予兆
わたしは王族。スティルモン王国第一王女だ。王位継承権も、不本意ながらひとつ繰り上がりが決まった。王都にいるときくらいは臣民の期待に応えようと、可能な限りお淑やかな姫君を演じている。
いまさら魔王領から何が生まれ、周囲にどんな影響を及ぼそうとも、人前で驚いたりはしない。
ただ、彼らの目的は本当に商売なのか、とは思う。今回もそうだ。
それは“しょーさっし”、とかいう薄く小さな本。魔王領銘菓、“悪魔の涙”を買うと包みのなかに入っている。
つまり“しょーさっし”自体は売り物ではないのだ。
ちなみに肝心の菓子の方は、わたしの予想を遥かに越えた人気と話題性で王都どころか王国全土を震撼させ、王国内での“魔王領公認取扱商”であるルーイン商会を急成長させているのだが、それはさておき。
菓子に添えられている“しょーさっし”は、本の形に開くものの、装丁は「遺された置き手紙」といった体の封筒型になっていて(何をそこまで凝った作りにしたのかは不明だが)、なかには菓子の名の由来として、簡略化した物語が絵入りで描かれている。
大量生産のため版画として処理されたそれは白地に黒で刷られ、最後に石の少年が流す7色の(菓子とそっくりな)涙のところだけは色刷りになっていた。
地名・国名・種族名は特定されないようにボカされているが、裏切り者としての刑死を前に、毅然として微笑む少女の言葉が感動的で……原語部分は響きよく韻を踏んで…
嫌な予感がした。これは、何か
案の定、すぐにそれは判明した。
マーケット・メレイアで長蛇の列を捌く、超人気菓子店“白金の騎士”の店先。
そこでは件の“しょーさっし”をもとにした物語と少女の言葉が、吟遊詩人によって何度も繰り返し歌われていた。響きの良い言葉と覚えやすい旋律。並び続ける購入者も通りかかる通行人も、いつの間にか覚えて思わず口ずさんでいる。後でみてみると、客も詩人と一緒に歌っていたりもする。楽しげな光景ではある。そして彼らの多くは、土産とともに少女の言葉を故郷へと持ち帰るのだ。
――このように。
“ケミカ・オラ・コミエンテ・ナ~”
“聞いて、これは、大事なこと~”
「母上」
“メルカ・ファラ・オンミェルテ・ナ~”
“いつか、わかる、素敵なこと~”
「母上、いや王妃様、廊下でいきなりくるくると回って何の真似ですか」
「あら、マーシャル。あなた知らないの、悪魔の涙」
「もちろん知っております、というか試作品を持った魔王が王妃陛下に販売の御認可いただいた、その席に、わたしもいたではないですか。その歌も知っていますよ、例の“しょーさっし”と吟遊詩人を使って庶民に広めているようです」
「なかなかだけど、詰めが甘いわね。これはね、“みゅーじかる”という平民用娯楽劇の振り付けよ。いま天幕式の劇場を建てようとしているんですって。大道芸人が王都で告知をしていたわ」
「……またあの魔都メレイアですか。次から次へと王国民の心を惑わすことばかり」
理由も知らされず王妃陛下に呼び出され登城してみれば、城内はひと気が少なくどこか空気がおかしかった。平民用娯楽劇の話で呼ばれたとは思えないし、当の王妃様からしてどこか心ここにあらずといった印象を受ける。
「お話はともかく、お菓子としては、“魔珠とティアラ”の方が好きですわね。食べ始めると止められないのが難点ですけど。あれを止めるのには鉄の勇気が要りますね」
王妃陛下の話がいきなり飛んだ。何か重要な懸念事項があって、その考えごとに気持ちが割かれているときによくある。事態は思ったより深刻のようだ。
案の定、陛下は私室に向かう途中で振り返ると、呆気なく要件を告げた。
「帝国が、海軍を出したわ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます