シロクロコントラスト
ニッケル
第一部
プロローグ
雨が降り注ぐ
―雨が降り注ぐ。
最初の一滴は、一体いつから降ってきたのだろう。
空に垂れ込めた暗雲は日の光をすっかり覆い隠し、視界に映る世界の色調を、仄暗く落としていた。
街路に立ち並ぶ樹木は、墨で塗り潰されたような暗い影となって伸び、風に吹かれ宙に放り出された雨粒は、霧雨の紗幕に変わって世界を曇天色に包んでいく。
幾度と無く続く遠雷。眩いばかりの稲光とともに空が照らされると、一拍遅れて大木を圧し折るような轟音が鼓膜を打ち据えた。
強まる一方の雨足は豪雨の域などとうに超え、雨音は雑音めいて耳を打ち続ける。
久々の恵みとばかりに雨粒を呑んでいた大地も、変わり映えしない味に飽きたのか、もうたくさんだとばかりに吐き出し
やがてそれすらも飽和し、降り注いだ雨は辺り一帯の大地を覆い隠していた。
さながら湖面のようでありながらも、機銃掃射のごとく降り注ぐ雨に打たれ、澄むことも凪ぐことも許されず、爆ぜて弾けて揺らぎ続ける。
―色を失った世界においてただ一つ、強烈に知覚できる色があった。
それは己の身体に刻まれた、数多もの傷から溢れ出ている色。
そして目の前に立つ少女が、その身に纏う色であった。
腰元まで伸びた髪は生き血を塗り込めたような深紅。
ぞっとするほど白い肌に斑な血化粧を乗せ、流血と返り血で染め上げられた着物は、毒々しいまでに赤黒い。
血に濡れた刀を提げるその少女の顔に、表情は無かった。
勝利を誇るわけでも、敗れた敵を嘲笑うわけでも、同情し憐れむわけでもない。
感情の揺らぎすら見えぬ紅い双眸は、敗者をただ冷たく睥睨するのみ。
腸をぐちゃぐちゃに掻き回すような怒りが腹の底から沸き上がる。少年は伏していた身体を、無理やりに起こした。
凄まじい激痛が全身を走り、起き上がることを拒むように痙攣する。黒々と濁った水面には、身体から溢れた血が滝のように零れ落ちていく。
限界などとうに超えている。酷い出血で視界が眩み、満身創痍の身体に力など入るわけもない。
それでも震える身体に鞭打って、警鐘を鳴らす生存本能を捻じ伏せて立ち上がる。
もはや声すら出せない状態で、開いた口から溢れ出たのは、狂った不協和音。
声にならない声が、憤怒―あるいは憎悪とわずかな悲哀を混ぜ込んだ響きを伴って吐き出されるのみ。
それでも少年は叫び続けた。
―俺は!
―お前を!!
―絶対に!!!
「 」
震える声が聞こえた。
しかし声といえるかどうかも分からない。唇が小さく震えるのが見えただけで、続く言葉はただの空白でしかなかった。
世界は暗転する。
唐突に、予告も無く閉じた暗幕は、視界から情景と色彩を奪い去る。
闇はやがてどろりとした粘度を持ち、深い海へ沈められたような圧迫感とともに全身を包んでいく。もがくうちに四肢の末端から飲み込まれ、侵され浸され闇に溶けていく。
雨音も、痛みも、血の味も、なにもかも。
全ての感覚が呑み込まれ掻き消されていく。
圧迫感すらどこかに消え去って、先の見えない闇の中だと言うのに不思議と心地が良かった。記憶すらもはや
闇の中で伸ばした手は、なにひとつ掴むことはなかった。
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