空の上で

「本日はルメア山脈縦断ロープウェイに御乗車いただきありがとうございます。右手をご覧ください、あちら建設中の魔王城でございます。現在は2階から上の部分、鐘楼と貴賓室などの建築に入っており、その後に最上階の王座の間に取り掛かります。完成は来年の春を予定しております」


 とかなんとかいうイグノちゃんのバスガイド調なアナウンスとともに、ロープウェイは 山腹の終着駅を目指して スルスルと登ってゆく。山を越え谷を越え、片道約1時間半の道のりだ。山肌を巻きながら可能な限り傾斜を緩く取った街道と違って、最短距離を移動するロープウェイは遥かに時間が短縮される。街道を使うと6合目にある温泉保養(予定)地のバッセンまでは約240~250km前後だけど、直線距離だとその半分ほど。概算で時速90km弱というと恐ろしい速さに思えるのだけど、魔道具の補正が掛かっているのか、乗っている分にはそれほど速い感じはない。


「これ、なかなか乗り心地が良いわね。揺れもほとんどないし、すごく快適よ」

「ありがとうございます。鉄道ほどではないですが、大量輸送の手段としても使えるよう考えてます」

「え? この速度で貨物運ぶの? 速過ぎない?」

「いまのは安全速度です。逆に、いざというときには倍近くまで上げて、到着時間を約半分に短縮することもできます。その場合には、通常1.5トンの積載量を、500kgまで制限する必要がありますが」

「すごい、とは思うけど、そのときには乗りたくないわね」

「……」


 ゴンドラは内寸が4m×8mといったところ。高さは2m弱くらいで、壁面の上半分と天井の一部は大きめの窓になっている。


「この窓は、ガラス?」

「保温と耐衝撃性を考えて、魔導媒体を挟んだ樹脂製です。夏場など、必要なら窓は開けられるようにしたんですが、開けましょうか?」

「いまは、いいわ。でも、この速度じゃ吹き込むでしょう?」

「いえ、風雨はある程度、魔法陣で軽減していますから、このままでも問題ありません」

「……」


 見晴らしは素晴らしいけど、それだけに緊急停止なんかされたときには怖いかもしれないわね。速度もそうだけど、移動高度もけっこう高いし……。

 眼下には魔王領の折り重なった山脈と渓谷、その先には王国の広く肥沃な大地が一望にできる。あー、いま思い当ったけど、この眺望って軍事機密なのかもしれないわね。視力と判断力しだいでは、王国内の現状を戦略地図でも描ききれないほど細密に把握できちゃうわ……。


「……」

「マーシャル殿下、どうされました? 先ほどから一言も発してらっしゃらないけどけど」

「ふつうは言葉も出んわ! よくこんなもののなかで平然と会話ができるものだな!? 怖くないのか!? 落ちたら死ぬのだぞ!?」

「落ちませんよ。だいたい、ここ数日で何回も堕ちてきた殿下が気にされることでもないでしょう?」

「気にするわ! むしろ嫌というほど飛ばされ落とされてきたからこそ、恐怖が身に染みているのではないか!」


 なんか、いっぱいいっぱいのツッコミが売れない若手芸人みたいになってるわ。アタシは、そんな殿下を温かい目で見守る。

 プルプルしているマーシャル王女殿下の周囲には、お付きの侍女やら護衛兵士やら総勢15名。みな眼下の風景を見ながら青醒め、脂汗を流している。


「魔王陛下、間もなくバッセンが見えてまいります」

「では、張り切ってまいりましょう!」

「張り切らなくていい、むしろ張り切らないでくれ。貴殿らが張り切ると、ひどく嫌な予感がする……」


 失礼しちゃうわね。そりゃいわれてもいわれなくても張り切るわよ。なんせ王国南部領からの国賓を、我が魔王領が誇る絶景温泉地、バッセンにお迎えするのだもの。

 ちなみにバッセンの整備はまだ着手したばかりなので、それ自体は名目でしかない。本当の視察目的は、このロープウェイだ。王国への軍事的脅威になる可能性を、王族自ら見て判断してもらうことで敵意がないことを理解してもらいたかった……のだけど。


「ああ、神様お救いください……」

「諦めろ。魔王領の軍事施設・・・・に入り込んで、無事に帰れると思う方がおかしいのだ」

「で、殿下……」

「そんなことないですよ~? ぜんぜん、大丈夫ですよ~?」


 漏れ聞こえる呟きと死を覚悟したような表情を見る限り、誰も理解してくれてないようね。必死に宥めるけど、誰も聞いてないわ。

 アタシは、後方右手に見える王国南部領府コンカラーを、姫騎士殿下に示す。領主館を中心に緩やかな傾斜と整った街並みが広がっているのが見える。

 それは殿下の性格を示すように、几帳面で無駄がなく簡素ながら優美で……悪くいえば、開けっぴろげだ。領主館周辺には城壁も、目立った防衛施設もなく、まとまった兵員も配置されていない。うまやの数からして、斥候ていさつと応援要請を超える対応もできない。王都から近いといっても、無防備すぎるように思える。最初に会ったとき率いていた魔王領侵攻部隊って、王都から引っ張ってきた借り物なのだろう。

 微妙な立場で、苦労されてたのね……。

 生暖かい目になってしまったアタシを見て、マーシャル殿下は怪訝そうな表情になる。それなりにさとい方だから、危険な立ち位置にいる自覚がないわけないと思うんだけど。


「どうかしたのか?」

「ええ、そうですね。マーシャル殿下、ロープウェイこれを民間に開放して問題ないかお訊きしたかったんですけど、どうでしょう」

「……どう、とは? この恐ろしさに耐えられるというなら、好きに乗せたら良いではないか」

「でもほら、空から見る風景って、軍事機密になったりするじゃないですか」

「ああ……それは、そうだな。しかしそれは、いまさらだ。魔王領が客として受け入れるくらいの民間人なら、見られたところで問題はない。むしろ、軍事的には王国にとっても意思表示になるのではないか?」

「意思表示、ですか」

「国境を接する両国は、どう見ても軍事的緊張感が皆無だ。それでいて軍事力を仄めかす技術的交流は異常なほど密になっている。これは敵対国から見ると、魔王領と王国の紐帯つながりを示しているようにしか理解されん」

「そう、かもしれませんが……」

「そうとしか取りようがないのだ。たとえば、だ」


 マーシャル殿下はいままさに資材の積み出しとレール敷設を行っている王国鉄道網の建設現場を指す。その位置は、マーケット・メレイアと王国南部国境城砦の中間地点。最初に建設されているのは、両国を隔てる河川上の架橋だ。


「あの貨車に砲門でも載せてあってみろ、誰だって気付く。紐帯どころか魔王領は王国の軍事力を支援、もしくは支配していると」

「争うのも競うのも、経済だけで十分ですよ」

「……ああ。そして、経済それだ」


 姫騎士殿下は侍女からいくつかコインを受け取り、アタシに手渡してくる。それは真新しい銀貨と銅貨だった。


「それは、最近になって増鋳されたものだ。それも、一度や二度ではないぞ。すでに貨幣出荷量は金・銀貨クラウンで4倍にもなっている。庶民通貨である銅貨ソルでは実に20倍でも枯渇気味だ。ルオー伯爵の銅鉱山も採掘量が頭打ちで、いま王国政府は各地の銅鉱山を再開発して、銅鉱石の市場価格が高騰しないように必死だ」

「……はあ。銅貨と銀貨に関しては、ルーイン商会から聞いております。魔王領ウチのせいなので申し訳ないと思いますが、金貨は……ああ、そりゃそうですよね」


 両国間を貨幣と物資だけが等価で行き来して終わるわけではない。王国の経済規模自体が膨れ上がっているのだ。その辺は詳しくないし、理解していなかった。それがもたらすものへの知識も自覚も足りない。


「もちろん感謝はしている。特に、我が南部領は土地は痩せていて水害も多く、恒常的な生産には向かない、発展には程遠い僻地だったのだ。それがいまや、王国経済を牽引するまでになっている。領民の暮らしの改善は目を見張るばかりだ」

「そんな土地を、なんでまた王族の領地に?」

「もともと領自体が軍事的緩衝地帯のようなものだ。だが存在意義を理解しても、報われない努力をし続けられる貴族はいない。懲罰的な利用をしようにも、最近までは多国間戦争の最前線だ。無能が領有して維持できるような立地でもなかった」


 懲罰的な配置を受けていたのは姫騎士殿下というわけだ。王国政府の誰かが画策したか自分で望んだのか知らないけど、南部領の実情を知る貴族はそこの領有を命じられた王女を侮ることもあったのだろう。


「王国経済を牽引する、というのは少し違うかもしれんな。南部領はいま、魔王領を後ろ盾に王国経済を破壊し、浸食し始めている。幸か不幸か膨大な需要を生んでいる銅は北部貴族領に多く産出するので、そこでの異常な好景気が不満を抑える役には立っているが、勝敗は明らかだ。貴族領は、魔王領と南部領からの経済支配を逃れられない」


 経済力は国力。というよりも、前世の感覚でいえば前近代レベルのこの世界で、それはほぼ軍事力とイコールなのだ。敵国からすると、結果的にとはいえ輜重や補給に特化した産物を大量放出している時点で、魔王領は王国の軍事支援をしている……いや、後ろから操っているとしか思われないだろう。


 そこでアタシは、手渡されたコインの片方が見慣れデザインなのに気付く。少し小さめの銀貨で、彫られているのは女性のように見える騎士の半身像だ。


「気付いたか。それは、王国経済の変貌を象徴するものだ。小銀貨と名付けられた」

「それは……中間通貨?」

「価値は銀貨の半分半クラウン。銅貨100枚分だ。銅貨の不足もあるが、商取引の際に不便だという声が、あまりにも大きかったのでな」


 そりゃ不便よね。いってみれば大銅貨100円の上が、銀貨1万円なんだもの。これで小銀貨5千円というコインもできたってことになる。

 元・日本人の感覚からすると、正直あんまり改善している気はしないけど。


「商取引の利便性を考えれば、銅貨ソルの上位硬貨だと思うんですけど。それを作らなかったのは、銅の不足が原因ですか?」

「そういう意見も当然あった。合金なら銅の不足にも対処できたかもしれん。しかし、王妃の発案で上位通貨クラウンの少額化が決まったのだ。これは、庶民経済の発展がもたらしたものだからと」


 その言葉の意味を少し考えたアタシは、王妃の思いを理解する。


「……そうか。ごほうび、なのね。庶民通貨ソルしか触れなかった平民たちにとって、頑張れば手が届く、初めての貴族通貨クラウンとして」


 姫騎士殿下は、肩をすくめて苦笑した。


「ああ、そうだ。王妃陛下もいっていた。魔王陛下ならきっと、自分の気持ちを理解してくれると」

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