凹凸と凹凹⑥

 朱羽あけはとの一瞬の交錯こうさくにて得物をかち合わせた後、狒々愧ひびきが一直線に突っ込んで来た。


「—おらァ!!」


 疾走の勢いを乗せて突き出される長棍。

 鳩尾みぞおちを狙った一発に、蒼羅そらは右手で横殴りの掌底しょうていを叩き付けてその軌道を逸らす。


 狒々愧は長棍の動きを膂力りょりょくもって軌道修正。

 頚椎けいついを狙って返す横薙ぎは、踏み込みと同時に低く身を沈み込ませていた蒼羅の頭上を擦過さっかしていく。


 引き戻した長棍の石突で地面を打つ狒々愧へ、たわめていた全身のバネを使った掌底。顎先をかち上げる一撃がいたのは


「うけけ、残念ざーんねーん


 宙から言葉が降り注ぎ、蒼羅の顔に影が差す。

 見開いたその目に映るのは、地面と垂直に立てた長棍の上で姿を取る狒々愧の姿。

 不安定な一本の棒の上にて、片腕で全身を支える—

 凄まじい平衡感覚による妙技を為しながら、空いている片手で目の下を引っ張り、こちらを小馬鹿にする余裕さえ見せる。


 蒼羅が伸ばした掌底は届かず、反して振り子のごとき勢いで円弧を描いた狒々愧の踵落としが背中を打つ。

 前へたたらを踏んだ蒼羅が振り返ると同時、風音が右耳を突いた。


 反射的に側頭をかばって腕を掲げる。

 鈍痛どんつうが腕から脳髄のうずいに駆け上がる頃には、ひるがえった長棍の一薙ぎで足を払われ、背中から地面に叩き付けられていた。


 間髪入れず突きが迫る。咄嗟とっさに間合いの内側へ転がり込むと、寸前まで身体があった位置に石突がめり込む。

 回避の勢いを転化させての浴びせ蹴りはしかし、棒高跳びの要領で飛び上がった狒々愧の身体を捉えられずに空を切った。


「オラオラオラオラ!!」


 後ろへ回り込んだ狒々愧は長棍の中程なかほどを握り込み、両端で∞を描くように振り回しながら突っ込んでくる。

 振り返りざま、蒼羅は臆せずに左の貫手ぬきてを突き出した。

 暴風は手の甲に激突。すぐさま手首を返して長棍を掴み、引き寄せながら拳を振るう。

 よろめいた狒々愧の胸郭きょうかくを押し潰す前に、掲げた手で受け止められた。


 蒼羅は拳を、狒々愧は長棍を。

 それぞれに握り止められ、両者の動きが膠着こうちゃくする。


「なぁ後輩。……その左手と両足、義肢ぎしだよな」

「……どうして分かった?」


 不意に、確信に満ちた表情で問う狒々愧。

 眉をひそめて問い返す蒼羅の声音は、驚愕よりもいぶかしむような色が強かった。


 戦う中でこの手足を不審に思う奴もいたが、その正体を一発で—それも数合の打ち合いの間に—看破されたのは初めてだ。

 —どうやって見抜いた?


「……筋音が全然聞こえないんだよ」


 蒼羅が心中に浮かんだ疑問を口に出すより早く、狒々愧はそれに


「知ってるか後輩? 実は人間の筋肉って、動くときに音が出るんだ。……俺は耳が良い。腕や足の筋音を聴けば、どこを狙って攻撃してくるのかなんとなーく分かる」


 蒼羅の拳を握り止めている左の人差し指を立て、自分の耳を指しながら得意げに笑っていた狒々愧は、その指先を蒼羅の腕や足へ向ける。


「けど、お前の左腕と両足は筋音じゃなくて、内部なかのカラクリが動く音が聞こえる。機械仕掛けの義肢だ……当たってるだろ?」


 言われ、蒼羅は愕然がくぜんと己の手足を見遣みやった。


 内部のカラクリが動く音だと?

 戦闘中に—それこそ日常生活の中でも—この義肢は上げたことはない。

 もしも義肢を動かすたび、常人には聞き取れない微弱な動作音を発しているのだとしたら。


 —狒々愧は、それをというのか。


「そういうこった。どーだ、俺すげーだろ!!」


 心中での独白。はずだが……それに対してまるで聴き取ったかのように答える彼を見て確信する。


 人の身には過ぎた—それが奴の最大の武器。


 だが、と蒼羅は小さく笑んだ。

 この身体なら奴に対抗できる。義肢の動作音など、すぐに判別は付くまい。


・・・・・・


「朱羽、貴女あなた、臭い」

「……そう? めっちゃ良い匂いするけど」


 いかにも不愉快といった様子で顔をしかめる依智いち。不思議そうに自分の身体をくんくんいでいた朱羽は首をかしげる。


「甘ったるい匂い、頭痛がしてくる……やっぱり貴女は嫌い」

「……腐ってんじゃないの? その鼻」


 昨日、寝る前に身体に擦り込んだ椿油のことを言っているのだろう。

 朱羽にとってはお洒落しゃれや身だしなみの一環だったが……思わぬところで功を奏したというわけだ。

 ざまあみろ、とほくそ笑みそうになるのを必死で我慢する中で、脳裏には『天照あまてらす』での記憶が蘇る。


 —依智は


 『天照』第四席『犬』の隠神いぬがみ依智いち

 特筆すべきはその鼻。席次に冠された銘の通り—犬並みのだ。


 相手が発する汗の匂いなどから心理状態を読み解き、ときには次の行動さえ看破してみせる。

 敵に回すと厄介極まりない能力だが……幸い今その機能を十全には発揮できない。


 運動するということは、どうしても呼吸による酸素の摂取が必要になる。鼻から空気を吸えば、否応なくこの甘ったるい匂いを嗅がざるを得ない。

 加えて、依智は普段からその過敏な嗅覚を抑えるため、鼻先から口元までを黒布で覆っている。口呼吸などすれば、ただ息苦しいだけ。

 どこまでも好都合だ—依智の鼻から潰すか。


 敵の弱点に狙いを定めたと同時、依智の足下で巻き上がる砂塵。それを視認した頃には、既に猟犬の姿は


「!」


 反射的に首を横に倒すと、鋭い擦過音とともに颶風ぐふうが顔の真横を通り過ぎた。頬にしびれるような熱が走るまで、間合いに踏み込んだ依智の小刀による刺突とは気付かなかった。


 ―速い。


 歯噛みしながら、第二撃が来る前に後方へ跳んで離脱。依智はその場に立ち尽くしたまま、十字を描くように両手の刀を交差させた。


 声も無く、音も無く、再び砂塵だけが巻き上がる。

 ざり、と地を踏む音が遅れて聴こえた瞬間、朱羽は横へ跳ねていた。突風をまとった依智の斬撃が、逃げ遅れた髪の毛先を散らしていく。


「くッ!!」


 着地した朱羽は歯を食いしばり、撓めていた膝に力を込める。既に依智の姿は無く、蹴立てられた砂埃すなぼこりただようのみ。


 上下左右斜め—どこから一閃が飛んでくる?

 即座に反応できるように全身の感覚を張り詰めながら、油断無く構えていると。

 間合いので再び砂塵が巻き上がり、なびく黒髪の残像が見えた。


「……ッ!?」


 読みを違えたことを悟り、肌にぞくりと悪寒が走る。今度は前方からじゃなくて―

 突如として背を刺す殺気。朱羽は飛び退くようにして立ち上がりつつ背後へ振り向く。


「遅い」

 見えたのは銀光、


 ——飛び散ったのは金属音。


 間一髪。身体の前に滑り込ませた小太刀が、依智の二刀と噛み合っていた。

 表情を歪ませる朱羽に、依智の目許めもとは笑むように垂れた。


「いくら甘ったるい香の臭さで隠したって無駄......貴女自身の匂いくらい、私はちゃんと

「いや、だから臭くないって。絶対、良い匂いだから」


 文句とともに刀を弾いた直後、翻って挟み込むように振られる大小二刀。

 対し、朱羽は下駄で地面を抉るように蹴りつけた。

 巻き上げられ、煙幕となって視界を覆う黄土の向こう。目を閉じた依智は眉間のしわ苦悶くもんに震わせていた。—意趣返いしゅがえしだ。


 しかし依智は鼻が利く。

 視界を潰されたところで、匂いを辿ってすぐこちらの間合いに入ってくる。時間を稼げたところでせいぜい二、三秒。


 ―それだけあれば充分。

 朱羽はえて前へ踏み込んで依智の首に腕を回すと、自身の胸元にその顔を押し付けた。ぎりぎりときしむほどに強く、頭蓋ずがいを締め上げるように。


「……ほら、もっかい嗅いで確かめてみてよ? —遠慮しないで、さ」

「ん……ッ」


 せるようにくぐもった声を上げた依智が、左に握っていた小刀で脇腹を貫こうとする。すんでのところで突き飛ばして退避した朱羽の前で、依智は大刀を杖にしながらよろめいた。


 距離を詰めようとした朱羽に影が差す。

 飛んで来たそのが描く放物線は、このまま行けば真上から衝突する軌道。撓めていた膝のバネは、飛び退くために使う他なかった。


 着地と同時に、地面に大の字で叩き付けられた人物を見て—朱羽はがっくりと肩を落とす。


「……なにしてんの?」

「日向ぼっこだよ。暖かいからな、今日」


 朱羽の冷めた視線の先。

 間抜けに吹っ飛んできた蒼羅は、全身の痛みをこらえるように声を震わせた。

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