白と黒⑦

「お断りします。あたし、人とつるむの嫌いだから」


 朱羽あけはと名乗った白髪の少女の返答に、蒼羅そらはしばらくの間あんぐりと口を開けていた。


「………………え?」


 口からようやく出たのは、間抜けにもほどがある声ひとつ。朱羽はくすぐったそうに笑い、手をひらひらと振って言葉を続ける。


「いやー、さすがのあたしも、息を潜めて付きまとってくるような殿方に協力するのはちょっとやだなーって。―ねぇ、あたしのこと調べてたんでしょ?」


 苦笑を一転、刃の輝きを帯びた冷たい表情でこちらを問いただす朱羽。その言葉に蒼羅は耳を疑った。

 先ほどの立ち回りといい、この鋭さといい、ただの旅芸人とは思えない。

 バレている以上、誤摩化ごまかす必要もないだろう。

 そう考え、蒼羅は素直に朱羽の言葉を首肯しゅこうした。


「あんたを追ってたんだ。『仏斬ぶつぎ供臓くぞう』の模倣犯が出てから丸一週間、撃剣をする姿を見てないから」

「あたしが模倣犯だって思ってた?」

「あぁ。でもそれは違った。……その、疑ってすまない」

「いいよ、別に。そういうのには慣れてる」


 そっぽを向く朱羽に、蒼羅はなんと返して良いか分からず、居心地の悪さから曖昧あいまいな苦笑を返す。

 しばしの沈黙のあと、いて出た単純な興味から、蒼羅は朱羽にひとつ問うた。


「なぁ、なんであんたは模倣犯を追ってるんだ?」

「手柄になるから」


 建物を見やる朱羽から返ってきたのは淡々とした答え。賞金稼ぎかなにかを生業なりわいにしているのだろう―蒼羅はそう考えひとりで納得した。


「今日もちょうど役人様が動いてるのを見つけてね。ちょっとおとりに使わせてもらったの」

「……なに?」


 蒼羅は愕然がくぜんと朱羽を見やる。―いま囮といったのか? この少女は。


「まぁ二十人ぐらい居たし、多少なり追いつめてくれると思ったんだけど―」


 朱羽は言葉を止め、詰め寄ってきた蒼羅に怪訝けげんな表情を浮かべる。


「……なに?」

「なんで加勢しなかったんだ!? あんたがあの場にいれば、少なくともこんなに死人が出ることは無かった!!」


 気付けば蒼羅は朱羽を怒鳴りつけていた。自分でも知らないうちに語気が強まっていく。

 脳裏によみがえるのは、先ほどの模倣犯との戦闘。

 正直言って、彼女の立ち回りは今まで見てきた誰よりも際立っていた。


 以前見た剣舞から徹底的に『舞』を取り除いた、荒々しくも精緻せいちな剣術。実際、それはあの男と渡り合うに相応ふさわしい実力と蒼羅は見ていた。

 もし彼女が、部隊が全滅する前に助太刀していれば―


 朱羽は建物に向けていた視線をこちらに戻す。

 蒼羅の激昂げっこうした顔を写すその眼は、見ているこちらの背を凍えさせるほど冷え切っていた。


「割って入ったところで、女子供は下がってろって追い返されるのがオチでしょ。こうするほうが都合が良かっただけ。それに言ったはず。あたしは人とつるむの嫌いだって」


 夜風よりも冷ややかな声音と共に、蒼羅の耳に届いた言葉。

 それは、彼の頭に血を上らせるに十分だった。


「お前……ッ! それだけ、たったそれだけの理由で、大勢の人間を見殺しにしたのか!!」


 衝動的に胸倉を掴む蒼羅。

 朱羽は抵抗せず、しかし冷ややかな視線でまっすぐに睨み据えた。


「見殺し? 人聞きの悪いこと言わないで。あたしが着いた頃にはもうみんな死んでただけ」

「人が死んだんだぞ!! なんで……なんでそんな……平気な顔してられるんだよ」

「もう死んでるんだから、今更いまさら騒いだってしょうがないでしょ。……泣いてわめけば、死んだ人間が戻ってくるとでも思ってんの?」


 無感動な瞳でそう言い放った朱羽は、蒼羅の右手を一瞥いちべつしたあと、あざけるように言葉を続けた。


「―あたしを殴れば満足?」


 その言葉に、蒼羅は知らず握り締めていた拳に気付く。

 はっとして我に返る蒼羅に、朱羽は我が意を得たりと冷たく微笑む。


「蒼羅って言ったっけ? 好き放題言ってくれるけど、そういうあんたはなにしに来たの」


「たったひとりで乗り込んで、あたしひとり助けたくらいで随分ずいぶんと偉そうに。思い上がらないでよ」


「自分ひとりで事態が好転するとでも思ってた? ―思ってないでしょ、だからあんたは隠れて怯えてた」


 冷えきった言葉が胸を打つのは、氷で出来た刃をいくつも心臓に突き立てられるような感覚だった。


「これはなるべくしてなったこと。あたしがいつ加勢しても、あんたがいてもいなくても、いずれこうなってた」

「……そんな簡単に、割り切れるかよ」

「割り切れって言ってんの」


 突き放すような朱羽の言葉に、蒼羅は負けじと口を開く。

 そこから言葉は出なかった。


 どうしようもなく事実だ。ぐうの音も出ない。

 ……だが、これは理屈で封殺されていいものじゃないはずだ。

 そう思うのに、蒼羅はなにも言い返せなかった。

 朱羽の胸倉を掴んでいた腕からは力が抜け、だらりと下がる。


「用は済んだ?」


 歯を食いしばり、うつむいたまま黙りこくる蒼羅に、朱羽は着物の合わせ目を直しながら呆れ声ひとつ。

 それにも応えない目の前の少年に鼻を鳴らし、一睨みくれてから、朱羽は背中をむけ歩き出した。


「―じゃあね、英雄気取りの弱虫さん」


 小さくなっていく少女の人影を呆然と見送ったあと、蒼羅も踵を返す。

 覚束おぼつかない足取りで、壁にもたれるようにして歩きながら、心の中で毒づく。


 ―妙に達観しやがって。


 確かに、俺一人じゃなにもできない。あの場の全員を救うことなどできない。

 はやって編み笠の男に挑んでも、勝てずに死体に変わるだけだったかもしれない。出来たことはせいぜい、お前ひとりかばうのが精一杯だった。だけど……。


「クソ……ッ!!」


 怒りと苛立ちとやるせなさがぜになったどうしようもない衝動に任せ、蒼羅は壁を殴りつける。

 あの女―



「はー、あっつ……」


 汗の伝う首筋を手で扇ぎながら、朱羽は苦々しい表情で夜道を歩く。

 顔に浮かぶ苛立ちを隠そうともせず、吐き捨てるように言葉を紡ぎながら。


「なにあいつ、暑苦しい奴。ド素人のくせに口だけはでかいし。……助けられるなら、とっくにやってるっての」


 立ち止まり、朱羽は長い睫毛まつげを伏せる。まぶたが閉じる一瞬、見えたのは後悔の色。

 怒りと苛立ちとやるせなさが綯い交ぜになった、どうしようもない衝動を、朱羽は溜め息に混ぜて吐き出す。

 あの男―



「「気に入らないッ!」」


・・・・・・


 旅籠はたごでの一件の翌朝。

 いてもたってもいられなくなった蒼羅は、昨夜の出来事をまず師範代に相談した。


 どこから説明したものか、どこをつまんでいいものかも分からず、蒼羅は一週間前、巡回中に白髪の少女と会ったことから今までに起きた全てを話した。


 白髪の少女と一悶着ひともんちゃくあった後、例の死体を見つけたこと。

 その彼女を『仏斬り供臓』の模倣犯と疑い、独断で動いたこと。

 彼女を追う中で旅籠での虐殺を見つけ、真の模倣犯と戦う姿をこの目で見たこと―


 師範代は疑うことも、否定することもせず、蒼羅の話に静かに相槌あいづちを打ってくれた。

 師範代なら『旗本衆はたもとしゅう』の幹部と繋がりがある。この情報を伝えられれば、一連の事件は解決の方向へ大きく動くはずだ。


 そう考えた蒼羅の目論見は当たった。


 師範代はすぐに旗本衆筆頭—九条龍親くじょうたつちかと話が出来るように掛け合い、蒼羅はいま、彼の居室で彼に一連の流れを説明したところだった。


 蒼羅が白髪の少女の話題に触れると、龍親は『白髪、ねぇ……』とわずかに思案顔を見せ、旅籠の惨状を伝えるといたむように目を閉じ、模倣犯の異様な姿を話して聞かせると愕然と目を見開く。


「―それは本当か?」


 全てを話したあとに投げられた問いを、蒼羅は力強く首肯する。

 龍親はその端麗たんれいな顔を深刻そうに曇らせた。


「人ひとりが殺す数にしてはあまりに多い。ただの愉快犯じゃないな、想定していたよりもずっと異常だ」


 龍親は言葉を切って目を閉じ、しばし悩ましげに睫毛を震わせた後、意を決したように開いた。 


「当初の予定にはなかったが、他の訓練兵も捜索隊に投入することになる。なにせ旗本衆の四天王が、『西南の残党狩り』で出払ってるこの時期だ。人が足りない。―いずれお前にも前線に出てもらう」


 そして龍親のこの言葉は、すぐに現実のものとなった。


『肌に隈無く包帯を巻いた、黒い着流しに黒い編み笠の男』

 模倣犯の特異な風貌が幕府によって発表された後、それは街の住民の情報網によって瞬く間に広がった。

 結果、模倣犯発見の知らせは、蒼羅が龍親に事の顛末を話してから、さほど時間を置かずに飛び込んできたのだった。


 発見された模倣犯は、幕府の捜索隊第一班が一軒の空き家へと誘い込み包囲。

 第二班、第三班には残りの訓練兵を加え―蒼羅は第三班に組み込まれた―再編成された。

 先行して制圧を始めた第一班へ合流するため、編成後、すぐさま第二班と第三班は出動。


 模倣犯の発見から十数分後、ついに空き家へと突入した。


・・・・・・


 二班と三班、合わせて四十人が唯一ゆいいつの出口をふさぐように展開。彼らが目にした空き家の内部は、既に地獄の様相ようそうていしていた。


 家具もなにもなくがらんとした部屋の中、壁一面には点描された抽象画のように血飛沫が染み込んでいる。ふすまや障子も血で汚され、そのいくつかは無惨に破壊された状態で倒れていた。


 畳の上に転がるのは、先行して突入した第一班の三十人。

 そのことごとくが四肢を断たれ心臓に刀を突き立てられ、顔を仏画で覆われ絶命している。


 動く者はただひとり。

 肌に隈無くまなく包帯を巻き黒い着流しをまとった、編み笠の男のみ。


「あいつだ……」


 木乃伊ミイラめいたその姿を改めて目にし、蒼羅は呆然とつぶやく。

 忘れもしない。

 あの夜、旅籠の客と捜索隊を皆殺しにし、白髪の少女―朱羽と大立ち回りをしてみせた異形の男。


 捜索班の人間が威嚇いかくするように抜き放った刀を向ける。幾重いくえにも響いた鞘走りの音に、大儀そうに振り返る『仏斬り供臓』の模倣犯。

 二班と三班を束ねる大隊長―短髪を後方へ撫でつけた、いかめしい顔の大柄な男が一歩前へ出て、声を上げた。


「そこに直れ、模倣犯。貴様は既に包囲されている。大人しく投降するというのなら命までは取らん」

「模倣犯? ……いいや、俺が今の『仏斬り供臓』だ」

「……なに?」


 自らを『仏斬り供臓』と称した男に、大隊長は眉をひそめた。

 その反応が可笑しいとでもいいたげに、模倣犯―否、『仏斬り供臓』は薄ら笑いの混じった声で言葉を続ける。


「そこに直れ? 包囲されている? 投降するなら命は取らん? ―くだらん。お前たちは黙って贄となればそれでいい」


 『仏斬り供臓』は、刀を抜き放ってゆっくりと近付いてくる。

 異様な殺戮者から放たれ場に渦巻く狂気は、不可視の鎖となり全員の身体を縛り付けていた。


「―総員突撃ッ!!」


 その拘束を打ち破ったのは大隊長の一喝。

 訓練兵たちは我に返ったように目を見開き、自身を鼓舞するように雄叫おたけびを上げ次々と向かっていく。蒼羅も波に乗るようにして駆け出す。


 訓練兵みなこれが初陣。だが異形の殺人鬼を前にしながら、逃げ出すものはひとりもいなかった。

 国を、人を、泰平を守る旗本衆を志す彼らが、それを脅かす殺人鬼を相手に背中を向けて逃げる道理がない。

 怯懦きょうだに震える心などとうの昔に捨てている。

 その表情に浮かんでいるのはみな一様に義憤ぎふん、ただそれのみ。


 たたえられてしかるべきその勇気はしかし、今この場、この殺人鬼の前においてはただの無謀でしかない。

 彼らは推して知るべきだった。目の前にいる男が何者であるか。


 彼は鬼であった。殺人鬼であった。

 ただの人の身では、人を殺す鬼に太刀打ちなどできぬのだと―彼らは己の命をもって思い知る。


 『仏斬り供臓』へと向かっていく訓練兵たちの中で、全体から突出する男がひとり。鍛えられた細い身体に槍を携えた、精悍せいかんな坊主頭。


 倉木くらきという名のその男は、訓練兵の中で随一ずいいちの槍術の腕を持つ。自分の力を過信するのがたまきずであったが、その実力は師範代にも認められる男だ。


「せいッ!」


 文字通りの一番槍として、誰よりも早く『仏斬り供臓』の間合いへ入り込んだ倉木は、気勢とともに槍を突き出す。

 真正面からの刺突、過たず心臓を穿うがつ一刺し。

 しかしそれが届くことはなかった。


 『仏斬り供臓』の腕がひるがえり、下から上へゆらりと動く。動作は一度、しかし見えた剣線は

 その直後、槍は穂先近くから切り刻まれ、倉木が突き出し終えるまでには半ばまで切り詰められていた。ばらばらと落ちる槍の断片に倉木は目を見開き、その身体は驚愕で硬直する。

 隙を見せたのはわずか一秒。

 しかしその間に『仏斬り供臓』の刀がさらに二度翻り、槍を引き戻そうとしていた倉木の両腕の肘から先がごとりと落ちた。


「……あ?」


 呆けた声をこぼす倉木の前で『仏斬り供臓』が動く。低く身を屈めて倉木の足を削ぎ落とす。四肢から血を噴きながら、わけも分からぬまま倒れた倉木の心臓に、刃を―


「……ッ!!」


 蒼羅は反射的に目をつぶり顔を背けた。

 だが、鋼が肉を貫く音と即死できない激痛にもだえる絶叫は、否応なく耳に入る。再び目を開けると、倉木に続いた訓練兵たちが、彼の二の舞となる様が見えた。


 四肢を斬られ、心臓に刃を突き立てられ、仏画を描かれた紙に顔を覆われる。

 一瞬の交錯こうさくの間に、命が次々と散っていく。

 『仏斬り供臓』は淡々と、易々やすやすと、まるで雑草を刈るかのように人の命を奪っていく。

 その光景に、蒼羅は見覚えがあった。


 これはまるで……思わず足を止めた蒼羅の脳裏に蘇る『あの日』の記憶が、目の前の血腥ちなまぐさい光景と重なる。

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