報恩の宴4

「……くッ、苦しいッ!」


 お腹を押さえて息を喘がせる王女殿下を見ても――私服なので騎士だか兵士だか知らないけど護衛の男性陣を含めて――王国御一行様に反応はない。いちばん心配するべきな侍女でさえ、手にしたスプーンを離す気配もない。


「それはそうでしょう」

「“ちゃーはん”を5杯も召し上がれば、いかに健啖家おおぐいの王女殿下といえど……」

「な、なんだ、ソーニャその冷淡な対応は、ひどいではないか」

「それ以上はいけません、お腹が苦しくなりますよと、何度も申し上げました」

「爺からも申し上げましたな」


 基本的な話として、どうも今回のお付きの方々、マーシャル殿下の統治する南部領の所属ではないようだ。アタシの勘では、王都付きの文官・武官という印象。言葉や態度の端々に、幼い頃の彼女・・・・・・に慣れた感じが見受けられる。


「ぐぬぬ……しかしな爺、あの沼麦の香ばしい風味に芳しい香り。抗しきれぬのも無理はなかろう。あれぞ魔力ではないか!」

「ええ、それは同感ですが、限度というものはございます。大丈夫だ問題ないと召し上がられ、おいさめした通りの結果になられただけです」

「お嬢様は、食べ物に関してだけは、ご幼少の頃からお変わりになりませんな」


 爺やの苦言に頷きながら、侍女は笑顔でパクリとシャーベットを頬張る。なにせ、いま宴は最後の大団円、デザートへと突入しているのだ。しかも魔王領が誇る最精鋭集団、パティシエ・ガールズ入魂の一品。ここが初披露の最新作だ。王女様がチャーハンを食べ過ぎて苦しくなった程度で邪魔されるわけにはいかないのだろう。


「しかしこれは、なんということでしょう」

「……驚愕ですわね」

「信じがたい暴挙です」

「神をも恐れぬ蛮行とさえいえるでしょう」


 パティシエ・ガールズが届けた珠玉のひと皿を受け止めた女性陣は、言葉と裏腹に皆ほうっと切なげな吐息を漏らし、うっとりと蕩けるような笑いを浮かべている。


 実際、アタシの目から見ても驚くほどのものを仕上げてきたのだ。思うまま力の限りやって御覧なさいとけしかけた身でいうのはなんだけど、正直、やりすぎである。


 まず目に入るのはドーム状になった飴細工。なかには王城を模したプチシューが積まれている。素朴で単純ながらも技術が出る一品だが、ふわっと絶妙な焼き上がりの生地に包まれているのはふんだんに使われた生クリームとカスタード。トッピングにチョコレートやコーヒーパウダーなどの新素材も用いられ、一瞬たりとも飽きさせない。

 その横に並ぶ目にも舌にも鮮やかなケーキの数々は、それぞれが王都を騒がせている話題の定番商品だ。お客様がすべて食べきれるようにとひと口サイズで勢揃いしているが、女性陣はその小ささを恨めしげに惜しそうに、ひとつずつ味わっている。ケーキの脇を固めているのは、姫騎士砦フォートマーシャルを知らない王国民には初体験であろう新製品のアイスクリームとシャーベット。皿の上はまるで雪景色の桃源郷というところ。

 傍らに立った細いクリスタルグラスには色とりどりのフルーツがゼリー寄せにされ、甘くなった口を爽やかにリセットしてくれる。花びらが空に舞い踊るように散りばめられた果実の美しさもさることながら、ゼリー自体がきらきらと光っているように見えるのはどうしてなのか。素材も製法もアタシにも想像がつかない。おかしな薬効でもないことを祈るしかない。


「どれもまことに、素晴らしいお味です。そこでご相談なのですが、こちらを作られた、“ぱてぃしえがーるず”の方々を、王都へ……いえ、王城へお招きするわけには参りませんか」


 爺と呼ばれた年配の侍従長が、デザートを味わいながら探りを入れてくる。どうやら王妃陛下から何か命じられているらしい。


「申し訳ないのですが、彼女たちはマーケット・メレイアを支える主戦力なので、メレイアからバッセンまで呼ぶので精一杯なんです」


 アタシは、いちど阻止線を引いて反応を見る。

 姫様からも“爺”と呼ばれ慕われているこの人物は、マーケット・メレイアや、タッケレルの収穫祭でも何度か会っている。それは名目上マーシャル殿下のお付き、ということになっているので不自然ではない。

 が、魔王領こちらでは彼が単身、秘かに山を越えたヒルセン新港にも出入りしていることを把握しているのだ。それもおそらく、王妃陛下の差し金ではないかと思うんだけど、いまのところ行動に悪意も敵意も作為も感じないので黙認していた。王国民が魔王領に入ることに制限を付けてはいない。商業活動でさえ簡単な申請をするだけで許可を出している。観光ならほぼフリーパスだ。


 問題があるとしたら、まだ彼の目的がわからないこと。上がってきた報告によれば、行く先々であらゆる物事に興味を持ち、すべてを詳しく知りたがり、なんでも経験したがったようだ。それが命令によるものか自分の意思かは不明。ひどく楽しそうな変わった爺さんとして、魔王領のあちこちで有名になっていた。そこから読み取れるのは、調査や偵察というよりもむしろ、剥き出しの好奇心・・・だ。あまりにもあけっぴろげに楽しんでいるその様子に、こちらは毒気を抜かれてしまったのだ。

 ただ、アタシの直感は告げている。このひとは、タダモノではないと。


「では、こちらから菓子職人を出して、技術指導をお願いすることは可能ですか?」

「それでしたら少しだけ待っていただけたら……あら、殿下?」


 マーシャル王女は、いまだ苦しそうな顔でデザートの皿と格闘している。代わりに食べるという女性陣からの攻撃を押し返しつつ、まだ食べることを諦めていないのかスプーンを離そうとはしない。


「なんだハーン殿、わたしはいま忙しいのだが」

王国そちらのガールズの話を、王妃陛下に報告されましたか」

「していないが、それがどうかしたのか?」


 なんでしないのよ。あなたのとこの爺やさんが無駄足踏んじゃうとこじゃないの。


「魔王陛下、それはどういうお話ですかな? おふたりで伏せていたことがあるのでしたら、ここだけの話としてお聞きしますが」

「伏せてた、というほどのことではないのですけどね。うちのパティシエ・ガールズの後輩が育っています。いまはメレイアで修行中ですが、もうそろそろ王都に戻る頃だと思いますよ?」

「王都に、戻る・・?」

「爺、わたしから話そう。王国で集めた、若い平民の菓子職人見習いたちがいただろう。あれが、戦場・・を経験して、化けた・・・

「……なんと! まるで、初陣での姫様のようですな」

「ああ。恐ろしいほどの成長ぶりでな。それで、わたしは迷っていたのだ」

「殿下」


 アタシは止めようとしたけど、殿下は軽く手を振って言葉を続ける。


「あの者たちは、もしかしたら王国にいない方が幸せなのではないかとな。だから独断でマーケット・メレイアに送り込み、だから王宮にも報告を上げなかった。せめて、自分の意思で決断するまでは待ってやろうとな」


 意外にも爺屋さんの顔色は変わらず、文句も出なかった。少しだけ笑みを浮かべて、そうですかと頷いただけだ。


姫騎士砦フォートマーシャルで、ウチのパティシエ・ガールズと競い合って、えらく意気投合したみたいなので、しばらくメレイアで共同作業に当たってもらっていたんです。お互いに、いい経験になったと思いますよ」


 王国のパティシエ・ガールズたちは、メレイアでの修行で将来のための覚悟と経験とコネクション、そして踏み出すための初期資金を得られたはず。

 でも個人的には、ここで一度、自分たちの家に戻って、将来について考えるのがいいんじゃないかと思っている。

 先は長いのだ。別に、いますぐ何もかも決めなくてはいけないわけじゃないし、ひとりで背負う必要もない。家族の同意もいるだろう。もちろん、助けがいるならアタシに出来る限り何でもどこまででも手を貸すつもりだけど。


「それは、いいですな」


 爺やさんは、誰にいうでもなく呟きながら、何度も頷いた。予想していた反応とは、少し違っていた。

 初老の男性が目をキラキラさせウキウキとスプーンを操っているのは嬉しい反面、少しだけ対処に困る。


「王国にも、確かな未来があると信じられるのなら、こんなに嬉しいことはありません。王妃陛下にはわたくしから良きようにお話いたします。彼女らの決断がどうであれ、決して無碍には扱わないとお約束しましょう」


 最後は熱いコーヒーで締めると、王国御一行様は大満足で満足げに顔を輝かせた。

 ちなみに、王女殿下は苦しみつつデザートを最後まで食べ切った。


◇ ◇


 満天の星空の下、夜の露天風呂を楽しみながら、アタシはホッと息を吐く。

 宴席は大好評だったけど、その陰で行われた折衝も、概ね満足できるかたちに収まった。今後はバッセンも王国からの客を受け入れ、一大保養地として発展してゆくことになる。さらに金が動き、人が動き、それは両国を大きく動かしてゆくことになる。もしかしたら……というかまず間違いなく、その激流は共和国と帝国、皇国をも巻き込んでゆく。


 今度は経済戦争ではない、武力衝突という形を取って。


「魔王陛下、失礼ですがご一緒してよろしいでしょうか」

「ええ、どうぞ」


 振り向くとそこには、爺やが笑顔で立っていた。事前のしきたりを聞いているようで、きちんと身体を流した後で湯船に入ってくる。

 肩まで浸かると、頭にタオルを乗せて“あーっ”と息を吐く。その辺はもう、日本のお爺ちゃんと同じだ。


「“ろーぷうぇい”も宿も料理も驚きましたが、この“おんせん”にも驚愕させられますな」

「そうでしょう? 我が魔王領が誇る戦略物資ですもの」


 実はこのお湯、疲労回復や美容効果だけではない。慢性皮膚病、慢性婦人病、高血圧、動脈硬化症にも効く。さらには飲用することで糖尿病や痛風、便秘に効くそうなんだけど、問題はその病気自体が王国で(というかこの世界で)病気として認知されていないことだ。

 少なくとも最初のうちは、“身体に良い”“万病に効く”で押すしかない。


「爺やさん、なにかお話があるのでしたら、お聞きしますよ?」

「魔王陛下に、お詫びと、お礼を、お伝えしたかったのです。マーシャル様を守り導いていただき、感謝に堪えません。さらにいえば、死を待つのみの王と、滅ぼされても自業自得であった王国を救っていただいた。この身に出来ることがあれば、何なりとお申し付けください」

「それはそれは、ご丁寧に。……ですが、必要ありませんよ、あなたはもう、王弟ではないのですから」


 爺やは笑顔のまま、少しだけ困った顔をする。


「ご存知でしたか」

「いえ。正直にいえば、気付いたのはいまです」

「……わたくしは、なにか失言を?」

「いえ、勇者の伝説を、思い出したのです」


 先代の王が勇者を見出し、彼が仲間を率いて2代前の魔王を討ったという話。当時の魔王は世界を支配しようとする暴君で、当時の王は病に蝕まれた明君。魔王を倒した勇者は禅譲を受け王の座に付いた。それが現在の王、オーギュスト・パテマス・スティルモン。

 どこにでもあるような話なので、あまり印象に残ってはいなかった。

 気になったのは、仲間の方だ。

 ひとりは宮廷筆頭魔導師だった、現王妃のフィアラ・ケイブマン・スティルモン。もうひとりは、鉄壁の盾と呼ばれた騎士で、魔王との戦いで身を呈して勇者たちを守り、亡くなっている。


 最後のひとりが、流浪の賢者。

 どこからともなく現れて勇者たちを導き、魔王討伐の後はまたどこへともなく姿を消した。これが妾腹の元王弟だという話があった。王家に名を連ねながらもその出自から庶民に親しみ何にでも興味を示し、どこへでも受け入れられる陽気な男であったと。世捨て人に身をやつした理由は諸説あるが、そのどれもが王国に伝わる物語では割愛されている。


「最も古い記録では、賢者は王をしいしたため国を追われたと」

「……お笑い草ですな。王国の記録が最も多く正しく残っているのは魔王領だとは。それは事実です。追われたのではなく、自ら出て行ったのですが……」

「オーギュスト様が呼び戻されたのですか?」

「いえ、捕まったのです。先代魔王陛下に」

「……え」


 なにやってくれてるのよカイト。


「すみませんね、辛い扱いとか受けませんでした?」

「いえ、とんでもない。魔王領に入り込んだ不審者でしかない自分ですが、事情をお話しすると、お前も苦労したのだなと。食客として預かるといって、受け入れていただきまして」


 いやいやいやいや……。アタシは天を仰いで嘆息する。ひとのことはいえないけど、一応仮にも敵国の重要人物相手にそれ、どうなのよ。さらっと絵が浮かぶだけにリアクションに困るわ。


「先代魔王陛下というのがまた、本当に、不思議な魅力を持っておられた。……ああ、ここだけの話ですけれども、先々代の魔王を倒したのは我々ではなかったんですが」

「え?」

「先代魔王陛下は笑いながら、様式美として勇者の功績にしておいたと。素晴らしく気持ちの良い御仁で。大変良くしていただきましたな。後に内乱でお倒れになったと聞いたときは、胸が潰れる思いでございました」

「……えーっと」


 これは、あれよね。つまり、そういうこと?


「ヒルセンで楽しく過ごされていたようですけど、もしかしてカイトに会いに?」

「ご明察でございます」


 ちょっとカイト! なにしてくれてるのよアンタたちは!? いや、旧交を温めるのは別に良いけど。そこは、なんかあるでしょうよ、報告とか連絡とか相談とか!

 アタシの顔を見て、元賢者の爺やは頭のタオルを取って、深々と頭を下げる。温泉に浸かりながらだから、ほとんど水面に顔が付きそうになってる。


「申し訳ございません。魔王陛下にはわたくし自らがお伝えするのでお待ち下さいと、先代魔王陛下に無理強いしたのでございます」


 そう頼まれたら、断れないわよね。悪い人じゃさそうだし、そもそもカイトにとっては旧友なんだし。


「いや、いいわよ。怒ってないし、罰を与える筋合いでもないわ。逆にようやく、あなたの行動が腑に落ちたくらいよ。それで、これからどうされるおつもり? ヒルセンで暮らすなら繋ぎは取りますけど、見たところ現王家とは仲直りしてるのよね?」

「ええ、先代魔王陛下が手を回していただき、無事に王国に戻ることが出来ました。勇者オーギュストの戴冠を支え、王家のその後を見守ることが出来たのも、ひとえに先代魔王陛下あってのものでございます」

「……はあ。そのこと、マーシャル殿下はご存知?」

「いえ、わたくしの過去を知るのはオーギュスト陛下と、フィアラ妃だけでございます」

「ああ、そのふたりは顔見知りですものね」

「魔王陛下からは2代に渡る大恩を受け、是非とも直接お会いしてひと言お礼を申し上げなくてはいけないと馳せ参じた次第でございます」

「本音は?」

「現魔王陛下の施政が、とてつもなく楽しそうなので居ても立ってもいられず」


 正直ね。このひと、政治には向かないかも。


「王に刃を向けた理由を、お訊きにはならないのですか」

「賢者が弑逆の徒になった理由なんて、ひとつしかないでしょう?」

「……はい。暗君と呼ぶにもおこがましいほどの、愚物でございました。勇者を謀り処刑台に送る手筈が進められておりましたので、止むを得ず」

「それは、討伐後に自分の地位が脅かされるから?」

「それを気に病むほどの頭もありませんでした。フィアラ様を我がものにするためでございます」


 それはそれは。きっとカイトだったら、いうわね。“度し難い”、って。


「恩に着せる気はないけど、だったら少しでも長生きしてよね。魔王領はもちろん、王国にとっても、たぶんこれからが本当に大変なときが来る。あなたのようなひとが必要になるわ。それが、あなたに出来る最大の恩返しよ」

「承りました」


◇ ◇


 翌朝、王国御一行様は皆つやつやした顔に幸せそうな笑みを浮かべ、山ほどのお土産を持ってお帰りになった。最後にまた深々と頭を下げた爺やは、どこか晴れ晴れとした顔をしていた。

 マーシャル王女殿下がロープウェイへの乗車を断固拒否されたので、メレイアからの定期便を前倒して多脚トラックを貸し出した。荷台にソファを固定して少しは乗り心地を良くしたものの、政務の都合で街道を250kmだか、ほぼノンストップで突っ走る強行軍だ。

 帰る頃にはグッタリしているだろうと思ったんだけど、なにをどうしたのか姫騎士殿下は逆に気に入ってしまったらしく、またバッセンに行くといっては何度も爺やを困らせたそうな。

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