凹凸と凹凹⑧

 蒼羅そら依智いちへ。朱羽あけは狒々愧ひびきへ。

 二人はそれぞれの敵へ突貫していく。


「うけけけけッ!! なんだよ朱羽、八つ当たりか?」

「うっさい。あんたの声、耳障みみざわりなんだけど」

「うちの狒々愧がご無礼を」

「ちゃんとしつけといてくれよ」


 全く噛み合わず連携もクソもない凹凹ボコボコな二人では、どこまでも綺麗に噛み合い完璧な連携を見せる凸凹デコボコな姉弟を相手取ることは出来ない。

 二対二では分が悪い。


 —ならば、するしかない。


 蒼羅が選んだのは依智。

 依智が扱うのは大小二刀。いくら手数の多い二刀流といえど、拳の間合い―超至近距離にまで近付かれては満足に振るえないはずだ。


 しかし、所詮しょせんは丸腰であることに変わりはない。義肢であることを差し引いても、腕と脚だけで刀を完璧にさばき切るのは至難のわざ。距離を取られたらそこで仕舞いだ。


 蒼羅と依智が互いへ距離を詰める。

 拳の間合いへ入るより速く、二条の銀光がまたたく。

 首をね、胴を薙ごうと迫る双刃。しかし蒼羅は臆することなく前へ踏み込むと、握り込んだ二つの拳を一息に突き出す。

 鳩尾みぞおちと腹にめり込む双打に容易たやすく吹き飛ぶ依智、その華奢きゃしゃな身体は壁に叩きつけられる。


「……かッ、は」


 依智は喀血かっけつするように空気を吐きながらも、その場にへたり込むのだけは防いだ。背を預けたままの壁を支えに、ゆっくりと立ち上がる。

 睨みひとつ、銀の輪環を描いて逆手に握った大小二刀を―

 それを見た蒼羅は思わず、怪訝けげんに冷えた声を飛ばす。


「……なんだよ、それ」

「どうせ朱羽のことだから、まともななんてされてないんでしょう?」


 冷めた瞳と身体から放出される冷たい殺気はそのままに、構えた依智はゆっくりと腰を落としていく。

 その体勢に、蒼羅は見覚えがあった。


 ―制式軍隊格闘術の構え。


「良い機会だから、私が手取り足取り教えてあげる」

「……お手柔らかに頼むよ、先輩」


・・・・・・


 ―朱羽が選んだのは狒々愧。

 狒々愧の得物は長棍だ。


 その動きはどうしたって大振りになる。振るえばその後に大きな隙が生まれる。

 小太刀の届く距離まで近付けば、ただの竿と変わらない。

 とはいえ、攻撃範囲において圧倒的に不利であることは事実。長棍の間合いを維持されてしまえば、朱羽は手も足も出せない―


 はずだった。


 突き出す一撃を横薙ぎで弾き、勢いのままくるりと回転しながら懐に入り込む朱羽。

 振り向きざまの肘鉄ひじてつで胸を突かれ数歩下がる狒々愧に、大上段からの一閃。掲げた長棍で受けられた瞬間、がら空きの土手っ腹を蹴り飛ばす。


「くッそ……なんで通らねぇ」


 壁に叩き付けられた狒々愧は棍を杖代わりにして体勢を立て直す。

 その姿を悠々ゆうゆうながめながら、朱羽は大仰おおぎょうに肩をすくめた。脳裏に浮かぶのは、いつかの旅籠はたごでの戦闘—神峯かみね毘沙ひさが扱っていた三叉槍さんさそうの動き。


「長物は前に相手したことあるし、あんたの攻撃は単調だし―楽勝だっての」

 言葉をさえぎるように振られた一突きさえ、悠然と掴んで止める朱羽。


「へぇ。……だったら、“これ”はどうだ?」

 しかし狒々愧は不敵に笑い返すと、棍を持つ腕をねじりながら引いた。

 

 音とともに棍はに分かれ、その接合部からはじゃらりと鎖が伸びた。


 腕をしならせ、得物を強く引き戻す狒々愧。

 朱羽はその動きに吊られて前へたたらを踏んだ。咄嗟とっさに手を離し横へ転がる。拘束から逃れ勢いを増した棍は、一瞬前までいた場所をむちのように打ち据え砂礫されきを飛ばした。


 膝を突いた朱羽が睨む先、狒々愧は端の二節を持つと、限りなく抽象化された稲妻を描くように構える。


 ―。これが狒々愧の真打しんうち


・・・・・・


 突き出される腕を受け止める依智。

 力任せにそれを引っ張ると、前のめりに姿勢を崩した蒼羅の頭を脇に抱え込んだ。


「ぐッ……く……ぁあああッ!!」


 首に巻き付く腕。のどを絞め上げられた蒼羅は、かすれた気勢とともに地面を蹴って無理やり前進。

 依智の足をもつれさせ転倒させる目論見もくろみは成せなかったが、勢いのまま壁に叩き付けることには成功した。


「……ッく」


 うめいた依智の力がゆるむ。華奢な腕によるを抜け、脳天に振り下ろされる拳骨げんこつをよろめきながらなんとか回避。


 踏ん張る左脚を軸に、後退の中で自然に下がった右脚で放つ回し蹴り。円弧を描く軍靴ぐんかの爪先は、顔の前に掲げられた篭手こてで受け止められた。

 すぐさま脚を引き、切り返して前へ蹴り込む。

 抱え込むように蹴り足を取った依智は、そのまま前へ踏み込んだ。軸足の均衡きんこうが崩れ、押し倒される―

 より一瞬早く、伸ばされた腕が依智の軍服のえりを掴んだ。


「お……らぁッ!!」


 蒼羅は相手を引き込むようにもろとも倒れながら、たわめられていた右脚を伸ばして依智の腹を蹴り上げる。

 巴投ともえなげ。たまらず手を離した依智は宙へ射出され、背中から地面に叩き付けられる。


 蒼羅が脚を思い切り跳ね上げた反動でバネのように起き上がるのと、寝返りを打った依智が立ち上がるため片膝を突いたのは同時。


 休む暇を与えず距離を詰め、蒼羅の拳が振り抜かれる。半身になりながら立ち上がり、横へ回る依智。

 膝裏を蹴り付けられ、蒼羅は片膝を突く。背後から腕が回されたと思ったときには、再び首を締め上げられていた。


 曲げた右腕で喉を挟み込みながら、腕組みのように交差させた左手で後頭部を掴んで押す。

 獲物の喉笛に喰らい付こうとする獣のあごのように、気道を無慈悲に潰しに掛かる依智。背中に当たる柔らかな感触に気を回す暇もなく、蒼羅の視界は急速にかげり始める。


 篭手を掴んで抵抗していた蒼羅は、勢い良くお辞儀じぎするようにして背負い投げようとする。

 ……が、身体に力が入り切らない今の状態では、依智を背負うようにただ持ち上げただけに終わった。


 依智はその反動を利用して、首を締め上げたままの蒼羅もろとも地面に寝転がると、さらに両脚に左右の脚を絡めて完全な羽交はがめへと移行。

 冷酷れいこく酷薄こくはくな、凍える声音こわねが鼓膜を刺す。


「……ちて」


・・・・・・


 空間をひらめく一太刀。流星となって迫る銀光を、狒々愧は握った三節棍の両端を交差させ受け止めた。

 金属音に顔をしかめながら、交差を解きつつ小太刀を弾き飛ばす。


 次いで左手を離して端の一節のみを握り、振り払うような横薙ぎ。後退する朱羽への追撃は、彼女の額を掠めて皮を削ぎ取った。


 朱羽は端正な顔の半面が紅に染まるのも構わず、小太刀の間合いへ一息に詰めた。

 横薙ぎの直後、がら空きの胴、右手の引き戻しは間に合わない、左へ、掬い上げるように放つ、


 ――取った。

 

 確信と共に放った一閃は狒々愧の脇腹を、硬質の音によってはばまれた。


「うけけ、惜しい惜しい」


 意地悪くわらう狒々愧に、朱羽は目をく。空いていたはずの左手には、棍の一節が既に握られていた。

 刀の峰と噛み合っているのは、背中側から伸びた中央の一節。

 外側へ振り抜いた勢いそのままに背中へ回し、身体に巻き付けて防御したのだ。


 朱羽は舌を打って後退。額からの流血をぬぐう間に、再び両の二節を握り込んだ狒々愧が突っ込んでくる。

 半身になりつつ地面と垂直に構えた小太刀を顔の横に。そこから手首を返し刃を上に、切っ先を敵に向ける―霞の構え。


 駆ける狒々愧へひとつ踏み込み、繰り出すのは無数の突き。

 狙うは肩、肘、けん。三節棍の機動力を生み出すかなめどれかを壊す。


 樹に穴穿あなうが啄木鳥きつつきじみた刺突の連続。

 切っ先のきらめきは腕の伸縮運動により引き伸ばされ、朱羽の手先からあたかも幾条いくじょうもの光線となって放たれ続ける。


 一見して闇雲で滅茶苦茶なそれは、牽制けんせいが九割を占めていた。

 次々と放たれる銀の光条はしかし、狒々愧の前で旋風となってめぐる棍の一節にことごとく逸らされる。


 突きの攻勢。弾きの守勢。

 絶え間なく戟音げきおんを奏でる千日手せんにちての最中。刺突の光条は軌道を変え、棍の一節を外へ払った。


「ッ!?」


 単調な動きの連続に加え、それ一点のみに集中していた狒々愧は、急な攻撃軌道の変化に対応できない。

 いくら相手の動きをが、思い込みで選択肢をせばめてしまえば意味がない。


 左肩を狙う銀の光条が、一層強い煌きを空にき付けはしっていく。


 ―今度こそ取った!!


 不意に、狒々愧の身体がかしいだ。

 銀光の終着点は肩口からズレて、喉笛に狙いを澄まし――


「っ!!」

 

 切っ先は喉から残してぴたりと止まる。

 柄を握る手、腕から肩までをふるわせ、朱羽はどこかおびえた様子で動きを止めていた。


「……?」


 狒々愧は怪訝な目を朱羽の顔へ向ける。

 それを眼前の花顔と握る小太刀へと往復させた後、嘲りの色を乗せた嘆息と共に華奢な身体を蹴り飛ばした。


「う、ぐぅ……ッ」


 蹴られるまま下がった朱羽は呻き、小太刀を地面に突き立て踏み留まる。

 

「なんだよお前、のか? ……第三席の『八咫烏ヤタガラス』様とは思えねぇなーぁ」


 三節棍を手持ち無沙汰に振り回しながら、零落おちぶれた人間でもせせら笑うように言葉を投げてくる狒々愧。


 そんな言葉は朱羽の耳に届いておらず、過去に起因する頭をさいなむ痛みも無い。

 今の朱羽の思考は、己の内から湧き上がるに支配されていたからだ。


 刀を握り込むほどに。互いの得物を打ち合うほどに。


 手にが伝わり、

 鼻をが突き、

 口の中には


 曖昧あいまいだった感覚は、雲間から光が射すように次第に鮮明になっていく。

 呼応するように、記憶の沼の底に埋もれていた光景が、様々な感情と感覚の汚泥にまみれて引き上げられていく。


 ―知らない。はそんなもの、覚えてない。

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