謎と罠⑤

 くる朝、鳥のさえずりがあちこちで響く中。

 旅籠はたごの戸をくぐり外に出た蒼羅そらは、ふあぁ、と大きな欠伸あくびをひとつ。

 すると横の朱羽あけは怪訝けげんな顔をする。


「こっちにも欠伸うつるからやめてよ」

「誰のせいだよ……」


 結局、朱羽は朝まで起きなかった。

 揺すっても、頬を叩いても、耳元で大声を出してもぐっすりと眠り続けるので、蒼羅が一晩中、神経をすり減らしながらひとりで周囲を警戒する羽目になったのだ。


 不眠のおかげで目の下のクマは濃さを増し、否応なく人相の悪さに拍車が掛かる。

 答えるついでにぎろりと一睨みくれてやると、流石さすがの朱羽もぎょっとした顔で一歩後ずさった。


「まさか言い出しっぺが真っ先に寝るとは思わなかったよ。お前の言葉を信じた俺が馬鹿だった」

「いや、急にすっごく眠くなったんだって」

「ほんとかよ」

「ほんとほんと」


 答えた朱羽が急に足を止め、蒼羅もつられて立ち止まる。


「どうした?」


 問うも朱羽は応じない。蒼羅が求める答えは、彼女の剣呑けんのんな視線の先。

 そこには二つの人影が、道を塞ぐように立っていた。

 ひとりはあの仮面の巨漢。

 僧兵めいた装束や、錫杖しゃくじょうと一体化した奇抜な槍斧は昨日のままに、瞑目めいもくしていたときとは打って変わって開眼し、こちらを押し潰すような気迫を放っていた。


 そしてもうひとりは見慣れない少女だ。

 茶気た髪を左右で団子のように結い、後ろ髪は尾のように長い三つ編み。

 こちらを見据える切れ長の瞳。左目には毘沙門天の光背を模した片眼鏡モノクルを付けていた。

 その身を包むのは旗袍チーパオめいた装束。滑らかな生地は華奢きゃしゃな身体に張り付いてその稜線りょうせんあらわにし、すその長い切れ込みからはなまめかしく白い脚がのぞく。

 手に握るのはそれらの印象を大きく裏切る、物々しい


 今日初めて見たはずの姿だが、顔になんとなく見覚えがある―脳裏で今日までの出来事を思い返し、蒼羅はあっと声を上げた。

 何者かと思えば、あの割烹着の少女だ。

 しかし今の彼女には旅籠で見せた柔らかい笑みはなく、冷徹な敵意を放つのみ。

 どうやら只事ではない雰囲気だ。明らかに臨戦態勢な二人の姿に、朱羽は蒼羅の肩をつついて耳元に唇を寄せ、疑るように囁いてきた。


「―ちょっと蒼羅、なんか壊したりした?」


 蒼羅も声を潜め、朱羽へ怪訝な声を飛ばす。


「馬鹿言え、そんなことするかよ」

「………じゃあ、なんであんなに殺気立ってんの?」

「俺が聞きたいくらいだよ……」


 ひそひそと話し合う二人をよそに、少女は一歩前に出て口を開いた。


「そういえば、挨拶あいさつをしそびれていましたね」


 響いた声に、蒼羅と朱羽は揃ってその方向へ首を巡らせる。

 少女は薄っぺらい愛想笑いを浮かべると、小さく頭を下げて名乗った。


「私は毘沙ひさ。元『天照あまてらす』第九席、『鼠』の神峯毘沙かみねひさ。……こちらは第八席、『牛』の夜叉坊吽慶やしゃぼううんけい


 おだやかな声音のままつむがれた次の言葉に、蒼羅は思わず耳を疑った。


「九条朱羽。密命により貴方を。隣の殿方も口封じに殺しておきましょう。恨みはありませんが、しからず」


 聞き返すどころか、声を上げる暇すらも与えられなかった。


「―吽慶うんけい


 毘沙が鋭い声を飛ばすと、名を呼ばれた巨漢が動く。

 地を割らんばかりの勢いで前に踏み込み、真一文字の縦一閃。


「「ッ!!」」


 豪、と風をはらんで迫る槍斧を、蒼羅と朱羽はそれぞれ咄嗟とっさに抜き放った刀で受け止めた。金属音が耳をつんざく。

 二人と一人の力の拮抗は、しかし数秒も続かなかった。

 軍靴ぐんかと下駄の裏がざりざりと土を削り、蒼羅と朱羽は段々と押し戻されていく。

 更に踏み込んだ吽慶に力任せに振り切られ、吹き飛ばされた二人の身体は旅籠の戸口を突き破って室内へ転がり込んだ。


「ッてぇ……」


 痛みをこらえながら身体を起こす。

 戸口のあたりは濛々もうもうと上がったほこりや白煙に覆われ、敵の姿が見えなくなっていた。

 その隙に、蒼羅と朱羽は小さく目配せして全力疾走。

 蒼羅は乗り越えるようにして、朱羽は脇から滑り込み、壁際にある受付台の裏に隠れた。


「……どうしてお前といると、いつもこうなるんだ」

「さぁね、あんたが『疫病神やくびょうがみ』だからじゃないの」


 口をいて出たぼやきに、朱羽が小さく嫌味を返してくる。蒼羅は苛立いらだちとやるせなさを溜め息に混ぜて吐き出した。


「あぁ、そうかもな。これじゃ骨折り損の儲けだ」

「ご愁傷様しゅうしょうさま、とりあえず骨は拾ってあげるから。……お通夜とお葬式はいつにする?」

「勝手に殺すなよ!」

「しッ! ちょっと! いま騒いだら―」


 瞬間、首筋がひりつく感覚を覚えた蒼羅と朱羽は、揃って息を飲んだ。すぐ近くに高圧の殺気。

 弾かれるようにして台の向こうを振り向くと、今まさに斧を振りかぶる仮面の戦鬼の姿。


 かくみのにしていた受付台が、槍斧の一撃を受け爆砕。

 木片と粉塵が舞い上がる中、床を転がって逃れた二人は、相棒の無事を確認するよりも先に、左右から吽慶へ仕掛けた。

 左―斬り上げで二の腕を断とうとする朱羽。

 右―うなじを狙って軍刀のみねを振り下ろす蒼羅。

 槍斧を振り下ろした直後の吽慶には、この挟撃きょうげきを避ける術がない。


「「もらった!」」


 しかし彼は二条の刃が届くよりも早く、背後に迫る蒼羅の軍刀を振り上げた左手の甲で弾き、下段から昇る朱羽の太刀を右の手刀で受け止めた。


「なっ!?」

「っ!?」


 驚愕きょうがくに動きが止まった二人の首を目掛めがけて、吽慶は両腕を突き出す。

 左右の手でそれぞれの首を引っ掴むと、そのまま軽々と持ち上げてみせた。軍靴と下駄は床を離れ、行き場なくふらつく。

 吽慶は後ろへ腕を引き絞ると、二人を壁へ思い切り叩き付けた。

 家屋全体がきしむほどの衝撃をまともに受け、肺に残っていた空気まで絞り出される。吽慶の五指ごしにはぎりぎりと万力まんりきのような力が込められていき、ふさがれていく気道が呼吸を阻害そがいする。


「がっ、あ、くは……」

「くぅ、ぐ、かふ……」


 くぐもった苦鳴を上げながら、じたばたともがく二人。

 それを見る吽慶の目は、まるで洞穴どうけつの奥の闇を映したように揺らがない。

 ―この野郎ッ!!

 それを見た蒼羅は、腹の底に沸き上がる怒りで無理矢理に身体を動かした。

 両方の足裏で壁を蹴り付け、その反動と腹筋を使って跳ね上げた左足で吽慶の顎を蹴り上げる。

 鈍い音と共に、まともに顎を打ち抜かれた吽慶の上体がれ、一歩後ろへ下がった。

 しかし、腕の力は少しも緩まない。

 一部始終を逆再生するように、上を向いていた首が前へ戻り、顔ごと向き直った吽慶の目が蒼羅を見据える。


 やはりその目に感情の揺らぎはなく、

 しかし凄まじい敵意の込められた視線が、蒼羅を射抜いた。

 次の瞬間、脳が撹拌かくはんされそうな速度で蒼羅の身体は反対側へ放り投げられる。床に叩き付けられても勢いは止まらず、幾度いくどか跳ねて転がった。


「あッ、が……ッ」


 激痛で呼吸もままならない。それでも気力でどうにか身体を起こし、肩を上下させながら軍刀を杖に立ち上がる。

 顔を上げて目に入ったのは、吽慶が朱羽の身体をガラクタ同然に投げつけてくる、まさにその瞬間だった。

 当然、立つのもやっとな状態の蒼羅が避けられるわけもない。

 飛んでくる朱羽を抱きかかえるようにして受け止め、蒼羅の身体は壁に叩き付けられた。


「…………ッ」


 まともに立っていられず、壁に背を付けたまま、ずるずるとへたり込む。

 朱羽はぐったりとこちらに身体を預けたまま動かない。彼女の細い首には大きな手形が赤いあざとなって残っていた。


「おい朱羽、大丈夫か」


 肩をゆすると、彼女は咳き込みながらこちらに視線だけ飛ばしてきた。その目には小さな嫌悪。


「どさくさにまぎれて抱きつくな、変態」

「これは不慮の事故だろ、嫌ならさっさと離れろ」


 朱羽に肩を貸し、共に立ち上がった蒼羅は前を睨みつける。

 吽慶が得物を手にこちらを振り返り、毘沙が悠々と室内に入り込んでくるのが見えた。


「……どうする?」

るしかないでしょ。―それともなに、尻尾しっぽ巻いて逃げる?」

「まさかだろ」


 朱羽の冗談を鼻で笑ってやると、彼女も不敵な笑みを返す。


 二人はそれぞれの敵へと駆け出した。

 先んじて朱羽が吽慶に近づく。吽慶は槍斧を振り上げ、人体など容易たやすく両断せしめる縦一閃と共に迎え撃つ。

 間合いに入った瞬間、朱羽は半身になって必殺の一撃を回避。

 真横の空間を通り抜けた槍斧を踏みつけて床に固定すると、そのを足場にして駆け上がり、吽慶の米神こめかみを打ち抜く軌道の飛び回し蹴りを放つ。

 朱羽と吽慶の戦闘を尻目に、蒼羅は毘沙へと駆ける。

 その姿を一瞥し、声を張り上げる毘沙。


「―吽慶ッ!!」


 鋭い声に呼ばれた吽慶は、朱羽の身体を軽々と拳で弾き飛ばすと、鈍重どんじゅうな体躯に見合わぬ速度で毘沙と蒼羅の間に割り込んだ。


「ッ!! ……退け!!」


 疾走の勢いを乗せた蒼羅の右拳と、腰を落とし撃ち込んだ吽慶の掌底しょうていが激突。

 追撃のために左腕を引くと、吽慶の太い五指が閉じ、握り潰さんばかりの力で蒼羅の拳を掴んだ。

 ばきり、

 吽慶の腕の筋肉が隆起りゅうきした直後、蒼羅の身体は妙な浮遊感に包まれていた。


 視界は凄まじい速度で眼前の敵から天井、天井から床へと映り変わる。間一髪で体勢を立て直し足から着地。

 腕一本で背後へとのだと気付いたのは、床を踏み抜きながら迫る吽慶が槍斧を振り抜く姿を目にした後だった。

 虞風ぐふうを纏った鉄塊が、咄嗟に防御に回した蒼羅の左腕と激突。重い音。


「ぐッ……!!」


 吹き飛んだ蒼羅の身体は、旅籠の壁をまるで、木片もろとも外へと転がった。

 うつ伏せに倒れた蒼羅は、痛みを押し殺すように毒づきながら、ゆっくりと立ち上がる。

 穿うがたれた大穴を窮屈きゅうくつそうにくぐって外へ出た吽慶が、その様子を油断なく見据みすえていた。

 ―大丈夫だ、壊れていない。まだ動く。

 左腕の調子を見た後、蒼羅は立ち塞がる仮面の戦鬼をにらみ付けた。


「そこを退けよ」

「お前の相手は、おれだ」


 吽慶が返したその言葉に、蒼羅は愕然がくぜんとした表情を浮かべた。


「……………………あんた、喋れんのかよ」

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