謎と罠⑥

 『天照あまてらす』―

 その単語が、やけに思考に引っ掛かる。

 思い出せそうで思い出せない、なんとも歯がゆい感覚が脳裏にこびりつく。


 だが、今はそれどころではない。

 突き出される三叉槍さんさそうの穂先を、首を傾けて避けながら、朱羽あけはは意識を目の前の戦闘へと切り替えた。


 左肩の上で停止した三連の刃は、肩口から心臓までを裂こうと振り下ろされる。

 しかし朱羽が一瞬早く半身になり、くうを裂いた切っ先は板張りの床に浅く埋まった。

 朱羽はくるくると舞うようにして距離を詰め、首を目掛めがけて振り抜かれる峰打みねうち。

 毘沙ひさは後退、床をえぐりながら引き戻された三叉槍—その柄で刀を受ける。すかさず押し戻し、体勢の崩れた朱羽へ追い打ちの一突き。

 着地した朱羽は刀身に手を添え三叉槍を受け止めた。

 刀の腹が三叉槍の穂先―枝分かれした部分と噛み合い、朱羽の心臓までわずかの場所で押し止める。

 膂力りょりょく拮抗きっこう。わずかな硬直の後、朱羽は腕を振り上げて三叉槍を上へ弾き返す。

 矛先ほこさきが天井へ向くと、三叉槍の柄が毘沙の掌を滑り、石突いしづきが床を叩いた。

 床に突き立てた槍をじくに、棒高跳びめいて飛び上がる毘沙。

 ひるがえった右脚が横薙ぎの足刀となって、首をらんとせまる。

 咄嗟とっさに掲げた腕で受けるも衝撃を殺し切れず、右へよろめく朱羽に、着地した毘沙はすかさず追撃。

 穂先の近くを握り、殴りつけるように振るう。

 後退してかわされると、手首を回し、流れるように穂先と石突を入れ替える。長大な柄がしなり、朱羽の脇腹をえた。


「ぐッ」


 にぶい痛みにうめいたのもつか、さながら棒術のように縦横無尽に振るわれる三叉槍の柄は、朱羽の身体を次々と打擲ちょうちゃくしていく。

 最後に鳩尾みぞおちを突かれ大きく後退。痛みでりがかず、朱羽はよろめくように壁に叩きつけられた。

 毘沙は槍を流麗りゅうれいに一回転させ、穂先を前へ突き出した。腕力を乗せ、刺突漁のもりめいて射出される三叉槍。

 朱羽は背にした壁で寝返りを打つようにして寸前で回避。三叉槍は壁を穿うがち、その刃はなかばまで壁に埋まった。

 舌を打つ毘沙へと一気に駆け、刀を振るう朱羽。毘沙は武器を手放し、回避に徹する。

 朱羽が次々に描き出す剣閃、それらを間一髪のところで避け続ける毘沙は、やがて階段の近くまで追いつめられ、手摺てすりに背を付けた。

 大きく踏み込んでの横一閃、右脇腹を打ち据える朱羽の一撃に対し、逃げ場の無い毘沙は迎え撃つように左足で蹴りを繰り出した。

 切っ先が届くより速く、長い脚が朱羽の腕を打ち無効化。痛みに顔をしかめる間に、毘沙がその後ろへ転がり込んだ。

 朱羽が振り向きざまに背後を斬りつけると、毘沙は真上へ跳んで回避。

 さらに朱羽の肩を踏み台に、吹き抜けの二階部分の廊下まで跳躍した。


「ッ、……待て!」


 上の階へ逃げた毘沙を追って、二階へ続く階段の手摺りに飛び乗った朱羽は、細い足場を驚異的な平衡感覚へいこうかんかくで一息に駆け上がっていく。

 半ばで斜めに大きく飛び、廊下のさくを飛び越える。

 朱羽は大上段に構えながら、上空から獲物をかっさらう猛禽もうきんのように毘沙へと飛びかかった。着物の長いすそが大翼のように翻る。

 毘沙はたまらず転がって避け、標的を見失った白刃は床に無惨な筆致ひっちを描いた。

 続く横薙ぎを毘沙は飛び込むように回避、ふすまたおして部屋へ転がり込む。

 追って部屋へ入り込んだ朱羽は視線を巡らす。

 やがて部屋の奥、壁に張り付くようにして立つ毘沙の姿を見つけた。


「……って感じね」

「さぁ、どうかな」


 不敵な表情を浮かべる毘沙を、朱羽はあざけるように鼻で笑う。

 得物えものも無い、逃げ場も無い、そんな状態でよく強がりを言えたものだ。

 どのみち奴はこれで詰み。

 刀で壁にはりつけにしてやれば、嫌でも黒幕の名前を吐くだろう。

 朱羽は突きの型に構えて突貫。たたみ数枚の距離を詰めるのに一秒も掛からない。

 壁にもたれかかったままの毘沙に、もはや避ける術など無い。

 切っ先が眼前の敵を貫く。


「……え?」


 しかし目に映るものに、朱羽は驚愕の声を漏らした。


 毘沙の姿はそこに無かった。

 身代わりとなって左肩をつらぬかれたのは、大の男が着込むような大きさの

 兜と面頬めんぼおの間の洞穴―人間が着込んでいたならば双眸そうぼうがあっただろう―と目が合った瞬間、

 面頬の、そこから

 それは間一髪で首を傾けた朱羽の頬をかすめ、颶風ぐふうが髪をなぶる。

 反対側の壁から響く破砕音。


「…………」


 振り返った朱羽は、肌が粟立あわだつのを感じた。

 人間の腕ほどはあろうかという太さのが、壁に大穴を空けて半ばまで埋まっていたのだ。


 —毘沙はどこに消えた?

 疑問の答えを求めて視線をめぐらすうちに、朱羽はあることに気付いた。

 鎧飾りの周囲だけ、わずかだが木目が異なる。

 まるでように。

 そしてその違和感は、すぐに求めていた答えと結びついた。

 ―回転扉だ。

 朱羽は刀を引き抜きながら鎧飾りごと壁を蹴破けやぶって、隣の部屋へ踏み込む。

 予想通り、毘沙は更に奥の部屋との境、開け放たれた襖の前に立っていた。

 朱羽の姿を見取った彼女は特に驚いた様子もなく、ぱちん、と指を鳴らして奥の部屋へ入っていく。

 朱羽もその後を追おうとして、あるに気付いた。

 じゃらじゃらと鎖が巻き上がるような金属音と、 重々しいなにかが迫る音だ。

 やがて部屋中が揺れ始める。何事かと周囲を見回し、ふと天井を見上げて―


「うっそぉ……」


 朱羽はあんぐりと口を開けた。


 天井だと思っていたものは、だった。

 そして今、それは凄まじい勢いで


 顔からさーっと血の気が引いていく。あれに潰されたらどうなるか、考えなくても分かる。

 ―あんなもの、人ひとり殺すのに使う!?

 脇目も振らず前へと駆け出すも、視界は迫る天井によってみるみるうちに影が差していく。

 —南無三なむさん!

 一か八か、朱羽は床を蹴って前へ飛んだ。

 間一髪、後ろ髪を掠めて鉄板は床を押しつぶす。

 その衝撃波に背を押されるような形で奥の部屋へ飛び込んだ朱羽を待っていたのは、狙い澄ましたような蹴り。


「かっは……ッ!」


 脇腹を真横から蹴り飛ばされた朱羽は、障子窓へと叩きつけられた。

 木枠がいびつにひしゃげ、障子紙のいくつかは破れる。手から離れた刀が畳を転がった。

 朱羽は背中の痛みを無視し、思わず瞑ってしまった目を強引に開いてすぐさま立ち上がる。

 しかし、あからさまな隙が出来たというのに、毘沙は部屋の中央に陣取ったままで仕掛けてこない。

体勢を立て直した朱羽が足下の刀を拾う間も、彼女は手を出さず、余裕の笑みを湛えたまま。

 その対応を見て、朱羽は確信した。—この部屋にもなにか罠がある。


 武器を持った相手が隙を見せたというのに、その武器を奪おうとしない。丸腰の人間にしては不自然だ。

 普通なら、相手にとっての大きな利点、そして自身にとっての危険である武器を取り上げ、敵の脅威を減らそうとするはず。


 だが彼女はそれをしない。

 それはつまり、わざわざ武器を取り上げなくても、この場で充分にということだ。

 もっと言えば、間合いに近付く必要もなく、自らが手を下す必要もない手段―なんらかのが仕掛けられていると、朱羽は踏んでいた。

 それを看破しようと、四方八方に視線を飛ばす。


「どうしたんですか、急にきょろきょろして。なにもありませんよ?」


 毘沙が投げてくる言葉に、思わず失笑する。冗談だとしても面白くない。


「んなわけないでしょ。前の部屋で痛い目を見たんだから。ここもなにかあるに決まってる」


 言葉を交わす間も部屋中を見回す。

 天井、壁、柱、調度品―しかし、どれも不審な点は見つからない。

 

 目玉のような木目が並ぶ普通の天井。

 壁には回転扉のような仕掛けもなし。

 飛び道具が仕掛けられていると踏んでいたが、なにかを撃ち出すための風穴かざあなのようなものもない。


 一見して、なんの変哲へんてつもないただの部屋。

 不審なまでに、だ。


 いぶかしみながら、毘沙へと視線を戻す。

 彼女がいるのは部屋の中央。仮に仕掛けがあったとしても手は届かず、すぐさま発動はできないだろう。

 なら先手必勝―仕掛けを作動させる前に仕留しとめる。


「—あぁそうだ、ひとつ言い忘れてたことがあった」


 距離を詰めようとする朱羽に先んじて、毘沙はひとつ言葉をこぼした。

 まるでたったいま思い出したかのような、わざとらしい口振りで。

 切れ長の目を、わらうように歪ませて。


、気をつけて下さいね?」


 その言葉が聞こえた瞬間。

 朱羽が踏みしめた畳の下で、、と音が鳴った。


「―ッ」


 息を飲む間すらなく、朱羽の身体は閃光に塗りつぶされる。


 耳をつんざ大音声だいおんじょう

 衝撃波が障子戸を全て吹き飛ばし、旅篭はたごの二階から白煙を吹き上げた。

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