雷神と狂獣④
吹き飛ばされた
生体反射で閉じていた
それらを撥ね散らしながら迫る
「ッ!!」
倒れ込むように避けた蒼羅。その肩を
着弾の衝撃で幹を大きく
立ち上がるもふらつき、別の大木に背を預ける。間髪入れずに襲い来る追撃の回し蹴り。
蒼羅は
一瞬でも判断を
倒木の轟音。激震。揺れる
地面は巨大な獣が爪を立てたかのようにあちこちが
それらの光景を生み出したのは自然の脅威ではなく、眼前で愉悦を浮かべ
人身を超越した暴虐で
だが、琥轍の身体も限界は近い。
拳の皮は
悠然と歩を進めるその度に、その身から
予備動作を見てから
既に限界など通り越している。
一瞬でも気を抜けば意識を持っていかれる。
それでも身体を動かし続けられるのは、針の穴ほどの小さな突破口が見えているからだ。
勝機は必ず来る、光明は必ず差す、窮地は必ず打破できる——そう自分に言い聞かせる。震える膝を、慄く身体を、折れそうになる心を、わずかな気力と最後の意地で黙らせる。
歩み来た琥轍との間合いが接触。獣の
受け止める琥轍の掌に
肉が千切り裂かれるような音が響き、
それを皮切りに、水風船の破裂するような音とともに全身各所から濃血が噴き出した――ついに限界を迎えたのだ。
仁王立ちのまま眼を見開き、
「おおおおおッ!!」
土手っ腹に突き入れる右の
さらに踏み込む一歩、強く握り込む拳、
新たに刻まれた全身の裂傷に、蒼雷の蛇が
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■——ッ!!」
寸勁の衝撃に、両足が地から離れて吹き飛ぶ――
「なァんてな?」
――ことは無く、琥轍は後ろ足を引いて踏み留まった。仰け反っていた身体を戻し、おどけたように笑ってみせるその姿に思わず
「……なんッ、で、だよ。お前も限界の、はず」
我知らず、震える声が口から漏れる。
琥轍は高熱で白濁した目を得心行ったように細め、上向きに引き
常人であれば――否、常人でなくとも――命に関わる重傷を追いながら、表情に悠然とした余裕を湛えたまま。肌の一部が炭化するほどの
「ぐばァはッ……んなもん、俺にとっちゃあ大した問題じゃねェから捨て置いたんだよ」
その言葉の直後、蒼羅は目を
炭化した皮膚がぱらぱらとこそげ落ちていき、
欠けていた肉が
血管組織が根を張り巡らせ、やがて皮に覆われていく。
雷電の高熱で白濁した眼球。
破裂した筋組織の隙間から、砕けた骨が
修復不可能に見えたそれらの損傷も、わずか数秒で再生していく。
生理的嫌悪を
「だから言ったろ、殺す気で来いってよォ。俺を殺すつもりで戦っていれば……こうなる前に倒せたかもな」
治ったのだ。
まるで時間を巻き戻したように。あるいは、自然治癒の様子を極限まで早回ししたように。
筋力の制限解除による肉体の自損でさえも、即時に再生されていく。だからこそあの
いうなれば、破壊と暴力の永久機関。
興奮物質の異常分泌で痛覚を吹き飛ばしても、筋力制限を解除し規格外の膂力を手に入れても、まだ全力ではなかった。
「俺に本気を出させた奴は久しぶりだ……この傷は記念に残しておいてやるよ、
身体中に未だ残る
彼自身が己の身に刻んだ
「……有り得ない」
「くはッ、野暮が。有り得ないことを有り得させるから『異能』なんだろうが」
ようやく絞り出した震え声を、琥轍は鼻で笑ってみせる。その言葉に、反論など
蒼羅はただ首を横に振っていた。
膝を震わせ、歯の根を鳴らして、
どうすればいい? 打つ手がない。次の手なんてまるで思いつかない。
思考が乱れる。先ほどまで組み立てていた戦法など、既に白紙に戻っていた。
――無茶苦茶だ。こんなバケモノに、勝てるわけがない。
人を超えた怪物に
どうして戦えると思った?
どうして渡り合えると思った?
どうして勝ちの目があると思った?
人の身では、この怪物を決して倒せはしない。
言葉ではなく、理屈ではなく、生物としての本能でそれを理解し……そして納得してしまった。
すると、思考は自然と逃避の選択肢を模索し始める。
いかに逃げるか、いかにこの場を生き延びるか。肉食獣に
ゆっくりと足が下がっていく。
それを踏ん張って留める気力さえ、今の蒼羅には無かった。
「あーァ、折れたか。お前なら楽しめると思ってたが……見込み違いだったみてェだ」
興を
握り込んだ右手をゆっくりと引き絞る。規格外の膂力が
蒼羅にはその光景が、一門の巨大な砲台を目の前にしているように見えた。
「
――死。
実に単純で、明快な結末が頭を
それに対して、なにか行動を起こす余裕も無かった。
琥轍の右腕が
意識も、
思考も、
感覚も、
全てを衝撃が吹き飛ばした。
・・・・・・
野次馬のように集っていた黒雲たちがぽつりぽつりと涙を流し始めたかと思うと、瞬く間に遠雷が
虎堂琥轍は荒れていた呼吸を静めながら、己の足下に刻み込まれた放射状の亀裂と、その中心で仰向けに倒れ気絶している少年――
眠るように目を閉じる彼の胸元は、吐き出された血で赤く染まっている。口の端からは未だに、濃血が細い糸のように漏れ出ていた。
琥轍は彼に最後の一撃を叩き込んだ瞬間を
殴り飛ばすよりも確実に叩き潰す。
そのために着弾とともにもう一歩踏み込み、拳の向かう先を蒼羅の身体ごと真下へ方向転換させて地面に叩き付けた。
その直前。死の恐怖に怯えながらも、蒼羅は咄嗟に防御姿勢を取っていた。胸の上で十字に組んだ腕は、その
頑丈な義肢で受けることで衝撃を少しでも減らそうとしたのか。
あるいは、単に命の危険に対する反射的な行動だったのか。
今となっては真意を語る者は居ないが……それが先から琥轍の思考に引っかかる。
――本当に、これで終わりか?
――その程度なのか? 堕神の力は。
目を伏せた琥轍は心残りを振り払うように首を振り、
勝負は決した。余興は終わったのだ。次は面白くもない後始末だ。
「さてと、『
・・・・・・
目に映る景色は薄ぼけて霞む。
口の中には
締め付けられるように頭が痛む。
全身各所から響く激痛。身体が痛むというより、痛みが身体を
意識は
辛うじて生きている――
それが幸か不幸か、今の蒼羅には判ずるだけの余裕は無かった。
白く霞がかった思考の中で、感じていたのは
視界の最奥にぼんやりと映る狂獣は、こちらに背を向けた……戦いは終わったのだ。更なる
全身に張りつめていた力が抜け、思考は段々と闇色の
気付けば蒼羅は、
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