒れることだけはどうにか防ぎ、体勢を立て直した蒼羅と朱羽に向けて、『仏斬り供臓』はふところに入れていた手を無造作に振った。


 その手から放たれ散らばるいくつもの白。果たしてそれは仏画の描かれた紙。

 大量の紙片が二人の周囲を埋め尽くし、吹雪のように視界を覆う。


「うっ」

「くっ」


 思わず二人が足を止めた瞬間、背後で幾重いくえにも走った銀の流線。

 紙吹雪を千々ちぢに切り裂いたかと思うと、それらを押しとばす勢いで『仏斬り供臓』がこちらへ攻め込んでくる。

 四方八方へ視線を飛ばしていた二人は弾かれるように後ろを振り向くも、間合いには既に殺人鬼が滑り込んでいる。


 右腕がき消えた直後、空間に次々と銀線が走る。

 防御に回る二人を相手にしてなお、圧倒する密度の剣戟。致命傷は避けられても次々と刻まれる傷に、刻一刻と二人の体力も限界に近付いていく。


 目の前の殺人鬼はこれで押し切る腹積もりだ。


 それを分かっていても、『仏斬り供臓』が巻き起こす剣風—その暴風圏の只中ただなかにいる二人には防御し続ける以外の選択肢がない。

 防戦一方の状況、蒼羅は割れんばかりに奥歯を噛み締めた。


 手数で押して勝機を掴む作戦は失敗した。

 ならば次の策に、俺は文字通り全てを賭けるしかない。


 嵐のように襲い来る数多あまたの剣閃。その最中、『仏斬り供臓』は両手で握り直した刀を大きく後ろへ引く。

 剣嵐の中に突如とつじょとして、刹那せつなの間だけ訪れた『なぎ』。狙い澄ました必殺の一刀。


 —来る!!


 瞬間、蒼羅は朱羽を押しのけて前へ出た。背後で小さく息を飲む音が聞こえた。

 蒼羅の中には、もはや回避も防御も選択肢には無かった。


 この身で受けて押さえ込む。

 勝利のために己の命を捨てる選択、ただそれのみ。

 脳天へ向けて振り下ろされる刀を睨みつける。

 弧を描くその刃が―


 それは『二人』と『ひとり』の命運を乗せた天秤てんびんが、『二人』の方へかたむいた瞬間だった。


「―ん、ぐ、がふ……ッ!?」


 わずかに動きがにぶり、『仏斬り供臓』は口元を押さえ喀血かっけつする。

 ―時間切れだ。

 吐血で汚れた掌を見て愕然がくぜんとする『仏斬り供臓』。踏み込んだ蒼羅はその額を思い切り殴りつけ、叫ぶ。


「朱羽ああああああああああッ!!」


 この隙を逃すまいと距離を詰めた朱羽が、刀のみねに手を添えて振り下ろす。『仏斬り供臓』の斬り上げる一閃が迎え撃つも、ぶつかり合った瞬間に歪な音を立てて殺人鬼の刀はし折れた。

 『限界』を迎えた彼にはもはや防御もままならず、唇から下を吐血で赤く染めながら、呆然とそれを見上げていた。

 せめてもの抵抗として後ろへ跳ぼうとするが、もはや逃げ切れる距離ではない。


「しゃあああああぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 朱羽は叫びと共にさらに踏み込みななめに一閃、銀光が『仏斬り供臓』の身体を裂く。後ろにのけぞるだけに留まらず、衝撃で殺人鬼は大きく吹き飛んだ。

 壁に叩き付けられた『仏斬り供臓』は再び血を吐くと、背を預けたままずるずるとへたりこむ。


「まだ、だ。まだ……ッ」


 『仏斬り供臓』は折れた刀を杖に立ち上がるも、その身体は目眩めまいに襲われたようにふらつき、前に進む足は覚束おぼつかない。

 残心の構えを解かず注視する二人すら、その目には映っていなかった。


「まだ、俺の復讐は終わらない……俺から家族を奪ったを殺すまでは……俺は…………」


 『仏斬り供臓』はうわ言のようにつぶやきながら膝から崩れ落ち、力が抜けたように倒れした。

 部屋の中には静謐せいひつが満ち、勝ち残った二人の荒い呼吸だけが響くのみ。

 殺人鬼の最後の言葉が、蒼羅の顔に不穏な影を落としていた。


・・・・・・


 こうして、『仏斬り供臓の模倣犯』による騒動は終幕を迎えた。

 犠牲者の総数は百十数名に及び、民間人、旗本衆、訓練兵—いずれにも多数の死傷者を出す甚大じんだいな被害となった。

 犠牲者たちは雨の中で行われた合同葬儀によってとむらわれ、雨はその後、のこされた者たちの悲しみを代弁するかのように三日三晩に渡って降り続いた。

 そして、それから一ヶ月。



 蒼羅は一枚の紙切れを握りしめ、『架梯城』の門の前に立っていた。

 新調した軍服の左胸には、身分を示す徽章きしょうがひとつ。それは『旗本衆』の一員であることを示す、金の徽章だった。


 教練過程を修了した後に『旗本衆』各隊へ配属されるはずの訓練兵たちは、この騒動で蒼羅ともうひとりを残し全滅。

 蒼羅は『仏斬り供臓の模倣犯』を捕縛ほばくした実績を評価され、残りの教練を免除。

 晴れて旗本衆の一員に―それも異例の大抜擢。筆頭である九条龍親くじょうたつちかが隊長を勤める、第一部隊への配属となった。


 雲一つない、忌々しいほど晴れやかな青空の下。天に届くのではと思うほど巨大な城を見上げる。

 その天守閣を睨みつけながら、蒼羅は小さく笑った。


 —これで『目的』に近づける。


 幕府の中枢へと潜り込み、『あの日』の真実を知る。その一歩目だ。

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