初めての領地奪還作戦2
また夜が来る。
南東側に広がる畑の奥、見上げたルメア山脈の中腹で魔王城の明かりが揺れているのがわかる。その数が、日ごとに増えていることも。
真正魔族軍――いや、“旧魔王領叛乱軍”の、野営陣地はうっそりと静まり返り、明かりもまばらで煮炊きの火も少ない。数ヵ月後の収穫期を前に、村の食料が底を尽きかけているのだ。2000の村民を支える食糧生産は余剰も多い筈だったが、150の叛乱軍を受け入れるのは容易いことではない。農民と比べて、戦闘職の兵士たちは消費も大きい。精神的重圧から村民に被害を与える者もいて、それが村の生産を阻害する。
まだ育ち切っていない作物も食えないことはないが、それは厳しい冬を越すことを放棄するに等しい。
俺たちは、選択を誤ったのかもしれない。まさかここまで早く新王登極が果たされるとは思ってもみなかった。その統治が成功裏に進み、領内の一部ではあるが凄まじいばかりの発展が聞こえてくることも。正直にいえば、統治が開始されることさえ、考えてはいなかったのだ。いまさらどうしようもないことだが、先代魔王を裏切り弑逆の徒となったいま、新魔王領に俺たちの居場所はない。
きっと、死後の再会を誓った
必要な物があれば力で奪い取る以外にないのだが、連日の敗戦で将軍メラリスは苛立ちと迷いを隠せなくなっている。周囲の声にも反応は鈍い。失望からさらに士気は下がり、真正魔族軍の規律と連携は崩れて行くばかりだ。
「まおー、から、つうこーく」
いきなり響いたその声に、歩哨の兵たちが一斉に武器を構えて息を呑む。通常任務とはいえ分隊規模が展開していた中級魔族の警戒網に、こうもアッサリと敵勢力が入る込むなど有り得ない。
それは、パットとかいう魔王の使い魔だった。陣幕を蹴り飛ばすように、副官のウェイツが姿を現す。いつもの無能ぶりを示すようにその服ははだけられ、甲冑は曲がっている。
「なッ!? なにごとだ!」
「まおー、ぐんは、ほんじつ、げんじこくを、もって、とうばつを、かいし、しゅる!」
噛んだ。自分の意思ではなく、何かの文を読み上げさせられていることは明白だった。おそらくは……いや、まず間違いなく、新魔王の意思として。
「ええい、何をボーッとしている役立たずども! そのチビを斬り殺せ!」
「中尉、あれは使い魔の分身です。効果はありませんし、情報が引き出せなくなります」
近くにいた
「いち、いまからでも、おそくないから、げんたいに、もどれ」
「に、ていこうする、ものは、ぎゃくぞく、なので、せんめつ、する!」
「さん、おまえたちの、かぞくは、こくぞくと、なるので、みな、ないているぞ」
「いじょう!」
ポカンとした表情の兵たちが互いに視線を絡ませ合う。迷うことはなかった。もう原隊はない。死は覚悟の上だし、中級以上の魔族にとって家族などという意識は、少なくとも繁殖結果という以上のものは、ない。
だが、それでわかった。わかってしまった。新しい魔王は、転生者だ。先代魔王と同じく、魔王領に……いや、この大陸全土に。混迷と争いを招き破滅をもたらす、異端思想の媒介者だ。
「総員、警戒態勢! 新魔王軍が来るぞ!」
◇ ◇
「だめー、きいてくれなーい」
「おかしいわね、アタシのいたとこでは有名な叛乱軍用の説得文なんだけど」
「魔王陛下、先ほどお伝えしたかと思うのですが、魔族には理解しがたい発想と、実現不能な命令が含まれています」
「あら」
「我が君、参考までにお訊きしたいのですが、その説得文を受け取った叛乱軍は、どうなったのです?」
アタシは曖昧に首を振る。そうね。鎮圧されたけど、政府内部に軍部の暴走を容認する空気を生むことになった。彼らもアタシも、間違っていたのだ。下手な情けは、不幸しか呼ばない。
「イグノちゃん」
「タッケレル上空、視界よし。
幸い、叛乱軍の陣地は村落から森に半哩(800m)ほど入ったところにある。村や畑への被害も少ない。常時数十名規模(半数は警戒や訓練のローテーション)での野営が行われているだけに少し開けていて、鬱蒼とした森のなかでそこだけ樹幹も薄い。
「まだよ。
◇ ◇
“配置修正、総員外周警戒”
“了”
無言のまま身振りで意思疎通を済ませ、森と同色の魔導貫頭衣で
質量を持たない使い魔の分身とはいえ、自分たちの哨戒領域が抜かれたとなれば、
まして叱責があの、卑屈で腰抜けで責任逃ればかりを繰り返す
どこの誰であれ、この森に踏み込んだ者は残らず射殺し、斬り刻み、焼き払う。樹木のなかへと静かに潜伏しながら、小隊指揮官のファネラ軍曹は殺意を高めていった。
異変が起きたのは、軍曹の傍らにいた筈の伍長が棒立ちで息を呑んだことから始まる。何の気配も物音もなく、彼はゆっくりと軍曹に寄り掛かってきた。
「……!?」
驚きはしたものの、それが敵襲を示すのは明白だった。力なく崩れ落ちる伍長を突き離し、周囲を警戒しながら短剣を構える。
相変わらず、物音も気配も感じられなかった。伍長の様子を横目で見る。うつ伏せに倒れたままピクリとも動かない。血の匂いはしない。毒の臭気もない。魔力も感知されない。
風の音も、歯ずれの音さえも。異変の正体に気付く。
森からは何の音もしない。虫も鳥も風も、味方の気配さえも。
「くそッ」
「どこいくにゃー?」
駆け出そうとしたファネラ軍曹に、頭上から声がした。笑みを含んだ、明らかな挑発。手近な藪に飛び込み周囲を見渡しながら長弓を引き下ろすと同時に声のした場所へ第一射を見舞う。
外した。
藪から這い出ると全速力で走り出す。距離を取らなければ弓が生かせない。いまの声は聞き覚えがあった。魔王城攻略戦で戦った獣人族重装歩兵のバーンズ。
――バーンズ、だと?
「どこ・いく・にゃー?」
繰り返される声。足を止めたファネラの前方、森の暗闇のなかに淡いシルエットだけが見える。重甲冑とは不釣り合いな痩躯に、特徴的なフワフワした立髪。殺意が頂点に達したときだけに発する、気の抜けたような柔らかいあの口調。
「死んだ、筈だ」
「見ての通り、
ファネラは最後まで聞いてなどいなかった。
追撃のために弓を構えたファネラは、妙な違和感に身を強張らす。バーンズは逃げようともせず、最初の一矢だけを退屈そうにつかみ取っていた。上級魔族さえ射殺す強力な長弓と、龍さえ屠る強力な毒。その、
ボトリと、何かが足元の草むらに落ちる。だがいまは敵から目を離す訳にはいかない。弓を引き絞ろうとした彼は、人差指と薬指が、
「……ぁぐ」
ボトリボトリと湿った音を立てて、自分の周囲に次々と零れ落ちるそれが何なのかファネラにはわからない。腕か、脚か、
「
「お仲間かい? 今頃は先に
暗闇に落ちかけた視界のなか、バーンズがゆっくりと近付いてきた。殺意の波が去ったのか、口調は普段通りの落ち着いたものに変わっている。下級魔族でしかない獣人の、憐れみを帯びた眼が、閉じかけていたファネラの心をこじ開け、
こんな筈ではなかった。我々は誇り高い
「
笑みを含んで唇が開く。長い牙が覗き、銀のきらめきが宙を走る。熱い。のに、寒い。
「……自分はそれが、案外、性に合ってる」
かくりと首が空を見上げ、漆黒の闇が、ファネラを呑み込んだ。
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