包囲

“いまさら聞くのもなんだけど……セバスちゃん、強いの?”


“無論ですとも。千や二千の歩兵など、魔族であっても遅れを取ることなどありません。まして相手は人間。信じてさえいただければ、必ずや期待にお応えしましょう”


 ――ああ。

 わたしは、なんて愚かで、傲慢で、盲目だったのだろう。


 見たくないからものから目を逸らして、聞きたくない声に耳を塞いで。現実から逃げ続ければ、いつかどこかに安息の地が見つかるだろうと思っていた。それが救済であろうと破滅であろうと構わない。

 彼のいない世界、ひとりきりの場所でなければ、どこでもよかったのだ。


「うぉおおおッ!」


 唸り声を上げて背後から突っ込んでくる敵。わたしは振り返りざま気配だけを頼りに拳を叩き付ける。わずかな衝撃とともに、面頬を歪ませてたたらを踏む重装歩兵が見えた。貫徹とおらなかった打撃に迷うことなく戦略を変え、拳を開く。指差すように兜の隙間から眼球を突き、微量魔力で脳を弾く・・。それだけで敵兵は膝から崩れ落ち、血反吐を吐いて事切れる。

 重装歩兵は動きが鈍いだけに、接近戦に持ち込めばむしろ容易い。軽装歩兵や甲冑を纏わない剥き身の海兵ならば、どれだけいようと脅威ではない、筈だったのだが。


 問題は、数だ。倒しても倒しても尽きることのない敵。

 かつて“千や二千の歩兵など”とほざいた自分を張り倒してやりたくなる。帝国に入ってから倒した兵は恐らく500にも届かないが、これから何倍も積み上げる死と蹂躙の輪舞は考えるだけで気が遠くなる。


 海面に繋がる暗渠から上層を目指したわたしは、梯子を登ってすぐ警備兵に発見された。

 ひとりは即座に首を捻り倒したものの、もうひとりは殺す前に警報を発していた。

 要塞内部の各所に配置された、“伝声管”と呼ぶらしい金属の筒。上層へと逃げるたびにそれを通じて状況は各所へ伝達された結果、海兵の増援は増え続け、包囲網は着実にわたしを追い詰めていったのだ。

 足音が響いてくる。あちらからもこちらからも。逃げ場はない。どこにも。満身創痍で荒い息を吐いて、軋んで揺らぐ手足と心に残っていた力を籠める。


 物陰でうめいている瀕死の海兵を見つけ、腹に刺さった短剣――わたしが奪って突き立てたもの、に微量魔力を流す。反り返って悲鳴を上げた海兵はすぐに意識を失うが、警報となって仲間たちを呼び寄せる。

 近付いて来る方向がわかれば、仕留めるのも楽になる。殺さず重傷を負わせれば追手を救護や後送に割けるが、孤立無援の状況では無用なリスクを抱えることになる。敵兵は可能な限り殺すと決めた。しょせん死体を積み重ねることでしか、わたしは魔王様に近付けないのだ。


“もし先代魔王様が生きていたら、あなたどうする”


 頭のなかで声が蘇る。灰色にくすんだ世界に、色が戻った瞬間。

 それを告げた声を、わたしは、ひどく懐かしく思い出す。


 少し高く、わずかにしわがれ、奇妙な訛りを帯びたあの声を。常に気遣わしげな視線と、目に入る全てから距離を置きつつ慈しむような笑顔を。

 死臭ばかりが漂う廃墟の魔王領が、見る間に変わっていったあの頃。わたしのなかにはもどかしい思いばかりが募って、焦燥だけが胸を焦がしていた。何も見えてなどいなかった。何も感じられなかった。

 でも、思い返せば。


 あれはわたしの生涯で、最も穏やかで美しい日々だった。


 その暮らしを、わたしは捨てた。そのことに後悔はない筈なのに。

 なぜこんなにも心が疼くのだろう。


“ちょッ、ちょっとセバスちゃんッ 武器は、武器ッ!?”

“いいえ、けっこうですよ、我が君。剣は常に、ぼくの心にあります”


 嘘だ。全部。なにもかも紛い物だ。

 名前も素性も性別も過去も、わたしは全てを偽って。

 剣を持たなかったんじゃない。持てなかったのだ。

 あのとき、差し出された剣を。わたしは受け取ることが出来なかったから。


“俺を止めたければ、殺せ。お前にはその資格がある。だが、この戦いに加わることは、絶対に許さん”


 あのときどうすれば良かったのか、いまでもわからない。

 そして、わたしはいま、ここにいる。

 全身に血と肉塊を被り、鉄錆の味がする唾を吐き、灼熱に焼かれたような肺を戦慄かせて。


「止めろ! 魔族の化け物に海兵魂を見せてやれ!」

「「「うぉおおおおぉ……ッ!」」」


 確かに噂通り、海軍は精兵だった。

 個別の戦闘能力も侮れないが、それ以上に士気と規律と統制が、陸兵の比ではない。


 廊下の角に身を潜めて、突進してくる一団をかわす。侵入者の姿を見失って戸惑う彼らの首を背後からへし折った。

 死体を隠すのは止めた。わずかに発見を遅らせたところで、そんなものは息をく猶予にもならない。

 巡回する海兵たちは諦めることを知らず、全ての部屋や暗がりを虱潰しに確認してゆく。

 見つかる前に移動するのも不可能だ。どのみち上層に登る階段や梯子は、既に先回りした海兵の重装歩兵が集団で守りを固めている。襲う時機チャンスを計る以上のことは出来ない。


「いたぞ! 4層北東備蓄倉庫前!」

「分隊続け!」

「「「「おうッ!」」」」


 上層になるに連れて、配置された兵の錬度が上がっている。いくら友軍が殺されたところで、海兵たちに迷いはない。陸兵なら現れていた足並みの乱れも、死をいとう怯みも。


 海に落ちたときのことを考えているのか、狭い施設や船での行動が多いためか、海軍では甲冑を身に着けた者が少ない。いても肉抜き・・・の開いた薄い軽量甲冑が多かったのだが、ここにきて陸軍騎兵並みの重甲冑を装備した者が増え始める。

 身体強化を掛けた魔族の身体とはいえ、その装甲には拳だけでは攻撃が通らない。


 だが、方法はある。


 物陰から躍り掛かってきた重装歩兵を引き摺り倒して組み敷き、喉に拳を叩き込む。どれほど分厚い甲冑を着ていても、隙間を狙えば同じことだ。

 後続の海兵たちは青い布の上下だけを纏った雑兵。反りの入った揃いの短剣を腰溜めに構え、じりじりと包囲を縮めてくる。増援が来るまでの足止めに命を捨てるつもりなのだろう。

 わたしが一歩踏み込むと前にいた兵士だけ後退し、すかさず横の死角や背後からの斬撃が襲ってくる。一定の距離を保ちつつも逃がす気はないということか。その勇気と覚悟は称賛に値するが、虫の群れにたかられるような不気味さがあった。


 背後に牽制の蹴りを見舞うと、構わず突っ込んで前方の海兵に手を伸ばす。身を沈めて逃れた隙に、左右から短剣が振り抜かれる。


「舐めるなッ!」


 短剣を握った手をつかんで捻り上げ、交差するように叩き付ける。お互いの頭蓋骨が激突して砕ける音。首の骨が折れておかしな角度に曲がったふたりを両手に持って振り回した。鞭のようにしなった死体の足が剥き身の雑兵たちを容赦なく打ち据える。周囲の海兵たちは吹き飛ばされて壁に叩き付けられて転がる。動きが止まった彼らをひとりずつ蹴り殺して、廊下の先に向き直る。

 暗がりの奥から、無言の殺気が噴き出した。


 重量のある足音。体躯や装具だけではない。何か大質量の武器を携えている気配があった。


 狭い廊下で死体に囲まれ、咄嗟に逃げ場はない。突進に備えて身構え、萎えそうになる手足に無理やり力を込める。移動と戦闘が絶え間なく続き、全身に疲労が蓄積していた。


“死ねば、そのときはゆっくり休めるさ”


 あれは、誰の言葉だったか。遠い戦場の記憶。穏やかな笑顔が、淡い思い出のなかで瞬いて消える。


 一瞬、意識が揺らいでいたのだろう。気が付くと、目の前に巨大な黒い影が迫っていた。突き出した拳は空を切り、巨躯に見合わぬ俊敏さで懐に潜り込まれる。視認できないほどの速さで振り上げられた何かに打ち据えられた。ゴキリと、何かが砕ける音。へし折られたのは顎か首か頭蓋か、防ごうと突き出した腕か。もはや何の感覚もないわたしにはわからなかった。


「魔族を打ち取った!」


 その声の主は若い女のものだった。

 いくら足搔いたところで、結末は呆気ないものなのだなと、わたしはどこか遠いところで、嗤った。

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