共振と追跡④
「最強? なんだよ、前評判の通りじゃないか」
「それしかないんだもの。彼を的確に表現できる言葉は」
横薙ぎの一閃を右手で受け止めた
「……ッ」
痛みに顔を歪め反射的に手を離すと、拘束から逃れた白刃はすぐさま首を斬り落とそうと閃く。銀光が描く死への曲線、その軌道上に義肢を割り込ませて受け止める。
「じゃあ、ここで
「逃がすと思う?」
大刀を弾き飛ばした蒼羅が後ろ足を下げると、依智は距離を詰めようと姿勢をわずかに低めた。
身体に力を込めるために息を吸い込むその瞬間。
蒼羅は
傷口から血が溢れる、真っ赤に染まった右の掌で。
「―んッ……あ、ぁぁァ……ッ!!」
一瞬の後退は
依智の鼻は、常人の数十倍の精度を持つ犬並みの嗅覚。
ならば、常人にとっては少し不快な程度の血臭も、彼女にとっては強烈な悪臭たり得る。
「くぅぅ……んッ」
よろめき刀を取り落とした依智は、頭痛を
黒布をむしり取り、口元を手で
その殺意に満ち満ちた視線を受けて、蒼羅は意地悪く笑った。
依智の鼻は潰した。次は―
「
怒声と共に降ってきた長棍を半歩引いて避けると、蒼羅は体勢を戻し切れていない
こめかみに軍靴の爪先がめり込む。狒々愧はふらつきながらも、長棍を杖にして膝を突くことは
ようやっと動けるようになったようだが、先ほど
気絶させられれば良かったのだが、
これ以上こいつらに構ってる暇はない。蒼羅は
「待ち、やがれ……クソッ!!」
狒々愧の絞り出すような苦鳴はその背に届かず、地面へと吸い込まれていった。
・・・・・・
記憶の断片が次々と浮かんでは、水に絵の具を溶かしたように薄ぼけていく。
景色がごちゃまぜになり、
やがてその内からまろびでたのは、懐かしい記憶のうちのひとつ。
―広い広い畳敷きの床にひとり、幼いあたしはそこで
生まれたての小鹿のような震える四肢で、
木刀で滅茶苦茶に叩かれた身体は動かそうとするたびに鋭い悲鳴を上げ、掌の血豆は
目の前に放り投げられた木刀—積み重ねた鍛錬とともに削れて
「飛べない鳥は、地面に
言い捨てて去っていく龍親の背中を
腹の底で渦巻く、様々な感情を爆発させるように。
けれどそれは
痛みでろくに回らない頭の中にぼんやりと浮かんでくるのは、九条の家に引き取られる前の生活。
「……
七つ上の兄がいた。
強くて、優しくて、かっこいい。家族の誰より大好きな、
―あたしがもっと、もっと、兄様みたいに強ければ。
そう思った瞬間、誰かの声が聞こえた。
『悔しいか?』
否、聞こえたというよりも、頭の中に響いた、と言った方が正しいのかもしれない。
女性の声だ。すこし低めの、落ち着いた綺麗な声。
次いでその誰かが―いつの間に現れたのか―あたしの顔の前にしゃがみこむのが分かった。
その顔を確かめようと頭を上げても、痛みと
白一色の着物だ。細い身体の線からして、若い女性であることは分かった。唯一見えた口元は、どことなく
でも母様じゃない。母様はそんな喋り方はしなかった。
分からない。どんな感情を
けれど、不思議と不安ではなかった。
どこの誰かも分からない他人のはずなのに……
「だれ……?」
『悔しいか?』
人かも分からぬそれは、あたしの問いには答えてくれず、もう一度同じ言葉を繰り返した。
―悔しくなんかない。
息を吸い込んで、そう言い張ろうとした。強がりを言おうとした。
弱虫で、泣き虫で、それでも負けん気が強いあたしは、悔しいことや悲しいことがあっても、人前では隠し通す
いまもそのつもりでいた。
「く、やし、いッ……!!」
けれど。
口から勝手に
「悔しい、悔しい悔しい悔しい……ッ!!」
一度口にしてしまうと、
「どうしてっ、どう、して、あたしは、兄様みたいに強くないの。兄様みたいに、強くなりたいのに。兄様みたいに、かっこよくなりたいのに。あたしは、弱くて、泣き虫のまんまで、なにも変われないの。悔しい、悔しいっ」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、全てを吐き出す。
不思議と、この人の前ではなにもかも
全てを聞き取ってゆっくりと頷いた女性は、細く冷たい指であたしの両の頬を包んで顔を持ち上げた。
ようやく目にしたその姿に、
そこにいるはずなのに、
不意に
白と黒、色のない無彩色。精巧な
それは
「……ぁ」
なにか言おうとしたあたしの口に、女性は立てた人差し指を添えて言葉を遮る。
その凛とした声音を優しげに震わせて、小さく笑った。
『“私”に、全て任せろ』
透けていた髪は真っ白に染まり、白一色の着物は赤く塗りつぶされていく。
それに反比例して、自分の身体が
肌や衣服の色は失せていき、やがて透けて、指先から溶けるように消えていく。色が奪われていくたび、あたしの存在が薄らいでいく。
やがて意識さえも遠のき、下りてきた
それでも、不安や恐怖はまるで無かった。
むしろあたしは
『全て、“私”が片付ける。お前は眠っていればいい』
『目が覚めたときには、痛いことも苦しいことも、全て終わっているから』
―あぁ、良かった。
―これで、辛いことから逃げられる。
・・・・・・
目の前で起きた異常事態に、
倒れるはずの朱羽が、後ろ足を引いて踏み留まった。
そして、糸に
しかしその足元は
おそらく気力だけで立っている状態だろう。
だが、龍親の顔には明らかな焦りが見え始めていた。
——周囲の気温が変わっていく。
不屈の闘志によって熱が上がるようでもあり、
絶対零度の殺気に
否、これは冷えたのだ。不屈の闘志は、既に
ならば残るのは―
龍親は敵の目をまっすぐに見据えた。
彼を見返す朱羽の
そこに込められているのは、
純粋な殺意によって練り上げられた
龍親は深い落胆とともに、
「ようやくお目覚めか―—『
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