因縁と真相③

「なんだって今日は、そんなにずいずい踏み込んでくんの?」

「お前が過去に色々やってたのはよく分かった。……けど、はなにも聞いてないと思って」


 ――朱羽あけはの歩んだ人生が、初めから血にまみれていた訳がない。

 可愛い娘として、家族にちょうよ花よとでられていた時期だってあるはずだ。

 きっと何かのきっかけで『天照あまてらす』の一員となった。そこに至るまでを、彼女自身が唯一ゆいいつ覚えているものを、蒼羅そらは全く知らない。


『彼女は幼くして家族を亡くし、九条家に引き取られたと聞いた』

『残されるあたしの気持ちも考えてよ。……あんたなら分かるでしょ?』


 それにきっと、似たような境遇で育ったはずなのだ。だから、戦道いくさみちを歩む前の朱羽のことをもっと知っておくべきだと思った。


『復讐のためだけに剣の腕を磨いて、一族郎党を皆殺しにした女だぞ』

『後悔するでしょうね、その女を助けたこと』

『お前が為すべきことはなんだ。お前が果たしたいものはなんだ。そしてその道中で、この人殺しは必要なのか』


 かぶりを振って、脳裏に蘇る言葉たちを掻き消す。

 誰になんと言われようと、彼女が善良な人間であることを信じ続けるために。


 しばらく眉をひそめていた朱羽だったが、どこか納得したような表情を浮かべてひとつうなずく。


「そっか……うん、誰かに聞いてほしかったのかも、兄様あにさまのこと」

「兄様って……龍親たつちかさんか?」

「いや違う違う、あれと一緒にしないでよ」


 飛び回るはえでも追い払うように手を振る朱羽に、蒼羅は首を傾げる。


「お前、他にも兄弟いたのか?」

「あぁ……そういえば話してなかったね、あたしが九条の家に来る前のこと」

 

 言って朱羽は卓にひじを付き、指を組んだ手の甲に顎を乗せて語り始める。


「あたしには、七つ上の兄様がいたの。とっても強くて、虫も殺せないくらい優しくて、どんなときでもにこにこ笑ってた。あたしはそんな兄様が大好きで、いつもくっついて回って、言うことやることぜーんぶ真似てた」

「……想像付かないな」

「ちっちゃいころは素直な良い子だったから、あたし」

「それが今じゃこんな図太い性悪女しょうわるおんなになっちまうんだから……時の流れって残酷だよな」


 肩をすくめながら皮肉を飛ばしていると、机の下ですねを蹴り飛ばされた。

 無言で悶絶もんぜつする蒼羅を、朱羽は冷たい目で見下ろす。


めてると痛い目にうって、前にも言わなかった?」

「最近よく会うよ、もはや生涯の友だ」


 負け惜しみに鼻を鳴らすと、朱羽は何事も無かったかのように思い出話を再開する。


「剣を習い始めたのだって、強い兄様にあこがれたから。……とうさまとかあさまは渋ってたけど、兄様が二人を説得してくれた」


 どこか遠くを見るような猫目が、小さく細められる。まばゆい景色に目をすがめるように。あるいは、ぼやけた視界に焦点を合わせるように。


「だって兄様は外で竹刀しないを振ってるのに、あたしはずっと部屋の中。掃除、洗濯、炊事にお裁縫さいほう。おこと三味線しゃみせん舞踊ぶようのお稽古けいこ。華道に茶道に書道に香道……和歌や短歌もやったっけ」


「小さい頃から色々仕込まれた。でも一通りこなせるようになった頃には、すごく窮屈きゅうくつで退屈な“作業”でしかなくて。……名前の通り羽が生えて、どこかに飛んでいけたらいいな、なんて思ったりもした」


 そう言って小さく笑う朱羽。苦笑と目元のかげりから察するに、冗談と本音が半々といったところか。

 やるせなさそうに眉を八の字に下げていたその曇り顔に、唐突に晴れ間が差す。


「だからね、兄様とする剣の稽古はほんとに楽しかった。失敗しても怒られない、お小言も無し。いつも優しく、手取り足取り教えてくれて。……なにより大好きな兄様の近くにいられるのが、嬉しかった」


 幼少の思い出を語る朱羽の頬に、薄くしゅが差した。その笑顔は無邪気な幼子おさなごのようでいながら、恋する乙女のようでもあって。

 今まで蒼羅の前で見せたどんな表情より、柔らかく明るかった。


 ——俺なんかじゃ、絶対こんな顔はさせてやれない。

 そんなこと分かり切っているはずなのに、自分の不甲斐ふがいなさにわがままなくやしさを覚えていることに気付く。


「——でも」


 揚々ようようとしていた声音が不意に沈み、言葉が途切れる。

 我に返って見遣みやった朱羽の表情には、沈鬱ちんうつな陰が差していた。


「兄様は、どこかのお偉いさんの家に養子に出されることになって……そこで縁も切れちゃった」


『……あたしね、人を探してるの』

『うん、どうしても会いたい人がいる。撃剣げっけんだって、手柄狙いの仕事だって、全部その人に会うためにやってる。——手柄を上げて、有名になって、見つけてもらうの』


 『芸術家殺し』を捕らえた後、道行く中で耳にした言葉たち——朱羽が本当に——が、蒼羅の脳裏によみがえる。

 あのとき浮かべていた花のつぼみほころぶような笑みと、さっきまでの明るい表情が重なった。


「……それが、ってわけか?」


 問いにしばらく目を丸くしていた朱羽は――図星だったのだろう――観念したようにひとつ嘆息たんそく。組んだ指から顎を離すと、掌を合わせて握り込む。

 願うように。祈るように。

 一度は手から離れた物を、今度は離すまいとするように。


「そう、あたしは兄様を探してる。あの人がいまどこにいて、なにをしてるのか知りたい。出来るなら、もう一度会って話がしたい」


 と、朱羽は急にきょろきょろと辺りを見回し、顔を近付けてくる。

 内緒話でもするように口元に手を添え、ささやくような声量で話し始めた。


「ねぇ、これ聞いても絶対に笑ったりしない?」

「急になんだよ……内容によるぞ」

「最近、たまに夢に見るの。……姿を」

「なんだそれ、変な夢だな。どんだけ好きなんだよ」

「うん……おかしな夢でしょ?」


・・・・・・


 茶化ちゃかす蒼羅の言葉に頷き、気恥ずかしさに熱くなる頬に触れながら……朱羽は


 そうだ、今の兄様の姿なんて……そんなもの分かるはずもない。彼が養子として家を出たあの日以来、一度も会ったことなど無いのだから。

 それでも夢枕に立つその姿を見ると、今を生きる本人だと何故か確信が持てた。


 だからこそ信じられない。信じたくない。

 夢の中で夜道に立ち、月光に照らされる兄様が、


 

 なんて。


 ――そんなものは、きっと悪い夢だ。


・・・・・・


 こうして幼少の頃の話を聞くに、朱羽はどうやら筋金入りの良家の娘らしい。

 猫をかぶったときの礼儀正しさも、所作しょさの端々に見られる優雅さも、まさか生来の物だとは。てっきり九条の家に入ってからしつけられたのだとばかり思っていた。

 となれば当然、気になって来るのが——


「朱羽、お前ってどこの家の――」


 問いの続きを口に出すことは出来なかった——肌がを感じ取ったからだ。


 向かいに座る朱羽が目を見開く。

 しかしそれは驚愕きょうがくるものではなく、理解不能な事象に対して恐怖しているように見えた。

 何事かと彼女の視線の先——店の入り口付近へと首をめぐらせて、


「……な」


 裂けんばかりにまなじりを決し、唖然あぜんと開いた口からは乾いた声が漏れた。


 すすけ汚れや返り血で黒ずんだ包帯で、頭頂から足先に至るまでをくるまれた様は、さながら息を吹き返した木乃伊ミイラ

 末期まつごの時が近付く老人のようにせ細ったその体躯たいくには、ボロ布同然にり切れた墨色すみいろの着物が巻き付いている。


 包帯の隙間からわずかにのぞく目元や口元には、樹皮じみて深いしわ穿うがたれたうろのような二対の瞳には、いまや狂気と執念のくらい焔が燃え盛る。


 その姿を一目見たなら、忘れるはずもない。

 出で立ちの仔細しさいは違えど、見紛みまごうはずもない。


 目の前に立っているのは——『仏斬ぶつぎ供臓くぞう』の模倣犯その人だった。


「いらっしゃいま……ぁ、」


 たまたま近くにいた給仕の女性が振り返って一礼、顔を上げて凍り付く。

 木乃伊ミイラ双眸そうぼうが反応してじろりと動き、上下の目蓋まぶたをゆっくり細めながら小さく頭を下げる。


 それを見た瞬間、蒼羅と朱羽は駆け出していた。

 給仕の方を一瞥いちべつしたのは、から。

 そして頭を下げたのは挨拶あいさつなどではなく、


 だ。


「逃げろッ」


 のどから振り絞った叫びが届く前に、模倣犯の男から給仕へ向けてはしった。

 次いで枯れ木のような腕を伸ばす。手にはいつの間にか血塗ちまみれの刀が握られていて——その切っ先は、既に女性の心の臓を貫いていた。

 。四肢もろともになかばから断ち切られた着物のそですそが落ち、床に血を広げていく。


 事切れたむくろを乱暴に蹴り倒し、無理やりに刀を引き抜く模倣犯。うつろな双眸が次に映したのは——自らに向かい来る影。

 蒼羅の打ち放った拳に鼻柱を圧し折られ、入り口にかかった暖簾のれんを巻き込んで通りへ吹き飛んだ。


「裏口から逃げろ、早くッ」


 静まり返った店内に振り返ってげきを飛ばすと、我に返った誰かの甲高い悲鳴が空間をつんざく。それが号令となり、弾かれたようにみな一斉に駆け出した。

 一様に恐慌きょうこうを顔に乗せ、我先にと押し合い揉み合う。店内の最奥に作り出された喧噪けんそう叫喚きょうかんに吸い寄せられるように歩いていく模倣犯へ、蒼羅と朱羽が立ち塞がる。


 通りに広がっていたのは惨状さんじょう

 屈強そうな男も、美しい街娘も、年端もいかぬ幼子も、腰の曲がった老婆も、全員がもれなく手足を切断され左胸を貫かれている。

 老若男女すべてが一切の差別なく、区別なく、分別なく――殺されていた。

 道の方々に散らばる胴体と手足。それら残骸の数は優に二十人を超え、垂れ流され続ける濃血が、土をまだらな赤黒に染めている。

 いつのまに作り上げたのやら、酸鼻さんび極まる醜悪しゅうあくな虐殺風景に、二人は悲痛に顔をゆがめた。


 模倣犯のくらい双眸が、蒼羅と朱羽を見る。

 焦点などまるで合っていない瞳から注がれるのは、ここではない何処どこかを覗くような虚ろな視線。 


「……にえとなれ、贄、とな、れ……我が、悲願の……」


 譫言うわごとのように呟くその声は、記憶より幾分いくぶんしゃがれて聞こえる。

 途方に暮れたようなふらついた足取りで、二人へ向かってくる模倣犯。その様はまるで、実体を得た影法師かげぼうしがひとりでに歩き出したかのようにも見えた。


 そこにいるのは人間のはずなのに……人外の異形を前にしたかのような畏怖いふが、肌を粟立あわだたせる。

 殺気にてられた身体が、四肢の末端から冷えていく。ゆっくりと氷漬けにされるように、骨と肉が強張こわばっていく。息を飲むことすら許されず、もはや指先はぴくりとも動かない。


 ――ゆらり。

 歩み来る影が、不意に大きく歪んだ。


「――がっ!?」


 唐突な衝撃。間抜けた声を上げて吹き飛んだ蒼羅は、背で地面をって壁に頭から叩き付けられた。

 左の脇腹にいっとう強く残る疼痛とうつう。朱羽にいきなりと気付き、怒りのまま立ち上がって文句を言おうとして――


 目の前の光景に絶句した。


 朱羽と模倣犯の間でいくつもの銀光が瞬き、金属音を次々と大気に叩き付ける。その光の正体が恐ろしい速度で乱舞する剣閃けんせんだと気付き、背をぞっと悪寒がなででていった。


 もしあのまま突っ立っていたならば、間違いなく細切れにされていただろう。言葉を失いながらも、朱羽の意図を悟って歯噛みした。

 彼女は貴重な初手を無駄にしてまで、蒼羅おれのだ。


 握られた刀がかち合い、きしり、火花を散らす。衝突しひるがえ三度みたびぶつかり合い、やがて一点へ収束。

 噛み合う刃をはさんで、両者の膂力りょりょくが拮抗する。二振りの刃は今にも折れ砕けそうに震え、金属質の悲鳴を上げ続ける。


 一瞬でも力を弱めれば押し斬られる、鍔迫つばぜいの最中。

 朱羽の表情にあったのは――見たことのない焦燥しょうそうと恐慌。

 やがて朱塗しゅぬりの下駄が土を擦り始め、じりじりと押し負けていく。


 もうこれ以上、二の足を踏んでいるわけには行かなくなった。このままではいずれ朱羽が大きく隙を晒す。

 援護えんごするために駆け出そうとして、


「——蒼羅!!」


 まるで見計みはからったように響く鈴のに、射竦いすくめられるように足を止めた。

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