疑惑と刺客②

 呉服屋―朱羽あけはが次に向かうと言っていた店だ―の壁に背を預けた蒼羅そらは、手にした彼岸花の髪飾りを複雑な表情で眺めていた。


 精巧な造りの花と蒔絵まきえ飾りが美しいそれは、『艶街いろまち』で無理やり売りつけられたものだ。

 中央区に帰ってきた後、真っ当な店で鑑定してもらったが……


 どうやらあれがだったらしい。贋作がんさくかとも疑ったが、そんなことも無かった。

 店主の老爺ろうや胡散臭うさんくさい見た目をしている所為せいで、なにもかもが怪しく見えていただけだった。


 とはいっても、あの老爺の邪魔が入ったことによって、潜入作戦の出鼻をくじかれたのは事実だ。沸き起こるやるせない感情を、溜め息に混ぜて吐き出す。

 はてさて、これをどうしたものか。

 持っていてもしょうがない。蒼羅には使い道がないのだから。

 誰かに送るか―そう考えてぱっと思い浮かんだのは、朱羽の顔だった。


「いや、無いな……」


 いきなり送ったところで、気味悪がられるのがオチだ。脳裏に浮かんだ想像上の朱羽も、怪訝けげんな顔をして首を振っている。


 ―これは、いつか大切な人が出来たときに送ろう。

 蒼羅はそう考え、髪飾りを包みに戻して懐にしまい込んだ。

 往来する人々を眺めていた蒼羅は、思い出したように元来た道を振り返る。


「…………遅いな、あいつ」


・・・・・・


「―で、ほんとに何の用なわけ?」


 傷の男—虎堂琥轍こどうこてつに連れられ、入り込んだ路地裏。

 数歩前でこちらに背を向ける彼に、朱羽はさっきと同じ問いを繰り返す。


「何の用だァ? くなよ」


 半笑いの口調とともに、琥轍こてつがこちらを振り返る。

 その上半身の動きがした。陣羽織じんばおりめいた山吹色の長外套をひるがえし、顔を目掛めがけて振り抜かれるのは拳。

 朱羽は目を見開きながらも重ねた腕で受けた。衝撃で押され後退、下駄の裏が地面をこする。


「はッ、まだなまっちゃいないみてェだな」

「あぁ、。何の用かなんて……聞く方が不粋だった」


 拮抗きっこうする力に震える腕の向こう。犬歯を剥き出しにして笑う琥轍に、朱羽は侮蔑ぶべつを込めた表情で睨み返す。


「良いねェ、飲み込みが速くて助かる」


 琥轍が口の端を釣り上げ、さらに一歩踏み込んだ。更なる膂力りょりょく充填じゅうてんされた腕には、縄のような筋肉が盛り上がる。

 ただそれだけの動作で力の拮抗は打ち破られ、朱羽の身体は段々と押し戻されていく。


 体勢の均衡きんこうが崩れる寸前で、朱羽は腕を畳みながら身体を右回りに回転。そのまま拳を受け流し、琥轍の背後を取った。

 鞘に収まった小太刀が、遠心力で右袖から飛び出す。それを握り込み、回転の勢いを殺さぬまま横薙ぎ一閃。

 うなじを打ち据えるはずの一撃は、


 なんの手応えもなく


 手に伝わるはずの感触が無いことに眉をひそめた次の瞬間、土手っ腹に衝撃。

 すくい上げるような力の方向のまま、朱羽の身体は宙へ打ち上げられる。


「ぅぐ……ッ!?」


 眼下に広がる俯瞰ふかんの景色。

 こちらに背を向ける琥轍は、器用にも上体を前へ倒しながら、片足を天へと跳ね上げていた。

 あの横薙ぎを、かわしながら蹴り上げたのだ。


 重力が身体を掴む。為す術なく落下する朱羽へ、琥轍はその場で跳躍し地面と水平に旋転。

 竜巻めいた暴力的な回転から放たれる蹴りが、薪割まきわり斧めいて朱羽の身体に打ち込まれた。 


「が、はッ……ぅえっ」


 ―調子乗っていっぱい食べなきゃ良かった……。

 地面に叩き落とされた朱羽は、菓子の食べ歩きなんてしたことを早くも後悔していた。

 さっきまで朱羽を幸せ気分にしてくれていた甘味たちは、全身を揺さぶる無慈悲な衝撃に感化されたのか、みんな揃って胃壁をボコボコに殴り始める。

 喉の奥からせり上がる気味の悪いを飲み下しながら、朱羽はゆっくりと立ち上がった。


「どうしたァ、もう終わりかよ?」

「はッ、冗談……ここからでしょ」


 肩をすくめてあざけるように笑う琥轍に、朱羽は小太刀を抜き払いながら獰猛どうもうな笑みを返した。


 小太刀を下段に構え、姿勢を低めていく朱羽。 

 指の骨を威圧的に鳴らし、ぐるりと首を回す琥轍。

 二人の闘気にてられ、路地裏にわだかまる空気は殺伐さつばつとした刺々とげとげしさをまとっていく。

 肌の粟立あわだつような緊張が沸点に達した瞬間、弾かれるように両者ともに動いた。


 仕掛けるのは朱羽。

 先んじて己の間合いへと相手をとらえ、小太刀を握る左手は上へ翻る。閃く銀の筆鋒ひっぽうがナナメの剣線を描き出し、鋭い筆致の残光を空間に刻み込んでいく。


 しかし、鈍い激突音とともに斬撃はへ弾き飛ばされた。


「……ッ」


 瞠目どうもくする朱羽。

 その視線は、琥轍の両拳―鋭利な角鋲かくびょうの付いた革手袋に包まれている―に向けられていた。


 見切ることなどおよそ不可能な

 琥轍は真横からえぐり込むように放った拳を、刃とち合わせたのだ。


 衝撃に吊られ、横へ流れる朱羽の身体。隙をさらした一瞬の内に、琥轍は刃の距離よりも更に内側―拳打の間合いへと入り込んでいた。


 琥轍の腕先が消える。

 目を剥いた朱羽の頬を横殴りの颶風ぐふうかすめ、余波が前髪を乱していく。

 反射的に半歩下がっていなければ意識が刈られていただろう。回避が間に合ったことに安堵あんどの息を吐く―


 暇もない。


 姿勢をわずかに低めた琥轍は、拳闘士よろしく拳を振るい続ける。

 一陣の颶風となって次々と迫る拳打の数々。朱羽は避け、いなし、受け止め、紙一重のところでさばいていく。


 そのたび、朱羽は全身の感覚が研ぎ澄まされ、思考が冷徹ないくさの色に染まっていく感覚を覚えていた。

 まるで、研がれた刀剣が玉鋼たまはがねの輝きを取り戻していくように。

 呼応するようにの中に、この男の素性も入っていた。


 元『天照あまてらす』第二席―『虎』の虎堂琥轍。


 筆頭補佐という肩書きが与えられてはいたが……凶暴かつ好戦的な彼に、そんなものが勤まるはずも無い。

 人の下で使われることをいとう琥轍は、度重たびかさなる軍紀違反と単独行動により、『天照』の中で唯一が許された男だ。

 その活動内容というのも、


 標的以外への甚大じんだいな被害を出す―

 予定時刻を過ぎても帰投せず、第三者との戦闘を継続―

 無関係の者を煽動せんどうし乱戦を発生させ、数十人を惨殺―


 ていに言ってしまえば、常に殺し合いにえる

 とっくに死罪にされていてもおかしくない、超弩級ちょうどきゅうの危険人物だ。


 ―そんな人間が何故、あたしを狙いに来る?

 —そして、なんであたしは?


 数秒にも満たない記憶の反芻はんすうの後。

 朱羽の思考に疑問符が浮かんだ瞬間、琥轍の姿が視界から消えた。


「!!」


 思考よりもはやく、身体は勝手に後退を選んだ。

 その理由を、朱羽の意識が一拍遅れて理解する。

 琥轍は消えたのではなく、身体を大きく沈み込ませていたのだ。


 昇竜のごとき拳が鼻先を擦過していく。

 間一髪で回避した朱羽は、手首を返しながら小太刀を逆手に握り直し、がら空きとなった琥轍の鳩尾みぞおち柄頭つかがしらで突いた。


 くぐもった声を上げて後退した琥轍に、朱羽は踏み込みつつ腕を振り上げ一閃。銀光の終点で右の順手に持ち替え、さらに追撃。振り下ろした切っ先が頬を掠める。

 後退した琥轍は、小さく笑って頬から流れる血を拭った。


「ねぇ、まさか喧嘩ふっかけるためだけにわけ?」

「……へぇ、気付いてたのか」


 距離が離れ、睨み合う両者。

 正眼に構えた朱羽がいぶかしげに問うと、琥轍はどこかおどけた様子で片眉を跳ね上げた。あまりにわざとらしい反応に、朱羽は失笑を返す。


「あんなに殺気を振りまきながら歩いてれば、馬鹿でも気付く」

「なら、お前の隣にいた奴は?」

「あれはただの馬鹿だから」


「…………そうなのか?」

「…………そうなの」


 困惑する琥轍。神妙しんみょううなずく朱羽。

 場に満ちる微妙な空気感は、琥轍の咳払いで霧散していった。


「……俺も、ただ喧嘩ふっかけに来たわけじゃねェよ。って言う奴がいてな」

「あたしを……?」

「俺に勝ったら、依頼人そいつのこと教えてやってもいいぜ」


 琥轍の言葉に、朱羽は動きを止める。

 彼がこうして喧嘩を仕掛けてきたことと、今までの襲撃を無関係と断じることはできない。ここで琥轍を倒せば、に一気に近付けるかもしれない。

 だが、と朱羽は形の良い眉を訝しげに顰めた。


「なんのつもり?」

「あ? なにがだよ」

「なんでわざわざ、依頼人の情報をこぼしたわけ? おまけに勝ったら教えてやるなんて……随分ずいぶんじゃないの」

「なに、おめぇにもが必要だろうと思ってよ。……久々に楽しめそうな獲物を見つけたんだ。尻込みして逃げられちゃ勿体もったいないからな」


 皮肉げに笑い返す琥轍を見て、なるほど、と朱羽は小さく頷いた。

 ―こちらを戦いに乗せるための、か。

 琥轍の思惑通りになってしまうのはしゃくだが、せっかく見つけた手掛かりをみすみす逃すわけにもいかない。


「乗ってやろうじゃないの」

「そうこなくっちゃな。―楽しませてくれよ、『八咫烏ヤタガラス』」

「―ッ!!?」


 『八咫烏ヤタガラス』―その名を呼ばれた瞬間、朱羽の頭に鋭い痛みが走った。

 記 憶 を ぐ ち ゃ ぐ ち ゃ に か き 混 ぜ ら れ る よ う な 感 覚。

 あの張り紙を見たときと同じ痛みだ。

 朱羽は思わず額を押さえ、思考をさいなむ頭痛をこらえる―

 その一瞬が命取りだった。


 琥轍が動いた—そう認識した瞬間には、朱羽の身体は既に長屋の壁へと叩きつけられていた。

 幾度も殴られたのか、胴体の各所が疼痛を発する。

 壁に背を預けたまま、ずるずるとへたり込む朱羽。それを見た琥轍は、思考にもやが掛かったような複雑な表情で首をひねる。


「その程度だったか? お前の実力はよォ……期待して損したぜ」


 立ち上がろうとする朱羽の視界に、がぽっかりと空いた。


 がちり。

 撃鉄を起こす音を耳にして、それが突き付けられただと気付き、視線は否応無く釘付けになる。


 ―あの奥に火が見えたら最後、あたしは死ぬ。

 あと数秒、あるいは一瞬の後に迫る死。恐怖が心臓を鷲掴わしづかみにし、身体の動きを強張こわばらせた。


「じゃあな、さよならだ」


 引き金が引かれるその直前、拳銃はによって真上へ弾き飛ばされた。

 風圧で砂利じゃりが巻き上がり、朱羽の前髪をなぶった。


 ―いや、風じゃない。

 脚だ。現れた誰かが、爪先で蹴り上げたのだ。


 宙へ舞った拳銃が、虚空こくうに砲音を響かせた瞬間。

 まるで合図されたように現れた人影は、引き絞っていた右の拳を琥轍に叩き込んだ。

 顔を目掛け飛んでくる一撃。掲げた掌でそれを受け止め、琥轍は不愉快そうに口の端を歪める。


「なんだ、おめぇは?」

「―こっちの台詞だ」


 琥轍へ刺々しい言葉を返す姿を見て、朱羽は思わず声を上げた。


「蒼羅!?」

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