初めての共同作業

「アーム転回するよ、そこどいてー」


 歪な巨大水呑み鳥のような急拵え重機を使って、イグノちゃんは裏山に帝国軍兵士の共同墓地を掘っていた。

 装備を剥いで身元の分かる物を確認し、埋葬位置を記録して、埋める。一定の数になったら、砂利と石灰を撒いて消毒用&野生動物の掘り返し予防用の層を作る。それを、縦横数百メートル深さ十数メートルに渡って行うのだ。

 それが、万単位の敵を葬るという行為の現実だった。


 機械力を投入し、流れ作業で行うとはいえ、人手は明らかに足りなかった。まさか死体の処理を、女子供にやらせるわけにはいかない。避難民の中から成人男性だけを選んで手伝いを頼んだ。セバスちゃんが死霊兵として操り、自分で甲冑を脱いで墓穴まで歩かせるという案もあったが、数と魔力消費を考えると現実的ではない。死霊兵には細かい作業には向いていないし、死霊術は燃費が悪いのだ。捕虜がいればよかったのだが、全滅ではそれも望めない。

 小型魔珠で通信は確保したが、衛生的な問題から、埋葬班と城内の人の行き来は止めた。

 完全に、手詰まりだった。アタシはアタシで戦場にいたのだ。


『魔王様、まずいです四割も終わってないです、一部はもうガスが……』

「ごめんイグノちゃん、こっちも手が離せないの! あとちょっとで手伝い出すから待って」

『了解です、そっちの魔石交換しろって、パットにいってもらえます?』

「わかった、お願い!」

「魔王様こっちは洗浄済みました! 解体も残り二割です」

「まおー?」

「保存用は部位ごとに分けて冷凍倉庫、調理用は厨房に運んで!」

「魔王様加工終了」

「パット、燻蒸室に連絡!」

「まおー!」

「何よもう忙しいんだってば!」


「おーこくぐんのひと、てつだおうかって」


 あまりの惨状を見かねたのか暇だったのか好奇心からか、城で友軍との合流を待っていた王国軍兵士の半数ほどが手伝いを申し出てくれた。立場上は客人ではあるが、ありがたくお願いする。

 後で彼らにはちゃんとお礼をしなくちゃいけない。これでも義理堅い魔王なのだ。


◇ ◇


「レイチェルちゃん、こっち済んだから手伝うよ」

「ありがとうございます。ずいぶん手際がいいんですね」

「王国軍じゃ、下っ端のうちは誰でも輜重兵や工兵で……物資の管理やら土木工事もやるんだよ。歩兵しか知らない軍人は視野が狭くなるからってさ」

「良いことです。我が国でも取り入れたいですね」

「扱き使うための屁理屈かもしれないけどな。……それより、意外だったな、こういうの」

「なんのことでしょう?」

「“神をも恐れぬ魔王軍”が、ちゃんと敵の死体を埋葬するっていうのがさ」

「宗教的な問題というより、衛生的な問題ですね。死体は放置すると腐敗して疫病の原因になります。農業の経験がないと誤解しがちですが、動物の死骸は作物には害です。肥やしにもならないんです」

「いや、そういう話じゃなくてな」

「毀損して喜ぶ趣味もないですよ。死霊術という利用法もありますが、起動に時間が掛かりすぎ、発生条件が難しすぎ、おまけに術者が少なすぎで、実戦的かというと甚だ疑問です。心理戦用ですね」

「いや、怒られるかもしれんが、魔族は人を食うとか聞いてたから」

「人を食った性格という話なら事実ですが、食肉として人体は魅力的なものではないです」

「不味いのか?」

「知りません。衛生的にも倫理的にも美意識的にも、試す気もないです。人体の何倍も肉が付いた獣や家畜がたくさんいて、そっちは美味しいのがわかってるんですから」

「違いねえ。ところで、城の裏手で集まってる、あれは何をしているんだ?」

「馬肉を調理できないかと試しておられるそうです」

「へえ。あんな貴族の乗り物を食う機会なんてねえが、美味いのか?」


「魔王様によれば……腕次第だと」


◇ ◇


 戦闘が終わった後の、城の前庭。

 最低限の清掃と遺体処理を済ませたものの、大量に折り重なる巨大な馬の死体を前にして、アタシは頭を抱えていた。

 夢にまで見た大量の畜肉ではある。けど、馬肉。しかも軍用の重種馬だ。そのまま食べて美味いわけがない。脂っ気が少なく、筋張っていて硬い。独特の臭いもある。

 でも確か、栄養価でいうと他の家畜と比べてかなり優秀なのだ。


 一頭がたぶん体重七百から千キログラム。小さい自動車くらいある。それが恐ろしいことに(損傷や汚染で食用に耐えない物を除いてなお)七千頭近く手に入ったらしいから……ざっくり半分が枝肉になったとして、概算で、ええと……


 ……三千トン?


「イグノちゃん、追加発注!」


 手作業で解体していたら日が暮れるどころの話じゃすまない。切り刻む機械と、洗浄する機械と、冷凍する機械と、ミンチにする機械と、あとは、運んで加熱する機械と燻蒸する機械と……ああもう、切り刻むのと混ぜるのは重機にアタッチメントでいいわ。

 悠長にしている時間はない。高山地帯で冷涼とはいえ、積み上げられた馬体にはハエがたかり始めている。殺す必要がないのに結果として殺してしまった以上、無駄にするのは気が引ける。何とかして美味しく、出来れば全てを、消費したい。


 それが供養になる、はず。

 絶対に全部処理するし、絶対に無駄なく加工して見せるし、絶対に誰にもまずいなんていわせないんだから!


◇ ◇


「……まずい!」


 あの男は、何ということをしてくれたのだ。


 野営地の隊長用大天幕のなか。携行糧食として渡された得体の知れない茶色い棒を前に、姫騎士は頭を抱える。“みゅずりばー”とか称するそれは、砕いた雑穀と木の実と干した果実を糖蜜で固めたもの。粗雑な薄紙で簡易包装された素っ気ない外見とは裏腹に、噛み締めるたび小気味いい歯応えがして香ばしい風味が鼻をくすぐる。兵士の軽食になるほど大振りなそれもサクサクコリコリと食べ始めると止まらず、切ないような淡い後味を残して瞬く間になくなってしまう。常習性というか依存性というか、口にした者を虜にする度合いでいえば王都の高級菓子など足元にも及ばない。

 つまり、魔王が何を考えていたにしろ、彼が長距離行軍の経験が……あるいは従軍経験さえも、ないことは明白だった。

 これが入っていた木箱には、大陸公用語で使用上の注意やら開け方やらが簡潔に記されている。つたない手彫り印字であるところを見ると、これはあの魔王本人の手によるものなのだろう。マメというか周到というか……だが感心するよりも小馬鹿にされているような気がするのは何故だろう。

 端にはそこだけ赤い版で、「摂食簡便、風味最高、栄養満点」と自慢げに印字されてある。


 馬鹿が。


 長距離行軍の携行糧食が風味最高なのは、最悪なのだ。戦闘を前にした緊迫状況で士気を上げるというならともかく、会敵の可能性も低い帰還するだけの行程で、こんな無駄に美味い物を出されたらどうなるか。


 こうなるのだ。


「追加の口糧が底を突きかけています、消費が通常の4倍に」

「おい、何故あれに手を付けた! あれは、あれは恐ろしいほどの……」

「輜重の毒見役が声を上げてしまい、兵たちに気付かれてしまったのです」

「馬鹿もん、さっさと標準口糧に切り替えろ。それが元々の支給糧食だったろうが!」

「拒絶されました」

「あ!? ふざけるな、そんなやつらは飯抜きだ!」


 思わず荒げたわたしの声に、天幕周辺の兵士たちが幽鬼のように血走った眼で集まってくる。その必死さは戦場に慣れた我が身を怯ませるのに十分なほどだ。


「姫様ぁーッ!」

「お願いです、“むずりばー”を……!」

「俺は“ばにそ”を……!」

「もう硬焼きパンは嫌です、“ばーがーばんず”を……」

「ええい、うるさい! お前たち、それでも質実剛健を旨とする王国軍の将兵か! 食い物に文句をいうやつは北部辺境送りにしてやる!」


 縋りつく兵たちを何とか排除した後、わたしは夕食のため食卓の用意をしていたお付きの爺に尋ねる。


「時に爺、兵の話に出た“ばにそー”、とは何だ」

「馬肉ソーセージ、こちらでございます」


 えらくデカいようだが、なんのことはない、腸詰めだ。高価な香草と薬味の香りが立ち上り、切り分けられた断面からは上質な肉を丁寧に処理したのが窺える。嫌な予感を振り払い、わたしは冷淡に告げる。


「戦場でこのような凝った調理は不要だ。輜重隊長に伝えろ」

「いえ、それが……焚火で炙っただけでございます」

「!」

「その周りの白パンが“ばーがーばんず”と。 受け取った当日分は日持ちがしないそうですが、明日からは輜重隊で焼けるそうです」

「……どうやって。やつらには、そんな技術も素材もないはずだぞ」


 あったら往路でも出ていたはずだ。受け取った物資のなかにもそれらしきものはなかった。それらしい物資は挽いた小麦だけだ。確認した限り、質はそれなり。変わったところはなかった。


「硬焼きパンと同じ生地に“こうぼ”と申す汁を混ぜただけで、このような」


 手にしたパンは確かに違っていた。ふんわりもっちりと手の中でしなだれかかり、立ち上る湯気からはほんわかと甘い匂いがする。そうして眺めている間にも腸詰から溢れ出した脂が“ばんず”に沁みて指に触れる。貴重な行軍中の食料を無駄にするわけにもいくまい。……だが。


「まずい……まずいぞこれは、非常に、絶対にまずい……」

「いえ姫様、味につきましては間違いなく保証付きの」

「そういう話ではないのだ、馬鹿もの! 兵たちは、もう全員がこれを食ったのか!?」

「これも、“みゅずりばー”も、“しおあめ”も、“がらなどりんく”も、みな風変わりな味でしたが大変美味し……ゲフン、いえ、好評でございました」

「……終わったな」


 侵略、か。魔王の言葉を反芻する。


 口に入れて噛み締めると、ばりゅっという音とともに腸詰の皮が弾ける。溢れ零れ滲み出す肉汁は口いっぱいに凄まじいばかりの旨味を広げてゆくが、喉に落ちてゆく瞬間鼻をくすぐるその風味はむしろ淡い。

 味に問題はない。このわたしの舌を以てしても、何ひとつ、微塵も、問題は、ない。


「それが最大の問題になるというわけだ、あの悪魔め」


 そして、話は振り出しに戻る。

 結局この行軍の最中、王国軍の糧食に手が付けられることはなかった。途中、輜重隊長から補給品の使用状況と今後のお伺いを立てられたが、兵たちが望むようにしろと答えたのだ。それは結果として輜重隊の喜びにもつながったのだろう、返ってきた返事は妙に弾んだものだった。


 その夜、野営陣地を見回っていたわたしは外延部に置かれた警戒厳重な荷馬車の脇を通りかかった。それが何なのかは訊くまでもなくわかっていた。拘束された離反者残党や帝国の捕虜を積んだものだ。王国に戻れば処刑されるであろう彼らの馬車からは、思いがけず押し殺したような笑い声が漏れてきていた。


「ああ、満足だ。こんなの、軍に入って以来だぜ」

「魔王軍との開戦からこっち、ずっと行軍だったからな。でも、死ぬ前にこんな美味い物食えた。もう悔いはねえよ」

「先の戦場で死んだやつらにも、食わせてやりたかったなあ」

「ありがてえありがてえ、きっと神様はいるぜ。これを作ったのは兵士の神だ」

「……」


 ああ、いるだろうさ。だがお前らが拝もうとしている兵士の神はな。無力で無欲で無神論者の魔王だ。

 わたしは結局何もいわず、その場を後にした。


◇ ◇


「……うぬぬぬ」


 大天幕の中で、わたしはひとり内なる警戒心と闘っていた。

 目の前に置かれた箱から、小ぶりな干菓子が覗いている。干し果実とナッツを糖蜜で固めたもの。兵用口糧の“みゅずりばー”と貴族用焼き菓子の中間といった体のそれは、馬車に積まれることなく魔王から直接手渡された。


「これも試作品なんだけど、少しお高めの民間用、女性向けね。あなたの感想が聞きたいの」

「いま食べろと?」

「そうじゃなくて、実感してもらいたいのよ。王国に着くまで、一日にひとつかふたつ食べてみてちょうだい。きっと思い知るから」

「なぜわたしに?」

「許せないからよ」

「??」


 困惑するわたしに、魔王は周囲を窺うとこっそり耳打ちした。


「ビタミン不足してるでしょ。お通じも良くないみたい。肌荒れしてるし、苛々してる。それじゃせっかくの美貌が勿体ないじゃない」

「わたしは軍人だぞ、女を見せる必要はない!」


 怒りを露わにしたわたしを見て、魔王は怯むどころか満面の笑みを浮かべた。


「手持ちの武器を捨てるほど馬鹿じゃないと信じてるわ」


◇ ◇


「……うぬぬぬ、あの悪魔め! わたしの身体に何を……!?」


 王都を目前にした遠征軍の最前列には、つやつやした顔で憤慨する姫騎士の姿があったという。

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