奪還

 伸ばした指先が聖女の顎に掛かる。怯えた顔が恐怖と嫌悪に歪む。その鼻先を戦槌が掠める。


「でぇりゃああァ……ッ!!」


 あっさりとつかみ取ると、“女戦士”の表情が固まる。片手で止められたなのが信じられないのだろう。それも、直前まで砕けていた方の手で。引き抜こうとしてもビクともしない。蹴り上げようとした女戦士の軸足を払い、丈夫そうな顎を蹴り飛ばす。後頭部を床に叩き付けられた彼女は鼻血を噴いて昏倒する。

 呆気ない。

 無様に曲がった剣を檻から引き抜いて、“勇者”が斬り掛かってくる。剣筋はブレブレで勢いもなく、覇気も度量も感じられない。落第だ。こんな奴らが、わたしの魔王様に手を掛けたとは。

 敢えて避けもせず振り抜かれた剣先を二本の指で受け止める。こいつらが帝国の未来を切り開くとでも思ったのか。命懸けで向かって来た海兵の方がよほど骨があった。


「この化け物、めへぶッ!」


 傲慢そうな鼻に拳を叩き付ける。鼻骨がへし折れる、くしゃりと軽い感触。吹き飛ぶことを許さず、胸倉をつかんでもう一発。ゴツッと鈍い音がして目が泳ぐ。意識が飛んだのだろう、何か呻きながら両手で頭を抱えようとする。まるで苛められた子供だ。

 つかんでいた手を離して、頬を殴った拳を振り抜く。


「げぶんッ!?」


 砕けた歯を撒き散らしながら勇者が糸の切れた人形のように吹っ飛んで女戦士の上に折り重なる。


「神敵を焼き払え、“業火”!」


 振り返ったわたしの上に、無数の炎弾が降り注いだ。“賢者”が必死の抵抗を見せているようだが、それも大道芸の域を出ない。自分に影響のない範囲でしか魔法を出せない時点で三流以下だ。懐に踏み込まれただけで抵抗能力を失う。杖を振るって呪文を唱えるが、発生した雷撃は杖を手で払うと行き場を失い、逃げようとしていた“聖女”に誤爆する。


「ぎゃあああァッ!?」


 聖女は床に転がって背を逸らし、痙攣した後で静かになる。

 生きているのか死んでいるのか、頭からはうっすらと煙が上がり、髪の焦げる匂いが周囲に漂う。


 呆然とした顔の“賢者”に平手打ちを喰らわす。ぐりんと頭が回転して白目を剥くが、もう一発喰らわすと意識を取り戻す。他の三人よりも一回りは背が低く、だらしなく緩んだ身体。小さな眼が狡猾そうな光を宿す。唇が密かに何かを唱えるように動いた。

 こちらがわからないとでも思ったのか、魔力を身に纏おうとする小賢しさに平手打ちを叩き込むと、鼻血を噴きながら慌てて抵抗を止める。もう一発。気絶などさせない。意識が飛んだところに、さらに、もう一発。賢者は息を呑んで杖を手放す。失禁しているようだが知ったことではない。


「何をした」

「……えべッ?」

「魔王陛下に何をした」

「なに、もぼッ!」


 またも強烈な平手打ち。頬が腫れ上がって目が塞がり、顔も歪んで輪郭が変わっている。許しを請う言葉が漏れるが、もう遅い。絶対に許さない。


「魔王陛下の拘束を解け。お前になら出来るだろう。出来ないなら殺す」

「ぞんだごど、でぎるわげッ……がああああッ!!」


 華奢な靴を履いた爪先を蹴り潰す。身悶える動きも長くは続かない。だらりと垂れた身体は、砕けた足先から血の筋を垂らし、引き摺られるがままに、胸を戦慄かせるだけになる。

 見下ろしたその顔は、意識を失ったのか心が壊れたのか、鼻血と涎を垂らし視線は宙を見詰めたまま何の反応もない。


「賢者様を、離せ!」

「……いわれなくても、用済みだ」


 死体のような賢者の残骸をお仲間・・・の上に放り出すと、祭壇に向き直る。

 皇帝が憤怒の表情で剣を抜き、その前に槍を構えた重装歩兵が4人。

 どこから現れたのか、いつの間にか増えているようだ。が、そんなことはどうでもいい。


「まだか、早くしろ!」


 怒鳴りつける皇帝の背後で、修道服の集団が魔王陛下の入った卵のような容器に手を掛けようとしているのが見えた。


「そこの坊主ども、動くと殺す」

「どのみち殺すつもりだろうが、化け物め!」

「殺せッ!」

「「「はッ!!」」」


 肩を並べて穂先を揃え、長槍を突き出す動きはなかなかのものだった。

 波状攻撃で退路を断ち、互いの重甲冑を密着させることで攻撃も無力化する鉄壁の連携。


 人間としては、だが。


 唸りを上げて飛んでくる穂先をかわし、柄をつかんで手前に引き込む。鍛え抜かれた膂力を頼りに足を踏ん張り抵抗するが、こちらが手を離すとバランスを崩して身を泳がす。

 目の前によろめき出た重装歩兵の胸甲に拳を叩き込むと、ゴズンと音を立てて鉄板が凹んだ。浸透した衝撃が、なかのを砕く。

 血反吐を吐いて転がる仲間に目をくれることもなく、残った兵士たちは間を詰めて腰を落とし突進しながら新たな攻撃に入る。

 それは、こちらが下がることを想定した行動だったのだろう。懐に入ると明らかに動揺が走った。


 鉄の帽体に覆われた側頭部に肘を打ち込む。グシャリと陥没した鉄の先端が頭蓋骨を穿うがち、目玉を半ば飛び出させてさらにひとりが沈む。

 腰の捻りを戻す勢いで逆側の兵士にも一撃。甲冑は衝撃を受け止めたようだが、首の骨が折れて頭がぐるりとおかしな角度に曲がる。

 最後のひとりに手を伸ばす。慌てて身を引き逃れようとする男の目に指を突き入れ、微弱魔力で脳を弾く。何十人もの帝国軍重装歩兵を屠ってきた技だが、いまは加減が違ったらしい。

 吹き飛ばされて転がった兵士は、皇帝の足元で頭そのものが弾けた。


「「「ひいぃい!」」」


 動じない様子の皇帝の背後で、修道服の集団が恐慌を来たしている。逃げようとしたのか手元が狂い、魔王陛下の器を取り落とそうとしている。

 わたしは皇帝を突き飛ばして修道服の男たちを引き剥がし、陛下の玉体を取り戻す。楕円状の容器はわたしが楽に抱えられる程度の大きさしかない。中身はうっすらと見えてはいるものの、状態は確認出来ない。


「これを開け」

「で、出来るものか! 冥府の檻は、にえを! 血肉を注ぐことでしか解放することなど出来ないのだ!」

「……冥府の……檻?」

「本来は、貴様ら魔族がやるべき儀式だろうが」


 呆れた声に振り返ると、皇帝が、わたしを見ていた。

 剣を肩に担いで、見下すような目で。


「より強く邪悪な魔王を生み出すためのだ。魔王は人の世を壊し、恐怖で支配し、勇者の手で討たれることにより聖なる魂の解放をもたらす。この世の調整機能としての存在だ」

「知るか! ……そんな、貴様らの都合のために魔王陛下が、我々魔族が存在するのではない!」

「わかっていないようだな。愚かな出来そこないの化け物め」


 魔王陛下の容器を抱えて、わたしは部屋を出る。急な脱力感が襲ってくる。魔導狂化ヴァーサクが切れたのか、激痛が全身に走る。手足が萎え、意識が遠のく。

 必死で廊下に逃れ、逃走を始めたわたしの背後から、皇帝の声が追ってくる。


「我らは、混じり過ぎた・・・・・・のだよ」

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