涙の名

「ずっと、不思議だったのですよ、兄上」


 王城尖塔最上階にある、王族専用隔離施設。要は、王国最高級の独房だ。わたしは返答など微塵も期待せぬまま、鉄格子の隙間から菓子の包みを入れた。手のひらには、包みからつまみ出した何粒かの輝く菓子。例によって例のごとく、不可思議な味と不可思議な食感をした、魔王領謹製の新製品だ。

 “試作品です、お試しください”、などと書かれた手紙とともに領主館へと届けられたいくつかの……いくつもの、菓子・食材・飲料・酒・作物はそのどれもが、見たことも聞いたこともない代物だった。


 なかでも特に訳がわからないのは、これだ。


「“悪魔の涙”というのだそうです。魔王領の菓子屋が売り出すという新製品がですよ。ふざけているとは思いませんか?」


 口に入れると硬く、舌に触れるのはほのかな甘さ。だが歯を立てるとすぐ、奇妙な感触と得もいわれぬ味わいが口いっぱいに広がる。甘いがそれだけではなく、酸味と塩味とわずかな辛味。糖蜜と果汁と薬草とスパイス。いくつか未知の素材が含まれているが、問題はそこではない。手紙によれば、これには薬効があるのだそうな。


 たかが菓子に? それも、いうに事欠いて、惚れ薬だと?

 馬鹿馬鹿しい。そんなものは存在しない。宮廷魔導師でも、心を操るのは禁忌であり、最善の条件を揃えてすら難しい秘術なのだ。それが、大銅貨数枚で購える菓子に混ぜられた程度の薬草で相手が惚れるだなどと、そんなものは青臭い男や幼い女子に夢を見せるだけの子供騙しだ。


 だがあの悪魔・・・・は知っているのだ。それこそ・・・・が、まさに客の求めているものなのだと。誰も本当に思い人の心を操りたいなどと思ってはいない。お伽話にかこつけて、ふたりで同じ夢を見る。そのわずかな、ほんわりしたもの・・・・・・・・を、欲しがっているのだと。


 全然、わからん。わかるのは――嫌という程に痛感させられているのは、これがまた王都に激震を呼び、王侯貴族が右往左往して、やがて平民たちを巻き込み、王国貨幣が雪崩を打って南部国境を超えてゆくのだということだけだ。


 “金銀の流出は最低限にするので許してね”などと、どの面下げて抜かしておるのだ、あの……


「なにがだ」

「ああ、兄上。その菓子ですよ、“悪魔の涙”というのは。よろしければ、お上がり下さい。毒など入ってはいません。この通り、わたしも食べております」

「……ふん。いまではな、俺が毒殺の心配をしなくていい・・・・・・のは、魔王領だけだ」


 皮肉なことに、それは事実だ。わたしが先頭に立った魔王領への侵攻は、おかしな顛末で奇妙な幕引きを迎え、いまや新魔王軍はコーウェル第一王子を殺す必要を失った。最初から、なかったともいえるが。


 それに引き換え帝国や共和国は、王国に飼っていたシンパを切り捨てられ、公・私・官・民・軍・商の別なく繋がりを絶たれ、魔王領からの輸入物資で貿易上の利益まで削がれたことから、大打撃を受けているようだ。


 特に帝国は多くの手駒を失ったこともあり、怨嗟の矛先はコーウェルに向けられている。その声はわたしに来てもおかしくないのだが、どうやら先方としては黒幕が誰かなどとうにお見通しだったようだ。

 それは自分がお飾りの軽い神輿みこしなのを見抜かれているようで不快ではあったが。


「ほう、これは美味いな。……それで、ずっと不思議だったというのは、俺がお前を利用したことか?」

「いえ。それはもう、どうでもいいのです。“悪魔の涙”という題名ですよ」

「お伽話のか?」

「ええ。おかしいじゃないですか。魔族の娘と人間の男児が好き合って引き裂かれ、裏切り者として殺される。それはわかります。理不尽だとは思いますが、現実とは得てして理不尽なものです。……ただ、自国民を殺した兵でもなく、それを命じた王でもなく、ただ恋人の死を嘆き悲しんで石になり美しい宝石の涙を流す者を、何故“悪魔”と呼ぶのか」


 我ながら、こんなときにずいぶんと見当違いな話をしているものだ。顔を合わせて話すことなどろくになかった兄妹が、初めてきちんと話し合う場を設けたのが、全て手遅れになったいま。兄は“病気療養のため政務履行困難”とされ、ここ、王城の尖塔に幽閉の身だ。すぐに殺されることこそないだろうが、二度と生きて日の目を拝むこともあるまい。


「話が逆だ、マーシャル。宝石の涙を流す者を悪魔と呼んだ・・・のではない」

「は?」

「そもそも悪魔に感情はない。だから泣くことなどありえない。王国では……いや、人間の国ではどこでも、そう考えられていた。だが、彼らが涙を流すとき、それは七色の宝玉に変わると伝えられていた。そこから、七色の宝玉を大陸の古語で“悪魔の涙”と称したのだ」

「ほう……?」

「まあ、一般には、愛に殉じた無垢なる者の涙にはそれだけの価値がある、という程度の解釈が順当だろうな」


 魔王からの手紙で初めて知ったが、同じお伽話が伝わったはずの王国と魔王領で、殺された者と石になった者の立場が逆なのだそうだ。

 それは、つまり……


「流し続けた涙が次々と宝石に変わったというが、それを拾ってどうしたという話は聞いたことがない。もしかしたら最初から、ふたりの悲恋の行く先は仕組まれていたのかもしれんな」

「兄上らしい観点です。ですが、先ほどのお話から、わたしは別のことに気付きましたよ」

「いってみろ」


「石になった者は悪魔だったから、宝石の涙を流したのです。おそらく、魔王領に伝わっていたのが原典。つまり、和平を訴える自国民を殺したのは、人間です」

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