九章 雷神と狂獣

雷神と狂獣①

「――おおおおおッ!!」


 白地の襯衣シャツ一枚に黒い細身の洋袴ズボン

 墨を塗ったようなクマのある顔を苦痛にゆがませながら、革手袋に包まれた両手を振るう少年―獅喰しばみ蒼羅そら


「――くははははッ!!」


 隆々りゅうりゅうとした上半身に陣羽織じんばおりめいた山吹色の長外套一枚、ほつれの目立つはかま

 頬に刻まれた二条の傷をよじらせて狂笑を浮かべながら、角鋲かくびょう付きの手袋をめた両手をかすませる男―虎堂こどう琥轍こてつ


 闘気と殺気で仄暗ほのぐらよどんだ林の中、響くのは骨肉のぶつかり合うにぶい音。

 二人がそれぞれ繰り出す技は全く真逆の性質ながら、どこか似通っていた。


 ――受け、止め、弾き、護る。

 蒼羅そらが用いるのは、制式軍隊格闘術。

 ――突き、刺し、穿ち、殺す。

 琥轍こてつが用いるのは、旧式軍隊格闘術。


 現在の『旗本衆はたもとしゅう』が用いる格闘術は、いわゆるとなってから創設されたものだ。

 現将軍家による天下統一後。人々が待ち望んだ平穏な世にあっても、殺傷さっしょう沙汰ざたが止むことは無かった。

 だがその鎮圧のために武力や暴力を用いるのは、数え切れぬほどの屍山血河を築き上げた戦国の世の再現でしかない。故に相手の攻撃を受け流して動きを封じることに重きを置いた、護身と無力化のための格闘術が生み出された。


 しかし旧式軍隊格闘術は、で生み出され扱われた代物だ。そこに護身や無力化というは存在しない。


 その本質は、徒手としゅにていかに相手を素早く打ち倒し、

 ただそれ一点のみに究極化された、徹底的に相手を破壊するための——


 である。


 対極する二つはさながらたてほこ

 故事に伝わる矛盾むじゅん逸話いつわよろしく、ついぞ明かされなかったその決着に至ろうとしている。


 ぶつかり合う肉弾、連鎖する打撃音、一進一退の攻防。

 傍目はためには拮抗きっこうしているように見える両者。しかし蒼羅の顔に浮かぶのは、余裕ではなく焦りだった。


 制式格闘術は、あくまでものためのもの。相手の力を受け止め受け流すすべはあっても、傷付け打ち倒す術はない。

 足りない破壊力を補うために組み込もうとしていた我流拳法は、しかし相手の攻勢の前に封じられていた。


 相手の無力化ではなく、殺害を目的とした攻撃的な体術。

 そこに琥轍の破壊意志が乗った苛烈かれつな技の数々は、それをさばくのに手一杯でとても反撃に移れない。

 否応いやおうなく、蒼羅は防戦一方の展開を強いられていた。


 互角に見えて、わずか劣勢。この僅差きんさを放っておけば、いずれ致命的な事態になりかねない。

 表情に焦燥しょうそうの色を濃くする蒼羅に対して、琥轍は打ち合えば打ち合うほどに笑みを深くし、放つ殺気に狂喜をにじませていく。


「おらァ、どォしたッ! そんなもんかァ!?」

「ご、は……ッ!!」


 数十合の打ち合いの果て、刺突しとつのように鋭い前蹴りが蒼羅の腹に刺さった。

 返答の代わりに苦鳴くめい血反吐ちへどを飛ばしながら吹き飛ぶ。その身体は小石のように地をって転がると、終着点にあった細い木の幹に激突してようやっと停止した。


「くっはは……せっかくなしで遊んでやってんだ、もっと愉しませろよォ!!」


 全身の痛みに怯んでいる暇も無い。愉悦を含んだ哄笑こうしょうと殺気は、凄まじい速度で近付いてくる。


 今の琥轍は己の得物——回転式拳銃を用いていない。

 故に徒手の勝負なら五分ごぶ、いやそれ以上の優位で戦える——などと思っていたが、見込みが甘かった。

 以前に相対した銃技と格闘技の合わせ技は、彼にとってはただの余興、だったらしい。そんなろうせずとも、奴は十二分じゅうにぶんに強い。

 力が——琥轍の攻勢さえ打ち破り、ねじ伏せるための力が要る。


 ひらりはらりと降る落葉らくようの雨の中。反射的に跳ね起きた蒼羅は、腹腔から響く痛みに顔を歪めながら己の右手を一瞥いちべつした。


『決して人前で“力”を使っては駄目』


 瞬間、を掛けるように母の最期の言葉が蘇る。

 思案と苦悩の果てに、蒼羅はそれを否定するようにかぶりを振った。

 をしている場合じゃない、そんな甘い考えで倒せる相手ではない。


 この状況を打破するためには、“この手”しかない――覚悟を決めろ、俺。


 哄笑と共に距離を詰めてくる琥轍。

 蒼羅は黒手袋を取り去った右手を振り上げると、握り込んだ拳を地面へ目掛めがけて叩き付けた。


 ――瞬間、周囲に放たれたのは


 周囲の腐葉土ふようどが焼かれ、舞い散る木の葉をちりに帰し、、と耳障みみざわりな雑音を撒き散らす。

 予想だにしない一撃に、琥轍も思わず目をいて飛び下がった。


 突如として放たれた蒼光の正体——それは

 十数条もの複雑な軌道の光線が絡まり合い、結界めいて周囲を一瞬のうちに駆け巡ったのだ。

 驚愕に染め上げられていた琥轍の目には、蒼羅の右手―雷霆らいていが蛇のように絡み付き明滅している―を見たことで理解の色が混じる。



 雲もない虚空こくうからの放電――そんな超常的な現象は、決して自然に発生するものではない。

 しかし、超常の『異能』を操る者たちがいた。日の目を見ることのない歴史の暗部に、確かに存在していた。

 『地に堕ちた神』や『神の落とし子』とおそれられる彼らの名を、


 堕神おちがみ一族という。



「……お前、堕神の人間か。てっきり五年前に滅んだとばかり思ってたが」


 しばし呆気あっけに取られながらそうつぶやいた琥轍は、やがて顔を伏せ、肩を震わせて笑い始める。


「なにがおかしいんだよ」

「そうかそうか、お前と『八咫烏ヤタガラス』……もあったもんだな」


 蒼羅の刺々とげとげしい声に、小さく首を振りながら答える琥轍。その意味深な言葉に、知らず眉がひそめられる。


「まぁいい、そんな与太話よたばなしは後にしようぜ。……今はその『異能』、存分にたのしませろォ!!」

「お前と遊んでいる暇はない。これで決めさせてもらうッ」


 姿勢を低め吶喊とっかんしてくる琥轍。腰を落とし構える蒼羅。

 間合いが接触、始まる打ち合い、拳打の応酬。

 琥轍の正拳を受け流しながら背後を取った蒼羅は、彼のうなじ目掛けて右の手刀を叩き込んだ。

 瞬間、手にまとわせていた電磁が接触面を伝って琥轍の身体を駆け巡る。振り返ろうとしていた動きがわずかに硬直。


 隠神いぬがみ依智いち狒々愧ひびき、あの夜叉坊やしゃぼう吽慶うんけいでさえ一撃で気絶せしめたがこれだ。


 響く確かな手応てごたえに、蒼羅は胸中で『よし』と呟く。

 常人ならば、即刻気絶するほどの電圧を一気に流し込んだ。流石の琥轍も——


「あァ?」


 ——ひどく鬱陶うっとうしそうに、首をめぐらせるのみ。

 気絶どころか彼に、蒼羅は目を疑った。



 浮 遊 感 。



 驚愕の声を置き去りに、蒼羅の身体は大きく吹き飛ばされていた。

 回り巡る景色の中で、裏拳を放ったまま残心する琥轍が見えたのも束の間。地面にしたたか叩き付けられる。


「おい、なんだァ? ……今のぬるい奴は」


 向こうから苛立たしげな声が聞こえた。

 手を突いて立ち上がり、口の中に入った土塊つちくれを唾とともに吐き捨てる。


、だと? 普通なら間違いなく気絶するはずだ」


 琥轍の身に起きた明らかなに、蒼羅は顔をしかめた。


 雷は一度落ちれば大地に穴を空け、田畑を焼き、木々を薙ぎ倒すほどの凄まじい威力を誇る。それこそ人の身で受ければ命の保証は無い。

 蒼羅の操る雷電の威力は、やはり自然の雷には劣る。

 しかしそれでも、常人がまともに受ければ気絶はまぬがれない……はずだった。どうして奴は平然としていられる?


「くは、あの程度で俺が気ィ失うわけねェだろ。……

「そんなことしたら死ぬぞ、お前」

「あァ、だからそう言ってんだ。――じゃなきゃお前に俺は倒せねェ!!」


 駆けた琥轍は、間合いが交わる一歩手前で跳んだ。

 助走に加え、跳躍の勢いまで乗せて打ち下ろされる拳。蒼羅は半身になりながら左の掌底を叩きつけて背後へいなす。


 真後ろでうなる風。咄嗟とっさに屈むと、琥轍の裏拳が頭上を擦過していった。

 振り向きざまに脇腹を殴り付け、次いで来る左拳にひじを当てて外側へ弾く。蒼羅は地にくさび打つように強く踏み込むと、がら空きとなった琥轍の胴へ、右の肩から肘を叩き付けた。

 数歩下がる琥轍。口から漏れたくぐもった苦鳴は、間もなく汚泥おでいが煮立つような笑い声に変わる。


「なにを躊躇ためらってやがる、殺す気で来いって言ってるだろォが」


 琥轍は笑みを浮かべたまま両手を広げてみせる。 体当たりの瞬間に右肘を鳩尾みぞおちに突き入れたはずだが、効いている様子は無い。


「俺の力はだ。殺すためじゃない!!」


 反駁はんばくと共に叩きつけた右の拳は、琥轍の五指に容易たやすく握り止められた。込められた握力で骨がきしむ。

 痛みに顔を歪める蒼羅に、あきれたような嘆息たんそくが吹き掛けられる。

 

「野暮が。そんなちからで誰をまもれる? ……人を焼き殺すのが関の山だろ」


 その言葉をこばむように拘束を振り払うと、腹に甚大じんだいな衝撃。よろめくように数歩後ろに下がってやっと、琥轍が放った前蹴りが刺さったのだと理解する。


 顔を上げた瞬間、見えたのは颶風ぐふう

 直感的に後ろへ跳ぶと、鼻先を靴裏が擦過さっか。着地した蒼羅に影が差す。体勢を立て直す暇すら与えまいと琥轍が距離を詰めてくる。


八咫烏ヤタガラスの奴にしたってそうだ、ありゃに奴が身に付けた力。まかり間違っても、誰かを護るために使えるもんじゃねェ」


 苛烈な攻勢を間一髪のところで捌きながら、蒼羅はその言葉に顔を歪めた。

 両者全く同時に放った上段回し蹴りが剣戟けんげきめいてかち合う。即座に脚を引きわずかに後退。二人はそれぞれ右腕を引き絞りながら、そろって互いの間合いへ踏み込んだ。


 ――復讐のためだけに剣の腕を磨いて、一族郎党を皆殺しにした女だぞ。

 ――後悔するでしょうね、その女を助けたこと。

 

 格闘の最中に生まれた間隙、わずか一瞬の『なぎ』の時間。

 緩慢かんまんに流れる体感時間の中で、脳裏に蘇ったのは隠神いぬがみ姉弟きょうだいの言葉だった。


 鈍化どんかしていた時間感覚が急速に流れていき、互いの正拳が真正面からぶつかり合う。

 黒鋼くろがねの義肢と黒手袋の角鋲がこすれ合い火花を散らす様は、さながら拳のつばり合い。


「だとしても俺は、誰かを護るためにそれを使う。使


 覚悟を込めにらみ付けた先、琥轍は口角を持ち上げて獰猛どうもうに笑った。蒼羅の視線を受け止めるその双眸そうぼうに、更なる喜悦きえつが炎となって燃え盛る。


「……面白おもしれェ。やってみろよ」

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