レイチェルの悩み

 私は失敗した。また何も出来なかった。

 無力で、無能で、役立たずの、出来損ないだ。魔王陛下は何もおっしゃらないが、数少ない配下のなかで、私は何の戦力にもなっていない。昔からそうだ。何でも平均程度には出来たが、秀でたところは何もない。空気のように曖昧で、空気のように存在価値がない。

 誰も私を見ない。何をしようと気にも留めない。何を考えているのかなど興味もなく、どうなろうと知ったことではない。だから。

 先王様も、私を捨てた。


◇ ◇


 少し前から……いいえ、違う。最初から・・・・。レイチェルちゃんが何かに悩んでいるのは知ってた。いつか心を開けるときがきたら話してくれる気になるかとも思ったけど。


「困ってることがあったら何でもいってちょうだいねー?」


 なんて、出来るだけ軽い口調で話しかけてみたりはしたんだけど。返答は「問題はありません」とかいう他人行儀で当たり障りのないものだった。セバスちゃんやイグノちゃんにそれとなく尋ねてはみたものの、生まれ育ちにも侍従として働いてきた経緯にも特に大きな瑕疵もトラブルもないみたい。可もなく不可もなく、特に関係が悪かった者も、逆に特別親しい者もなく。

 それだけに、なんだか根は深そう。大したことじゃないからこそ、いえないことってあるもの。


「レイチェルは戦災孤児なのです。先代魔王様が拾われ、城の“たくじしょ”で侍女や侍従の子たちと育てられた後、そのまま侍女・・として雇われました」

「ちなみに、最初からメイドさんなのかしら」

「ええ。本人の希望で。いけませんでしたか」

彼女・・がいけないとしたら、あなたもアタシもでしょうよ。構わないわ、もちろん」

「では、レイチェルに何か問題でも?」

「こちらからしたら何も。有能で気が利いて仕事が早くて丁寧で、とても助かってるわ。でも本人は何かに悩んでる。出来ることなら手を貸してあげたいけど、干渉するのが良いのかどうか、わからないのよね」

「なるほど、ではこのセバスチャンめがひと肌脱いで……」

「いらない」


 即答するとセバスちゃんはガックリと項垂れるが、純粋ではあるが雑な性格のこの爆乳宝塚が動くと、余計な波風を立てて状況を悪化させる未来しか想像できない。


「魔王様、ちょっとよろしいですか」

「ああイグノちゃん。良い所に来てくれたわ、少し相談したいことがあるの」

「……我が君、ぼくと態度が違いませんか」

「やっぱり女性の悩みは女性が一番良くわかるんじゃないかしらね?」


 むむむ、とセバスちゃんは悔しげに口籠ったまま固まる。怪訝そうなイグノちゃんを見て両手はワキワキと何かを揉みしだくような動きを見せているが、何をいいたいのかは(なんとなくわかるけど)わからないことにしておく。

 胸が女子力の多寡を決めるわけではないのだ。


◇ ◇


「次は戦場で・・・、お会いしましょう」


 魔王陛下が退出・・されると、弁護人ケーフェイは白目を剥き、泡を吹いて痙攣し始めた。彼の身体から離れる直前、指先をひらひらと振るような仕草は私を励ます陛下からのメッセージだ、きっと。

 後の経緯を報告する義務があると考えた私は、気配を消したまま王女の傍で控える。王女自身が百戦錬磨の武人だが、私もいざとなれば衛兵のひとりやふたりを倒すことくらい出来る。無事を確認するまではこの場に留まろう。


「ど、どうなってる、これは……魔族の謀略か!?」

「ええい、引き込んだのは王女だ、あいつを殺せ!」


「静まりなさい、見苦しい。それでもあなたは王族ですか」


 穏やかな口調で話す声が、その場の全員を硬直させた。まずい。声の主は王女のいる被告人席に向けて、ゆっくりと歩いてくる。気配が近付くに連れて、恐怖と焦燥が私を苛む。まずい。

 姫騎士が吐息とともに、その人の名を呼んだ。


「……王妃、陛下」


 フィアラ・ケイブマン・スティルモン。病床にある王に代わって政務を取り仕切る現王妃。怜悧で公明正大な人物と聞いてはいるが、問題はそこではない。

 彼女は、元宮廷魔導師だ。


「あら」


 ぴたりと歩みを止めた彼女は、私の方を見て面白そうに顔を綻ばせる。

 イグノ工廠長の転送装置の効果か、これまで誰にも、視認どころか察知すらされていなかった私を、さらに気配まで消していたにもかかわらず、彼女だけはこの法廷内でただひとり、即座に、異物として・・・・・認識した。


「……」


 敵意も害意もない無垢な視線を受けて、逆に耐え切れなくなった私は、平伏して臣下の礼を取った。立場上それが間違っているのはわかっていたが、浅学な故に他の礼義を知らなかったのだ。

 見逃してくれるなら・・・・・・・・・、何でもする。そんな浅ましい思いに、王妃は微苦笑で応える。


「気持ちはわかるけど、それ・・は、こちらに任せていただけないかしら」

「……義母はは上」


 それでわかった。王女殿下も私の存在を――王妃ほど明確にではないにせよ、認識していた。その上で、黙認してくれていたのだと。

 そうなると、この後の行動が制約を受ける。私は、魔王領にとって、新魔王陛下にとって障害となる第一王子コーウェルを誅するつもりでいたのだ。

 誰にも知られず、誰からも顧みられず手を汚す。それは私に相応しい仕事だと、たったいままで信じていた。そうすることでしか魔王陛下への報恩を果たすことなど出来ないと。


「問題はあるし、障害も山積してる。でもまずは、互いに信用すること、少なくともそう出来る関係を築くこと。そこから始めようと思うの。それがあなたの主が望む未来に繋がっていると思うから。……あなた、お名前は?」

「レイチェル」


 わずかな沈黙。元宮廷魔導師の目を持ってすれば、それが真実でないことくらい、すぐにわかる。でも、偽名で信頼を汚す意図などない。そのことだけは伝えないとと、私は顔を上げ必死に声を震わす。


「魔王陛下が、下賜してくださった・・・・・・・・・、私の、大切な名前です」

「ええ、素敵なお名前ね。とっても似合っているわ。あなたの主は、お優しい方なのね」

「……ッ!」


 あのときの陛下と、同じ言葉。駆け出そうとしていた足が止まり、抜こうとしていた股下の短剣が重くなる。視界の端で標的・・が、家臣に守られて退出してゆく。


「ねえレイチェルさん。ここは私の顔を立てて、お帰りいただけないかしら。けして悪いようにはしないわ。それだけは、王妃フィアラ・ケイブマン・スティルモンの名に掛けて約束する」


 私は、負けた。また、失敗した。出来るだけのことはしようと、被告人席に置かれた魔王陛下の親書を差し出す。


「お願いします。新魔王陛下は私にとって、魔王領にとっても、大切な人なんです。そして我々の望む未来にとって、マーシャル王女殿下も」

「へ?」

「ええ、わかっているわよ、もちろん。まあ王女本人は、いまひとつわかっていないみたいだけど」


 王妃は親書を受け取り、侍女に手渡す。辞去しようと頭を下げた私に、王妃はくすりと小さく笑みを漏らした。


「確かに受け取りました。こうなったら、私も力を付けなければいけないわね。あなたたちの戦場・・に、踏み込めるだけの力を」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る