因縁と真相⑦
朝の散歩というには重い足取りは、進まない脚を無理やり動かすようにぎこちない。
下駄がからころと
辺りを見渡せば民家もまばらになり、目に付くのは木々が増えてきた。
空は灰色を濃くして日を
まるで己の行く末を
弱気な自分に
朱羽が夜更けと同時に――蒼羅を置いて一人で――九条邸を後にしたのは、ある
・・・・・・
『“私”は、お前だ』
深層意識の
鏡写しのように瓜二つ。そっくりさんなんて次元じゃない。
あたしとは別の誰かが、
「冗談でしょ、
吐き捨てるようなあたしの拒絶に、“私”は
「勝手に
創った? 拒んだ? それに、まるで昔からあたしを知っているかのような物言い――
あたしは眉を
「あんた……なんなの?」
『“私”は『
――瞬間、
脳から記憶が
『突然に家族を失ったお前は、空になった心と身体に
あたしは、家族を奪った『雷神』へ復讐を誓った。
身体を鍛え、剣術を習い、変わろうとした。
泣き虫で弱虫な自分と決別し、“彼ら”を殺し尽くすために暗殺部隊『
『だが、
敵を前にすれば、腕も足も斬り落とすのは
だが首を落とすとなると、心臓を貫くとなると……命を奪うとなると、途端に身体が
どんなに自分に言い聞かせても、まるでダメだった。誰ひとり殺せやしなかった。
あの『雷神』への憎しみと、人を
――だから、創り出した。
大好きな兄様みたいに、つよくて、やさしくて、かっこいい。
憧れと、理想と、あたしに足りないもの全てという
龍親に全てを叩き折られたあの日。目の前に現れた幻は、幼いあたしが抱いていた理想の自分——未来の
『お前が辛く苦しい目に
ならば欠落した記憶は、五年の空白は――考えを
『お前の過去の空白は、全て私が記憶している。お前が失った年月は、私が
「なら、『白い髪の女』の
『あぁ、そんな風に呼ばれているらしいな。夜道を歩く“私”は』
「……嘘じゃないでしょうね」
『自分を
図星を指され顔を伏せて押し黙った後、あたしは意を決して顔を上げた。
彼女が、もうひとりの自分だというのなら。
あたしの失った記憶が、全てそこにあるのなら。
「ちょうだい。あたしが失った記憶を……あんたが持ってる記憶を、全部」
『あぁ、くれてやるとも』
近付いた『
『お前がいまから見る景色は全て事実。夢でも嘘でも
『
やがて闇の奥から
・・・・・・
——もし、今まで夢だと思っていたものが、夢ではなかったとしたら?
——眠っている間、 まるで夢遊病のように動き回っていたのだとしたら?
——他でもないあたし自身の目で、実際に見ていた景色だとしたら?
深層意識に潜る前に抱いていた
『白い髪の女』は――他でもない、あたし自身。
そして、夜道に立つ血塗れの兄様は――信じたくないけれど――正夢のようだ。
――じゃあ、血の海に沈んでいる死体は兄様が?
――そして、そこに居合わせた“私”は何をしていた?
分からない。記憶の大部分が戻っても、“夢”の細部には
『それでも俺は、お前が……九条朱羽が、人を殺すような人間だとは思えない』
『過去のことなんて、いつまでも引き
彼なら、きっとありのまま全てを受け入れてくれるかもしれない。
『俺が勝手にそう思ってるだけだよ。それを裏切るかどうかはお前の勝手だ。……出来れば裏切って欲しくないけどさ』
でも、だからこそ、この先へは巻き込めない。これ以上は裏切れない。
あたしが引き返すための居場所を、暖かな陽だまりを、
これは、あたしひとりで片を付けるべき問題だ。もう彼のそばにいるべきじゃない――だからこうして、また一人を選んだ。
朱羽は頭に
――分かってくれたかな。あたしの気持ち。
ひとつだけある心残りは、後の楽しみに取っておこう。
いつかまた
『月が綺麗』だなんて遠回しな言葉で誤魔化さないで、ちゃんと伝えるんだ――
「朱羽っ!!」
歩き出そうとして背中に
「……どこ、行くんだよ?」
今だけは聞きたくなかった彼の声だった。
・・・・・・
「朱羽っ!!」
目覚めたら姿を消していた朱羽を探して半日。
中央区を駆けずり回ってようやく
蒼羅は小さな違和感を覚えていた。
ひどく
けれどどこか不安定で
それが、蒼羅が知る九条朱羽のはずだった。
しかし、いま目の前に居る彼女の雰囲気は、それらとはどこか違っている。
距離を置かれているような。
なにかが決定的に変わってしまったような。
「……どこ、行くんだよ?」
気付けば、蒼羅は腕を伸ばしていた。
去っていく背中をこのまま
「思い出したんだ。あたしが『天照』でなにを為したのか……そしてなにをやり残したのか。 全部、全部思い出した」
首を
その言葉を聞いて、目標へ突き進む強い意志を感じ取って、違和感が
欠けていたものが、抜け落ちていたものが、全て
今の朱羽からは、内包していたはずの弱さと脆さが完全に消え去り――その
『天照』の面々を相手取ったときと同じ寒気が、背筋を伝う。
「それと、
口走った言葉は、きっとなにかの手掛かりだったのだろう。
しかしいまの蒼羅には、どんな言葉が耳に届いたとしても理解できなかった。
そんなものよりもずっと重要なある光景に、意識が全て
――白絹の髪が色付いていく。
頭から多量の返り血を
頭へ巡る血を、髪の一本一本が吸い上げるかのように。
根本から染め上げられていく。塗り潰されていく。どこまでも鮮明で鮮烈な……
赤く、
「ごめんね。だからもう、あんたと一緒にいられない」
目を疑った。
自分の両目が映す光景に、蒼羅はただ言葉を失っていた。
信用し、信頼し、それゆえ無意識のうちに選択肢から消し去っていた可能性が——
いまここに、最悪な現実となって
脳が理解を拒否する。
きっと疲れているんだ、
いくつもの
しかし鮮烈な
全てを奪った『
記憶の中に判然としないままこびりついていたその顔に、
焦点が合い、
視線が引き結ばれ、
経年劣化でぼやけていた記憶の輪郭が、今はっきりと描き出される。
焦がれていた相手が――
殺すべき一族の
『真紅の剣士』が――
九条朱羽と、重なった。
奥歯を砕けんばかりに食いしばるような、
現実を認識し、
どれほど黙り込んでいたのだろう。
数秒か、数分か、それとも一瞬か。
否定を
それは蒼羅の身体に、確かな変化を生じさせた。
義肢の内で、痛みとなって顕れた
肉の内で雷が
身体という器の容量を超えて
怒りではない。そんな
「……お前か」
ようやく絞り出した声は低く、暗く、冷たく。
蒼羅が今まで押し隠していた感情――今となっては
『いつか話の続きを——あんたが本当にやりたいことを、あたしに聞かせて』
『……気が向いたらな』
『じゃ、期待しないで待ってる。約束ね』
——あのときの約束、いま果たしてやる。
——俺が本当にやりたいことは、
『真紅の剣士』――
・・・・・・
「お前だったのか……あの日、俺から全部を奪ったのは」
蒼羅の口から漏れ出すのは、納得、理解、
あの日? 全部? 奪った? なんのこと?
心中を埋め尽くす疑問符に顔を
――ばぢり。
雲もない
電流が蛇のように彼の身体を
それを目にして、己の脳裏に蘇る光景があった。
異様な
閃く雷光が、そこに
照らし出されるのは、首を
「とうさま、かあさま、いや、いやぁ……っ!」
逃げ込んだ部屋の中、無惨な最期を迎えたお父様とお母様が転がっている。その前には二人を
彼との間を
と、こちらに気付いたように“雷神”が振り返って――
雷を
――
瞬間、肉の内から声が響いた。
怒りに
響く。響く。頭の中で、思考の内に、
片手で額を押さえて
――あの日、殺し損ねた最後のひとりが、
――こんなに近くにいたなんて。
・・・・・・
「今日は最悪な日だ……史上最低の厄日だよ」
「やっぱあんた……『
腐れ縁と利害の一致から始まった関係も、
衝突を繰り返しながら築いてきた信頼も、
無自覚のうちに互いへ抱いた淡い
そんな下らないモノは全て、一瞬で憎悪の
互いに互いが仇敵と認識した今この瞬間。二人は決して
叫ぶ。叫ぶ。憎悪に怨嗟に殺意に煮え滾る声で、もはや
「鳳仙、朱羽……ッ!!」
「堕神、蒼羅……ァ!!」
提げていた軍刀の柄を握り締める。
袖から飛び出た小太刀を握り込む。
身体に纏う雷電が蒼く弾ける。
絹髪は紅く
互いへと駆ける二人の間には、言葉ですらもはや無意味で。
必要なのはどちらかの死——ただそれのみ。
「お前を――」
「あんたを――」
彼らが平行線のまま歩んでいた道が、ここで初めて交わり——
「「殺してやる……ッ!!」」
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