初めての衝突

「……よく、わからないのだけれどセバスちゃん、先代魔王さんって、たしか……」

「我ら魔族は戦いに生き、戦いに死ぬのです。死は二人を分かちはしない。より強くより固く結びつけるのです。私の中に彼がいる。もう離さない。誰にも、渡さない」

「おい! 何をゴチャゴチャやっている! 臆したか! 地べたに這いつくばって許しを乞えば、命だけは助けてやるがな!」


 完全に無視され続けていた騎士ソーマンが必死でアピールしているが、セバスちゃんの耳には届いていない。ウットリした表情で何やら呟きながら自分の身体を抱きしめるようにしてくるくると回っている。


 ――正直、非常に鬱陶しい。


 リアクションに困って姫騎士を見ると、苦々しい顔で頷いた。主人であるはずの彼女も、あの男には辟易していたようだ。終始あんな態度の部下ならわからないでもない。

 アタシは手招きしてセバスチャンを呼び、一騎打ちの許可を出す。


「いまさら聞くのもなんだけど……セバスちゃん、強いの?」

「無論ですとも。千や二千の歩兵など、魔族であっても遅れを取ることなどありません。まして相手は人間。信じてさえいただければ、必ずや期待にお応えしましょう」

「ああ、と……殺さないようにね?」

「御意!」


 囁くようにいったアタシの声が聞こえたのか、ソーマンは唸り声を上げて兜を放り捨てる。セバスちゃんから距離を取って、背負っていた大剣を引き抜いた。王国軍部隊がどよめきと歓声を上げる。いつの間にやら前庭に入り込んでいた兵たちが、見やすい位置を占めようと周囲に殺到して押し合う。


「待たせたな、主の裾を汚す痴れ者の駄犬よ。このセバスチャンが、貴様に身の程というものを教えてあげよう」

「出来損ないの化け物が、思い知らせてくれるわ!」

「……来なさい、下郎」


 一触即発の場面で、アタシは先刻からの違和感に気付いた。あの子、何にも持ってない・・・・・・・・


「ちょッ、ちょっとセバスちゃんッ 武器は、武器ッ!?」

「いいえ、けっこうですよ、我が君。剣は常に、ぼくの心にあります」

「アホなこといってんじゃないわよ、さっさと……」

「なめるなッ、下種がああァーッ!!」


 大剣を振りかぶったソーマンは凄まじい勢いで突進してくると、裂帛の気合とともにセバスチャンに向けて振り下ろす。誰もが切り裂かれ無残な死体に変わると思った彼女は、薄く笑みを浮かべたまま立っていた。信じられないものを見るような顔でソーマンが固まっている。


「何が起きた、魔法か?」

「避けられたのか?」

「動いたようには見えなかったぞ」


 叩きつけられた剣はセバスチャンの股下・・にある。剣先は地面を抉り刀身の半ば近くまで埋まっている。ふたりの顔は触れんばかりに近い。

 斬撃を避けた上で、間合いを詰めたのだとしたら。セバスチャンの笑みが顔いっぱいに広がる。それは、いつでも攻撃できたのだという挑発でしかない。硬直したまま息を呑むソーマンの目を見つめながら、彼女は首を振る。


「……そんなものか・・・・・・?」


「何してるソーマン、やれ! やっちまえ!」

「うぉおおおおおッ!!」


 地面から大剣を引き抜いたソーマンは、セバスチャンの胴を目掛け渾身の力で横薙ぎに振り抜く。剣が到達するより早く相手の背後に回っていた彼女は、垂れた前髪を弄びながら退屈そうに騎士の耳元へと囁く。


もっと・・・だ、坊や」


 ソーマンのこめかみに青筋が立っているのが見える。確かに他人事ながら、あれは鬱陶しいことこの上ない。


「うぉおおおおおおぉーッ!!」


 ブチ切れたのかソーマンは足を止め、至近距離から大剣を無茶苦茶なスピードで振り回し始めた。対するセバスチャンも真っ直ぐ向き合ったまま、逃げもせずそれを受ける。下がるでも近付くでもなく、剣先が掠める距離で笑みを浮かべながら踊るように軽やかにステップを踏み、最低限の動きだけで剣戟を躱し続ける。切り裂かれ剣風に巻き上げられた芝生や土くれが周囲の友軍兵士に降りかかる。観客は歓声を上げることも忘れ、息を呑み目を見開いて一瞬も見逃すまいと信じ難い攻防を見守り続ける。

 手に汗握る緊迫した時間も長くは続かない。無酸素運動の限界から騎士の顔がたちまち土気色に変わってゆく。大きく逸れた剣先が泳いで土を噛む。杖を突いたように縋って荒い息を吐くソーマンの顔に余裕はもう微塵もない。

 怒涛の攻撃を凌ぎ切ったセバスチャンはしかし、無防備な騎士に攻撃することなく背を向けて下がる。何をする気かと見守る観客の前で2メートルほど距離を取って向き直り、両手を広げると片足を引き片手を胸に当ててゆっくりと優雅な礼を見せる。


「……さあ、そろそろ始めようか・・・・・・・・・


 息を切らし汗を噴き出し目を血走らせたソーマンが、屈辱に我を忘れる。


「うがああああぁーッ!!」


 残った体力全てを振り絞り、大剣を引き摺るように突進した彼はセバスチャンの足から斬り飛ばすように剣先をカチ上げる。


「「「「あ」」」」


 それは一瞬の出来事でしかなかった。

 スッと伸ばされただけの指先が、打ち掛かるソーマンの身体を弾き飛ばしたのだ。行軍用の軽装備とはいえ甲冑込みで100kgは下らない騎士の身体が、縦に一回転したまま地面を転がり、きゅうと息を吐いて動かなくなる。意識を喪った彼の傍らに、危うく剣が突き刺さった。

 再び優雅に腰を折って四方の観客へ礼を見せるセバスチャン。姫騎士はあんぐりと開いたまま固まっている。


「さあ、もうよろしいですか?」


 あれだけの戦いの後で汗ひとつ掻いていないセバスチャンが、兵たちに向き直る。思わず後ずさる彼らに、彼女は晴れやかな笑顔で告げる。


「将校の方々には二階にお茶と軽食が用意してあります。武器はお持ちになったままで結構ですが、城内で使用されますと即刻お帰りいただく・・・・・・・・・ことになりますので、よろしくお願いします」


 王国軍の指揮官たちは互いに顔を見合わせ、毒気を抜かれたのか先に立って案内する執事の尻にイソイソと付いて行く。長距離行軍の後で飢えているだけなのかもしれないが。


「下士官兵の皆さまはこちらへ。馬も裏門側に回していただけますか?」


 二千などという人数では二階に入り切らないので、レイチェルちゃんが残りを裏庭に案内する。城の裏手には野球場ふたつ分ほどの練兵場があり、騎兵用の厩舎と水場とまぐさ置き場も揃っている。いまはそこに避難民たちが大鍋を並べて粥を炊き出しているはずだ。

 食材の確保には苦労したが、地下倉庫の奥から(おそらく)先代魔王が秘匿していたであろう大麦と干し肉のストックが発見されて問題を解決してくれたのだ。


 姫騎士お付きの騎士らしき数名が、こちらから距離を開けて気遣わしげに残っている。パタパタと戻ってきたレイチェルちゃんが、彼らのためのテーブルと椅子を用意する。


「いま、お茶お持ちしますね」

「……かたじけない」


 騎士たちは、美少女然としたレイチェルちゃんに微笑まれると、困惑した表情で兜を脱ぐ。傍らで気絶したままのソーマンの腹の上に、兜や剣や手槍が立てかけられてゆく。


「……これは、何なのだ」


 アタシの前で、姫騎士が憤りとともに息を吐いた。怒りと驚きと不安と羞恥と緊張と困惑と好奇心とが混じり合って、結果どんな顔をしていいのか、わからないといった表情をしている。


「どういうつもりか、説明してもらえるのだろうな。わたしは……我々は敵だぞ! 貴様ら魔族の残党を討伐するためにやって来たのだ!」

「知ってるわよ、もちろん。こっちの事情も、わかってるでしょう?」


 姫騎士の目がわずかに泳ぐ。密偵による報告を受けていたことを指摘されたのだから、黙るのは失策だ。動揺を示した時点で負けである。


「見ての通りの孤立無援で、籠城戦なんてやるだけ無駄でしょ。持ち堪えたところで友軍なんてものはこの世にはいない・・・・・・・・んだもの」

「それで敵に擦り寄ろうと? 魔族らしくもない発想だ」

「あなたのとこだけは、他の敵とは少し意味合いが違うのよ。スティルモン王国第一王女、王位継承権三位のあなたが内乱中の魔王領に差し向けられた意味くらいアタシにだってわかるわ。今回の……遠征? 討伐? なんて呼んでいるかは知らないけど、王国側には国内向けプロパガンダ以上の利益はないでしょ。宣伝効果それにしても、万もの兵に二週間もの強行軍を強いてまで来る程の価値はない。意味があるとしたら、あなたの駒をすり減らすこと」

「……まるで見てきたような口の利き方だな」


 姫騎士は不愉快そうに吐き捨てるが、否定はしない。


「王の病と、第一・第二王子の争い。いまのところ、あなたに王位の目はないけれども、王子からすれば敵方に着くのもまずい。かといって自陣に着けるのも得策じゃない。あなたは王国民と軍内部に絶大な人気がある。支持した側をも喰ってしまいかねない程にね。だから、遠ざけた。帰る頃には決着がついてるかもね。でも、それでいいの?」


「それは、わたしの関知するところではない」

「そうもいってられないんじゃないかしら。あなたがフィラ盆地に残した遠征軍の後衛なんだけど、どうなったか知ってる?」


 姫騎士は一瞬で殺気を纏い、腰の剣に手を掛けた。背後で反応したレイチェルちゃんの気配にアタシは軽く手を振って応える。


「落ち着いて、こちらは何もしていないわよ。念のために監視を付けただけ。地形的に回り込まれるとは思ってないけど、この後の予定を崩されたら困るもの」

「それで」

「あなたたちと分かれた後、約半数が野営の準備を止めて移動を始めたわ。来た道を戻ったっていうならまだ分かりやすいんだけど、そのまま魔王領内を北西に移動中」

「……そんな、馬鹿な。やつらはわたしの直轄部隊だぞ、陣を解く許可など与えてはいない!」


 王国軍内の勢力争いが目的なら、王女殿下の遠征軍を干上がらせるだけで足りる。武勇に秀でた彼女が魔王軍に蹴散らされ命からがら逃げ帰ったという体にするだけで王国内での発言力と人気を殺ぐには足りるだろう。だが、いま確認されている王国遠征軍本隊の動きは。魔王領内の叛乱勢力との接触を目論んでいるように見える。

 いまの魔王領は無防備な敵軍五千が自由に動き回れるような状況ではない。恐らく、事前に叛乱軍と接触があったのだ。

 接触しようとしている相手が帝国侵攻軍でないだけまだマシと考えられなくもないが、それにしてもアタシたちは敵勢力に対して、ずいぶんと後れを取っていた。


 ちょうど良くアタシたちが静かになったタイミングで、レイチェルちゃんがティーセットを運んでくる。気を取り直して、アタシは王女殿下に笑みを向けた。


「ひとまずお茶にしましょう。お茶菓子はアタシが焼いたのよ?」

「……!?」

「あら、毒見が必要なら御家臣をお呼びしましょうか」

「いらん。この期に及んで毒殺もなかろう。お前が何か企むしたらもっと、気の利いた真似をするはずだ」

「お褒めの言葉と受け取っておくわ」


 不敵な笑みを浮かべていた姫騎士の瞳が、クッキーに齧り付くと同時に見開かれる。


「……ぅまッ」


 小さな声が耳に入ってアタシは笑顔で答える。


「気に入ってもらえてよかったわ。スコーンもどうぞ。クロテッドクリームとジャムをのせてね」

「……これも魔法か」

「発酵と醸造を進ませるところだけ、少しね。あとは気合と愛情。撹拌する道具がなくて、時間がかかって大変だったわ」

「くろてっど……何だと?」

「クロテッドクリーム。少し癖があるでしょう、牛乳がなかったんで山羊のミルクなの。ほら、あそこの丘にいる子たち」


 彼女たち・・・・の活躍がなかったら、今日のおもてなしも味気ないものになっていた筈。せめてもの感謝の気持ちとして屠殺を止め、城の周囲に広がる牧草地に放牧することにした。食肉はセバスちゃんに頼んで、ヤギの代わりに野生の豚を狩ってきてもらった。


「ジャムも作りたてだから馴染んでないのよ。事前にいっていただけたら丁寧に仕上げられたんだけど」

「招待状を待つ征伐軍があると思うのか! おい、これは」

「……? それもクッキーだけど」

「甘味が違う」


 真の理解者を見付けた気になって、アタシは少し嬉しくなる。お互い必死に隙を窺っている敵の方が、味方よりもよほど心が通い合うときがあるのだ。


「あら、わかる? さすがね。それは蜂蜜、さっきのは麦芽の水飴。もうひとつのは甜菜糖。どれもうちの特産よ、当然だけど、塩も出せるわ。貿易協定が結べれば、お互い幸せになれる」


 王国は内陸で温暖な気候の平地。豊かな穀倉地帯を抱えてはいるが、産物の種類はさほど多くない。岩塩も産出せず、塩は輸入に頼っている。ギブ&テイクが成立する。少なくとも、彼女の領地である王国南部領に関しては。


「魔王、なんだよな?」

「思想信条にはこだわらない主義なの。いまは守らなきゃいけないものがあるから、自分にできる限りのことはするつもりだけど、王になったのも実感がないわ。それに、正直いうとね、別に王なんていなくても良いんじゃないかと思ってるの。共和制っていうのも悪くないわ。有力貴族や領主が集まって、話し合いで決めるの」

「かつて、北部の港湾都市国家でそんな例があると聞いたことがある。前の大戦で滅ぼされたが」

「そう、迅速で果断な意思決定が必要な場面には向かないのよね。ただでさえ魔族はせっかちだし、話し合うより殴り合う方が正しいと持っているところがあるみたいだから」


 それは、いまも変わっていない。いや、恐らく現在の状況を見る限り、もっと悪化していると考えた方がいいだろう。そして、大陸南端に巨大な火種を抱えることで、王国も帝国も警戒心と野心を強く掻き立てられているのだ。


「攻め込んでくる敵軍全てにこんな真似を?」

「まさか。蛮族相手には使えない手よ。調べさせてもらったわ。あなたと、あなたの国のこと。その上で、勝負しようと思ったの。これが、アタシの武器」

「菓子が?」

「お菓子は、ほんの小手調べでしかないわ。でも、あなたほどのひとなら、こちらの実力はわかってもらえたでしょう?」

「……力を誇示はするが、戦う気はないと?」

「嫌ねえ、これは宣戦布告よ。アタシの……アタシたちの武器は、文化。あなたたちの国を、これ・・で侵略してみせるわ」


 鼻で笑う姫騎士の前に、アタシは指先でつまんだクッキーを掲げる。

 麦芽とナッツの入った香ばしく黒いビター生地と、芳しいバターの香る甘い白生地が、綺麗な格子模様になっている。それがこの地に栄えた、古い王家の紋章だということに、彼女はようやく気付いたようだ。

 かつて大陸全土を掌握し、忽然と消滅した伝説の王国ティルモニア。その末裔を自称する彼女らスティルモン家にとって、権威を支える拠り所となる筈のそれは、実は既に血も文化も断絶した憧憬でしかない。

 ティルモニアの隆盛と滅亡は人間にとって悠久の歴史でも、ひとを遥かに上回る寿命を持った魔族には、種族の口伝に残る程度の過去でしかない。時の流れで削ぎ落とされた暗部をも、記憶に留めている者がいるのだ。

 アタシはその幻の旗印・・・・を口に入れ、噛み砕く。


「……面白い座興だった」

「あら、期待外れだったかしら?」

「いや、予想以上だ。実に興味深い。貴殿も、貴殿の発想も、貴殿の持つその文化とやらもだ。しかしな、いまは乱世で、貴殿の国はその渦中にある。自分の身を護ることも出来ぬ者には、その成否以前に交渉の場に立つことさえ許されない」

「わかってるわ。だから、ほら。聞こえる?」


 風に乗って届く、地響きと馬のいななき。姫騎士の顔色が変わった。

 王国軍の軍勢ではない。自分たちを遥かに超える数の、帝国軍騎兵部隊。城に入った友軍軽歩兵だけでは立ち向かうことは愚か、逃げることも出来ない。

 地面を揺るがす蹄の音が、刻一刻と大きくなる。


「図ったな!」

「ええ、もちろん。でもそれは、あなたが思っているようなものではないわ。あなたとの関係は、こんなところで終わらない。これから始まるのよ。見せてあげるわ。自分の身を護ることも出来ない者の、戦い方をね」

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