知らなかった恐怖
「皆さま、おつかれさまでした。間もなく、終着駅バッセンに到着します。ゴンドラ内部の気圧調整を行いますので、耳が痛くなった場合はお知らせください」
耳抜き用だとかで全員に飴玉が配られ、みんな怪訝そうな顔でコロコロと頬を膨らませる。舐め終わる前にバッセンが眼下に姿を現した。いつか訪れたときは物置のような小屋が疎らに並んでいるだけの寒村とも呼べない場所だったけど、いまは開発途中とはいえ数件の宿泊施設と、湯気を立ち上らせてた温泉施設が見える。
ゴンドラの密閉を解いたせいで、外の硫黄臭が仄かに入り込んできた。
「臭いぞ、なんだこれは」
「温泉の成分ですね。ご心配なく、害はありません。むしろ入浴すると、とっても身体にいいんです。お肌もキレイになりますよ」
アタシの必死なアピールで、女性陣の目に少しだけ光が戻る。
少しだけ揺れる感じがした後、ロープウェイは駅に到着した。道中の心労が大きかったらしく、みんなひと言も発しないままヨロヨロと降車してゆく。
「荷室に積み込みましたお荷物は宿に運ばせていただきますので、お手回り品だけお持ちください」
お付きの方々がそそくさと宿に向かうなか、マーシャル王女殿下だけは駅やら車両やらをキョロキョロと観察している。騎士っぽい男性たちは、先に行ってしまったんだけど。ここにいるのは王国最強の女性とはいえ、一応名目上は護衛に付いてなくてはいけないのではないかしら。
まあ、いいけど。
「……これは、どういうことだ!」
「詳しいことは工廠長に聞かないとアタシにもわかりませんが……あら」
殿下が目を留めたのは、ロープとゴンドラとの連結部だ。車体は巨大なアーム状の構造でぶら下がるようにロープに固定されていて、ロープの循環によって移動してた……はずなのだけど。
車体とロープとの間に隙間がある。正確にはアームとロープの接点が10cmほど離れているのだ。ゴンドラは微動だにしてはいないのだけど、逆にこれでなんで落ちないのかわからない。そんなことには気付かず乗っていたマーシャル王女は、見る見る青醒めてゆく。
アタシは慌ててイグノちゃんを呼んだ。
「はい。最初に魔王陛下からお聞きした懸架方式だと、時速40キロ以上で振動が出るのです。ロープを保持する、支脚を通過するときですね。接点がありますから」
そりゃそうよね。ロープウェイで時速100キロとか正気じゃないもの。風やら空気抵抗を魔法で押さえても、支柱を通過するとき、ある程度は揺れる。……はずなのだ。
「はい。そこで、接点をなくしてみたのです。間隔固定の魔道具で遊離接続を行っています。これだと振動は発生しませんし、ロープのたわみも最低限に抑えられます」
マーシャル殿下の顔色は、もう青を通り越して真っ白になっている。
理屈ではないのだ。いや、イグノちゃんのいう理屈もビタイチ理解できないけど。
ただでさえ宙に浮いているだけで不安と恐怖に駆られるというのに、大地との間接的接点であるゴンドラの接続部分が「見えず触れられず理解も出来ない得体の知れない何か」に委ねられているという事実が、彼女を震え上がらせているのだ。
「戻りは、歩いて帰る」
「あの、殿下? 無理ですよ? 王国までは150哩とかあるんですから、いつまで経っても着きませんよ?」
「嫌だ! もう絶対に乗らん! 歩いて帰れないなら飛び降りる!」
必死で駄々をこねる王女様に根負けした結果、帰りは皆さんを送り届けるためにトラックを手配することになった。
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