廃墟の花

 人生には運命の分かれ目がある。


 次期会頭として亡父からルーイン商会を引き継いだとき、私が手にしたものは雨漏りのする朽ちかけた倉庫と、壊れた馬車だけだった。

 父親は王都の政争に巻き込まれ事業の大部分を奪われたらしいのだが、損失は自分の無能が招いたものだと、最期まで語ることなく失意のまま死んだ。それが息子を巻き込まないための嘘だったのか、商人の矜持だったのかはわからない。商人になることなど求められなかった。むしろ、“お前はお前の人生を自由に生きろ”というのが遺言だった。


 だから、そうすることにしたのだ。


 商会のあった建物は競売に掛けられ、馬車はあっても馬はいない。資本どころか借財で尻に火が着いていた。抵当に入っていた屋敷と家財道具を全て処分し、文字通りの身ひとつになって必死に働いた。当時まだ新婚で子供に恵まれたばかりだったが、妻に逃げられなかったのは奇跡といっていいだろう。

 疲れ、悩み、うつむきがちだった私を、彼女は常に支え、励まし、癒し、そして……


「マーカス? あなたにひとつ、教えてあげましょうか」


 あるとき我が妻ロレインは、奇妙なことをいい出した。その顔には楽しげな微笑みが浮かんでいる。

 自称、“魔女の血を引く聖女”であるところの彼女は、たまにこういった冗談を口にすることがあるのだ。父方の祖母が宮廷魔導師で母方の祖父が聖職者だったとはいえ、彼女自身には魔術の心得はなく教会にもさほど肩入れしてはいないのだが。


「あなたは王都に商会を蘇らせるわ。ほら、あそこ。“小門”の近くにある古びたレンガ作りの建物。そこがあなたの、“新生マーカス商会”の商館になるのよ」

「そうなるといいね、ロレイン。でも残念ながら、あそこはレイモンド商会のものだよ。彼らは4代続いた大商会で、コーウェル王子の覚えめでたい御用商人だ」


 どうやら死んだ父親と会頭のフォル・レイモンドとは生前に――おそらく政争がらみで何か確執があったようなのだが、私はその内容を知らされてはいない。商業組合で顔を合わせたときなど、何度か鋭い目でこちらを探るような表情をすることがあったが、対処のしようもなかった。まさか当人に訊くわけにもいかない。レイモンド商会は泣く子も黙る大商会で、対するこちらは吹けば飛ぶような破産寸前の零細商会。何を警戒しているのかは知らないが、敵とは思われなかったらしく睨む以上のことをする様子はなかった。


「それに、正直いうと商館よりもまず、ぼくに必要なのは馬なんだよ。この際、ロバでも良いんだけどね」

「真面目に聞いておいた方がいいわよ。あなたは、流されやすい性質だから」


 私は改めて妻の顔を見る。

 それは、意外な評価だった。頑固で我が強く、決めたことは曲げない。それで世間に波風を立てたことはあっても、他人の意見に流されたことなど身に覚えがない。


「流されやすい? ぼくが?」


 怪訝そうな私を見て、ロレインは楽しげに笑った。


「……ええ。運命に・・・ね。油断してると、激流に呑まれることになるわ」


 それからしばらくは、激流どころか波紋ひとつもない、淀んだ泥のなかを這いずるような日々だった。

 金もコネも経験もない若造では大きな商いには関われず、王都の商人が嫌がる細かい仕事を取りまとめ、南部の辺境にある国境城砦まで補給物資を運んだ。最初は自分で背負って運び、やがて痩せ馬を手に入れるとその背にくくりつけるようになり、それはしばらくすると(父親の形見の)馬車に取って代わった。まさか借金をせずに馬車を修繕するまでに3ヶ月もの時間が掛かるとは思ってもみなかったのだが。


 努力の成果が目に見える形になるまでにはさらに数か月が必要だった。馬車を手に入れたことで扱える荷も繋がった人脈も手持ちの資本も商人としての経験も少しずつ増え、父親の古い商売仲間からの助けもあって、王宮への納品を頼まれるという僥倖ぎょうこうも得た。

 これが激流かと思いきや、王宮への納品は要求が細かく期日に厳しいわりに数が少なく、しかも利益は薄かった。

 父親の商売仲間からしても、譲ってくれたのはさして旨味がない仕事だったからなのだろう。だが自分としては、貴族街に知己ちきを得て仕事の幅が増えたことは紛れもなく良い経験だった。


 傾いた倉庫(屋根は自分で直した)の隅で寝泊まりしていた日々が終わり、狭いが小奇麗な借家に移った頃……


 運命の日がやってきた。


◇ ◇


 いつも通り国境城砦に補給物資を届け、受け取りにサインをもらって馬車に戻ろうとしていたとき、争うような声と甲高い嘆きが聞こえてきたのだ。


「……ああ、もう! ちょっとは話のわかる人いないの? できれば兵士じゃない民間の人……」

「何か御用ですか」


 気付けば私は、彼に声を掛けていた。半分は親切心で、もう半分は好奇心だった。

 国境城砦に、少なくとも南部の国境城砦には、民間の人間などいない。

 いるわけがないのだ。辺境とはいえ最前線。小さな川を越えた先は魔王領なのだから。


 何をどうして迷い込んで来たのか知らないが、その人物は実に不思議な格好をしていた。

 長身ながら細身で、どこか中性的な雰囲気のある柔らかな顔立ち。話す声も言葉も抑揚が強く、独特の――だが聞いたことのない訛りがある。

 服装は上質な艶のある柔らかな黒い布の上下。東方大陸から伝わってきたという絹布シルクに似ていたが、ここまできめ細かい繊維は見たことがなかった。

 形は貴族の礼装のようで、同じく上質の艶を放つ白のシャツはボタンがふたつ外され首元に紅い布が丸めて巻かれていた。


 ――異国の貴族だろうか。だが、何故こんなところに?


 そのときは、まさか供も護衛もつけず馬にも乗らず自ら荷物を片手に歩いてきた人物が魔王だなどとは知る由もなく。整った身形みなりを見て安堵し、少しばかり話して商機に繋がれば、などと思った自分は、やはり妻のいう通り流されやすい・・・・・・人間だったのだろう。

 まるで気付かなかったのだ。自分が、激流・・へと足を踏み入れてしまっていたことに。


 そこから先のことは、あまり覚えていない。


 溺れないように必死にもがき、手足を動かし泳ぎ続けているうちに、気が付けばルーイン商会は……いや、新生・・ルーイン商会は、新しい商館で再出発を遂げていた。


 奇しくも、それは王都の“小門”近くにある古びたレンガ作りの建物。レイモンド商会はコーウェル王子の失脚に巻き込まれ、そのとき露呈した数々の罪状によって御用商人の座どころか一族郎党、処刑台に送られかけたという話だ。

 私が最後に見た会頭フォル・レイモンドは、薄汚れた服で髪も乱れ目は血走り、譫言うわごとのようにブツブツと何かを呟きながら、通りを城外へと歩いてゆくところだった。こちらを見た目は何も映してはおらず、何があったのか、ほんの数日のうちに彼は廃人のようになっていた。

 それきりレイモンドの一族は王都から消えた。詳しい話は、噂にすらなっていない。それだけ王宮の深いところ・・・・・で行われた処分だったのだろう。


◇ ◇


 ルーイン商会が再出発した日、秋も深まりかけた時期だというのに、商館の前は色とりどりの花で溢れていた。

 現在王国唯一の“魔王領公認取扱商”であることを示す金色の看板とともに、魔王陛下が贈ってくださったのだ。


 “花輪”というらしいそれは、魔王陛下の出身地――というのがどこなのかは知らないのだが、そこに伝わる“商売の門出を祝う風習”だという。

 見たこともない花々はどれもこれも美しく咲き誇り、街ゆくひとの目を金看板以上に惹きつけていた。


 商館の前で花を眺めながら目を細めていた妻が、運び込まれた商品の荷解きで慌ただしく駆け回っていた私を振り返り、声を掛ける。


「マーカス? あなたにひとつ、教えてあげましょうか」

「ああ、ロレイン。ぼくの愛しい聖女様。もう十分だよ。自分の運命は、自分の手で切り開きたい。そしてその結果も、自分の耳目で知りたいんだ」

「運命や未来の話じゃないわ。単なる事実・・・・・よ。あなたに見えていない……いえ、この国でもほんの何人かしか理解できていないこと。古今東西の薬草薬種を揃えたというお爺さまの研究所でも、これほどのものは見たことがないわ」

「……もしかして、その花は」

「ええ。すべて薬草よ。王国には自生しない。宮廷魔導師が血眼で捜し、命懸けで奪い合うほどのね。魔王陛下は、あなたをよほど買ってくださっているみたい。これを見て」


 花輪を支える台座には、踊るような筆致の大陸公用語でこう書いてあった。


“親愛なる会頭殿。御夫婦・・・の力で、未来が大きく花開かれんことを”

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