凹と凹②

龍親たつちかー、わざわざ呼びつけるほどの用事ってなによー?」


 そう言いながら部屋に入ってきたは、自身を呼んだ張本人を探すように辺りを見回し―その途中で蒼羅そらと目が合った。


「あ」

「あ」


 少女の上向きに吊った猫目が驚きに見開かれる。

 その整った顔立ち、どこか人を小馬鹿にしたような冷めた表情、不遜な態度。一度関わったら忘れるものか。


「お前は……!」


 思わず声を出すと、少女も『うーわっ……』と気まずそうに声を漏らし、おぞましいものをみたとでも言いたげに表情をひきつらせた。


朱羽あけは! なんでお前がここに」

「蒼羅、それこっちの台詞せりふなんだけど」


 朱羽はしばらく蒼羅と睨み合ったのち、その敵意たっぷりな視線を上座の龍親たつちかへ向けた。


「ちょっと龍親、どーいうこと。なんで訓練兵の蒼羅がこんなとこに」

「まぁまぁ落ち着け、座れって」


 隣の不幸面をぞんざいに指差し食ってかかる朱羽を、龍親は諸手もろてを上げてなだめる。

 渋々ながらといった様子で朱羽が席に着いてから、龍親はさとすように言い始めた。


叙勲式じょくんしきだよ。『仏斬ぶつぎ供臓くぞう』の模倣犯を捕縛した功績をたたえて、訓練兵を旗本衆に引き抜く、って話はお前も聞いたろ?」


 その言葉を受けた朱羽は、一転してぽかーんと口を開いたまま、龍親と蒼羅の顔を交互に見始める。しばらくその端正な顔を左右へ往復させたあと、隣の不幸面を再び指差した。


「え? コイツを?」

「なんだお前その言い方は」


 失礼な発言に食ってかかろうとする蒼羅を黙殺して、朱羽は文句を垂れ始めた。


「だからって、あたしを呼ぶ理由にならないでしょ。叙勲式くらいなら、別にあたし抜きでも」

「お前にも関係あるから呼んだに決まってるだろ。……あぁそうだ獅喰しばみ、こいつも一応、『旗本衆はたもとしゅう』の一員な」


 思い出したように龍親に声を掛けられ、その内容に蒼羅は愕然がくぜんと朱羽を見た。

 この場に現れた瞬間からまさかとは思っていたが―


「え? コイツが?」

「なにあんたその言い方は」

「で、俺の叙勲式がこいつにも関係あるっていうのは、どういうことですか」


 突っかかってくる朱羽を黙殺して蒼羅が問うと、龍親は『よくぞ聞いてくれた!』とでも言いたげに指を鳴らす。


「そう、そのことだ。……お前たち二人に組んでもらおうと思ってな」


「「は?」」


 今度は全く同時に、二人の口から同じ言葉がこぼれた。


「「いやいやいやいや!!」」


 二人揃って手を振り拒否するも、それを見た龍親は意地悪そうな笑みを一層深める。朱羽があわてた様子で手を挙げた。


「待って待って、あたしはいらないって。ひとりで十分」

「だってお前、ひとりにすると全然仕事しねぇじゃん」

「このまえ『仏斬り供臓』の模倣犯を捕まえたでしょ」


 朱羽の反論に、龍親はやれやれ、と肩を落とした。


「そういう手柄に直結するような、でかい仕事しかやらないから問題なんだ。協調性というか、助け合いというか……周りと協力していくことをお前にも学んで欲しいのよ」


 一度言葉を切り、およよ、とそでで目元を隠して泣き真似をしてみせる龍親。


「なのにお前は、仕事を放って小遣こづかい稼ぎの撃剣げっけんばかり……あぁ、お兄ちゃん寂しい。悲しい」

「別にいいでしょ。あたしにはあたしのやることがある。―あと、勝手に兄様あにさまヅラしないで」


 しかし朱羽はそれを思いっきり突っぱねた。

 龍親はがっくりと動きを止め、はぁーっ、と大仰おおぎょうな溜め息をついた後、蒼羅へと顔を向けてくる。

 そこには、『大江都萬街おおえどよろずまち』にて無双とうたわれる男の面影はなかった。

 捨てられた子犬か、あるいは年頃の娘に煙たがられる父親のような、哀愁に満ちた表情が同情を誘う。


「まぁそういうわけで、朱羽の監視役って節もあるんだけど……どうだ、獅喰。やってくんない?」


 朱羽と龍親の顔を見比べた蒼羅は、ひとつうなづき、意を決するようにして口を開いた。


「お断りします」

「えぇー」


 にべもなく断る蒼羅に、いよいよ駄々っ子めいて口をとがらせる龍親。対して朱羽は、水を得た魚のように活き活きと彼を責め立て始めた。


「ほらー、当の本人たちがそう言ってるんだから。満場一致で不採用、この話はナシってことで」

「じゃあ、だ」

「ねぇ龍親。職権乱用って言葉、知ってる?」

「……断ったら、分かってるよな?」

「いくら龍親さんの頼みでも、朱羽とだけは」

「 分 か っ て る よ な ? 」


 念を押す龍親。

 その穏和おんわな表情の裏にある凄絶せいぜつな圧力を感じ取り、ぶるりと肩を震わせた二人は、そろって後ろを振り向き顔を突き合わせる。


「ねぇどうする? あいつ今日すっごい怖いんだけど」

「どうするもなにも、組むしかないだろ」

「えぇ……。本気で言ってんの?」

「だって上官命令だぞ」

「たとえ上官命令でも、あんたと組むのは嫌なんだけど」

「俺だって嫌だよ。だけど断ったらなにされるか分からないだろ」

「確かに」

「とりあえずここは組むフリで通すぞ」

「……分かった」


 負の方向に意気投合した二人は揃って互いへと向き直り、引きつった笑みを浮かべて互いに握手を交わした。


「しょうがないから組んであげる。頼むからヘマしないでよ」

業務怠慢ぎょうむたいまんしまくってる奴がえらそうに。俺がお目付役めつけやくになってやるよ」

「よーし成立だな。……いやぁ、分かってくれて嬉しいよ」


 一瞬で圧を消し去ってさわやかな笑みを浮かべる龍親に、蒼羅は四肢を投げ出し倒れ込みたい気分になった。

 あぁ、また厄介事を引き受けてしまった。これからどうなることやら……。

 苦々しい表情で朱羽の顔を眺めていると、


「べーっ」


 彼女はこちらを小馬鹿にするように、右目の下を指で引っ張って舌を出した。


・・・・・・


「はぁ、強引に誰かと組ませるのは百歩譲って良しとしても……なんであんたなの?」

「奇遇だな、俺も同じこと思ってたよ。ていうかそれ本人の前で言うか? ほんとひねくれてんなぁお前。もっと他人に優しくした方が身のためだぞ」

「あーはいはい、ご忠告どーも。しっかり聞き流しとくわ」

「いや心に留めろよ」

「あんたの言ってることをいちいち覚えてるほど、あたしはひまじゃないの」

「…………覚えてられないだけの馬鹿じゃん」

「…………はぁ?」

「これは聞き流さねーのかよ」


 叙勲式が無事に終了し、各々おのおのがそれぞれの持ち場へ戻っていく中、言い合いながら廊下を進む蒼羅と朱羽。

 そんな二人の背中を、龍親は恵比寿顔えびすがおで見送っていた。


「―あの二人、組ませてよかったのですか」


 その横から声が聞こえた。

 振り向くと、いつの間にか横に並んでいた黒髪の少女—依智いちが、上目遣いにこちらを見ていた。その瞳にはいぶかしげな色。

 依智は廊下を歩く二人の背中を一瞥いちべつし、『ずいぶん凸凹デコボコとした二人ですが……』と付け加える。

 龍親も再び二人の背中へ視線を向けると、なるほど的を射た例えだと破顔した。


「凸と凹ねぇ……だったら上手く噛み合うだろ。ありゃ凸と凸だ。どうやったって噛み合わない。……いや、むしろ凹と凹か。たとえ噛み合ってもいびつで奇異な形になる。欠点だらけの凹凹ボコボコな二人組」

「ならば組ませるのは得策ではないのでは? 彼は新兵です。あの朱羽が、仕事のいろはを教えられるとはとても……」

「なんだ、お前が手取り足取り教えたかったか?」

「いえ、私は別に」


 からかうように言葉を投げるも、依智は表情筋をぴくりともさせず即答する。

 相変わらず堅物かたぶつだな―龍親は小さく苦笑してから、依智の言葉を遅れて首肯しゅこうした。


「朱羽は教育係として適任じゃない。それは俺も同感さ」

「それを分かっていて、なぜ?」

「だからこそ、だよ」

「…………?」


 小首をかしげ、龍親の言葉の真意をみ取ろうと眉根を寄せていた依智だったが、


「おーい、依智ー? さっさと行こうぜー」


 弟の呼びかけに振り返ると、一言だけ挨拶あいさつを残してその場を離れていった。

 その背を見送ったあと、誰もいなくなった部屋の中で龍親はひとりごちる。


「確かに組ませるべきじゃないのかもしれないが……俺はそこに賭けたいんだ」


・・・・・・


「どこ行ったんだよあいつ……」


 蒼羅は疲弊ひへいした調子で小さくこぼす。

 朱羽は城から出た瞬間、逃げるように全力で駆け出し、あっという間に行方をくらましてしまった。

 蒼羅もそのまま好き勝手に単独行動を取ろうと思っていたが、龍親から彼女の監視役を頼まれた手前、無視したくてもできないのだ。

 そんなわけで嫌々ながら朱羽の姿を探して城下町を歩き回り、かれこれ一時間ほどが経過していた。


「!」


 菓子の甘い匂いがただよう通りに入った瞬間、何かが投げつけられるのを視界の端で捉えた。一瞥いちべつもせず取ると、手に妙に生暖かい感触。

 思わず顔の前に持ってきてじっくりと見る。


「……はぁ?」


 変な声が出た。

 手に収まっていたのは、つかんだ衝撃でひしゃげた鯛焼たいやきだった。

 投げつけられた方向を見ると、毛氈もうせん掛けの縁台に座る朱羽が、こちらに小さく手を振るのが見えた。

 なにをしているかと思えば、仕事中に甘味処かんみどころ舌鼓したつづみか。

 蒼羅は大きな溜め息ひとつ、そちらに歩を進めていく。


「どこ行ってたんだよ、探したんだぞ」


 隣に腰を下ろしながらそうたずねると、朱羽は尻尾だけになった鯛焼きを口に放り込んだあと、もごもごしながら返事をしてくる。


「ひゅんはいほふほーはま」


 こちらの徒労を労うつもりなど全くなさそうな、薄っぺらい(そもそもなに言ってるか分からない)朱羽の言葉。

 蒼羅は内心に芽生えた苛つきを、嫌味たっぷりな台詞へ変えて吐き出す。


「街の平和を守るため、今日もお散歩がてら悪人をしょっぴくお仕事の真っ最中だってのに。巡回中の俺に向かって、あろうことか鯛焼きを投げつける不敬のやからがいたな。今日はそいつをとっちめるか」


 鯛焼きをこくりと飲み込むと、朱羽は白々しくも手で口を押さえて驚いてみせた。


「まぁ、ひどい奴がいるものね。『旗本衆』の役人様に鯛焼きを投げつけるだなんて」


 蒼羅は手の中でひしゃげた鯛焼きにぱくつくと、飲み込みながら続ける。


「んあぁ、全くだ。しかもそいつは、つい数分前の記憶すら保てない馬鹿ときた」

「あんたも大変ね、同情する。でも、悪気は無いかもしれないじゃない? 」

「悪気しか無いだろ、どう考えても」

、ってことでねぎらいとして投げつけた可能性もあるんだし。ろくに話も聞かずにとっちめるのはどうかと思うけどなー」

「それがな、ありがたいことにさっきから素直に自供してくれてるんだよ」

「へぇ、良かったじゃない。それじゃ、あたしはここらでおいとまさせてもらうから。無事に捕まえられることを祈っとくわ」

「あぁ、悪いな、愚痴ぐちなんて聞いてもらっちゃってさ」

「別に、あたしで良ければいつでも付き合ってあげる。……じゃあね」

「おうよ」


 立ち上がってこちらへ小さく手を振ったあと、やたら足早に去ろうとする朱羽。

 蒼羅は手を振り返しながら彼女を見送り―


「って待て待て、待てオイ!!」

「……え、なに?」

「なに? じゃねぇよお前だお前!!」


 蒼羅の叫びにまたも白々しく振り返った朱羽は、しばらく目を泳がせたあと、やがて誤摩化ごまかしきれないとさとったのか、困ったように眉を下げた。


「……冤罪えんざいじゃない?」

「現行犯だよ!!」


 追いかけるように席を立つ蒼羅を、『おーい、そこのあんちゃん』と、甘味処の主人が呼び止める。

 振り返った蒼羅に、困ったような笑顔を浮かべた主人は、何かを求めるような手の形を作った。


「食べたんだから、ちゃんとお代を払っておくれよ」


・・・・・・


「まったく、なんで俺が……」


 すたすたと先へ歩いていってしまう朱羽の背を追いつつ、わずかに軽くなった財布の中身をながめながら小さく愚痴る。

 結局あのあと蒼羅が払うことになった。それも朱羽の分もまとめて、だ。

 ただでさえ寒い懐がさらに冷え切ってしまった現実に、げんなりと溜め息をつく。


「大体、小遣い稼ぎで撃剣やってるお前の方が金持ってるはずだろ。俺が払う必要あったか?」

「あれは小遣い稼ぎじゃない」


 蒼羅の文句に、朱羽は背中を向けたまま、どこかむっとした様子で答えた。


「じゃあ何のためだよ」

「あんたには関係ない」


 なにがそんなに気に入らないのか、声にまで不機嫌な色が乗る。


「はいはい、ごめんなさい。悪かったって。今度なにかおごるから、それでチャラにしてよ」


 足を止めて振り返り、溜め息まじりにそう言う朱羽。

 その提案に乗るのはなんだかしゃくな気がして、無視して追い越す蒼羅。

 朱羽が引き止めようと手を伸ばす。


「ちょっと、聞いてんの? ―痛った!」


 肩に触れようとした瞬間、ぱちり、と音が鳴り、朱羽は小さく叫んでその手を引っ込めた。


「……大丈夫か?」


 思わず振り返って声をかける蒼羅に、朱羽は手をぷらぷら振りながら苦笑する。


「なに? 大袈裟おおげさね、ただの静電気だって」

「……悪い」

「? なんであんたが謝んの?」


 何故かばつの悪そうに顔をそむける蒼羅に、朱羽はきょとんとした顔で首を傾げる。


「あぁいや、なんでもない。なんでもないんだ」


 その反応を見た蒼羅は苦笑とともに誤魔化すと、『それよりも』と話題を変える。


「まさかお前が『旗本衆』の一員だったなんてな」

「あー、あんた知らなかったんだもんね。なのに『なぁお嬢さん、廃刀令って知ってるか?』とかいちゃってさ。あんたのあの得意げな顔……」


 声を低めただけの微妙な物真似を披露した朱羽は、ぷふっ、と含み笑いを漏らす。

 小馬鹿にされた苛立ちよりも恥ずかしさが勝り、蒼羅は小さく頬を染めてそっぽを向いた。


「しょうがないだろ、あれは……」


 朱羽と初めて会ったのは、傾奇者かぶきものにナンパされている彼女を助けたときだった。

 まだ朱羽のことをただの旅芸人としか思っていなかった蒼羅は、刀剣の所持について問い詰めようとした。

 考えてみればあのとき、帯刀を許されている人物に対してそれを咎めようとしていたのだ。朱羽からすれば滑稽こっけいだっただろう。

 しかし彼女の格好にも問題がある。

 赤襦袢あかじゅばんと白色の着物、膝上まで切り詰められた赤い女袴と朱塗りの飾り下駄。

 これを見て警察機関の人間だと思う者はいない。蒼羅が勘違いするのも無理はないことだ。


「やめてよね。あれほんと、笑いこらえるの大変だったんだから」

「うるせぇ。ていうかこんなところほっつき歩いてて良いのかよ。城の中でやらなきゃいけない仕事とか、あるんじゃないのか?」


 至極しごく全うであろう蒼羅の疑問に、朱羽から返ってきたのは呆れ顔。


「あたしが日がな一日、机の前で書類の整理とかやると思う? 面倒な作業は、そういうのが得意なやつにまかせときゃいーの。適材適所ってやつよ」

「あー、なるほど。お前が不適切だってのは分かった」


 蒼羅の言葉に一瞬、不服そうに片眉を跳ね上げた朱羽だったが、すぐに鼻を鳴らしていつもの調子に戻る。


「それにね、これは言うなれば巡回よ。街をめぐって悪漢がたむろしてないか、事件が起こってないか見て回ってるの」

「そりゃ立派で結構。―だがその巡回中に、菓子を食べ歩く必要はねぇよな」


 朱羽はもっともらしいことをのたまったが、その手には先ほどの店で買った鯛焼きがひとつ。

 さっきも食べてただろそれ。

 巡回中だというのなら、もう少し周囲に気を配って歩くべきではないのか……蒼羅は非難がましい視線を送る。


「ただ歩いてるだけとかつまんないでしょ。仕事も楽しまなきゃ」


 食べ終えたあと、悪びれる様子もなくそんなことを言ってのける朱羽に、蒼羅がさらに反論しようとしたとき。



「―嗚呼ああッ、我がいとしの御剣姫みつるぎひめ!! こんなに殺風景さっぷうけいな場所にたたずんでいようとはッ!」



 いきなり、街中に胡散臭うさんくさい大喝がとどろいた。

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