レイチェルの戦い
イグノちゃんと分かれて城の上階に向かったアタシを、テラスに出ていた古参兵たちが振り返る。駆け寄ってきたセバスちゃんは、敵に手が届かないもどかしさでもぶつけたのかベストの裾がヨレている。
「我が君、
「わかってる。数は」
「20から25、真っ直ぐこちらに向かってはいますが、連中……隊列を組んで
たぶん、兵士としての訓練をまともに受けていなかった連中。年が若いか能力がないか意欲に欠けたか、戦闘向きではなかった……ある意味で生粋の
イグノちゃんは尖塔に上がって射落とすつもりだろうけど、不規則な軌道でバラバラに飛んでくる相手は逆に狙い難いだろう。でも弓兵を持たない
「バーンズちゃん! 誰か撃ち落とせるひとは」
「いくつか私物の短弓と投石器はありますが、奴らの高度では牽制程度です。降下するのを待って短槍を投擲させましょう。射程内に入り次第、攻撃開始します」
「お願い。彼らの狙いはアタシ? イグノちゃん?」
「わかりません。
空に目をやったバーンズちゃんに緊張が走る。視線を辿ると、高高度でバンクした有翼族の群れがそれぞれ垂直に急降下を開始した。翼を畳み甲高い雄叫びを上げて弾丸のように落下してくる。興奮か恐怖か風圧か、上気した顔には歪んだ笑みが浮かんでいる。
「短槍構え!」
バーンズちゃんの命令で重装歩兵隊が一斉に槍を構える。ほぼ真上から降ってくる敵では仰角がキツ過ぎて上手く狙えそうにない。
「
10本ほどの槍が打ち出されるが、有翼族部隊は巧みに掻い潜って急降下を続ける。地上15メートルほどのところで翼を広げ、退避行動に入る彼らの手から放たれた何かが放物線を描いた。
「……ッ!? 退避ッ! 総員城内に入れ、急げ!」
アタシはバーンズちゃんに抱えられテラスから室内に引き摺り込まれる。それぞれに飛び込んできた重装歩兵たちの背後で、激しい白煙と爆炎が上がる。窓が割れて室内に降り注ぎ、バーンズちゃんがアタシを守ろうと覆い被さってくる。
「状況!」
「撃墜1確認! その他は視認不能!」
「矢が刺さっている死体には近付くな! 室内で防御態勢を取れ! 来るぞ!」
白煙を吸い込んだ兵士たちが激しく咳き込み始める。
催涙弾? 工廠長ならともかく、誰がそんなものを……
バーンズちゃんが服を裂いたらしい布をアタシの口と鼻に押し当て、セバスちゃんに押し付ける。
「先代魔王様の秘密兵器です。陛下は奥に避難を。テラスに降りた音がしました」
「でも」
「大丈夫、地上に降りた奴らの得物は鉄鉤付きの蹴爪だけです。自分たちにとっては武器とも呼べません」
空中で旋回しながら突入のタイミングを待っていた有翼族を、尖塔から発射された弩の矢が着実に撃ち落とす。回避機動を取りながら逃げ回る生き残りは7。差し引いた残りの何体かが城内に入り込んでいるようだ。
「「「きぇええええぇ……ッ!」」」
脳が痺れるような高周波音とともに、翼を広げた有翼族兵士が突っ込んでくる。怯むことなく身構えた重装歩兵の長槍や大剣が有翼族の革鎧ごと突き通し、一刀のもとに両断する。呆気ないほどの死。だが切り捨てた筈の友軍兵士たちがゆっくりと倒れ込む。
「……麻痺毒!? セヴ! 陛下を
視界を塞ぐ白煙を掻い潜って、残りの有翼族が室内に踊り込んでくる。バーンズちゃんが止めようとするが、狭い室内戦闘で重装歩兵は小回りが利かない。倒されることこそないものの、死を覚悟し数を恃みにした有翼族の攻勢に押され気味だ。
セバスちゃんに守られて階下に向かおうとしたアタシの前に、ふわりと黒い影が差す。すれ違いざま、笑みを含んだ吐息が耳をくすぐる。
バーンズちゃんとセバスちゃん、そして百戦錬磨の重装歩兵たちがその姿を見てハッと息を呑んだ。黒衣の美少女が、賓客でも迎えるように優雅な仕草でゆっくりと腰を折る。
「……
「へ?」
「陛下、もう大丈夫ですよ。私が彼らに、
「よせ、レイ……ッ!」
身構えることもなく立ち塞がったメイドに、一斉に飛び掛かってくる有翼族の兵士たち。彼らの振り上げた鉤爪付きの脚が光の弧を描いて振り抜かれ、まっすぐに立ったままのレイチェルちゃんを……
バラバラに引き裂いた。
「レイチェルちゃん!!!」
血飛沫と肉片が壁と床に広がり、白く血の気のない手足が飛び散ってアタシの傍らで跳ねる。コロコロと転がった彼女の生首が、ゴボリと血反吐を吐きながら笑った。
「レイチェルちゃん! 待ってて、いまアタシが……ッ!」
爆裂安癒を掛けようと飛び出しかけたアタシを、セバスちゃんが背後からガッチリと押さえつける。振り解こうとしても外れない。怒りを込めて振り返ると、死んだ魚のような目をした執事が泣き笑いの顔で首を振った。
「いいのです、我が君」
「いいわけないでしょう! 放しなさ……いぃぃィやあああァッ!?」
バラバラになったレイチェルちゃんの身体が、どす黒い血糊を引いて寄り集まり始める。湿った音を立て血生臭い臭気を振り撒いて、内臓や肉片がビクビクと痙攣しながら、床で笑みを浮かべたままの生首ににじり寄ってゆく。
「な、なななななな……」
「彼女は、
「……こうなるのですよ、
「バーンズちゃん、わかってて」
「いったでしょう、陛下。知らずに済めばそれに越したことはないって」
見せられた周りの者は、敵味方全員がドン引きである。
それは先王様も戦場に連れて行きたくないわけだ。そもそも主を守るという意味ではあまり役に立っているようには見えない。
両手に持った(自分の)血塗れの短剣を構え、ヒョコタンヒョコタンと歪な歩みで近付いてくる
脚は左右で高さが違い、腕は関節と別のところで曲がっている。振り上げた剣筋はブレブレのヨレヨレで、何かを殺せるとは到底思えないのだが、恐怖で固まったのか逃げる気力を奪われたのか、敵は両翼で顔を守るような姿勢のまま、無抵抗で悲鳴を上げながら後ずさってゆく。短剣に毒でも塗ってあったのか彼女の血に何か含まれていたのか、細かい傷を受けていただけの有翼族が、バタバタと倒れ込むなり泡を吹いて痙攣し始めた。
「あたひが、陛下を、お守り、しまふッ」
「れれれ、レイチェルちゃん! あんたなんか、どっかから空気漏れてるッ!?」
「だいちょうぷ!」
「ぜぜ全然、大丈夫じゃないから! ていうかアタシが大丈夫じゃないのよ気持ちはわかったから、もうやめてェ!!」
にんまりと笑ったレイチェルちゃんと目が合う。なんでか少し首が傾げられているのは胴体との連結がズレているせいだと思い至ったアタシは、そこで意識を失った。
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