次代のために

 目覚めると医務室だった。白い壁に簡素なベッドと衝立ついたて。消毒用アルコールの匂いがするんだけど、魔王領産のそれは薬草入りで元いた世界のとは少しフレーバーが違う。

 微かな揺れがあるから、いまは旗艦ルコックの艦内なのだろう。


「おはよう、イグノちゃん」

「陛下!」


 ベッドサイドで突っ伏していたイグノちゃんが、泣き笑いの顔でアタシにすがりついてくる。その後ろに立ち、困った顔で腕を組んでいるのは姫騎士殿下。心配かけちゃったみたいね。


「申し訳ありません、バーストファイアの消費魔力量があれほど大きいとは想定しておりませんでした」

「いいのよ、戦況は」

「帝国軍の砲座も追撃部隊も壊滅、全車輛収容し帰還の最中だ。その“しょうじゅう”とやらは、呆れた威力だな。もう示威行為は必要ないとあれほどいっただろうに……」

「殿下、それは工廠長にいってくださな。それで、帝国海兵さんたちの家族は」

「無事です。体調不良を訴えていた者たちもほとんどが栄養不良でしたので、消化の良い食事を与えて静養させています」


 イグノちゃんたちは起き上がろうとしたアタシを支えようとするが、単なる魔力切れだったようで、こちらの体調には特に問題なさそう。


「もう大丈夫よ、少し寝てスッキリしたわ。それより、避難民の様子が見たいの」

「御案内します」


 艦内を歩くと、下級魔族たちは敬意と親愛のこもった敬礼を、帝国出身者と思われる人間たちは最敬礼を返してくる。あんまり気を使われるのには慣れないので、アタシは笑顔で手を振って仕事に戻ってもらう。


 帝国海軍の家族たちは、艦内の大部屋に集められていた。


「個室を使っても良かったのですが、皆さん離れるのを嫌がったんです」

「わかるわ。これまで虐げられてきたんだし、まだ自分たちがどうなるかわからなくて不安なのよ」


 イグノちゃんがノックして、返答を待つ。警戒したような声で、“魔王が来る”と伝達する声が聞こえてきた。まあ、間違ってはないんだけど。

 許可を受けてアタシがドアを開けると、彼らは一斉に振り返った。


「はぁい、御機嫌よう。アタシは魔王領の責任者でハーンていうの。よろしくね。特技は安癒で、趣味はお菓子作り。体調悪い人とか、いたら教えてちょうだい?」


 大人たちは身構えたまま無反応。お菓子、というところに反応したチビッ子が数人。口元にはヨダレがあふれ、尻尾があったらブンブン振っているような表情だ。

 ふわりと甘い香りに振り返ると、いつの間にやら背後にはレイチェルちゃんが、お盆に載ったドーナッツの山を捧げ持つように控えていた。何このメイドさん、タイミング完璧すぎだわ。


「あー。ごめんなさいね、これはアタシが作ったんじゃないけど魔王領ウチで最高のパティシエが作り出した自慢の一品よ。皆さん、良かったら召し上がれ?」


 大人たちは止めようとしたようだが、甘味に飢えた子どもたちが目の前のお菓子の山に我慢など出来る訳もなく。というか、女性陣も目は泳いでいる。


「取り合わなくても大丈夫ですよ、まだまだ運んできますからね~」


 その言葉を聞いても子供たちの勢いは止まらず、両手に持って奪い合うようにがっついている。追加のドーナッツやお茶とミルクのポットを持った船員たち――たぶん自分らも同じ経験をした帝国海軍の元・海兵――が、あまりの光景に涙を浮かべていた。

 パティシエ・ガールズはまだ姫騎士砦フォート・マーシャルにいるだろうから、作ったのはルコックの厨房員なんだろうけど、見る限りドーナッツには焦げも崩れもなく香りも良い。なかなか良い腕みたい。


「う、うま!」

「甘い、甘いよ!」

「こんなの初めて食べた! お母さん! お母さんにも!」


 ああ、こぼれてる、むっちゃこぼれてる! そっちの子とか喉詰まってるし、早くミルクあげて!

 アタシの指示を待たずにカップを持った船員たちが子供たちに飲み物を配り、女性陣のところにもお盆を持ってドーナッツを渡して回った。


◇ ◇


 土下座。なにこれ。全員揃って、マジ土下座。


「ちょ、なにしてるの、皆さん、そういうの止めてちょうだい!」

「ありがとうございます、魔王陛下! 我々は、全てを捧げます!」

「何もかも、お渡しいたします! どうか、御慈悲を!」


 だから、そんな要らないって! アタシが視線を泳がすと、どこか面白がっているような苦笑を浮かべたマーシャル殿下が壁際で首を振る。イグノちゃんは満足そうに頷くけど、そんなアタシに何を求めてるのよ!?


「とりあえず、座ってちょうだい。ね? 魔王領は、あなたたちを歓迎します。何も捧げなくても良いから、ひとつだけルールを守ってもらうわ。新生魔王領の、これだけは譲れないルール。これが守れないなら、魔王領ウチからは出て行ってもらう」


 老若男女の全員が、ハッと顔を上げる。リーダーと思われる初老の男性が、決意を秘めた顔で応える。


「なんでも、お命じください! 救われたこの命、投げ出しても……」


「ああ、そういうのいいから。ルールはね、“幸せになること”よ」

「「「「……は?」」」


「みんなで、幸せになるのよ。そのために何が出来るか、どうしたらいいか、みんなで考えて、力を合わせるの。いままで、そうしてきたし、これからも、そうするつもりだから」


 大人たちにはあまり通じてないみたいだけど、まあ取って食われることは無さそうと思ったのか、早くも子供たちは追加のドーナッツをモキュモキュと頬張っている。


「さて、話は戻るけど、このなかで体調悪い人は?」

「……ソーニャさんが、たぶん……もう」


 ソーニャさんてのは、誰かしら。彼らの視線を辿って、奥に寝かされていた老婆に気付く。起き上がろうとしているようだけど、手足に力が入らないのか傍にいた若い女性が手を貸している。


「あ、ちょっとダメ、そのままでいいから!」


 アタシが駆け寄ると、立ち上がるのを諦めたのかソーニャさんは毛布を手で払って床に平伏する。


「だからもう、そういうの止めて……」

「まおう、へいか。この役立たずまで、拾っていただき、誠にありがとうございます。ですが、この朽ちかけた命は、捨て置いていただけませぬか。そのような余力をお持ちでしたら、それは若い世代に、どうか」


 アタシのなかで、何かが弾けた。そうだ。アタシのお婆ちゃんも、こういう言い方をした。自分は良いから、このまま死ぬのが望みだからって。そんな筈ないのに。もっと長生きして、楽な余生を送って、子供や孫やその子達の、幸せな姿を見たかったはずなのに。


「断るわ」


 アタシはソーニャさんの曲がった背を抱き締める。ゴツゴツして強張った両手を、手のなかに包み込む。


「ふざけたこといってんじゃないわよ。アタシが誰だと思ってるの。“魔王”よ! アタシの庇護下に入ったら最後、死ぬまで手放したりしないんだから! “幸せな人生だった”って、孫やら玄孫やしゃごに囲まれて、百歳越えの大往生させてやるんだから!」


 少しずつ探りながら、アタシは安癒の魔力を注ぎ込む。病なのか怪我なのか老齢による障害なのか、彼女の身体にはあちこちに遮蔽物のようなゴリゴリした違和感がある。安癒の力が詰まるところはそのコリのようなものを重点的に揉みほぐし、和らげて少しずつ通してゆく。


「……まぉ、さ……」

「静かに。もう少しで済むわ」


 何をしているのかと駆け寄ろうとする避難民を、マーシャル殿下が止めて説明してくれてるみたい。ありがたいけど、いまはお婆ちゃんの安癒に集中する。


「あなたはね、必要なの。逃げてきたみんなにとっても、受け入れるアタシたちにとってもね。生き字引、知恵袋。皆のまとめ役。そういうのが、魔王領ウチには足りないのよ。いまのままでは役に立てないっていうのなら、アタシが変える。その代わり、思い知ってもらうわ。アタシはね、人使いが荒いわよ。使えるひとなら、ビッシビシ扱き使っちゃうんだから!」


 しゃべりながら背中をさすり、両手をさする。亡くなった田舎のお婆ちゃんにも、こうしてあげたかったな。最後までアタシは、お婆ちゃんに何ひとつ、恩返しが出来なかった。そう思っていると、手に落ちる雫に気付いた。見るとソーニャさんが、ポタポタと涙をこぼしていた。


「魔王陛下、僭越ながら、ひとつだけ、いわせてくだされ。ふつう、親や、祖父母というものは、子や孫に、恩返しを求めたりはいたしませぬ。彼らがどんな人生を送ろうと、責めたりもいたしませぬ。なぜならば」


 囁く声が、心の奥に染みる。亡くなった筈のお婆ちゃんが、彼女の身体を借りてしゃべっているみたいな感覚。アタシは、安癒を通じて、ソーニャさんの奥にいるお婆ちゃんと会い、お婆ちゃんと会話していた。


「ソーニャ、さん……」

「なぜならば、無事に産まれてくれただけで、恩返しは済んでいるからでございます。思うことは、ただひとつ。幸せに、なってほしいと。……魔王陛下、ご炯眼でございます。まことに、民の上に立つ者として、見上げた心掛けにございます」


 アタシの手を柔らかく握り返すと、ソーニャさんは立ち上がった。膝も腰もピンと伸び、肌には張りと艶が、目には温かな強い光が戻っている。穏やかな笑みを浮かべてアタシに手を貸し、立ち上がらせた彼女は、皆を見て静かに頷いた。息を呑む避難民たちは一様に声もなく拝むように両手を合わせている。

 ソーニャさんは皆の前に立ち、アタシを振り返って深く頭を下げた。


「我ら帝国の生まれながら、これからは魔王領住民として、精いっぱい努めを果たさせていただくつもりでございます」


 彼女が顔を上げると、そこにあるのは、矍鑠かくしゃくとした、威厳ある老婆の姿だった。

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